公園を散歩していると、ベンチに老人たちがたむろして座っていた。
示し合わせてここで雑談をしているのか、自然発生的にここに集まることになったのか、井戸端会議でもしているのだろうか、楽しそうに時間を過ごしていた。
周央日の昼間の内科医院では、老人が大勢待合室で雑談をして時間を過ごしている所を良く見ることがある。通院をしているだけでなく、待合室が一種の老人クラブになっている観がある。
そんな光景より、この公園の集会のほうがずっと健康的で、健全な感じだ。
嫁の悪口を言っているのか、孫の自慢話に花を咲かせているのかと色々と想像しながら観察していると飽きることがない。
しかしよく考えてみたら、自分自身も彼らの仲間である資格が十分あるな。
老人たちが云々などと批評めいたことを言っている自分がおかしくなった。
示し合わせてここで雑談をしているのか、自然発生的にここに集まることになったのか、井戸端会議でもしているのだろうか、楽しそうに時間を過ごしていた。
周央日の昼間の内科医院では、老人が大勢待合室で雑談をして時間を過ごしている所を良く見ることがある。通院をしているだけでなく、待合室が一種の老人クラブになっている観がある。
そんな光景より、この公園の集会のほうがずっと健康的で、健全な感じだ。
嫁の悪口を言っているのか、孫の自慢話に花を咲かせているのかと色々と想像しながら観察していると飽きることがない。
しかしよく考えてみたら、自分自身も彼らの仲間である資格が十分あるな。
老人たちが云々などと批評めいたことを言っている自分がおかしくなった。
どんな店でも、その店頭は、人がその店がどんな店かであるかが分かるような佇まいをしている。
どぎつく客を招き寄せている店頭もあるし、ひっそりと遠慮がちに自己を演出している店もある。また時にはその店頭を見ただけでは、何の店かが分からないこともある。
しかしどんな場合でも、どこかに自分らしさを表現する工夫がなされており、店ごとに個性がある。
夜は、周りの細かい煩わしさが隠されてしまうので、店の個性が余計際立つし、店ごとの個性の違いもはっきりする。
時としては、しっとりと憂愁を漂わせていることさえある。
そんな夜の店の佇まいを見るのが好きだ。
これから、時々そんな夜の店頭の写真を掲載して行こうと思う。
家の近くにあるフレンチレストラン。
何度か食事をした事がある。味にそれ程うるさくない小生だが、旨い部類に入るのではないかな。
店の佇まいとしては、趣があって好きだな。
どぎつく客を招き寄せている店頭もあるし、ひっそりと遠慮がちに自己を演出している店もある。また時にはその店頭を見ただけでは、何の店かが分からないこともある。
しかしどんな場合でも、どこかに自分らしさを表現する工夫がなされており、店ごとに個性がある。
夜は、周りの細かい煩わしさが隠されてしまうので、店の個性が余計際立つし、店ごとの個性の違いもはっきりする。
時としては、しっとりと憂愁を漂わせていることさえある。
そんな夜の店の佇まいを見るのが好きだ。
これから、時々そんな夜の店頭の写真を掲載して行こうと思う。
家の近くにあるフレンチレストラン。
何度か食事をした事がある。味にそれ程うるさくない小生だが、旨い部類に入るのではないかな。
店の佇まいとしては、趣があって好きだな。
親しい友人に誘われて、何年かぶりのゴルフに行ってきた。
腰の持病が悪化して、足の痺れや痛みでゴルフをやめることになったのはもう4,5年前だったような気がする。
今年2月末に腰椎固定の手術をうけ、毎月の検診も3ヶ月毎でいいといわれた診察で、ゴルフも問題なくできるよ、と医者に言われたのが、9月だった。
友人たちも手ぐすねをしてまっており、ついに昨日、彼らに一種強引につれて行かれる形で、友人のO君のホームコースである豊岡カントリークラブで、まるで処女のごとく、嬉れし恥ずかしの再体験をした。
結果は、108というまったく事前に予想していたスコアと同じになり、その偶然にびっくりしたが、その程度のスコアが今の実力であろう。数年間のハンデがなくともあまり大きな違いはないだろう。と言うのも4人で回った友人のうち、90台で回ったK君を除けば、3人とも100をオーバーするという似たり寄ったりの結果だったからだ。
昨日は、雲ひとつない青空が一日続き、気温もまったく快適で、一年に何日もないような天候に恵まれた。
これ以上ないような、もったいないくらいな天気の下で、青々としてグリーン上で、スコアはともかく、友人と和気藹々とスポーツが出来たということは、どんなものにもましての貴重な時空だった。
腰の持病が悪化して、足の痺れや痛みでゴルフをやめることになったのはもう4,5年前だったような気がする。
今年2月末に腰椎固定の手術をうけ、毎月の検診も3ヶ月毎でいいといわれた診察で、ゴルフも問題なくできるよ、と医者に言われたのが、9月だった。
友人たちも手ぐすねをしてまっており、ついに昨日、彼らに一種強引につれて行かれる形で、友人のO君のホームコースである豊岡カントリークラブで、まるで処女のごとく、嬉れし恥ずかしの再体験をした。
結果は、108というまったく事前に予想していたスコアと同じになり、その偶然にびっくりしたが、その程度のスコアが今の実力であろう。数年間のハンデがなくともあまり大きな違いはないだろう。と言うのも4人で回った友人のうち、90台で回ったK君を除けば、3人とも100をオーバーするという似たり寄ったりの結果だったからだ。
昨日は、雲ひとつない青空が一日続き、気温もまったく快適で、一年に何日もないような天候に恵まれた。
これ以上ないような、もったいないくらいな天気の下で、青々としてグリーン上で、スコアはともかく、友人と和気藹々とスポーツが出来たということは、どんなものにもましての貴重な時空だった。
先日なくなった友人の四十九と納骨が、昨日、清水であった。
日本平の東側の山すそに鉄舟寺と言う名の臨済宗の寺がある。
幕末の英傑のひとり山岡鉄舟の墓があることで有名な寺だ。
本堂で、木魚をたたきならが和尚が経を読み、参列者が一人づつ焼香に立つ。
静かだ。寺の下には大きな道路が走っているが、まったく音がしない。静寂そのものだ。
何でこんなに静かなのだろう。すーっと周囲を清澄にする空気が流れ、香のかすかな香りが漂ってくる。
ほんのひと時だったが、心がスーッと何かに流され無になったような感覚にとらわれた。気持ちのいい瞬間だった。
寺は日本平の東側のかなり急な傾斜が始まるところにあり、墓はその急な斜面に段々になって立っている。
彼の墓はその斜面でも上部のほうに位置している。老人ではきつすぎる階段を上がって墓のところで振り返ると、清水の町/港、三保半島、駿河湾、今日は雲に隠されていたが大きく正面に富士山が一望だ。
墓まで上っていくのにはまったく大変だが、本人はこの眺望を独り占めだ。
日本平の東側の山すそに鉄舟寺と言う名の臨済宗の寺がある。
幕末の英傑のひとり山岡鉄舟の墓があることで有名な寺だ。
本堂で、木魚をたたきならが和尚が経を読み、参列者が一人づつ焼香に立つ。
静かだ。寺の下には大きな道路が走っているが、まったく音がしない。静寂そのものだ。
何でこんなに静かなのだろう。すーっと周囲を清澄にする空気が流れ、香のかすかな香りが漂ってくる。
ほんのひと時だったが、心がスーッと何かに流され無になったような感覚にとらわれた。気持ちのいい瞬間だった。
寺は日本平の東側のかなり急な傾斜が始まるところにあり、墓はその急な斜面に段々になって立っている。
彼の墓はその斜面でも上部のほうに位置している。老人ではきつすぎる階段を上がって墓のところで振り返ると、清水の町/港、三保半島、駿河湾、今日は雲に隠されていたが大きく正面に富士山が一望だ。
墓まで上っていくのにはまったく大変だが、本人はこの眺望を独り占めだ。
晩秋の、土曜日の公園の一光景。
色づき始めた木々に囲まれた芝生広場に、親子連れ、若いカップル、孫を連れた年寄りが三々五々と遊んでいる。その光景を見るのか見ないのか、じっとベンチに座り続ける人もいる。
なんでもない光景だ。しかしこれほど平和な光景もないだろう。
ひと時、城が見下ろしている広場で、日常の煩雑さを忘れて、ただ今を楽しんでいるのだろう。
豪華な食事をして人生を楽しむことも、海外旅行で我を忘れて異文化を賞賛することも、最新ファッションを身に着けてその優美さにうっとりすることも、仕事に打ち込みその結果に喜びを見つけることも、恋愛に熱中して燃えるような喜びを見つけることも、みな人生を楽しむ方法だろう。
「動的」に楽しむことも、「静的」に喜びを見つけることも、人生には必要なことだろう。
どちらを優先させるかは、その人のそのときの心理状況と、人生観によることが大きいのかな・・・・・・・・・・
色づき始めた木々に囲まれた芝生広場に、親子連れ、若いカップル、孫を連れた年寄りが三々五々と遊んでいる。その光景を見るのか見ないのか、じっとベンチに座り続ける人もいる。
なんでもない光景だ。しかしこれほど平和な光景もないだろう。
ひと時、城が見下ろしている広場で、日常の煩雑さを忘れて、ただ今を楽しんでいるのだろう。
豪華な食事をして人生を楽しむことも、海外旅行で我を忘れて異文化を賞賛することも、最新ファッションを身に着けてその優美さにうっとりすることも、仕事に打ち込みその結果に喜びを見つけることも、恋愛に熱中して燃えるような喜びを見つけることも、みな人生を楽しむ方法だろう。
「動的」に楽しむことも、「静的」に喜びを見つけることも、人生には必要なことだろう。
どちらを優先させるかは、その人のそのときの心理状況と、人生観によることが大きいのかな・・・・・・・・・・