定年ジジイの夕焼け人生

朝日ほどの力強さはなくてもいいが、人生の黄昏期をせめて夕焼けほどに輝いていたい。

直立二足歩行

2024-04-28 10:51:40 | Weblog

歩行速度が落ちたと何となく自覚し出したのが、70歳になってからだったと思う。

しかしそれが確実に、傍目からでもわかるようになり、しかも若い人並みに歩こうとすると

身体的に相当な無理を強いることになったのは、やはり80歳台に入ってからだ。

街中を「普通に歩いて」いて、「普通に歩いている」若い人に自然に追い抜かれることに気づいたことが

歩行速度低下を自覚した最初の現象だった。その当時それに気づいて、意識して歩行速度を上げれば、

それほど苦労せずに追いついたが、いつの間にか最大限努力しても絶対に追いつけないようになってしまった。

今では、横断歩道の信号が青になった瞬間に横断し始めないと渡りきれない。歩行者用の信号が青であっても、

青の経過時間が半分を過ぎていればもう諦めて、次の青を待つようになってしまった。

赤ん坊の時、最初に立ち上がって歩き始める瞬間のぎこちなさは誰でも経験する人間としての成長期の

代表的特徴だ。そして一歩、二歩と直立二足歩行がスムースにできるようになり、人類になる。

それが年老いて、何十年と何気なく「歩いて」いた動作の困難さに気づき始め、直立二足歩行が

本来はいかに難しい物であると気づくことになる。

若い時は何も感じなかった動作が「困難になる」一つの典型的な例が直立二足歩行であろう。

2メートル近い長さと数十キロの重さの「胴体」をわずか200平方センチの面積の足裏二つで

支え、時速4キロ以上の速度で移動する「直立二足歩行」とは今更ながら偉大な人類の特徴であると

実感する今日この頃である。

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電気自動車の普及

2024-04-24 18:30:10 | Weblog

電気自動車普及の先駆者的存在であったイーロン・マスクのテスラ社の勢いが一時に比べて明らかに低下した。

また政治的思惑でもあった中国での電気自動車の爆発的普及も影が差し出した。

一時は、ガソリン車は数年以内に電気時自動車に取って代わられるのでは、と予想されるたが、

どうもその形勢が怪しくなってきた。

確かに電気自動車の、温室効果ガス削減に対する貢献は少なからずあると言われる。

またいわゆる進歩人にとって、電気自動車は、従来のガソリン車に比べて価格的に多少高くても、

地球温暖化に貢献できると自己満足を満たす代物であり、環境重視的先駆者として見られる自己顕示欲も

満足させられる買い物であろう。

一方自動車産業後進国であるが、人口的に潜在自動車購買層の分厚い中国にとっては、

電気自動車は自動車産業の覇権を握れる好機と捉えて、電気自動車購入に対する莫大なインセンティブを用意し、

一気に自動車製造大国にならんと目論んだ。

そのような背景のもと、電気自動車の普及は一気に伸び、一時はガソリン車はすでに前時代の代物に成り下がる

様相さえ見え、数年以内にも自動車は全て電気自動車になると見る極端な傾向もあった。

しかし冷静に計算すると、その製造過程から廃棄に至るまでの自動車のライフサイクル全体では、

必ずしも電気自動車が二酸化炭素排出量でガソリン車を圧倒しているという計算は、現状では出来ないようだ。

確かに再生エネルギーを使用する限り、電気自動車はガソリン車に比べ圧倒的に環境にやさしい。

しかしその再生エネルギーの生成がいまだに経済的に確立していない現在、電気自動車がガソリン車に

比較して圧倒的に環境にやさしいとは言えない状態だ。特に膨大な電池を駆動源とするため、

その廃棄が環境的に負荷が大きいというマイナス点がある。この時点では大きな社会的問題にはが、

将来的に電気自動車が主流を占めるようになった場合、この問題は新たな環境負荷を生み出すことになる。

 

単に電気自動車は二酸化炭素を排出しないから、地球温暖化にとって万能であると考えるのは

いかにも短絡的のようの思える。

自動車の電気駆動は、目先の問題としてではなく、長期的かつ総合的視野に立った将来計画が

必要であろう。

 

 

 

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辞世の句

2024-04-13 18:59:43 | Weblog

静岡県川勝知事が辞意を表明した場で披露した句。

「散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」は細川ガラシャの辞世の句として有名だ。

川勝知事以前にも、細川元総理と小泉元総理も、辞意を表明した時にこの句を披露したそうだ。

つまり川勝知事の場合は三番いや四番煎じということで、オックスフォード経済学博士にしてはちとお粗末すぎる。

せめて、「去りぬべき時を失して まだ散らぬ 人に言われて

               やっと散るバカ」程度の句を披露してほしいものだ。

 

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性善説

2024-04-12 09:50:06 | Weblog

人は本来「善」であり、それを基として信頼関係が生まれ、社会がスムースに回る、というのが「性善説」であろう。

しかし今回の水原通訳の事件の全貌が明らかになるにつれ、「性善説」の脆さが浮き出てくる。

今回水原通訳のなしたことは、多額の金額を無断で大谷選手の銀行口座から引き出し、それを賭博に費やしたということ以上に、

人々に「性善説」の虚しさを植え付けてしまった、ということではなかろうか。

 

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満開

2024-04-06 11:59:07 | Weblog

 

 

例年より遅い桜だが、満開の桜はやはりすばらしい。

河津桜など早咲きの桜は、それなりにきれいだが、真っ白い花びらのほんの芯辺りを薄紅色に染めたソメイヨシノに勝る桜はない。

ひと枝だけを取れば、何か心許ないソメイヨシノだが、樹木全体を覆う様に咲く様は、それが一体化してこの世を超越したかの如きそんざいになる。

黄泉に咲く、この世からも、あの世からも、眺められる、なにか薄霞に浮く様な趣きを呈する存在の様にも感じる花だ。

 

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運転免許後期高齢者認知機能検査

2024-04-03 13:05:24 | Weblog

80歳台の半ばになり、これから車の運転をどうしようかと気遣っているうちに

免許更新の案内が来た。

買い物などが特段不便な、すごく辺鄙な場所に住んでいるわけではなく、

車が生活必需品であるほどではない、日常生活に運転免許証が必要だとの正当性

を主張する立場にない現在、免許証の更新をすべきか悩んでいた。

しかし足腰は確実に衰え、重い買い物袋を下げての徒歩はもう日常的行動としては無理だ。

かといって毎日の買い出しを業者に依頼するほどの身体的障害もない。

買い物などの場合に限定して車を使用する、と厳格に自分の中で決めることにして、

もう一度だけの運転免許証更新をすることにした。

 

更新する場合は高齢者認知機能検査を含む運転教習が必要になる。

昨日最寄りの自動車教習所で、講習を受けた。

16個の互いに何の脈絡もない絵を見せられ、それを後刻思い出して書き出すなどの記憶テストがあり、

最後に運転の実習がある。

記憶力は若い頃から弱く、「神経衰弱」などは大の苦手だったから、記憶力テストは心配したが、

まあ落第ほどには酷い結果だったようではなく、何とかパスした。

実車運転は日頃運転しているため、落第レベルではなく、講師からも大丈夫との判定をもらった。

総合的結果も合格判定で、数時間掛かった「後期高齢者運転機能検査」は、合格という結果を得た。

 

あとは警察署に赴き、実際の運転免許証の更新をすれば、あと2年間は車の運転はできる。

事故だけは絶対に起こさないよう万全を期して、運転に臨まなくては!

 

 

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