今年、2023年も最後の日になってしまった。
コロナという歴史的な疫病が世界を恐怖に陥れたショックが収まらない内に、
ロシアのウクライナ侵攻が起こり、間を置かずイスラエルとパレスチナ間で悲惨な
争いが引き起こされた。
どちらの戦争も、その発端は、一人ないし、ごく少数の政治的リーダーの
独断的決断によるものだったし、その決定過程は、普通の感覚を持ち合わせて
いる人間なら、まさかと思うほど不合理なものだった。
多分世界の9割以上の人の持つ「合理的」思考に沿った出来事ではなかった。
「非常識」だと「普通の感覚」では思えることも、まだ現時点の現実の
人間社会では起こり得るという「嫌な」予感を世界中に与える出来事であった。
第二次世界大戦およびその後の経済復興を通してのここ80年間に培われた
日本社会の常識として判断しても、誠に持って不条理の極みと思われることだ。
日本国民として、戦争に対しての一般的判断基準は、やはり日本国憲法に
準拠することが多いだろう。
日本国憲法には;<日本国憲法第9条:日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 ② 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。>
戦争はしない。戦争のための戦力は保持しない。と明記してある。
これほど純粋で、美しい理念の上に立った憲法は、世界広しといえど、他国の
どこにも存在しない理想的憲法だろう。
荒野の一角に、まるで場違いの様に隔存されたお花畑のような如きだ。
さて、話はぐっと現実的になって、将来の仮定の話になる。
しかしこれが「仮定」だといって、決して起こらないという保証はない。
ウクライナの問題にしろ、パレスチナのことにしろ、「そんなことは起こらない」
だろうと常識的には考えられていたことだということを忘れてはいけない。
もし、ロシアが「北海道は本来ロシアの領域であった」と主張して、侵攻して
きたら。
もし、中国が「歴史的に沖縄は中国の一部であった」として領有権を振り翳し、
一気に攻め込んできたら。
綺麗に咲き誇っていたお花畑は一気に踏み荒らされる結果になる。
「常識的にそんなことは現実的でない」と「合理的思考」では、当然そう
考えるだろう。しかし「合理的」思考上での判断が間違っていたと思わせる
ここ数年の出来事をどう考えたらいいのだろうか。
人間とはその程度の生き物である、と諦観するのが正解なのか?
いや人間社会ま未だ進化過程の途上であるから、これからもっと合理的判断の
上にたった社会が作り上げられると期待していいのか?
人間はどれほど賢かったのか、いや人間は期待していたほど思慮深い動物では
なかったのか、将来の歴史はどの様に判断するだろうか?