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峰野裕二郎ブログ

私の在り方を問う

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ボクシング・フェザー級 東京オリンピック代表候補

2016年03月08日 | 暮らし

日曜日の長崎駅前カモメ広場、心配された天気も嘘のようにお昼頃には青空が広がった。一般のお客さんも足を止めて、珍しい屋外でのボクシングイベントを楽しんでおられた
会場には、日大ボクシング部の3人の他、地元長崎の田中先輩始め県ボクシング連盟のみなさん方の協力により、小中高生から社会人のアマチュアボクサー合わせて50人ほどのみなさんが集まり、こころ夢未来高等学校ボクシング部創設のイベントを盛り上げてくださった。

午前10時から始まったイベントは午後2時に終了した。
地元の田中先輩は着替えに一旦帰られ、後輩の選手たちも投宿している別のホテルへ一旦着替えに戻った。私と斎藤先輩は、開校式典が行われる「ホテルニュー長崎」に移動し、式典の始まる3時まで1階のレストランでお茶を飲むことにした。

斎藤先輩は、1964年東京オリンピックが開催された年に全日本のタイトルを獲っておられる。フェザー級の有力な五輪代表候補選手として最後までライバルたちとしのぎを削られたが、最終選考の試合で早大の高山将孝選手に敗れ涙を呑まれた。
大学卒業後は一般企業に入社され、後にその会社の代表取締役まで上り詰められ、現在もその職におありである。と同時に現在、日本大学桜門ボクシング会の会長を務めておられる。

私と斎藤先輩の関係を話すと長くなるので省くが、私の初めての試合が決まってからリングに上がるまでの間、斎藤先輩に特別にトレーナーを務めていただいている。
私は、ボクシングから色々なことを学び、色々なものを授かったが、斎藤先輩との出会いは大きかった。
斎藤先輩は、お話がお上手でいつお会いしても、私は吸い込まれるようにしてお話を伺っている。

この日も、レストランでお茶をいただきながら、かつてのボクシングフェザー級の東京オリンピック代表候補・斎藤睦男選手の興味深いお話を伺っていた。


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