今回の安田さんの人質事件・開放と自己責任論に対して展開されている強烈な批判を目の辺りにして、あまり今回のことに興味のなかった小生も逆に興味をひかれる結果となった。
この種の人質・身代金事件は過去に何度もあり、正直小生などは「ああ、開放されたか。奇跡的だったな、良かったな」程度の感想しか持っていなかった。狭いが、小生の友人・知人関係の間でも軽く話題に出る程度で、その結果に口角泡を飛ばすような議論とはほど遠いものだった。
しかしここに来て、テレビ・新聞などでいわゆる報道関係者や批評家などの類の連中が「自己責任論」に対する強烈な反発論を展開して、「自己責任論」を主張する人を悪鬼の如く罵る論争を展開しているのを散見すようになった。
小生など、そして多分大部分の「世間の人々」は小生と大差ない程度の問題意識しかないように思えるが、このテレビ・新聞などで繰り広げられいる「自己責任論によるバッシング」をバッシングしている記事を通じていわゆる「自己責任論」を知った様な有様であるが、「なるほどそうか」、という同調心が湧くと同時に、妙なことに「自己責任論」を非難する主張に、心の片隅で反発する感情が湧いてきた。
自己責任論にたいするバッシングを展開している人たちの主張があまりにもすばやく、また準備万端であるように思えた。
小生のような一般人には、公に「自己責任論」をまだあまり見聞きしていないにも関わらず、それのバッシングが先にテレビ・紙面に踊っている感じだ。
「危険地帯に赴き、世界平和のために身を挺した結果が不幸にして囚われの身になり、また身代金の対象になったことが、自己責任論者により総バッシングしているのはけしからん」と怒りを漲らせている記事が多い。
しかもそれも開放にときを移ささず、待ってましたと主張されている感じだ。
「自己責任論者」による身代金支払いなど以てのほかだとのバッシングがマスコミに拡大、主張されている数はそれほどないと言うのに。
どうもこのようなことが起きた場合を想定して、事前に用意していたものを、さっとテーブルの上に開示した感じすらある。
どうもこの様なあまり自分ではスッキリ解釈できていない状態が展開されていることが、妙な感覚に囚われた原因のようだ。
あえてもう一つ加えるななら、「自己責任論」バッシングは、マスコミの身内庇い(自己弁護)が透けて見れる結果でなければいいのだが。
この種の人質・身代金事件は過去に何度もあり、正直小生などは「ああ、開放されたか。奇跡的だったな、良かったな」程度の感想しか持っていなかった。狭いが、小生の友人・知人関係の間でも軽く話題に出る程度で、その結果に口角泡を飛ばすような議論とはほど遠いものだった。
しかしここに来て、テレビ・新聞などでいわゆる報道関係者や批評家などの類の連中が「自己責任論」に対する強烈な反発論を展開して、「自己責任論」を主張する人を悪鬼の如く罵る論争を展開しているのを散見すようになった。
小生など、そして多分大部分の「世間の人々」は小生と大差ない程度の問題意識しかないように思えるが、このテレビ・新聞などで繰り広げられいる「自己責任論によるバッシング」をバッシングしている記事を通じていわゆる「自己責任論」を知った様な有様であるが、「なるほどそうか」、という同調心が湧くと同時に、妙なことに「自己責任論」を非難する主張に、心の片隅で反発する感情が湧いてきた。
自己責任論にたいするバッシングを展開している人たちの主張があまりにもすばやく、また準備万端であるように思えた。
小生のような一般人には、公に「自己責任論」をまだあまり見聞きしていないにも関わらず、それのバッシングが先にテレビ・紙面に踊っている感じだ。
「危険地帯に赴き、世界平和のために身を挺した結果が不幸にして囚われの身になり、また身代金の対象になったことが、自己責任論者により総バッシングしているのはけしからん」と怒りを漲らせている記事が多い。
しかもそれも開放にときを移ささず、待ってましたと主張されている感じだ。
「自己責任論者」による身代金支払いなど以てのほかだとのバッシングがマスコミに拡大、主張されている数はそれほどないと言うのに。
どうもこのようなことが起きた場合を想定して、事前に用意していたものを、さっとテーブルの上に開示した感じすらある。
どうもこの様なあまり自分ではスッキリ解釈できていない状態が展開されていることが、妙な感覚に囚われた原因のようだ。
あえてもう一つ加えるななら、「自己責任論」バッシングは、マスコミの身内庇い(自己弁護)が透けて見れる結果でなければいいのだが。