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峰野裕二郎ブログ

私の在り方を問う

since 2005

小さな旅

2016年06月15日 | 町内会長

今日は、町内会主催の「のんびり温泉日帰りバスの旅」で伊万里まで出かけた。
かつて、会長の引き受け手がいないことから解散することになった町内会の老人会では、それまでの1泊しての旅行に出かけることもなくなった。
そこで、1泊は無理でも日帰りならばということで、主にご高齢者の方々を対象に始めたのがこの「のんびり温泉日帰りバスの旅」だった。今年で11回目を迎える。

最近は、そこここに温浴施設が出来、1人につき4千円前後の会席料理を注文することでバスでの送迎をしてもらえる。今年は、伊万里の「白磁の湯」さんにお世話になった。 

午前9時に町内会を出発した。天気予報では雨模様だったが、いいお天気に恵まれた。
午前9時40分頃、秘窯の里・大川内山に到着する。事前の交渉次第ではバスでの行き帰りに観光名所や道の駅などに寄ってもらえるのだ。

1時間ほど、大川内山での散策・買い物を楽しんでいただいた。私も、女房どのと有紀さんに、それぞれ陶器のストラップとペン立てをお土産に求めた。

11時、「白磁の湯」に到着。部屋に通され、先ずは温泉を楽しんでいただく。
正午、初参加の樋渡さんに乾杯の音頭をとっていただき、会席料理を楽しんでいただく。

ゆっくり食事をとっていただいた後は、施設内のお土産売り場で買い物をしていただき、午後2時には白磁の湯を出発、午後3時前には町内会へ帰って来た。

国見山越えの小さなバスの旅だったが、何かとご苦労され、慌ただしい日々を過ごしておられるみなさん方、しばし日常から離れ、いくらかなりとも心と体をリフレッシュしていただけただろうか。


途方に暮れる

2016年06月11日 | 町内会長

民生児童委員の一斉改選に伴い、町内会から候補者を推薦するよう行政より依頼を受けている件につき、一昨日開いた町内会の臨時役員会では、候補者を立てることができなかった。

1時間ほどかけて協議した結果、ある方の名前が上がり、出席者全員の賛同を得た。その後、誰が話を持っていくかで再び揉めたが、結局は私が依頼されることとなった。

そして今日、相談に伺った。
実は、以前から個人的に打診している方だったので、受けていただく可能性は五分五分かなと思っていたが駄目だった。

候補者選びは、振出しに戻ってしまった。


共に考えようよ

2016年06月09日 | 町内会長

民生委員・児童委員の一斉改選に伴い、町内会からその候補者を推薦するための臨時の役員会を午後7時から集会所で開いた。
この件については、各班ごとに話し合いをしていただいた上で、候補者をそれぞれ挙げていただき、臨時役員会の席で協議し、候補者を1人に絞り込む段取りで進める旨、事前に各班長さんにお願いをしていた。
会議を始め、順次、各班ごとに候補者を挙げていただこうとしたが、結局、どの班も候補者を挙げるところまでには至っていなかった。

現在、私たちの町で町内会長と民生児童委員を兼任している方が私を含めて5名もいる。私を始め、みなさん好きで兼任しているわけではない。町内会長も民生児童委員も、次の引き受け手がないのでやむを得ず務めているのだ。

今回の「民生委員・児童委員一斉改選に伴う候補者の推薦について(お願い)」の町内会長あての文書は「日頃から福祉行政につきまして、ご協力ご支援をいただき、誠に有難うございます」から始まり「ご提出していただくようお願いいたします」と結ばれている。
行政は、いつだって何だって私たち住民に対し「お願い」する。

昨日の町の民生児童委員協議会の席で、住民福祉課長が民生児童委員とのやり取りの中で、候補者を推薦していただくよう町内会長さんにお願いしていますと述べたことに、いい機会だからと行政の住民に向かう姿勢を質した。

具体的に私の暮らす町内会の候補者推薦のための過程を紹介した後、もし仮に、各班から候補者が上がってこなかったとして、現在、民生児童委員を務めている私も候補者にならなかった場合、私たちの町内会からは候補者を推薦できませんと回答していいんですね?
課長は返答に窮して黙る他なかった。

私は、民生児童委員の役割を務めて15年目を迎えている。十分務めさせていただいた。もうそろそろ交代させていただいていい頃ではないか。他の兼任しておられる町内会長さんも同様だ。行政に「お願い」され、投げ出すわけにもいかないので引き受けている。
また、町内会長と反りが合わず嫌な思いをして民生児童委員を退任していかれる方もいる。

行政は、「お願い」という安易な方便で、住民を誤魔化し都合よく利用するのではなく、無報酬で働く「町内会長」とか「民生児童委員」といった地域社会における重要な役割を誰がどのように負担していくのか、住民と共に真剣な議論を始めなければならない。そう住民福祉課長に「お願い」した。

町内会長・民生委員の役割は、かつては地域の名士とか資産家と呼ばれるような人が務めていた。しかし、時代はとっくに変わっている。私のような普通の人間がそれらの役割を担っているのだ。


君たちが立て

2016年05月29日 | 町内会長

昨日土曜日は佐々町役場若手職員の皆さんを中心とするゴルフのコンペが佐世保国際カントリー倶楽部三河内ゴルフ場で開催され参加した。

諸々あったのだがが、とにかく役場の若い職員のみなさんと1人でも多く意見交換できればという思いが今回のコンペへの参加を決意させた。

プレー後の成績発表・懇親会、そして二次会の席でS君が反応してくれた。

諦めるにはまだ早い。


整理しなければ

2016年05月26日 | 町内会長

毎年、町内会のみなさんから好評をいただいている「のんびり温泉 日帰りバスの旅」(ちなみに私によるネーミングなのだが‥‥。)も早いもので今年で11回目を数える。
今年、何処にしようかと考えることもないまま回覧を回す頃となり、最初に頭に浮かんだ「伊万里温泉 白磁の湯」に電話を入れ、日にちを押さえ、すぐに回覧を作成した。

もう一つ、民生児童委員の一斉改選に伴い、町内会から候補者を推薦してほしい旨、役場から依頼があった件について、役員・班長に対し臨時役員会を開く案内の文書を作成した。
班ごとに話し合いをして、適任と思われる方を各班より挙げていただき、臨時役員会で候補者を1人に絞るという段取りをつけた。

回覧と案内文書を必要分コピーして、すぐさま役員と11の班の班長宅へ届けた。

その他、江迎地区防犯協会・暴力追放推進協議会の総会及び懇親会への佐々町町内会長連絡協議会役員及び総務課長への案内と出欠確認を一人ひとり行う。
町内会長は、このような地味だが手間暇のかかる仕事も多くこなさなければならない。

有線放送のアンプが壊れた。アンプの型式を調べ、メーカーに修理依頼を行う。仕事が溜まっている時に限って‥‥。
愚痴を言うまい。
ゴルフのコンペもなかなか出場できないでいる。毎年楽しみにしている大学のボクシングOB会参加も見送らざるを得なくなった。
仕事に追われている。好ましくない状態が続いている。何とかしなければならない。



思いを形に

2016年04月19日 | 町内会長

早々と熊本県内の被災地の方々の支援に動いている隣家の稲垣君からその話を聞き、町内会としても協力すべく、午後6時から集会所で臨時役員会を開いた。
この地に居を構えた時、隣家の稲垣君は中学生だった。彼の名前は「健」、それで私たちは彼を健ちゃんと呼んでいる。

平成23年度の東日本大震災の際、私たちの町内会では社会福祉協議会を通じて義援金10万円を送らせていただいた。今回は、親しみのあるすぐお隣の県での出来事だ。何か自分に出来ることはないだろうかと思う人が少なくないはずだ。そう思い、即行動に移したのが健ちゃんだった。独自のネットワークを用い、県内外の仲間たちに呼びかけ、あっという間に支援物資を集め、ピンポイントで支援を必要としている方々の元へそれを届けた。

その健ちゃんが再び熊本へ発つというので、彼に私たちの思いも託そうと町内会の役員に寄ってもらい相談したのだった。
話し合いの結果、先ず、町内会で備蓄している非常食のパンの缶詰「救缶鳥」(素晴らしいプロジェクトです。)15缶・簡単に炊き立てのご飯や雑炊が食べられる保存食「マジックライス」18食・飲料水2Lを12本・500mlを24本・カセットボンベ6本、その他ソーメン8袋、紙皿100枚、紙コップ50個、プラコップ16個を提供することにし、各戸からは米5合を目安に出していただこうということになった。

役員会を終え帰宅しようとすると、健ちゃんの運営する格闘ジム・クロフネの前では今夜、熊本へ向けて出発する4tトラックへの救援物資の詰込みがちょうど始まっているところだった。
早速、手伝いに加わったが、健ちゃんの仲間3・4人だけではらちが明かない。そこで、有線放送で応援を頼んだ。既に午後7時半を過ぎていたのでどうかなと思ったが、嬉しいことに10名程度駆けつけていただいた。その中には私たちの町内会ではなく、お隣の芳ノ浦町内会の高校時代の同級生である柳君まで、放送が聞こえたのでとわざわざ軽ダンプで駆けつけてくれた。

結局、4tトラックと軽ワゴン車に全ての物資を積み込んだのは午後9時半頃だった。
一息入れて、深夜に熊本まで一気に走るとのこと、道中気を付けてと若者に後を託し、帰途に就いた。

 


町内会のことを自分ごとに

2016年03月25日 | 町内会長

さて、新年度の三役選出の段だ。
私は11年町内会長を務めたが、副会長にも10年務めていただいた。私が構想を立て、彼がそれを具現化する。現在行っている町内会の活動を、ほとんど2人で引っ張ってきた。


私の後任を副会長が務められるならば何の問題もないのだが、彼はサラリーマンだ。退職までまだ間がある。彼も、10年を区切りに27年度で辞める旨表明していた。
もう1人、会計は2年務めていただいて後任が決まっていた。

私と副会長がそれぞれ辞めるべき理由を述べた後、何人かの方が意見を述べられた。結局、参加者の総意は私と副会長にそのまま続けてもらいたいというものだった。

百世帯を超える町内会だ、適任者が全くいない訳ではない。ただし、やる気がない人に押し付けられようもない。町内会長役を引き受けるにはそれ相応の覚悟がいる。それがなかなか難しいと承知しているから11年も続けてきた。
だが、私がそういう気持ちでいる限り、みなさんは本気になって次のリーダーを探そうとしない。私が不退転の決意をすることで、みなさんに本気になって町内会の在り方を考えていただきたかった。それが、今回、強い決意で総会に臨んだ理由だった。

しかし、80歳を超えるお隣の平島さんのおばあちゃんが、切々として留まるようメモしたものを読み上げられるお姿を拝見すると、私の決心も揺らぎ、崩れた。副会長も同様だった。

ただ、みなさんの意識に変化が起こっていた。
私が心機一転、町内会長を務めさせていただく旨お伝えすると共に、みなさんには町内会のことを「自分ごと」として考えていただきたい旨お話すると、異口同音に協力して町内会の活動に当たろうという声が上がったのだった。

 


辞めなければならない理由

2016年03月24日 | 町内会長

とにかく、27年度までで町内会長役を交代させていただくということを、年度当初の役員会ではっきりと申し上げ、みなさんに次期会長を探していただくようお願いしていた。さらに、役員会のたびごと、しつこいほどそのことをお願いしてきた。

理由は、会則にあるからとか、みなさんの協力がないから辞めたいとか、ましてや会長を辞めてやりたいことをしたいからとかではなく、町内会にとって良くないの一点からだった。
一言で言うとマンネリに陥ってしまっているのだ。これ以上、私が続けても町内会にとってプラスになることは何もない。よくて現状維持が精いっぱいだ。

総会前の最後の役員会での三役推薦委員会の報告は、どなたにも引き受けていただけませんでしたというものだった。
私の決意を承知していただいている以上、その席での私への続投の要請はさすがになかった。仕方がない。総会の場でみなさんに新しい町内会長を決めていただきましょうと結んでいた。


付けが回ってきただけのこと

2016年03月23日 | 町内会長

20日・日曜日午前10時から集会所にて、私の暮らす西町町内会の27年度の総会を開催した。この日、私は強い決意でこの総会に臨んでいた。

総会成立の確認後、会長挨拶、議長選出と続き議案の審議に入る。27年度の活動報告、決算報告、監査報告と進み、続いて28年度の活動計画案、収入・支出の予算案まで滞りなく進んだ。
そして、いよいよ新年度の三役選出の審議に入った。例年、会長・副会長・会計以外の役員からなる三役推薦委員会が事前に根回しをしていて総会の場で出席者の同意を取り付け、決定するという運びになっていた。

当町内会の町内会長の任期は1年、再選を妨げないがそれも5年を限度としている。私が町内会長役をお引き受けしたのが2005年4月だから今期一杯で丸々11年務めさせていただいたことになる。
5年満期の時、跡を継ぐ方がいないということで特例措置が講じられた。そしてそれから再び5年が経過した昨年、どうしても跡を継ぐ方がいないと推薦委員会のみなさんに泣きつかれる格好で続投を承諾をしてしまっていた。

役員のなり手がいないのと組織率の低下は、全国各地の町内会・自治会にとって共通の悩みだ。
半強制的な募金の集め方を始め、町内会・自治会はいくつかの問題を抱えながら、そのリーダーたちの認識が甘かったり、目をつぶったりと、これまで問題に向き合おうとしてこなかった。また、行政も、町内会・自治会をうまく利用することだけしか考えてこなかった。それが今、付けとなって回って来ているのだ。リーダーの責任は当たり前だが、重い。




理解と共感と感動の輪を

2016年03月15日 | 町内会長

昨年12月13日開催された第69回全日本大学ボクシング王座決定戦で芦屋大学に8対3で勝利した母校日大ボクシング部の祝勝会が今夜行われている。なんとか出席できないものか、ぎりぎりまでタイミングを計っていたのだが、確定申告かれこれあり、最終的に昨日の会議とそれを踏まえた上での審査した書類の提出が今日15日というのが分かった時点であきらめざるを得なかった。
昨年度に続いての連覇は、学生諸君の精進と監督・コーチの熱心な指導の賜物、敬意と祝意を込めた電報を朝のうちに打っておいた。

午前中、提出されていた資料をもう1度読み返し、昨日のプレゼンテーションとヒアリングを思い返し、1項目ずつ丁寧に評価していった。
昨日、それも夕方に今日の午後の会議への出席の要請が1件あった。しかし、それ以前にKUROFUNE GYMへ行くことを約束していたのでお断りさせていただいた。
ということで、午後2時から4時まではKUROFUNE GYMでみっちり汗をかく。

GYMの後、いったん帰宅し、そのままの恰好で玄関に用意していた提出物を抱え役場へ出向いた。住民福祉課で書類等を渡し、保険環境課で保健環境自治連合会関係の書類に目を通した後、2階の総務課へ。

とりあえず、防犯灯電灯料金に対する補助金の割合の見直し、またLED設置に対しての補助金の在り方について互いの方向性を確認しておこうと思って寄ったのだったが、その他、これからの時代に相応しい役場と町内会長会を始めとする住民との関係性の見直し等々、多岐にわたり2時間ほど、総務課長・課長代理・担当者と話すことになってしまった。

役場内の問題、町内会が抱えている問題、双方の関係性の問題、その他の組織・機関との連携の問題、その他諸々課題は山積だ。だが、理解と共感と感動の輪を少しずつでも広げる努力を続けなければならない。

午後6時半過ぎ、既に庁舎の玄関にはカーテンが引かれていたが、多くの職員が残り仕事をしていた。