定年ジジイの夕焼け人生

朝日ほどの力強さはなくてもいいが、人生の黄昏期をせめて夕焼けほどに輝いていたい。

北斎展

2023-04-27 16:18:12 | Weblog

あまりの陽気の良さに、本当に久しぶりに浜松城公園まで散歩に出た。

以前毎日のように使っていた散歩コースであるが、ここ数年足が遠のいていた。辿り着けるか心配だったが、

なんとか天守閣下の公園広場にたどり着き、スターバックスでカフェオレなんぞを飲んでいたら、葛飾北斎展のポスターが

目についた。浜松城公園の一角にある小さな市立美術館で開催されているとの案内。

10分ほどの坂道を辿れば着けるので、疲れ切った脚を励まし、騙し、脚を伸ばしてみた。

シニア割引で600円也。ウィークデイということもあり、入場者も多くなく、みたい絵を見たいだけゆったり見ることができた。

いまや世界的名画になった「神奈川沖浪裏」の版画も誰の邪魔もなく、思う存分見ることができた。

至る所で目にすることのある作品であるが、実物と正対するとやはりその構図の斬新さと、見事にデフォルメされた波型や

翻弄される船が奥の富士山と見事に調和しており、まさに圧倒される思いがする。

その版画以上に驚愕させられたことは、北斎生涯の終末期の活動だ。彼は85歳ほどになって、江戸から長野の奥の小布施まで旅をし、

その地で多くの作品を残している。小生と同年齢ということになるが、当時の平均年齢は50歳に届かなかっただろう。

いまでいう90歳半ばにも相当する深老齢で、現在のような旅の便宜もない時代にどうのように小布施まで旅したのだろう。

江戸から小布施まで250kmはあるという。丁度小生のすんている浜松と東京間の距離に相当する。現在の小生では

新幹線で東京に出かけることすらおぼつかない。200年も昔に北斎はどういう思いでそんな遠くまで旅をしたのだろう。

しかも彼は小布施に数年逗留し、その間寺の天井いっぱいに壮大な絵を残したり、かず多くの作品を手がけている。

何というバイタリティだろうか!

もう85歳だし・・・・・などと弱ごとを言っている場合ではない。シャントを背筋を伸ばし毎日を過ごしていかなくては

いけない・・・・・そんな自覚を思い起こさせる展覧会だった。

 

 

 

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少子化問題

2023-04-21 09:31:03 | Weblog

日本で少子化問題が提起されてすでに久しい。いやこれは日本だけの問題ではなく

世界的に、特に先進国といわれる国々で共通した問題点だ。

所謂平均出生率が2を下回れば、その国なり地域の人口は物理的に減少することは

自明だ。近年この現象が先進国を中心におこり、「少子化問題」として将来の社会の

成り立ちに障害を生じさせる事態を引き起こし始めているということだ。

少し前までは、世界的には人口の爆発的増加がおこり、それが原因で食糧事情が悪化し、

地球上で人類存続のに危機がおとずれるだろうとい悲観的予想が一般的に喧伝されていた。

それがいつの間にか真逆の少子化という人間社会の健全な存続に関係する危機感が

広まってきたのは皮肉な現象だ。

 

なぜいまここに来て人間は子供を産み、育てることに困難さを感じるようになったのか。

二つの面から考えなくてはいけにだろう。

 

第一は、世界の少子化問題を抱えている国々が実施している、ないしは実施しようとしている支援策を見れば明らかだ。子供をもうけることや、養育・教育することにおいて

親の経済的・精神的負担が大きすぎることだ

それが為の種々の対策が実施され、または計画されている。

曰く出産育児にかかわる費用の補助、妊娠中及び育児期の経済的支援、

産科医療システムの充実、児童手当の増加、妊娠・出産・子育て期間の両親の働き方改革、等々だ。

確かにこれらの支援策は、子供を作ろうと考えていたり、子供を養育している親にとって

有難いものであろうし、少子化対策としてはある程度有効で有ろう。

 

しかし、少子化現象の問題点としては次の事柄の方が本質的な原因であろうし、

より深刻ではないかと考えられる。

それは人間社会の「進化」の中にある現象である。

動物は本来、子をつくり、育て、種を次世代に引き継いでいくことを「本能」として

意識せずに行動している。人間も動物の一つの「種」であり、この種を引き継いていく

行動は本能として存在するはずである。その「動物としての」本能的行動は、子供を作る

為の強烈な快楽を伴った受精行動や、子供に対する親の無償の愛という本能的行為により

成立している。

しかし人間は理性を極端に発達させ、他の動物とは一線を画すような存在となり、

動物世界にはない「社会」をつくりあげ、さらにそれを「どんどん進化」させてしまった。

その結果の一つとして、「受精行動」を「快楽」と「子供作ること」に分離することに

成功し、また「子育て」を本能的作業としてではなく、非日常作業的行動として考える

ようになってしまった。結果として、結婚しなくてもいいのではないか、結婚しても

子供を作る為の受精行為をしなくてもいいのではないか、子供を作るにしてもその数を

調整し自分たちの自由な時間を大切にしたい、子供を養育する労力を極力抑えたい、

「家庭」という場の意味合いにそれほどの価値を見出さない、ナドナドの思いが強くなり、

結果底出産率と少子化という現象を社会にもたらしてしまった。

これの場合の解決策として、子供を作る社会環境を改善する、子育てに対する経済的支援を

するなどという小手先的策では根本的解決はなりえない。

 

これはとりも直さず動物としての「種の保存」の本能の放棄であり、

動物としては「種の絶滅」への道程である。

少子化問題を社会の経済的発展の阻害要因だ、などという矮小な論理にあそんでいる場合

ではない。もっと根本的な人間という「種の絶滅」の将来的危機だという認識をもって

対処することが肝要である。

 

 

 

 

 

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胡散臭い

2023-04-09 08:52:08 | Weblog

ガーシー騒動に端を発した旧NHK党の内紛がますますきな臭くなってきた。

そもそもこの問題の原点である旧NHK党なる存在が胡散臭いし、その創始者である

立花孝志なる人物が胡散臭い。

この人物の政治に対する向き合い方が、当初から胡散臭かった。それがここにきて、

ガーシーの議員除名によりその胡散臭い正体がますます胡散臭くなってきた。

知能指数の低い、自己顕示欲の異常に強い人物が始めた金と欲だけの目的の

わけのわからない「政治活動」が曲がりなりにも存続していること自体異常だ。

確かに政治には胡散臭いところがあることには間違いないが、胡散臭さだけで

それを政治とするには、あまりにも世の中を馬鹿にしている。

「NHKをぶっ壊せ!」ではなく、「旧N党をぶっ壊せ!」

 

 

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アフガニスタンの女性差別に思う

2023-04-05 15:35:26 | Weblog

アフガニスタンでタリバンが政権を奪取した以降、国内での女性の中・高等教育を制限し、

彼女らの就学を拒否している。

また男性と女性の役割分担を、イスラム教の教えを原理・原則的に極端に解釈し、

外国のNGOの女性職員の就労を拒否し、今回は国連の女性職員のアフガニスタン内での

活動を停止するよう要請したそうだ。

このような状態では男女同権だとか、男女雇用機会均等とかの「先進国」での

「人間としての男女の権利の平等性」などの思想は、宗教の前には全くの無力同然だ。

宗教とは「人間の平等性」が基本的教えとして成り立つ思想のように思えるが、

原理主義的宗教の下では、そのような「思い」は幻想に過ぎない。

 

「宗教」は本来人間を救うことがその教えの根底にあるはずであるが、昨今

「統一教会問題」や幾つかのカルト的新興宗教などのような「社会的問題」を

引き起こす団体のような「社会的騒乱」のもとになるような団体が「人を救う」

とは思えない。

 

アフガニスタンのタリバンとこれらの「問題のある」カルト的新興宗教の間に

どんな違いがあるのか?

宗教とはなんだ?という問いに人はまだ明快な答えを持っていない。

生物が進化するように、社会も進化するなら、宗教も進歩しなければならない。

その進歩に懸命に取り組むのが、職業的宗教人の義務である。

 

 

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トランプの起訴

2023-04-01 16:35:23 | Weblog

トランプ前大統領が噂通り正式に起訴された。

その起訴事由が、浮気相手の元ポルノ女優への口止め料の支払いだというから

呆れたものだ。いかにもトランプらしいとも言える。

「倫理観の強い」普通の国なら絶対に起こらないようなスキャンダルなのだが、

「個人の自由」を最優先する「自由主義国家」では、大統領といえども個人の自由が

最優先され、「ポルノ女優との浮気」などというくらいの事案は「個人の自由」の

範疇におかれるのだろうか。

確かに機密文書の持ち出しや大統領選挙時のロシアからの暗黙の支援などという

国家的灰色事案に比較すれば、ポルノ女優との浮気やそれの口止め料など大統領として、

取るに足らない小粒な案件であろうが、どうもおおらか過ぎると言おうか、次元の違う

道徳観に見えてしまう。

 

 

 

 

 

 

 

 

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