定年ジジイの夕焼け人生

朝日ほどの力強さはなくてもいいが、人生の黄昏期をせめて夕焼けほどに輝いていたい。

この暑さ正気ではない・・・・・・・・・・

2013-07-23 14:32:45 | Weblog
今日の浜松市の気温は37度をゆうに超えたようだ。

日中、よほどのことがない限り、こんな暑さを押して外出することなどないのだが、室内のエアコンの効いた温度に騙されて、ちょっと外出してみた。

正気ではないな、この気温。
アスファルトで熱せられ、反射して身体に感じる空気は、まさに灼熱地獄。
気象台発表の気温に2,3度は加えなくてはいけないだろうから、40度を越しているだろう。
鼻腔に入り込んでくる熱せられた空気は、体温より相当高いのだろう。粘膜の表面温度をはるかに超えているから、一息毎に鼻から気管、肺まで熱を感じる。

今日あたりの日本の気候は、特にその温度に関しては、赤道直下の国々のそれ以上の物だろう。

また、熱中症とやらでの死者が相当数出るだろう。
こんな時は、電力制限のための冷房使用抑制なんていうお題目は糞喰らえと考えたほうが好い。

今日は、じっと部屋に閉じこもって、この暑さをやりすごすのが一番だろう。


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偶然の一致?

2013-07-17 09:28:36 | 英語
毎回のように年寄の話になって、自分ながら少々嫌になるが、今回も発端はそれだった。

歳を取ると、食べたり飲んだりした時に、それが喉の奥に引っ掛かり、むせたり、咳き込んでしまうことが増える。
食道と気管との切り替えがスムースに行われずに、食べ物や飲み物が気管に入り込でしまったときに起きるようだ。また時には、肺に達してしまうようなことも起きるようだ。
これが原因で肺炎を起こし、ひどい時にはそれが原因で死に至る。老人の死因の一つに挙げられている。

誤嚥性肺炎といい、また物をうまく飲み込めなくなる症状を嚥下障害とも言うらしい。


病気の話はここまで。

飲み込むことを、難しい言葉で嚥下(エンゲ)と言うそうだ。
口ヘンにツクリは燕(ツバメ)。
飲み込むという事と鳥のツバメに何の関係もなさそうなのだが・・・・・・・・・・・
ツバメの喉の奥の方から絞り出すような囀り声が、物を飲み込むことを連想させるためだろうか?

漢字の字源はさておき、びっくりしたのは、それに対応する英語。
飲み込む=Swallow
燕=Swallow
全く同じ単語ではないか!

偶然の一致とはいえ、全くもって面白い!
コメント (2)
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ブータン

2013-07-15 19:23:16 | Weblog
ブータンの総選挙で、与党の調和党が破れ、野党の国民民主党が勝利したそうだ。

これまで国境問題などで摩擦があり、正式な国交のなかった中国との関係を見直すかどうかが、選挙の重要な争点の一つだったようだ。
中国との関係を改善するという事は、とりもなおさずこれまで友好関係を維持し、相当な援助を仰いでいたインドとの関係が後退するのではないかとの危惧が出てくる。

親中国政策を推し進めようとした与党が破れ、野党が躍進したことは、とりもなおさず国民の中国に対する信頼感に不安があるという事だろう。
近年の中国の覇権を押し隠しながらの膨張主義を危険だと国民が感ずいた結果だとも思われる。
中華思想を中心に据え、それの実現をひそかに推し進めようとする深慮遠謀もブータンでは見透かされたという訳だ。


もう一つ重要な国内問題があるようだ。

ブータンは、人口でいえば浜松市のそれにも満たないほどの小国でありながら、GNH指標を国政の中心に据えることで世界的に有名である。
GNH(Gross National Happiness、総国民幸福量)は、世界の他のほとんどの国で使用されている、その国の発展を測る経済的(物質的)指標であるGNPないしGDPに対して、国民の精神的満足度を測るための指標である。

人間はどれだけ物質的に満たされようと、それが日常の生活を満足させるとは限らない。日々の生活を楽しく、満足して送られるかどうかは、その人が日々いかに精神的に満たされているかという人間としての心の問題が大きい、という考えがGNHの基本的概念のようだ。

ブータンでは、現実問題として、そのGDPは先進国に比較しえないほど低いが、国民の相当数が、現在の生活に満足しているという調査結果が出ている。つまりブータンのGNH指標はほかの国に比べて高いという結果が出ているようだ。

しかしここにきて、その様相が少し変化してきているという。
国内経済のレベルが低く、その経済発展速度もまた思わしくないため、失業率が上昇気味であり、また高学歴者にとって魅力的な仕事が国内にない。
また近年の開国政策により、必要とされる知識、技能が多様化し、収入の分布が広がり、すなわち収入格差が広がりつつあり、その上テレビの普及などにより国民が知り得る情報量が格段にあがった。

日常生活に対する精神的満足度は、絶対的指標ではなく、隣の人との比較、他人との比較の上に成り立っている相対的部分が多い。
やはり物質的な豊かさの差が、日常の満足度を引き下げる要因になることは避けられないのだろう。

ブータンでもそんな様相が出始め、今回の選挙での政権与党の敗北につながったようだ。


今回のブータンでの政権交代は、考え方によっては、人間の幸福とは何ぞやと根源的問題を提起しているように思われる。

欧米式の自由市場経済の上に成り立つ物質的満足を追求する社会と、それを疑問とし、精神的満足社会を目指そうとすることが第一義とする考え方とを単純に対比するだけの現在の人間社会のありようは、そろそろ根本的に見直す必要があるという事だろう。


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インゲン豆

2013-07-14 08:22:30 | Weblog


昨年までと同様、東側の窓に緑のカーテンを掛けようと、今年はインゲン豆で挑戦した。

今年、マンションは十数年に一度の大規模補修工事が実施され、工事用の足場が外れたのが5月の末だった。
例年緑のカーテンの植え込みは4月には終了していたので、今年はちょっと無理かなと考えたが、失敗しても構わないと思い、5月の末日に種を蒔いた。

しかし豆の成長は早い。あれよあれよと言う間に芽をだし、蔓はグングン伸び、白い小さな、地味な花が咲いたと思ったら、針のような実が付いた。
針がマッチ棒のサイズになり、数日前にはとうとうスーパーで売っているサイズになった。
早速10本ほどを収穫し、炒めて試食した次第。さやは予想していた以上に柔らかく、歯当たりが良く、旨かった。

ベランダでのままごとみたいな菜園だが、それでも手を加えてやれば、それなりに収穫できる。
夏のぎらぎらした陽を遮ってくれ、緑の葉っぱ越しの景色も楽しめ、その上に食べることも出来るのだから、インゲン豆の緑のカーテンもまたよし。
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痛風

2013-07-13 08:59:54 | 老人、友人
一ヶ月ほど前に、生まれて初めての痛風を発症した。

血中の尿酸値がかなり高いことは、以前から検査のたびに指摘されていた。
しかし掛りつけの医者の意見では、尿酸値が高いというだけで即座に尿酸値制御剤を服用するのは、副作用はごく限られているとは言え、腎臓などに対してある程度のマイナス要因となるから、痛風が発症したら対処する方向がいいのでは、という事で薬の服用は控えてきた。

血中尿酸値が9を超す状態がずっと続いてきたが、痛風が出ない状態が10年近くほど経ち、もうこれは例外的に大丈夫な体質であろう、と思っていた矢先の突然の発症だった。

朝起きたら、左足の親指の付け根が赤く腫れ、少しでも触ると激痛が走る。勿論歩くことなどもってのほかだ。以前から聞いていた痛風の症状そのままだ。
靴などは履けないから、サンダルを履き、患部が何とか触らないようにして、どうにか医者にたどり着いた。患部を見せて症状を説明するまでもなく、痛風そのものだという診断。

鎮痛剤と湿布を処方して貰い、その日は絶対安静状態を強いられた。
3,4日で痛みも薄れ、何とか靴を履くことも出来るようになり、一息ついた。
尿酸値制御剤の服用も避けられないという事になり、連続で長期間飲むことになった。

そんなことがあって、足の痛みも引き、薬を毎朝飲むという事以外、痛風のことは忘れてしまうほど、症状はけろりと消え失せた。

ところが一昨日、一ヶ月ぶりにまた同じ部位が赤化し、腫れ、痛みが来た。
昨日も朝から親指の付け根付近の腫れは引かず、少しでも触ると痛い。もっとも先日ほどの激痛ではないが、同じ種類の痛みだから、痛風に間違いないだろう。

今回も数日で腫れと痛みは消えるだろうが、どうもこれから長期に付き合わなくてはならない痛風という事になりそうだ。

昔は、痛風は贅沢病と言われ、旨いものを食い続ける結果発症すると言われていた。
この年になって、特に旨いものを食べ続けているという自覚は全くない。たぶんこれも体質的な病気の一種だろう。

歳をとるといろいろな症状が出始め、その多くと仲良く過ごしていかなくてはならなくなる。
痛風もその一つとして、何とか仲良くしていきたいものだ。
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後期高齢者

2013-07-12 08:28:19 | 老人、友人
何カ月もこのブログの更新をさぼっていたので、コソット再開しようと思う。

昨日を持って、いよいよ後期高齢者者の仲間入りを果たしてしまった。

高齢者として後期に入ったが、何か特別変化があるわけではない。日々唯々諾々と過ごしていることに変わりはない。

「後期高齢者」という言葉はあまり響きのいいものではないが、世の中で一般的に呼び交わされているのだから、あえてそれに異を唱えることもないか、とさらりとやり過ごそうと思っている。

調べてみると「高齢者」の定義は日本国内でさえ、それを規定している法律によって多少の違いがあるようであるし、世界的にも国連の定義、WHOの定義と必ずしも一定の決まりがあるものでもなさそうだ。
しかしごくごく総体的に、65歳以上の者を高齢者とし、75歳以上を後期高齢者と呼び、85歳以上の老人を末期高齢者として規定しているようだ。

後期高齢者として、まだまだその後に末期高齢者というカテゴリーがあるという事にある種の安堵感みたいなものを感じるが、しかし個人的にはそこまでは生きられないという思いが強い。

あと両の手の指の数のどのあたりまで生きられるかわからないが、まあ、あまり気にせずゆったりとそれまで生きられれば万々歳だと思うこの頃である。
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