定年ジジイの夕焼け人生

朝日ほどの力強さはなくてもいいが、人生の黄昏期をせめて夕焼けほどに輝いていたい。

遠州病院跡

2007-11-30 08:04:34 | Weblog


この夏の初め、遠州病院跡のビルの取り壊しが始まった。
古い建物であるから、現代の工法を持ってすれば、直ぐにも取り壊しは完了するのではと思っていたが、あにはからんやっと近頃になってやっとほぼフラットになった。古い建築物だから、今みたいに鉄筋を抜いたり、コンクリートを薄くしたりと、せこいことはせず頑強なつくりになっていたのかもしれない。

しかしまだまだ残骸が山済みとなっており、完全に更地になるには年内いっぱい掛かりそうだ。



ほぼ空っぽになった建物跡を紅葉が取り囲んでいるのが、何となく寂しさを感じさせる。
コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

祈り

2007-11-29 08:39:27 | Weblog
人間の純粋な行為の一つに「祈り」がある。

神社に行くと、本殿の前の賽銭箱にいくばくかの小銭を投げ入れ、鈴を鳴らして、手を合わせてお祈りをしている人たちを多く見かける。

目を瞑り、手を合わせて「祈って」いる姿を見ることは気持ちがいい。



神前だからといって礼と拍手で祈っている人だけではなく、いや大多数は仏式の合掌をしている例が多いが、そんな形式はどうでもいい。
また「祈って」いることが、世俗的欲望を満たすことだけかもしれないし、個人的な目的を満足させるためだけかもしれない。はたまた単なる慣習的なことかも知れない。
しかし理由は何であれ、そこで手を合わせている人の姿は美しい。

後世に残しておきたい行為の一つだ。
コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ALWAYS 続・三丁目の夕日

2007-11-28 08:02:15 | Weblog
久しぶりに映画を見た。「ALWAYS 続・三丁目の夕日」。

昭和三十年中ごろの東京タワー直近の下町(?一寸設定が変だが、まあいいか)での住人の人情が主役の映画だった。しかし本当の主役は、相当に正確に当時を再現した東京の風景であり、当時の人々の生活情景だった。

小生は当時大学生で、「ああ、そんな風だったな」と思い出す光景が所どろこに出てくる。
下に運河があり、船溜りに木造船が係船されているのを見ることが出来た日本橋が確かにあった。都電も盛んに道路を走っていた。丸っこい可愛いスバル360も確かによく見かけた。

あの当時から日本は激しく、特に大都会ではその光景を変貌させた。新宿の浄水場跡地に高層ビル群が出来たのは、それから相当年月が経ってからだった。

考えてみればあれからもう半世紀近くの時間が経過している。
自分の歳がもう70歳になるなんて考えられないが、こうやって懐古的映画なぞを見ると歳を実感するな・・・・・・・・・・・・



コメント (1)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

炊事当番

2007-11-27 08:39:27 | 食べ物
ごくまれに、数週間に一度くらい炊事当番をする。昨晩も当番をしてみた。

先日旧豊岡村の「取れたて元気村」で買ってきた海老芋を使った煮物と、やはり同所で買ってきた昔よく見た牛蒡みたいに長い人参を甘煮にした。

鶏肉、人参、こんにゃく、しいたけを海老芋とで煮た筑前煮の様なもの。
よく出しただし汁に砂糖、みりん、酒、しょうゆで味付けした煮汁でじっくり煮ただけだが、さすが海老芋、それも大きめの良物を使ったから、しっとりとして口の中で舌にまつわりつき、なんともいえない味を出してくれる。旨い!

人参はよくレストランのステーキなどの付け合せに出てくる感じに。長めの短冊に切り、砂糖とバターだけで味付けして、人参そのものの味を残してみた。
バターの香りがほのかに残り、目をつぶって食べれば、レストランの味がしないでもない。

魚の切り身の焼いたものと大根のシンプルな味噌汁も。

5,6年前に1年間だけだったが、週一度の男の料理教室に通ったことがあった。
殆ど何を教わったのか忘れてしまったが、料理をするある種の手順、段取りみたいなことはいまだに何となく覚えている。

時々料理することは、ちょっとした気分転換になる。
コメント (3)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夜の店頭(2)

2007-11-26 08:04:28 | 夜の店
 肴町にあるバー・JUNK。

ここの3階で毎週月曜日夜8時から英語村が開催れている。
階段を上がり2階のバーを素通り(申し訳ない)して、3階に上がるとそこが英語村。入村料1,000円を支払い、勝手に好きなところに座る。ビールを飲むことも勝手だが、小瓶500円の支払いは忘れないように。

三々五々人が集まりだすが、英語のネイティブスピーカーは3人から5人程度は常時来ているかな。そんな彼らを取り囲むように、初心者も上級者も入り混じって日本人が座る。話題もそのときの好き勝手。なんでもありで、初心者には時折日本語でしゃべりかけていたりする。

不思議な空間の2時間がここJUNK3階で味わえる。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

晩秋の好日

2007-11-25 08:12:58 | Weblog
勤労感謝の日、あまりの好日に誘われるようにぶらりとドライブに出た。

国道一号線で天竜川鉄橋を渡り、東岸の堤防を北上する。信号一つない、見晴らしのいい気持ちのいいドライブ道だ。
浜北大橋で右折して、旧豊田村の地元野菜などを売っている「とれたて元気村」により、近年有名になった海老芋を買う。これが京都に運ばれて「京いも」になるようで、サトイモと少々違って、煮るとねっとりとして実に旨い。
さらに森町への方向をとるが、敷地と言うところでそのまま北上する。敷地は柿と美味い米で有名だ。白壁館と言う地元物産を売っているところでその敷地米を5Kg買う。美味い飯がたべらることだろう。

そのまま秋葉道を北上し、豊岡ゴルフ場を通過し、虫生(むしゅう)という珍しい地名の山間の集落に至る。バスはここが終点になっており、これ以降は狭い山道になる。さらに数キロその山道をたどると、数個の集落がある。万瀬という名前の場所だ。山道をずいぶん登ってきたので、高度も相当高いはずである。秋葉山に通じる道をここでチョイと外れると、南面が開けたちょっとした広場にそば・レストラン「ぼうら屋」がある。

はるかかなたに幽かに太平洋が光り、その手前に開けて見えるところは、磐田市や袋井市だろう。
レストランのテーブルから見る間近の山の斜面はところどころ色づいている。何の音も聞こえない。実に静かだ。そんな中で手打ちのそばと地元産野菜のカラッと上がった天婦羅を食べる。料理も美味かったが、それを取り囲んでいる景色が飛び切りのご馳走だ。

昼食後同じ道を敷地までもどり、そこで車を左折させて15分も走らせると、小国神社に着く。ここは遠州地方では初詣で有名であるが、紅葉も綺麗だと聞いてきた。しかし残念なことに少し早すぎたようだ。もみじはまだ完全に赤くなっておらず、黄ばんだ段階の木が多かった。

返りは袋井経由で帰宅。
昼食も入れて、4~5時間のドライブだった。


 眺めがすばらしい地元野菜レストラン・ぼうら屋


 山道沿いの一人柿の木


 小国神社


 小国神社の紅葉
コメント (1)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

テニス仲間との忘年会

2007-11-24 08:38:10 | 老人、友人
腰痛のためテニスを止めてからすでに丸2年がたった。

5,10分連続して歩くと、腰から下が痺れて歩いている感覚がなくなることや、四六時中痛みを感じているところぐらい迄は、何とかごまかしながらテニスを続けてきたが、歩行中に目前の信号が変わろうとするから急いで駆け足で横断歩道を渡ろうとし、足がついて来れないことを自覚し、ついに止めた。

そんなことがあってからでも、テニス教室の友人たちは忘年会や夏の暑気払いには忘れずに誘ってくれて、テニス談義に花を咲かせてきた。
今年は手術後9ヶ月経て、もうなんとかテニスも出来そうな昨日、また忘年会で一緒して、是非テニスを一緒にと強く勧められた。

ゴルフは先日5年ぶりくらいに恐る恐るやってみて、何の問題もないことを自覚したが、まだ走り回りながらボールを打つ過激なテニスをすることにはちょっと躊躇する。
この冬をパスし、暖かくなったら来年の春頃にはテニスも再開してみようかとふっと考えた。
コメント (1)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ゆり

2007-11-23 08:19:56 | Weblog
切花のゆりの花を花瓶に挿している。



なんという種類のゆりかは知らないが、その姿といい、色といい、香りといい見事なものだな。
たぶんヨーロッパで交配を重ねた近代種で、温室栽培のものだろう。

リビングの片隅に飾っているが、ソファに座っていると時々ふっと後ろから香水を掛けられる様に匂ってくる。
花はその香りを常時その花芯から少しづつ連続的に放出しているものだと思っていたが、どうも間違っていたようだ。
時折思い出したように、気付かれないほどのため息のようにその香気を空中に発散してるようだ。

常時匂ってくる芳香剤のようなしつこさや自己主張がなく、遠慮がちに忘れた頃に香気をそっと送ってくるなんぞ、なんと奥ゆかしいではないか。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

簡単○○、インスタント△△、etc

2007-11-22 08:20:19 | Weblog
世の中には「簡単」、「速成」を売りにしている物や方法が溢れている。

いわく「60日でマスターできる英語」、「簡単料理法」、「誰でも出来るダイエット」、「毎日一分で、小顔に」、「これでキャリアアップ!」、「女性を喜ばせるのは簡単だ」、「あっという間に小金持ちに」、「これさえやれば病気なし」・・・・・・いやはや、列挙すればきりがない。

努力せずに何かを達成したいと願うのは古今東西誰しも願うことである。
しかし何かをそれで達成できたという実話を身近に聞いたことがない。ビフォアー、アフターの例を挙げて宣伝広告に使っている例はあるが、その当人と会ったことがないから、信じたこともない。

たぶんそのような例もあるだろうが、その実態は相当な努力が裏に隠されているのだろう。
努力をせずに達成できるだろうということを信じさせることが重要だからだ。極まれな例を一般化して、誰でも出来ると信じ込ませることが、これで金を稼いでいる連中の上手いところだ。

確かに人間の中には、それ程の努力をせずに何かを達成したり、マスターする人はいる。一種の天才とか天賦の才を持ち合わせた特殊な人間だ。
普通の人間はやはりそれなりの努力なり、訓練をつまなくては身につかないし、目的を達成できない。

小学校とか中学校で勉強したときの事を思い出せば自明なことだ。努力もせずに算数が出来るようになったり、英語が知らない間に出来るようになったり、運動が飛びぬけて上手くなったためしはない。

学校をでて年月が経つとそんな事をすっかり忘れ、「簡単」「インスタント」法の宣伝に乗っかってしまい、そんな業者の金儲けに容易に協力してしまう。

人間とは愚かなものだ。

今日も、新聞や雑誌でそんな広告をいやと言うほど見る。





コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

インターネット光接続

2007-11-21 08:13:21 | Weblog
昨日、インターネットの接続をADSLから光に変更した。



住んでいるマンションにNTT西日本の光回線が開通して、電話も光回線に切り替えるとどうも安くなるようだった。

もっともマンションタイプの光回線は、元回線を何回線かでシェアして使用することになるので、単独で光回線を引いたときより通信速度は遅くなるが、それでも従来のADSLより多少は早くなりそうだ。

光電話への切り替えは業者が来て行ったが、インターネット接続は供給されたCDを使って自分で行った。
早速使ってみているが、やはり通信速度は速くなっているようだ。ただしこれからマンションの回線が同時に多数で使うような場合、どうなるか注意して観察する必要はありそうだ。

インターネット接続は、ISDN→ADSL→光と変更してきて、この10年でずいぶんスピードアップしたことになる。
それ程の通信速度が日常生活に必要かは疑問ではあるが、少しでもスピードが上がるといらいら度が軽減されることは事実だ。ほんの数秒のことであるが、その差は実に大きい感じがする。やはり何でも先に先に進んでいく現代病に掛かっているのかもしれない。

こんなことでは「スローライフ」を楽しむことなどとても無理だろう。

コメント (1)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする