yurikago-sa

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四国八十八カ所 第七十六番 金倉寺

2015年02月14日 | 日記

四国八十八ケ所霊場 ご開創1200年記念のバスツアー巡拝 12回目

 平成26年11月16日 76番 鶏足山 金倉寺を参詣しました

金倉寺は 弘法大師の甥 智証大師(円珍)の誕生地で 774年智証大師の祖父 

和気道善(わけどうぜん)が開創され 道善寺と呼ばれていました その後 智証大師が

40歳で唐に渡り 5年間修行 帰国後 唐の青龍寺にならって伽藍を建立 薬師如来を

刻んで本尊とし 四国霊場に定め 928年 醍醐天皇の勅願寺となり

地名の金倉郷(かなくらごう)にちなんで 金倉寺(こんそうじ)と 改めたと伝わっています

金創寺 境内図

金倉寺は 駐車場続きに大師堂近くの裏口から境内に入ります

牛?と同行二人のお地蔵さんが祀られています

学問の神様 菅原道真地蔵さん?(ちょっと変わってるので気になる)

裏口に 智証大師はここで生まれた石碑

814年に生れ  弘法大師の甥(母親は大師の姪にあたる説もあります)

 広雄と命名され 幼少の頃から 経典を読み 霊感も強かったそうです

護国院殿像

多分 乃木希典将軍の銅象と思われます

明治31年に第十一師団長として善通寺に赴任し 金倉寺の客殿を

仮住まいとしていたそうです 明治天皇の大葬の日(1912年

静子夫人と自宅で 殉職されています

銅象の近くに 不動明王が祀られています 前を通って本堂へ

 

仁王門からの参道の正面に 本堂があります

幾度も 焼失 再建を繰り返し昭和58年の落成です

荘厳さを備え木造入母屋造りでは 四国霊場最大のものだそうです

ご本尊 薬師如来

本堂内の鴨居に奉納された、小さな仏像がずらりと並んでいます

願供養念珠

巨大な念珠がぶら下がっています 願い事を唱えながら

珠を引くと バチバチと珠が落下します

 本堂から左回りに

本堂左前に 金色の大黒さん金箔を一枚一枚貼っっています

 五穀豊穣、商売繁盛、出世開運のご利益があります

金色大黒さんの横に 金創寺にちなんでか 

金を創る財運小判碑と絵馬が奉納されています

近くに萬霊地蔵尊も祀られています  

あらゆる霊を供養し

また供養の大切さを教えて下さるお地蔵さんです

 

本堂左に訶利帝母堂 (かりていぼ鬼子母神ともいいます)

智証大師は 霊感の強かった5歳の頃に自分を守ってくれる 

訶利帝母尊が現れ 後に訶利帝母尊を刻んでお祀りしたと伝えられています

現在では 豊穣 安産 子育ての神さまとして信仰されています

同じく近くに 子育て地蔵尊

訶利帝母堂左に 休息所

休息所の左に 観音堂

十一面観音がお祀りされています

 十一面観音像は 頂上の一面は仏面 前の三面は慈悲 左の三面は怒り 

右の三面は善行 後部の一面は嘲笑いの顔をしているといいます 

十一面の顔で全ての方向を見守もって下さり

病気にかからない お金 衣 食に不自由をしない 

一切の苦しみを避ける事が出来 極楽往生ができる仏さまです

 

本堂に向って左手前に 大師堂

 智証大師を中心に弘法大師と神変大菩薩(修験道開祖)の像が祀られています

 

大師堂の左に 聖天堂    聖天さま

本堂の手前左に智証大師修行像

智証大師は15歳で比叡山に入り 後に天台宗比叡山延暦寺五代座主になり

園城寺中興開山 天台寺門宗の開祖となられたそうです

 

智証大師修行像近く 満宮

学問の神様 菅原道真公をお祀りしている?

側に道真公の神使牛の石像が奉られています

(裏口のお地蔵さんと同じ顔の牛です)

本堂の右に客殿 と 納経所

納経所の近くに 乃木将軍妻返しの松

将軍が師団長として 金倉寺を仮住まいとしていた頃病気になり 夫人が見舞いに

訪れたところ逢う事を許さず帰郷を命じ 夫人は松の根元で佇ずみ思案にくれたといいます

仁王門から入ると右手に手洗場

車での参拝組はほとんど仁王門 をくぐりません

必死に走って撮りました

  

仁王門正面は仁王像

背面は大草鞋

仁王門から左に しめ縄を巻いた御神木があります

 

御神木の近くに 「お遍路の 鈴の法楽 誕生寺」の歌碑鐘楼 

       

裏口出口に讃岐71番〜77番の七福神巡りの布袋さん

おおらかで円満、凶運も吉に変える強運のご利益があります

つぎ77番道隆寺までバスで約20分です

おしまい


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