よのなか研究所

多価値共存世界を考える

大阪が世界標準?

2013-03-06 09:57:39 | 比較文化

                                                        Photo ( JR大阪駅外観 )

所用で数日大阪に滞在しました。

東京で仕事するものが大阪に出張した時に体験するとまどいの一つはエスカレータの乗り方である。一般に関東ではエスカレータの踏み板の左側に立つが、近畿地方以西では右側に立つ。毎回のことながらまごつくことが多い。

新幹線から下りる時点ではまだ左側に立っていたが、在来線に降りるエスカレータでは既に右側に列ができている。ここでまごついている関東者が数人いる。大阪駅に着くともう全員が右側で乱れも見られない。

ここで「大阪人はやはり変わっているなぁ」と考える人は間違っている。世界各国でのエスカレータ事情は右側に立つのが大勢なのである。米国でも中国でも欧州でも、東南アジアでもインドでも右側である。すなわち大阪が世界標準に合致している。大阪が日本のグローバル化の先頭を走っている。東京人がヘンなのである。

一歩街に踏み出すと、そこはアルファベットの氾濫である。目に付く店舗の名、ブランド、ホテルの表記もアルファベットすなわちラテン文字表記である。またそのカタカナ表記である。大阪駅そのものが「大阪ステーションシティ」と呼ばれ、駅ビルはサウスゲートビルディングとノースゲートビルディングといった具合である。

表面的なことだが、ラテン文字で表記するのが世界標準化である、とするならやはり大阪が東京に先んじているようだ。東京もカタカナとラテン文字が幅を利かせているが、大阪はそれに輪をかけている感がある。ただし、これが本来のグローバル化かどうかは議論の分かれるところであろう。

 「食いだおれ」の名に恥じない世界の料理が至る所にあるのも大阪の特徴だ。それはグルメとか食通というレベルを超えている。つまり庶民の味の世界版が比較的高価な店からから安価なものまで見て回ることができる。

ファッション関係者に聞いても、大阪は世界の先端ファッションの上陸地だそうだ。最も敏感なファッション・リーダーは大阪・神戸にいて、大阪・神戸で売れたブランド商品のやや抑え目のものを東京・横浜へ持っていくと流行になる、とある輸入業者は語った。データ上でも、若い年代の一人当たりのファッション衣料購入額で大阪が東京よりも多い。大阪のサラリーマンたちの間では「クールビズ」などという官製ファッションが登場するずっと前から「ノーネクタイ」が普及していた。

 大阪が世界に通用するのは、人びとが皮膚感覚を隠さずにいるところにある。生理現象がむき出しになっている感がある。商人の町大阪では事業欲に富んだ人たちが多く、中小企業が元気である。現代のグローバル資本主義に対抗できる日本人は大阪にいるようである。いたずらに権威になびくのでなく、官とは一線を引くところに大阪商人の心意気がある。昨年の選挙にも見られたように反中央、反権威がここでは喝采を浴びる要素がある。

われわれはお客と会食する時に請求額の内容も見ずに支払う傾向がある。特に東京ではその傾向が強い。そんな態度を「イキ(粋)」と呼んだりするが、実は社用族、つまり交際費で飲食しているものが多いからに過ぎない。その点、大阪には「元が取れる」という言葉があり、誰しも支払う金額と自己の満足度を秤に架けて考える傾向がある。それは会食の場でも同様で、不満があれば自分の金、会社の金に関わらず店側にひとこと言うのである。

この態度はヨーロッパ人に通じるものがある。特にフランスではその日のホスト(つまり接待する側)が食後にボーイの持ってきた計算書をひとつ一つチェックし、少しでも間違いがあればその場でボーイ長を呼んで指摘する。その間も会話を絶やさず続けるのがゲストのマナーとされている。また実際に間違いが多い。その間ゲストたちはブランデーやコーヒーを飲みながら楽しい会話を続けている。お客として招かれる時は十分に遅くなることを承知して受けねばならない。

 グローバリゼーションとは世界標準化のことを指すが、それは多国籍企業(MNC)や投資ファンドが儲けやすく経済システムを作りかえることではない。大国が軍事力を背景に他国を圧迫し、また国連や国際機関で主導権を握って諸制度を組みかえていくことではない。むしろ、世界中の気候風土や地域性や文化や生活を考えて人びとの住みよい社会を構築していくことではないか。球体の世界を一色に塗りつぶすことではなく、むしろ、あらゆる色調、濃度、質感、手触り感が共存するところに“Global”の意味がある。それは本来「資本」とは距離をおいたところにある。

(歴山)



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