峰野裕二郎ブログ

私の在り方を問う

since 2005

私と母親

2009年04月07日 | 家族
きょうは佐々中学校の入学式だった。明日が小学校の入学式、明々後日が幼稚園の入園式と続く。願わくば、どの子も希望を胸いっぱいに膨らませた門出であってほしい。

入学式を前に、昨日から小中学校の新学期が始まった。
このところ、女房どのは、その準備に大わらわの様子、一昨日も夜遅くまで仕事をしていた。
その翌朝、いつもより早くバタバタして出かけて行った女房どのだったが、ややあって電話が入った。前夜、苦労して作成した学級通信を家に残したままだという。
幸い、午前中、何もなかったので、勤務先まで持参することにした。

近道の山間の道路を車で走る。
春の陽光に照らされ芽吹き始めた若葉と共に、山桜が微笑みかけてくれた。

15分ほどドライブを楽しんだだろうか、女房どのが勤める小学校に着いた。
玄関を入ると、すぐ右手に事務室があるのが分かった。
スリッパに履き替え、事務室に向かおうとするところへ、ちょうど、その事務室から職員と思しい人が出て来られた。

名乗ると、すぐさま用向きを理解していただいた。早速、忘れ物を託すと、彼は、それを受け取りながら「以前、娘がお世話になりました」とおっしゃる。
話を聞くと、もう10年にもなろうか、私の塾に通って来てくれていた塾生のお父様だった。
いろいろなご縁の中で、人間は生かされている。

国道を通ると、我が家と女房どのの勤務先の中間あたりに母の家がある。帰りは、その国道を通り、久しぶりに母の住む家に立ち寄ることにした。こんな時くらいしか、母の顔を見ることもない。

母は、80歳を越えた今も健康で、老人会のお世話役などを務め、忙しい毎日を過ごしている。
この日も、ご高齢者のお世話の話を始め、彼女は堰【せき】を切ったように近況を語ってくれた。母親と一緒の時、私は寡黙【かもく】の人となる。ならざるを得ないほど、彼女は喋【しゃべ】り捲【まく】る。
私はこの人に育てられたんだなと、つくづく思う。
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