定年ジジイの夕焼け人生

朝日ほどの力強さはなくてもいいが、人生の黄昏期をせめて夕焼けほどに輝いていたい。

蕎麦を打った。

2010-12-31 13:45:09 | Weblog


久しぶりに蕎麦を打った。

年越し蕎麦として、今晩食べるための蕎麦。

近所に雑穀店があり、そば粉を買った。
つなぎ用の小麦粉と打ち粉も一緒に買った。
6,7人前の蕎麦が出来るだけの量だが、それでも500円で少々つりが来たから安いものだ。

そば粉と小麦粉の割合は、以前から2・8蕎麦。
加水率は、このところの乾燥状態を考慮して45%強とした。ずいぶん久しぶりなので、水回し作業がぎこちない。
それでも何とかまとめることが出来、練を繰り返した後、伸し板と伸し棒で伸ばし、蕎麦包丁で切ったが、これがまた久しぶりのこととて、幅がそろわない。

まあ、何とか形にはなった。

今晩は天婦羅をあげて、手打ちの年越し蕎麦が食えそうだ。
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ファーマーズ・マーケット

2010-12-22 09:54:05 | Weblog


自宅から車で30分位の郊外に、ファーマーズ・マーケットが数多く出来ている。

JAが出店しているものが多いようだ。道の駅のような所でも地産の野菜を売っている。

地元の農家の直接販売ということではなく、やはり何らかの組織が介在しているようだ。

野菜の種類は存外多く、新鮮だし、また値段もスーパーマーケットの1/2から1/3程度と確かに安い。



歳をとって車でちょっと外出という機会もだんだん減ってきたが、気晴らしと、新鮮な安い野菜を買いに、ファーマーズ・マーケットをちょくちょく訪ねるのもいいかもしれない。


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暖冬かな?

2010-12-21 09:20:08 | くむ
一時寒いときもあったが、このところ気温は高めに推移している。

日中の温度は例年に比べて3,4度は高いのではなかろうか。
この気温がずっと続くとも思えないが、なんとなく今年も暖冬の予感がする。

しかしヨーロッパは記録的な寒波に襲われている。
その波がそのうちに日本にもやってこないとも限らない。


遠州地方では、最高気温が10度を割り込み、西よりの空っ風が吹くと本格的な冬だ。
洗濯物が吹き飛ばされそうにたなびき、女の人が髪の毛を逆立て、首を襟に引っ込める景色が見られるとそれだけで寒さが倍加する。

何とかそんな日が出来るだけ少ないようことを願いたい。



暖かい日でも、寒がり家のクムは、朝は毛布を被りなかなか出てこない。
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日の出時刻

2010-12-18 08:55:07 | 夕日/朝日
この時期の日の出は7時少し前だ。



サラリーマンを卒業してすでに十数年経つ。

朝の定時という概念が無くなってしまったので、起床時刻は日の出時刻に左右される。
この時期のそれは、7時近くになってしまった。

夏至から真夏の頃は、5時過ぎには起きていたから、起床時刻は2時間近い差がある。
驚くほどの違いだ。

これは犬のせいでもある。
犬はその本能か、起床時刻は大いに日の出時刻に左右されるようだ。
起きれば人間も起きろと催促が激しい。起きないわけにはいかなくなる。
それがこのところ人間が起きるまでは熟睡している。人間が犬を起こすこともある。

寒さのせいもあるが、このところ人間も犬も怠惰だ。

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南天

2010-12-17 09:07:41 | Weblog
真っ赤な南天の実が陽に照らされてつやつやと光っていた。



陽だまりに実ったりして暖かさに関連付けられる木ではない。
どちらかといえば、半日陰でよく見かけるし、この時期に寒さを倍加させる西からの季節風にその赤い実を晒していることが多いように思う。


子供の頃、家のトイレに面した庭の片隅に植えられていたような覚えがある。
晩秋から初冬に掛けて、まだ身体も冬の寒さに慣れていない時期に実を赤くし、だから余計にこの赤い実を見ると寒さを覚えたものだ。

しかしよく見ると、その実の小粒な可憐さといい、艶やかに光っている様といい、寒さを連想して嫌っていた子供心は相当な偏見だったような気がする。

寒さの中で精一杯輝いている南天はむしろ見習うべき存在だろう。




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ゴルフ・ショートコース

2010-12-15 13:01:23 | Weblog
この冬一番の寒さだといわれていたが、気持ちよく晴れ上がった天気に誘われて、一人でゴルフ・ショートコースに行き、2時間ほど楽しんだ。

きっと今時分は椿がきれいに咲いているだろうと、カメラも持参しての一人ゴルフ。



西風が強くて多少肌寒さもあったが、陽が当たってすがすがしい気分でショートコースを楽しんだ。

3,4人が一組でゴルフを楽しんでいる中に割り込んで、一人でボールを2つ打ったり、何度もパットを打ち直したり、写真を撮ったりと、一石何鳥かの楽しみを勝手気ままに味わった。

椿は多少遅かったのかもしれない。



花びらが地面を覆っていた。



これからの冬の寒さも、首を縮めて家に閉じこもったりせず、屋外でこんな楽しをしていきたいと思った。
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平和賞の茶番

2010-12-13 08:44:20 | Weblog
中国政府が、劉暁波氏のノーベル平和賞をめぐって茶番劇を演じている。

新華社通信等がこの度の氏の平和賞受賞に関して「政治的な茶番劇」と論評していることが第一の茶番であり、得体の知れない団体を通しして急遽「孔子平和賞」なる珍妙な賞を作り出したことが第二の茶番である。
第三の、しかし最大の茶番は各国に外交ルートを通じて平和賞受賞式に列席すること中止するように要請したことだ。

ノーベル平和賞委員会が「平和賞受賞に対する種々の、深刻な妨害工作がなされているという事実が、劉暁波氏の受賞の正当性を自ら証明している」と言っていたが、正に今回の中国政府演出の茶番劇を言い当ている。



中国を一党独裁している中国共産党の「最終目標と最高理想」は共産主義の実現であるはずである。

中国は現在共産主義を実現するための初期段階として社会主義を行っており、一時的に、また便宜的に市場経済を導入した「社会主義市場経済」をとっている。

共産主義は、より平等な社会を実現を目指すために、私的財産制度の全部又は一部を廃止し、財産や富を共有することが目標のはずである。

それがいつの間にか「共産党という」利権団体が出来上がり、その団体の利害に反する事態が出てくれば、それが共産主義の目標である「個人の平等」という原則に則ったことであっても、それに対して徹底的に弾圧する。

共産党員の私的財産を徹底的に保護し、国民という個人とはそれを共有することを否定する政策を徹底しているのが現状なのだろう。


自由競争を原則とする民主主義的市場経済とはまったく異なった、あるグループだけに利潤を分配する中国式市場経済の元では、それを少しでも犯す恐れのある個人、グループは徹底的に迫害、排除するのが現在の中国だろう。

本来の共産党の理想を目指す個人などは、そのような利益追求団体にとって益一つない害だけの存在なのだろう。

平和賞の茶番劇を見て思った。




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今日も朝からいい天気だ。

2010-12-10 10:03:27 | 夕日/朝日


このところ穏やかな、天気の良い日が続いている。

今日も朝から陽が差し込み、窓際はまるで春の感じだ。

背中に陽を浴びながら、ゆっくり新聞を読んでいると、近頃のせわしい世の中の記事も心なしか円やかな感じがするから妙だ。



定年になってゆっくりこんな時間が持てるのは、現役の時には想像も出来なかったことだ。
一方でこうまでゆっくりしていいのかな、と思う気持ちが定年後10年以上経った今でもあるのは貧乏性の日本人だな。
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景色が変わる

2010-12-08 09:22:30 | Weblog
不景気が続いているが、浜松市中心部はマンション建設ブームのようだ。

かく言う小生もマンション暮らしなのだが、このごく近周りでも10から14階建てのマンションが5棟も建設中だ。

マンションが建つたびに景色が変わる。
特に高層マンションが新たに建つと、カメラのファインダーに収まる景色がまったく変わってしまう。

これはつい一年少し前の、小生のマンションから浜松駅方面のショット。



先日既設の高層ビルの丁度中間に、新たに高層マンションが完成した。



意図したように、既存の二つの高いビルの丁度中間に、新たに同じような高層ビルをはめ込んだような感じだ。

面白いもので、この新しい景色がもう当たり前のように日常の景色になってしまっている。

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アンドロイドか能面か。

2010-12-02 09:20:04 | Weblog
江沢民の後継として、颯爽と登場した頃の胡錦濤は、その若さもあってか顔に生気が溢れ、見ようによっては上品で、それまでの中国の指導者の田舎くさい武骨さとは対照的なインテリの匂いがした。

しかし先日来テレビに登場した彼の顔を改めて見て少々吃驚した。
表情がまったくなく、マダムタッソーの蝋人形の顔だ。

微笑もうとしているのだろうが、どこかに筋肉の引きつりがあり、どう見ても笑っているという表情ではない。

目がその人の感情を良く表すと言うが、一時代前の大きな眼鏡越しのせいだけではなく、まったく笑っていない。かといって怒っている目でもなく、焦点の合っていない目である。

13億もの国民をリードするということは、とんでもなく大変なことなのだろう。
自由諸国と対等に渡り合うということも、とてつもなく大変なことだろう。
いつ何時も、どのような場合でも対応できる表情を作っていなくてはいけないのだろう。
結果としてこのような顔の表情を取らざるを得ないようになり、それがいつの間にか性になってしまっていると推測できる。

ラッテクスで精巧につくったアンドロイドの顔の表情と酷似してきている。
薪の揺らめく炎越しの能面もあるときはこんな表情をしている。
老婆がその皺を隠すために、顔面を分厚く塗り固めてしまった様にも見える。



大口をあけて笑い、顔をしかめて苦悩する生の表情を取り戻すことは難しいのだろうか。

テレビの彼の顔を見ていて、ふとそんなことを思った。




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