yuuの夢物語

夢の数々をここに語り綴りたい

2006/04/02 春の雨が・・・。

2006-04-02 19:05:15 | Yuuの日記


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今日は一日雨が降り叩いていた今はやんで曇り空が・・・。

麗老(7)

 一日がこんなに長いとは思わなかった。何もしないでボーとしていると時は過ぎないのだった。これには雄吉も困った。自由に生きると言う事がこくなに大変だとは・・・仕事を選べはよかったと思った。食べてテレビを見て眠る、そんな生活は一種の拷問だった。助かるのは、プロ野球が始まっているとだった。時間つぶしには格好だった。何処のファンということもなく見るのが好きだった。というより何処でもよくテレビの画面に何かが映っていればよかったのだ。
 こんな生活をしていれば完全におかしくなると思った。妻を亡くして鬱になり苦しんだ経験があった。何か夢中になるものはないかと探した。趣味を持たない雄吉にとってそれは中々見つからなかった。とにかく、明日は庭の草取りでもしょうと思った。毎日のスケジュールを作ることにした。
 野球を見ながら小腹が捨てたのでお茶漬けを啜り込んだ。
「三十八歳か」
 言葉がもれていた。意識してなくても何かを期待している心があるのか、寂しさ故に何かを求めたのか、女将の声が聞こえた。そう言ってくれることはいやなことではなくありがたい言葉だった。
 雄吉は定めに従順に生きてきていた。ここは逆らうことなく流れよう、それが定めならと思った。
 妻を亡くして、それ以来女性との関係はなかった。誘ってくれる友もいたが行くことはなかった。潔癖症ではなくただのものくさだった。お茶飲み友達がいてもいいなと最近思うようになっていた。仕事をしているときは一人の寂しさは感じなかったが、一日何をすると言うこともなく過ごすとき心き広がる孤独感を感じるのであった。
「散髪をして、デパートに行って最近はやりの洋服を買って・・・」と、雄吉は考えた。生まれ変わろう、そのためにはまず身だしなみからだと思った。外見をかえれば何かが変わるかもしれないと思い実行することにしたのだった。

以下次号・・・。

家の中の花瓶の桃は一輪二輪と花びらを開き始めました・・・。家の中が暖かいのでしょう・・・。
テレビを見ながらうとうとと、春眠暁を覚えず・・・。まだ寒いので風邪を引かぬように・・・。

熊野古道みちくさひとりある記熊野古道みちくさひとりある記
本書は、約800年前、後鳥羽院の参詣に随行した歌人藤原定家が書き残した「熊野道之間愚記」(通称「御幸記」)を正味16日間かけて辿り、連綿と続いた熊野信仰の根源をさぐった体験記である。写真を多数掲載し、社寺等についても詳細な解説を付した。
【目次】
京都編(はるかなる熊野/古道の起点 ほか)/大阪編(上町台地/三十石船とくらわんか舟 ほか)/紀伊路編(紀三井寺に立ち寄る/紀ノ川の渡し場の王子 ほか)/中辺路編(南方熊楠を訪ねて/花と西行 ほか)/熊野三山編(遠くからトトロの歌が聞こえる…/もうすぐ本宮大社 ほか)/終章(紀州の郷土食「茶がゆ」―川湯/湯の花が創り出した本尊―湯ノ峯 ほか)
夢のまた夢夢のまた夢
「九十歳にならなければわからないことがある…」著者の鋭くたおやかな感性が「究極の愛の姿」を鮮明に描き出す。老と知が渾然と輝く珠玉のエッセイ。
【目次】
第1部 夢のまた夢(ひとりかも寝む/西行/躁鬱症/寡聞にして/夕日はかくれて ほか)/第2部 惜別(衰えを止められぬ日々/行楽や会話の楽しみを失う/俺も復活せねばならん/突然の入院/主治医との初めての話し合い ほか)

隠遁の思想
かつて、隠遁とは世俗世界を離脱して辺境に赴くことであった。そして、その背後にはもう一つの世界の存立が予感されていた。原郷世界である。原郷世界とは、人びとが本来そこに在るべきはずの世界であり、自己の生の究極の拠り所とは何かの問いに対する答えてして存立した。隠遁とはまさに、その原郷世界を目指すことに他ならなかったのだ。西行の隠遁を中心に考察される本書は、原郷を失って久しい現代人に、そこに近接する通路を示す。
【目次】
序章 なぜ隠遁か―夏目漱石『行人』をてがかりとして/第1章 世俗世界からの離脱/第2章 辺境への往還/第3章 原郷世界の夢想

 桃の花開いて春の香り撒き
人の心を和ませるのか

2006/04/02まだまだ寒い日が・・・。おしゃれの春が来てほしい・・・。