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定年ジジイの夕焼け人生

朝日ほどの力強さはなくてもいいが、人生の黄昏期をせめて夕焼けほどに輝いていたい。

シシリアに行ってきた

2016-10-29 09:23:29 | 旅行
ブログ更新をすこしサボっていたなと思い、最終回の日付を見たらもう2ヶ月以上も前ではないか。
子供の頃、夏休みの宿題をサボっていたら、あっという間に8月も終盤になっていたことを思い出した。
どれだけ年をとっても、することも、思いも変わらないものだ。


シシリア島をぐるりと一周するツアーに参加してきた。


(タオルミーナからエトナ山を望む)

昨年の心臓関係トラブルで、もう海外旅行は無理だと思っていた。
しかし今年の春からぼちぼちゴルフも再開できたし、体調も変調をきたさない自覚もできたので、なんとか最後の海外旅行をとの思いからの旅だった。
ただ以前のように旅程をすべて自分で作り、予約をし、また旅の途中で気に入れば、気の向くまま予定を変更するというような自由旅行をするエネルギーは失ってしまったので、グルーブツアーを利用しての旅になった。


今回は、都市を中心にして回る旅でなく、田舎をのんびり回る旅がしたかった。
シシリア島だけのツアーが有ったので、それを選んだがほぼ正解だった。


シシリアといえば、ヨーロッパでは一番南に位置した地中海の島だから温かい土地であろう。マフィアで有名だ。パレルモ・カターニャなどの都市、エトナ火山があり今でも活動しているようだ。確か「ニュー・シネマ・パラダイス」の舞台だった、程度の知識しかなかった。


ローマ経由でカターニャに入った。

同行8人だけのグループであったが、60人乗りの大型バスを利用しての島一周のツアーだった。

緯度的に日本とほぼ同じだからだろう、予想どうおり気温は浜松とほぼ同じ程度だった。しかし目に入る景色はやはり異国。
地中海気候で雨が相対的に少ないためだろうか、車窓から見える木々は、オリーブ、オレンジ、サボテン、葡萄などの低木ばかりで、日本のような高木で緑豊かな森、林が殆ど見当たらない。しかしだからといって不毛の地という感じではなく、それなりに豊かな実りを与えている感じだった。


歴史的な街町は殆ど高台に位置し、斜面を家で埋め尽くしような光景だ。
地理的に地中海の真ん中に浮かぶ島ということから、歴史的に異民族が次々に海から侵入して、それぞれの生活・文化を持ち込むということが繰り返されてきたため、居住地がどんどん高地に押し上げられていった感じだ。


日本がまだ稲作も始めていない縄文時代には、もうここシシリアではギリシャ文明が栄えていた。
その後フェニキア、イタリア、アラブ、ノルマン、スペインなどの勢力が次々に入ってきて、それぞれの文化を移入し、花咲かせた。

シシリアには、それらの遺跡がそのままに、または重層的に残っていて、まさに歴史的な文化・文明の遺跡の坩堝的な地である。

また人種的にもそれらが混血した結果が現在のシシリアの人々であろう。行き交う人の特徴も、昔のそれぞれの人種の特徴を残しているような感じがして、観察していても興味が尽きない。

食べ物は、魚介類が豊富で、またパスタや土地で採れるオリーブオイル、柑橘類、アーモンド、ワイン等がが旨い。



のんびりと旨いものを食いながら温暖な気候や遺跡を回る旅には絶好な場所だ。









(サボテンの実を売っていた)













ニュージーランド旅行(その2)

2008-11-20 08:38:52 | 旅行
話には聞いていたが、ニュージーランドはやはり羊の国だった。



バスの車窓からは、行けども行けどもこのような光景が止め処もなく続く。

数時間走っても、人っ子一人見ることはないが、羊の姿を見ないことはない。
際限なく続く牧草地に点々と白い羊が地平線まで続いている。

NZ全体で、4百万人強の人口に対して羊が4千万弱いるそうだ。10年ほどまえには8千万頭居たという。
しかも南島の人口は百万人強しかない過疎地だから、羊を見ても人を見ないということは大げさではない。


しかし近年ヨーロッパ向けの羊毛輸出の減少と化学繊維の普及により、牧羊産業は衰退の方向のようだ。
何とかしなくてはいけないということから、一部では南米からリャマを移入して、牧羊家業の補強もしてるようである。


しかし牧羊産業に見切りをつけ、酪農(牧牛)に転向したり、近頃では食鹿牧畜に方向転換する例もあるようだ。
写真には取れなかったが、食肉用の鹿が羊と同じように広大な牧草地に放たれているのは想像も付かなかった。


世界的な経済変調は、なにも近頃の金融事業、製造産業の不調に止まらず、人口の10倍もの羊を飼っている、実にノンビリしたように見えるニュージーランドのような国にも及んでいるようだ。

観光客には実にノンビリしとして映る、うねうねとどこまでも続く牧場の光景の裏にも、ニュージーランドの経済の深刻な実態があるようだ。


ニュージーランド旅行

2008-11-19 16:59:07 | 旅行
ニュージーランド南島に旅行に行ってきた。

綺麗な自然を見たいと思ったので、あえて南島だけのコースにした。

南島の西海岸沿いには、日本アルプスに匹敵する、いやそれ以上の規模の山脈が南北に走っており、その名も「南アルプス」と言う。
最高峰はマウント・クックと言い標高は富士山とほぼ同等の3,754メートルだ。




この辺一帯は広大な国立公園になっており、マウント・クックを見上げる絶景の場所に、エヴェレスト初登頂者であるエドモンド・ヒラリー卿記念館が併設されているハーミテイジホテルがある。
 このホテルに一泊したが、滞在した二日間は絶好の晴天が続き、ホテルの部屋から、レストランから、またホテルの前庭から、ずっと飽きることなく山を眺めて時間を過ごした。

これほど山並みを眺め暮らしたのはずいぶんと久しぶりだ。

日中の初夏の光を一杯に反射している山面はテラテラとひかり、残雪の微妙な変化は見飽きることはない。



南半球のここの日没は、夏時間を採用していることもあり実に遅い。
8時過ぎになると、太陽は山脈の裏に落ち、夕日がマウント・クックとそれに続く山並みを染め始める。

西面を赤く照らし続けた夕日が落ちてもずっと山並みは、その端を空と一線を画して一晩中その存在を見せつけ続ける。不思議なものを見ている感じだ。


ニュージーランドの山並みが、日本のそれよりもずっと深く、高山の様相が強いのは、氷河が随所にあることでもわかる。
ホテルから散歩道ともいえそうな山道を一時間ほど歩くと、マウント・クック山塊に存在する氷河の一つの末端に行ける。

 氷河の削り取った山肌が痛いように露出してる。

目の前に聳え立つマウント・クックの威容は圧倒的な迫力で迫ってくる。


久しぶりに山の圧倒的な存在を実感した二日間だった。

蜂サミット?

2008-11-05 08:07:02 | 旅行
奥三河を車で走っていたとき、こんな看板を見かけた。

 なんだなんだ、蜂サミットとは?

道路端に車を止めて、案内板に従って、ちょっとした広場にいってみた。


多くの人だかりの中で、数人の男たちが木の箱から何かをとりだしていた。
取り出した茶色の塊を秤に掛け、何キロとか叫んでいた。
その茶色の塊を良く見れば、それはどうも蜂の巣のようだ。叫んでいた重さはその巣の重量のことのようであった。

昔聞いたことを思い出した。
信州や奥三河では蜂の子を貴重な食べのものとして珍重しているという。
ああ、これがそれのことかと合点がいった。

秋のこの時期に、脂の乗った蜂の子が一杯に詰まった巣をとり、それを自慢したり、売買したりしてお祭り事をしているようだった。


別の場所では軽トラックの荷台に網袋に入れられた、丸々と太った蜂の子が詰まった巣を売っていた。どうも別の種類の蜂のようだった。


どのようにして食べるのかと、そこにいたおばさんに尋ねてみた。
熱々のご飯に蜂の子を混ぜ、醤油をすこし垂らせば、こんな旨いものはないとのことだった。
良質の蛋白質一杯の、しかも旨い貴重な食品なのだろう。

では、一度試してみようという気にはなれなかった。



馬籠と妻籠

2008-11-04 06:36:28 | 旅行
久しぶりに馬籠と妻籠に行ってきた。

浜松から車で金指、鳳来寺、中津川経由で約3時間半。名古屋経由の高速道路利用した場合と時間的にはそれ程変わらない。
秋の行楽シーズン中の3連休中にもかかわらず、下の道は空いており、秋盛りの田舎のドライブを満喫した。

 馬籠

 馬籠

 妻籠

 妻籠

どちらの宿も中山道の昔の面影を残しており、人気のある観光地になっている。

10年ほど前に最初に訪れたときには、相当に感激したことを覚えているが、どうしたわけか、今回はどうもあまり感心しなかった。

何が変化したと言うことではないだろうが、単に2回目と言うことで、どこか変に観光地づれしたような匂いを感じてしまったのかもしれない。


しかし一度は行ってみる価値はあると思う。


青春18切符ぶらり旅

2008-09-08 08:34:00 | 旅行
5枚組の青春18切符があと一枚残っていた。9月10日が使用期限だから、最後の一枚をどうしようかと考えていた。

昨朝パソコンに向かっていたとき、急に何の脈絡もなく「そうだ、三島にウナギを食いに行こう」と思い付いた。

なぜ三島にウナギかと問われれば、それなりに理由はある。昔富士山ろくのゴルフコースに何度か行ったことがあるが、ゴルフ帰りに数度三島のウナギ屋の「うなよし」に寄り、その味がなんとも旨かったことをいまだに覚えている。
そんな記憶が、昨日何の理由もなしに脳裏を横切っただけのことだ。

PCに向かっていたことを幸いに、早速「三島 ウナギ」で検索し、もう忘れていた場所を確認した。
浜松発の鈍行列車の時間表もその場で簡単に検索出来た。

後は行くだけだ。その場で家を出て、10時少し前の列車に乗るために青春18切符の最後のマスに検札で検印を受けて、無事使い切ることが出来た。



12時過ぎに三島駅にたどり着いた。暑い日だったが、PCで引っ張り出した地図を頼りに歩き出した。以前来たときは何時も車で来たから、駅から徒歩でどれほど掛かるのか見当がつかなかったが、それ程遠そうでもないと地図を見ながら歩き出した。が、以外に時間がかかり20分ほど炎天下を歩く羽目になってしまった。



店構えは遠い記憶とそれほど違いはなかったので一安心。日曜日と言うこともあり、ウナギのいい匂いがする店内は混んでいた。
待つことしばし、一人ということもあり、相席となったが座ることが出来き、「うな丼ー並」2,100円也を注文。



蒲焼にされたウナギは割合にしっかり焼かれており、ふわふわした柔らかさではなかったし、たれも甘くもなく、かといって通ぶったからいものではなく、ちょうどいい味だった。

2時間半近く掛けて来た甲斐はあったと云うものだ。旨かった。


ウナギを食いながら考えた。このまま帰るのもちょっと中途半端だし、何処かによって帰ろうと。
国道一号線を車で通るたびに三島で「柿田川湧水」の看板を見たが、行ったことはなかったな。

店のお姉さんに歩いていけるかと聞いてみたら、20分くらいで何とか歩いていける距離のようだった。
炎天下を、アルファルトの上を歩くことにちょっと躊躇があったが、えいママよと歩き出した。

途中女子高生に道を確認したら、歩いていく距離ではないというようなニュアンスの返事を聞き、店のお姉さんの案内に疑問を持った。しかしここがぶらり旅の良いところ。暑さと歩くことの苦痛を我慢すれば、何時間掛かってもかまわない旅だ。
汗をあまりかかないようにとユックリと歩き続けた。

結局ウナギ屋を出てから30~40分かかって、湧水地に到着。国道のすぐ脇に位置していた。もっと国道から入り込んだところだろうと考えていた今までの予測は完全に間違っていた。

TVで何度も紹介されているから、柿田川湧水の詳細は報告しなくていいだろう。
澄み切った川底の砂を掻き分けながら自噴している湧き水がいかにも涼しげで、ここまで歩いてきてびっしょりかいた汗もスッと消える思いだった。





身体がちょっと涼しく感じる様になったので、バスで沼津駅を経て、帰途に着いた。


そうだ 京都いこう

2008-09-04 09:04:54 | 旅行
青春18切符を7月の猛暑の旅行で3枚を使い、あと2枚残っていた。

8月は旅行など考えたくないほどの暑さが続き、やっと暑さが収まったと同時に雨の日が続き、18切符を使う機会がなかった。有効期限は9月10日までだし、残った切符の代金もたいしたものではないから、どうでもいいなと考えていた。



「そうだ 京都いこう」、急に思い付いて昨日、日帰り鈍行京都旅行をした。
この有名なキャッチコピーはJRが新幹線利用促進のために作り出したものだろうが、今回は2300円の往復切符で京都に行かせて貰った。
しかし鈍行と快速に限定された列車利用は、時間ばかり掛かる。座っているばかりで尻が痛くなった。

4時間ほど掛かって京都に着く予定であったが、直前の石山あたりで睡魔に襲われ、車内放送の「次は高槻」が耳に入り、はっと気がついた。結局京都ー高槻の往復が余分に掛かり12時過ぎに京都駅に降り立った。

どこに行くとも決めずに来てしまったから、さてどこに行こうかと京都駅の出口で考えた。
駅前の観光案内版を眺めているうちに、そうだ石庭にでも行ってみようと決めた。市バスB2乗り場の50番線で立命館大学まで行けば、そこから10分ほどの徒歩でいけるという。

バスの車窓から古い町並みを見ていると、やはり京都はいいなという感慨が湧いてくる。

竜安寺にはずいぶんきていない。たぶん現役時代に外人のビジターを連れてきた以来だから、もう20年は経っているかもしれない。その外人も石庭をみて感激していた。昨日も拝観人の半分近くは外人だった。日本人が感心する以上に外人を引きつける何かがあるのかもしれない。


石庭の前の廊下に座ってじっと眺めこんでいる人、写真を撮っている人・・・・・・・

 玄関を入った薄暗い正面に由緒ありげな屏風が、「火用慎(心?)」の行灯と共にあった。
光が面白かったので、一枚。


市バス50番線は、北野天満宮の前を通過する。行ったことがなかったので、ちょっとお参りしてきた。修学旅行の中学生がいるだけのノンビリしたものだった。


京都に行くときは必ずといっていいほど食べる「にしん蕎麦」を食べて、また鈍行で帰宅。
まったく気侭な旅だった。

青春18切符はあと一枚残っている。どこに行こうか・・・・・・・・


旅日記(5)-田園風景

2008-07-29 06:46:39 | 旅行


岐阜県の明智町に大正村と云うところがあると聞いた。

名古屋の少し手前の金山と言う駅で東海道線から中央線に乗り換え、恵那で降りた。明智鉄道線という私鉄に乗り換えて小一時間で終点の明智に着く。

たった一両だけなので列車とはいえない。田舎道を線路に変え、鉄輪で田園風景の中をのんびりと走る鉄道だ。乗客は田舎の爺さん、ばあさん。圧倒的に多いのは地元の高校生だ。

女子高校生が全員団扇を持って、ぱたぱたと赤く汗疹が出来たような顔に風を送っていた。この地方の女子高生だけなのか、全国的にそんな風潮があるのか、団扇使いが様になっていた。

制服のスカートが短いことにもびっくりさせられた。もう少しでお尻の膨らみがはみ出しそうになっている。目のやり場に困る。田舎の高校生ほどスカートの丈が短いのかとも思った。こんな観察を出来るのも、ぶらり旅の楽しみかもしれない。


明智大正村は期待はずれだった。大正時代の面影を残した町並みがあるわけではない。ぼつりポツリと街中に大正スタイルの建物がのこっており、それらが美術館とか観光施設になっているだけで、街中を情緒に浸って、散策するようなところではなかった。


明智町という点ではなく、明智鉄道の両側に広がる田園風景という面の風景こそが今回の旅の収穫の一つだった。



実にのんびりとした日本のよき時代の田舎の風景がそこにある。

適度な広がりを持つ田んぼと、それに挟まれるようにある畑。立派な瓦葺の日本家屋が点在して、アクセントとなっている。
じっと眺めていると、しみじみとした懐かしさが身体の奥のほうから沸きあがって来るような感覚に襲われる。

ゆったりとした気分を味あわせてくれる小生にとっての原風景のようなものだった。


これからも時間と体力が許す限り、青春18切符で一人旅をしようと思う。


旅日記(4)-奈良井宿での幻想

2008-07-28 09:45:16 | 旅行
奈良井宿は、中仙道木曽路での北から二番目の宿場である。

江戸時代には、東海道程でもないが、中仙道も想像以上の通行があったようだ。奈良井宿は奈良井千軒とうたわれ、木曽路一番の賑わいだったようだ。

名古屋から中央線にのり、明智町に立ち寄ったり、恵那の暑さに驚きながら、鈍行列車で奈良井駅に着いたのは、もう午後4時になっていた。
駅を降り立つともうそこが、江戸時代の面影を色濃く残している木曽路奈良井宿の入り口だった。

先便で来たり、同便で降りた観光客が、三々五々と時代劇のセットのような町並みを歩いていた。猛暑の週央ということもあり、それ程多いわけではないが、それでも団体客や数人連れの観光客が木曽漆器の店に立ち寄ったり、格子戸の内側を覗いたりしていた。

せっかく立ち寄ったのだからゆっくり見て回ろうと、土産物屋に立ち寄ったり、宿屋の案内を見たり、格子戸を写真に撮ったりしながら、ぶらりぶらりと奈良井宿をその家並みが切れるところまで歩いた。
そこは突然町並みが切れ、杉林の中に小さな神社があるだけで、もうそれ以上行っても山道に掛かるだけですよ、といわれているような感じのはっきりした宿場町の終点だった。

ちょっと一服しようと思い、神社の林の中に入っていって気がついた。汗はかいていないし、それ程暑いとも感じない。
先ほどまで首から下げたタオルで汗を拭き拭き歩いていたが、何となく涼しささえ感じるほどだ。
回りを見渡すと、青空は広がり、真昼と同じように風景は明るいが、何となく先ほどまでの熱暑はなく、有るか無しかの風だが、フッと涼しさを運んできてくれる。
此処は左右を山並みで囲まれた木曽の谷にある。真夏のこの時間は勿論日没までにはまだまだ時間が有るが、日は既に山に阻まれて、直接この町並みを照らしてはいない。町全体が日陰になって、標高の高い此処では急激に猛暑の熱が失われたということだろう。
やれやれだ。

同じ道を駅までまたゆっくり歩いた。






格子戸と板塀の続く町並みをぶらりと歩いていたとき、突然あることに気がついた。
観光客がまったくいないのだ。消えてしまったのかと思うほどびっくりした。
店を早仕舞いする人、道路に水をまく人、犬の散歩をする人。ちらほらといる人たちは皆地元の人達で、誰一人として観光客がいない。
ゆったりと夕方の日常生活をしている地元の人達の中に、ポツンと一人取り残されてしまっっている。

バーチャルの世界の中に取り込まれてしまったのか、といぶかるほどの衝撃的感覚を受けた。暑さと疲れの中で、少し感覚に変調をきたしていたのかもしれないが、自分がこの世の中でないところに一人取り残されてしまった感じだった。

実際は、観光客の殆どは、一時間に一本くらいしかない中央線の早めの列車に乗ったか、観光バスも夕方遅くまではいなかったのだろう。

こんな感覚を持てるのも、予定のない、時間表のない、勝手気侭のぶらり一人旅の良いところだろう。
いいものだ。

旅日記(3)-城は美しい。

2008-07-27 09:37:01 | 旅行
 松本城

 小田原城

天守閣を写真に撮ろうとすると、どうしても絵葉書になってしまう。

角度を変えたり、見上げたように撮ったり、部分を強調したりしてみるのだが、どこか変に小細工したような印象の写真になってしまう。
やはりどっしりとした、全景の写真がいい。

日本の城は、重厚な、実にバランスの取れた建物であるということだろう。
美しさを追求してこんな建物を建てたのではないことははっきりしている。軍事目的の機能を徹底して追求して建造されたものだろうが、結果としてその機能美が目を見張るほど美しいということだろう。

今までに何回か列車や車から遠望したことはあったが、今回改めてこの二つの城に上がってみた。
駅からそれ程の距離ではなかったが、炎天下の中を歩くともうそれだけで全身汗まみれになる。
しかし分厚い壁や屋根で覆われている天守閣の中は意外に涼しいものだった。
現代の建物と比べれば、ごく小さな明り取りの窓から吹き込む風は、まさに一服の涼風の感だった。



小さい目の格子戸から差し込む光は、真夏の太陽光をとは思えないほど優しいものだった。
磨きぬかれた床板に反射する光をじっと見ていると、もう今が猛暑のときだということを一瞬忘れさせてくれた。