定年ジジイの夕焼け人生

朝日ほどの力強さはなくてもいいが、人生の黄昏期をせめて夕焼けほどに輝いていたい。

面子と自尊心

2021-12-25 08:52:58 | Weblog

トランプ前大統領が仕掛けた米中経済・人権戦争は、米大統領が変わっても沈静化することなく、

いやかえって激化の一途を辿っている様に見える。

関係が完全に切れて軋轢が激化することもないが、お互いに妥協して安定的な関係に落ち着く様子も見られない。

近頃ではお互いに、相手の民主制度に落ち度があり、「自分の民主」が優越しているなどと論争している有り様だ。

 

原因は明白で、自国の国体が国民にとってより幸せだと言い張っていることだろう。

しかしちょっと観点を移してみると、両国の国民性の違いからきている様にも見える。

 

アメリカ国民は言わすと知れた自尊心の塊みたいなものだ。

一方の中国は昔から面子を重んじ、面子を失うくらいなら死んだ方がましだ、とも言われるくらいだ。

 

自尊心vs面子。

これは政治・経済体制の違い以上に厄介だ。それは今日昨日出来上がったものではなく、

数百年の長きに渡り培われてきた国民性だ。

 

外に向かって面目を保つか、自己に対して名誉を保持するのか。

自尊心が勝るのか、面子が有利なのか。面白い。

 

 

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Cool Japanの功罪

2021-12-24 15:12:49 | Weblog

10年ほど前から、テレビ、新聞、雑誌、インターネット等で「Cool Japan」なる言葉が飛び交っている。

アニメ、神社を中心とする観光地、伝統工芸、社会の安心安全、丁寧な接客、コンビニの質の高さ、交通網の整備、

などなど外国人から見た日本の「かっこよさ」を強調する事態だ。

確かにそう言われてみれば、日本人として日本の良さを再認識することも多いし、ちょっと誇らしく感じることもある。

 

しかしそう言われ続けられると、逆に妙な感覚を覚えることもなる。

日本が特別だとか、変に満足感を満たすとか、自尊心を妙にくすぐられるなど、少々居心地の悪さを感じるのは小生だけでは

あるまい。

 

過去に同じような感覚に囚われたことがある。

1980年代の頃だ。高度経済成長を成し遂げ、日本は経済的に大国になり、皆大いに自信をつけ、そのうちに世界一の

経済大国にもなるかもしれないと、日本中が浮き立っていた頃だ。日本は世界の中で特別に成長したと、皆が

妙な満足感やら自尊心を高めていた。

しかしバルブが弾け、沈滞の20年とか30年とかがやってきて、気がつけば日本は経済的に並の国になりつつある。

 

「Cool Japan」で自己満足している間に、日本の経済成長は世界の趨勢に置いていかれ、並以下の劣等国に

ならない様自戒したいものだ。

 

 

 

 

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頭の回転の速さと正しい行動

2021-12-19 10:16:07 | Weblog

人と話をしている時とか、テレビでの議論を聞いている時に、随分と頭の回転の速い人がいることに気がつくことがある。

議論の内容を瞬時に理解し、それに対応する適切な言葉を探し出し、素早く、正確に対応したり切り返したりする人がいる。

所謂論破する能力に長けているとか、議論に強い人だ。

例を挙げれば、政治家とか評論家たちの中でよくテレビなどで即妙に受け答えしている人達や、

またジャンルが異なるがバラエティ番組に出演している芸人の中にもその種の人間がいる。

その問答のテンポの良さに驚かされると共に、さぞかし頭のいい人なんだろうな、と感心したりする。

 

一方そんな即席の議論についていけず、応答が愚鈍に見え、なんだか一見頭の悪いように感じてしまう人もいる。

 

一般的にこんな状態では、前者を「頭のいい人」、後者を「頭の悪い人」と判断しやすい。

しかし人の頭の良し悪しをこのような例で決めていいものだろうか?

いや頭の良し悪しだけではなく、その人の判断や行動の正確性の判断基準にして良い物だろうか?

 

瞬時に物事を判断し、行動に移す。判断力・行動力の優れた人と思われ、人間として大きな長所としてとらわれる。

一方、後者は愚鈍で、行動力のない人間として、一般的に評価が低い。

 

長いこと人間を続けてきて、近頃どうもそれは違うな、との思いが強くなってきた。

対話や議論の場で即座に判断し、即妙に行動を起こすことは、特に危機に面した場合などでは重要な能力には違いないけれど、

ゆっくり・大きく動く世の中の事象のようなものに対峙するときには、反対の気質を持った人間が重要な役割を持つべきだ。

その場その場で瞬時に判断でき、速攻で行動することが苦手でも、じっくり物事を理解し、多数の事象を組み合わせて判断する

能力こそ長期的動向の解決には最も重要なことである。

 

さざなみを見て行動する能力ではなく、大波に対処できる能力こそ真にリーダーに求められるものではなかろうか。

 

 

 

 

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初冬の朝焼け

2021-12-18 07:01:14 | Weblog

まだ日の出時刻には間のある東の空。

上空は夜の帷が覆っているが、その微かに紺色を帯びた炭色の空も東の地平線に近づくに従い明るくなり、やがて仄かなオレンジ色が赤みを徐々に増し、

まだ黒々と沈んでいる街並みを画面上に浮き上がらせるように背景を構成している。

この光景は刻々と変化する。5分も経てば、もう全く別のグラデーションが出来上がる。

まるで早回しの映像を見ているようだ。

 

空が澄んでいる証拠だろう。

 

一時期日本の空は、工業化の進捗に比例して、煤で汚れる危機に面したことがある。

幾多の努力が実って、大気汚染は危機一髪の瀬戸際で克服できた。自然に回復したのではない。

水質汚染、騒音公害もなんとか乗り越えてきた。

当時公害防止には莫大な資金が必要で、経済発展を阻害する恐れを指摘する論調もあったが、

日本はそれを乗り越えてきた。

 

今地球温暖化対策としてのCO2排出規制が主要な話題となっている。

エネルギー自給率の低い日本は、エネルギー確保の自由度に制限があり、温暖化ガス排出制限を

どうしてクリアすべきか苦労している。

先人の努力、知恵を参考にして、なんとかこの難題も乗り越えていってほしいものだ。

 

 

 

 

 

 

 

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落ち葉のコンポジション

2021-12-15 09:04:05 | Weblog

 

この季節になると道路の片隅に吹き溜まる厄介者の落ち葉も、こうやって写真に撮れば色鮮やかなコンポジションを

構成する。

物は見方により随分印象が変わる。

人間しかり。厄介者も使い方により随分と世の中の役に立つこともある。

 

しかし老人はどうもそう言う役割を担うことが難しい。

せめて厄介者にならない努力だけでもしなければ、と思う。

掃いても掃いても纏わりつく濡れ落ち葉にならないように気をつけよう。

 

濡れ落ち葉 掃き手も落ち葉も やるせなし 

 

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民主主義とは

2021-12-09 15:09:54 | Weblog

アメリカの呼びかけで「民主主義サミット」が開始されている。

それに対峙するかの如くに、中国が「中国の民主」なるステートメントを発表し、西側の民主主義を侮蔑するように反論した。

 

曰く、「中国人民が人民代表大会を通じて権利を行使し、中国共産党の指導の下、多党(共産党の衛星党)と協力することで、多党制の政治的弊害を

効果的に回避することができる」”中国の民主”を建設した。西側の民主主義は弊害が多く、中国的民主(人民民主専制制度)がより良い民主であり、

「民主」を実現するために、共産党専制を実施することが人民のとって最良である。

と、訳のわからない独りよがりにしか思えない白書の内容である。

 

「民主主義」は全人類共通の価値観であると言っている鼻から、共産党の専制制度が最良であると主張している。

つまり、「民主」を実現するために「専制」を行うと言っている。

どうも彼らの言っている「民主」は下(人民あるいは国民)から作り上げる民主主義ではなく、お上(共産党)から与えられるべき「民主主義」

ということらしい。

 

「お上」から頂いた「民主」だから、下々の国民(人民)は有り難くその恩恵を受け取るべし、そうすれば安穏な生活は保障してやる。

こんな「民主」があっていいものか。

 

いい加減な屁理屈は、「笑止千万」、「へそが茶を沸かす」、「片腹痛し」、「噴飯物だ」。

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今日の夕焼け

2021-12-08 20:17:33 | Weblog

 

明日は晴れそうだ。

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田中日大前理事長の解任

2021-12-03 17:27:30 | Weblog

日大理事会において、田中前理事長の「理事長辞任」を認める決定をさらに進めて、「理事としての任からの解任」を決定したという。

もっともな話だ。

日本大学在学中は、学生横綱として一世を風靡するほどの実力者だったそうだが、卒業後一大学職員から理事長にまで成り上がり、

日本大学を個人商店の如く自由に切り盛りしてきた腕力には驚くばかりだ。

一見ヌーボーとした風貌と、世間に対しては全く無口という相撲取りにありがちな印象からは程遠く、

大学を我が物顔で牛耳っていたその実情とのギャップには、ニュースを聞くたびに驚かされる。

 

日本大学では先年のアメリカンフットボール部の不祥事といい、今回のスキャンダルといい、

所謂運動部がらみの問題が多いようだ。

 

大学の運動部といえば、日頃その運動部員の学生としての勉学の本分はどうなっているのか、

不思議に思っている。

これは何も日本大学だけのものではなく、いやむしろスポーツの盛んな大学一般に関する疑問なのだが、

学業の単位をどうやってとっているのだろう?

英語の簡単な単語の意味もわからない、漢字すら難しいものは読めない、算数の分数の計算などさっぱりだ、

等々の大学卒業者がいるという。学業は殆どすべてパスして、運動だけしていれば卒業できる大学などあっていいものか?

大いに学ぶから大学というのだろう。確かにスポーツも大切な学びだろうが、その実技だけを専門として「大学」を

卒業できていいものだろうか?

 

大学とはなんだろう?

 

 

 

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寿命

2021-12-02 16:33:46 | Weblog

この歳になればごく当たり前のことであるが、同じ歳の友人が死んでいく。

高校では三百人余の同学年生がいた。

学年幹事で同窓生の動向に明るい友人によると、現在までに既に約100人ほどが亡くなったという。

三人に一人が亡くなったことになる。

実際に自分の親しかった友人を見渡しても、半分近くが亡くなった感覚だ。日本人の平均寿命から推測っても、

この割合は合点のいくものだ。

 

しかし亡くなった友人、生きている友人を見渡してみても、死んでいく順番は合点のいくものではない。

若い頃に剛健だった友人が生き残っているわけでもなく、弱々しく感じた友人がいまだに健康そうに活躍している。

「人には寿命というものがある」と言われるがつくづく合点がいくようになった。

 

感染症とか交通事故などのような突発死は別にして、医学・科学の発達により遺伝子学的にとか細胞学的に、

その人の寿命はある程度予測できるようになった今でも、「人には寿命というものがある」という昔からの

表現は、真実に近いものだという思いが強くなった。

 

まあこんなことを考えるようになったということは、随分と歳をとったということだな。

 

 

 

 

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