定年ジジイの夕焼け人生

朝日ほどの力強さはなくてもいいが、人生の黄昏期をせめて夕焼けほどに輝いていたい。

今年の冬は寒い

2018-01-26 20:32:36 | Weblog
此処数日とても寒い日が続いてる。

東京では数十年ぶりの寒さだと言うし、冬日が殆ど無い浜松でも零下3~4度という気温を記録したそうだ。


歳を取って年々寒さが身に沁みるようになったととはいえ、此処数年身近で結氷をみた記憶がないから暖冬だったのだろう。

屋外に置き忘れた容器等に溜まった水が凍ったりしたことを殆どみる事がなくなったということは、やはり温暖化の影響だろうと勝手に納得している矢先のこの寒さだ。


今日、用事で外出しなくてはいけない事になり、十分に厚着して、寒さに対する心の準備もしたつもりで、家を一歩出ると、12階の北側に面した外廊下に吹いている寒気極まりない烈風に度肝を抜かれた。

大した用事でもなかったのだから、こんな日に外出などせずに、部屋で死んだふりをしているのが正解だった。
ほんのエレベーターまでの数歩のことであったが、大いに後悔した。


用事を終え部屋に帰り、久し振りに味わった身に沁みる寒さに辟易としていたのだが、その実どうしてか、昔の子供頃の寒さの記憶が蘇ってきた。
昔子どの頃、水たまりの氷が石を投げても割れなかったとことや、家の前の畑一面に霜柱が高く立ち、それをサクサクと音を立てながら足で踏み潰した記憶がふっと蘇った。

確かに子供頃のほうが寒かった。温暖化は間違いない事実だろう。

こんな時インターネットは実に便利だ。
浜松地方の寒さの経年変化を調べてみた。

最低気温が零度を割った日を冬日と言うそうだ。ざっくり氷の張る日と思っていいだろう。
小生の子供頃、1945年(昭和20年)頃の冬日日数は年間約25日、1965年(昭和40年)頃はそれが20日位となり、近年は10日前後にまで減少したという。

正に温暖化といっても差支えないだろう。
「寒さが身に沁みるようになる」年寄りには歓迎すべき傾向だが、やはり世界的には問題だろう。

此処数日の猛烈な寒さは、このところの気候変化の中では例外と言うことだろう。
こんな極く短期的な現象を捉えて、温暖化は「嘘」だとうそぶくどこかの国の大統領に同調しないようにしなくては。












コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

老化と記憶力

2018-01-24 19:56:53 | 老人、友人
歳を取るに従い記憶力が低下することから何人も逃げることは出来ない。

その記憶力低下の程度と老人性痴呆症との関連がどの程度なのかは知らないが、単なる記憶力低下は、その程度が相当ひどくても、そく痴呆症と断定することは出来ないと言われている。

しかし記憶力の低下が度を越していると、それはそれで他人が見たらやはり痴呆症と何ら違いがないのかもしれない。



近頃衝撃的な事例に遭遇した。

私には子供の頃からの友人が何人か居る。
そのうちの二人をAとBとしよう。

Aは昨年の5月に亡くなり、私は通夜と葬儀に参列した。
勿論Bを含む友人達にも連絡し、彼らも通夜なり葬儀に参列した。

半年ほどたったある日、友人達と飯を食べていた時、何かの拍子にBが真剣な眼差しで「Aが死んだってな?」と聞いてきた。
その場の仲間の話題と飛び離れた問い合わせであったのと同時に、Bの驚いて問い合わせている顔つきに少々気圧された感じになり、「俺が貴公を忘れて連絡しなかったのかな?」とBに問い返した。
「知らなかったよ!」と少々私を非難する口調の返事に、「そんなはずはないと思うが・・・・・・」と答えるのが精一杯だった。
確かにこのところの記憶力の低下を自認していることもあり、「そうだったのか・・・・・・・」などと少々小声で返答する羽目になった。

そのあと、BにAの死を連絡忘れしたことを何度か自問し、「Bに連絡しないわけはないよな・・・・」と相当に悩んだ。

それから数週間ほど経った昨年の終わりの頃。
やはり友人達との食事会で、Bが突然「Aは5月に死んだよな。通夜にも葬儀にも行った。」と突然話しだした。
びっくりした。これほどびっくりしたことは久し振りだった。

歳だから忘れることはあるだろう。その機会も多くなるだろう。
しかしだ、親友の死もその葬儀に出席したことも忘れて、知らせて貰っていなかったと詰問する。唖然とする以外に言葉も出ない。

歳を取るとはこういうことなのか。
そうだとしたら、ちょっと悲しいことではあるとこの所この出来事を反芻している。







コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

現状の認識

2018-01-23 10:07:19 | 老人、友人
昨年暮れから今年の最初の2週間位の間に、高校の同級生が4人も亡くなった。

もう我々も80歳なのだから、次々とこの世を去っていく事は特別のことではないと思うと同時に、逝ってしまった友人たちを思い出して、なぜそれが彼らだったのか、なぜその去って逝った仲間に自分が含まれていなかったのか、などと考えてしまうことはある。

もし今現在自分が存在していなければ、この現在という事象は自身では認識することは出来ないのだから、それは存在していないと同じだ。
とすれば、自分が今まで死なずに此処に存在している意味を考えてみても、それは自分が今存在していてそれを認識しているだけの単なる結果論で、なんの因果関係もそこには存在していないということだ。

現在という事象は、その時点で生きていてそれを認識していることにすぎない。
宇宙という空間で、時間という不可逆的次元におけるある点での存在だけの問題だろう。
そこに人間的認識があるから、存在の意味を考えたり、死を恐れたりするのだろう。

140億年になんなんとする想像を絶する時間と無限に広がる広大な宇宙での、針でつついたよりも極小の点での人間の一生などそれほど意味のある物ではないのかもしれない。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

五十肩

2018-01-18 10:09:41 | 老人、友人
数年前に左肩に所謂五十肩の症状が出て、日常生活に苦労した経験がある。

それが最近、そう二日前に突然右肩に痛みが来て、右腕が自由に動かせなくなってしまった。
その前日に、この時期には珍しいくらいの暖かさに誘われて、久し振りのゴルフを楽しんだので、それが肩の筋肉の一部を痛めた原因かなと思っていたが、今日になっても痛みが引かず、かえって増す勢いで、しかもその痛みの具合が以前の五十肩のそれに一致する。

特徴的な痛みは、腕を上にあげようとすると激痛があることだ。チョット手を伸ばして腕の位置より上の物を取ろうとするような動作の時が一番痛い。
いまPCのキーボードでこの記事を打っているのだが、キーボード操作は手首を机に置いているからそれほど肩に負担がかからないせいかさほどど痛くない。
しかし手をキーボードまで持っていこうと下からあげようとすると痛みが走る。こんなチョットした動作で痛いのだから嫌になる。
左手で右手を持って、ヨイコラショとキーボードまで引っ張り上げたところだ。いま右腕の角度は水平より少し下向き程度なのに痛いのだから、それより少しでも上に右手を持っていこうとしたら激痛が走る。

数年前の痛みの症状は1年余続いて、知らぬ間に去っていった記憶だ。
半年から一年以上痛みが続くのが五十肩の特徴だそうだ。

今回もこれから一年位はこの痛みと付き合わなくてはいけないと思うと気が重いが、これが生きている証の一つだと思えば、それはそれで納得せざるをえないことかもしれない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Fuck off Trump

2018-01-13 18:19:55 | 英語
Trump has come out his true colour at last.

He was revealed in the book "Fire and Fury" recently published that he had been called "idiot", "dumb as shit" and "dope" by his team members.

On top of that he refered to some countries in Central America and Africa as "shithole countries" in his speech recently.

He is a man farthest from intelligence in the world.


This kind of person should disappear from the world as soon as possible!!


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

医者通い

2018-01-05 19:06:33 | 老人、友人
年が明けてまだ数日しか経っていないが、もう今日は医大病院での診察日だった。



この正月は、友人の葬儀、自身の通院と若者にとってみたら非日常的な出来事が続いてしまったが、高齢者としては驚くに当たらない程の日常だったのかもしれない。


一昨年、弔事により賀状欠礼のハガキを出し、失礼ついでに老齢を言い訳に以降の賀状交換を遠慮させて頂く旨を書き添え、年賀状は廃止した。

以前は、賀状には「今年は良い年でありますように」などと書くことが何のためらいもなく、またその意味をよく考えても見ずに書いてきたが、もし賀状を続けていた場合、はたして躊躇なくそう書けるのか、どうも確信が持てない。

「明日は良い日でありますように」とは書けるだろう。「来週は良い週でありますように」とも書けそうだ。
「来月は・・・・・・・・・」とも今ならなんとか書けるかもしれない。しかし「今年は・・・・」と書けるかと問われれば、躊躇なくYesとは答えられない。


今日の診察結果は、不意の悪い結果ではなかった。
昨年来掛かっている他の二つの診療科の状態も今のところそれほどの悪い結果でもない。
今年は、このまま、数カ月おきにそれぞれの医者の世話にはなり続けることになるだろうが、急変する予想もされていない。

医者通いは恒例化するが、なんとかこのまま暫くは「悪く」はならないだろう。
まあ、ゆっくり構えていこうと思う。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新年

2018-01-01 17:09:44 | Weblog
西暦2018年、平成20年が明けた。

もう80回も新年を迎えたことになる。
これだけ多くの回数を重ねてきたためか、それとも「新年!」、と心を改める程新鮮さを感じなくなってしまった故か、年が改まったという感慨が湧かない。

トランプの厚顔無恥の行動は改められそうになく、北朝鮮はちびのロケットマンが相変わらず火遊びを続けるだろうし、ロシアでは007並に人気があるマフィア顔負けのプーチンが大統領に再選されるだろうし、共産党一党独裁堅持を唯一無二の基本とする中国では相変わらず人権など無視され続けるだろうし、戦後最長の首相在任期間を目指す安倍政権では相変わらず経済は成長しないだろうし、どこをどう見渡しても新鮮な驚きが見当たらない。

歩調も歩幅も著しく減少し、故に歩行速度が極端に落ち、所謂年寄り歩きになっててしまった。
自身が情けなく程のヨタヨタ歩きだ。

しかしゆっくりとしか歩けなくなったのだから、このゆったり歩きを大いに利用して、世の中の動きをしっかりと見極めようと思う。













コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする