このところ、かつての長野電鉄木島線跡を何度も訪れています。
これって、22年前(23年前じゃありませんでした)の自分を探す旅なんだと今思いました。
2001年、新世紀最初のその年は、社会と自分にとって明るい未来の始まりではありませんでした。
きっかけはあの年の秋、9.11テロ。
あれから社会は微妙に、しかし明らかに世界は変わりました。
国内では平成不況が深刻化、大企業がこぞってリストラという名の人員整理を開始。
それは大手電機メーカーの地方工場に在籍する労働者である私自身も翌年には当事者。
そんな状況の中で木島線廃止のニュース。(この件のスクープに関しては裏話を聞いています。)
いつかそんな日が来る予感はありましたが、これを逆にチャンスと捉えて計画を練りました。
意識はしていませんでしたが木島線廃止と自分の運命を重ねていたのです。
当時も存在した「鉄道オタクとは違う立場、視点でかつて何度も乗ったこの路線の最後の一年を記録しよう。」
赤岩駅の桜が満開になった四月下旬、私という名の電車は走り出しました。
あれから22年、私の電車は再び赤岩駅を発車したのです。
次はあの懐かしい四ヶ郷駅に向かいましょう。
確認のために静止画を書き出しておきました。2001年4月21日(土)午後です。
近くの高社中学校の生徒たちが下り電車を待っています。土曜日の下校ということで賑やかでした。
この子たちも今は30代。
下り電車が到着。
構内の桜は満開。今は全部伐採されて消えました。
子供の頃野沢温泉へ行った時、電車の中から見た四ヶ郷駅は賑やかでした。
座席で居眠りしていた耳に「シカゴ、シカゴ」の車内だったか駅からだったか、スピーカーが。
どうしてここがシカゴ?
信州中野行き上り電車です。
踏み切りを渡るBMW。あそこだけ線路の痕跡があります。
これです。
木島行きの下り電車の到着。
そして発車。
インサートカットのため桜の花も撮りました。
四ヶ郷駅の痕跡は踏み切りの部分と藤屋さんのみ。次回の撮影は2カットしか撮れないと思います。
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