夢地蔵

田舎の映像作家の備忘録

3枚の写真

2018-06-09 09:12:09 | Weblog
現在制作中の長編映像詩に使うべく昔撮った写真を探し出しました。記憶では昭和42年秋の長野飛行場で撮った写真です。
長野飛行場は平成3年、19990年に廃止されて現在は記念碑があるだけです。何年か前にも飛行場跡を訪ねたのですが、昨日プリントアウトした昔の写真を持参して改めて動画を撮影してきました。
昭和24年生まれの人間にとって、昭和42年はつい昨日のこと。現地に立って目を閉じると当時の様子がまざまざと蘇ります。


これが旧長野飛行場の入り口
場所は長野市大豆島(まめじまと読みます)飛行場跡は現在運送会社、学校、アパート、住宅が並んでいます。
以下、現在の写真はHVR-Z5Jで撮影した動画からPHOTO機能でメモリースティックに書き出したものです。


「長野飛行場跡」の石碑の前
記憶と写真を頼りに当時の場所を割り出しました。


あの日、ここに軽飛行機が置いてありました
間近で飛行機を見たのはこれが最初でした。一緒に行った友人が整備士に「エンジンはどのくらいですか?」と聞いたら「4000cc」って教えてくれた記憶があります。周囲は田圃とりんご畑、飯綱山がよく見えます。右手にかすかに黒姫山も。


右手に格納庫がありました
51年前が駐機場だったとは、想像もつきません。頻繁に車が通りますが目を閉じるとあの日に戻ってしまいそう。頭が混乱します。


間違いなくここです
東側も広々としていました。


今はこんな状況
駐機場の跡ですが、かなり高齢の人でないと生では知らないのではないかと思います。


広い駐機場と格納庫 吹流しも
この写真の正確な日付けは不明ですが、見物の人がいるということは日曜日でしょう。
今回、スキャンしておいたネガを拡大したら面白い発見がありました。

では、拡大した写真を御覧ください。敢えて説明はしません。












10代の坊やですから滑走路や周囲の様子は撮ってないのが残念です。別の日にもう一度見に行った覚えがあり、そのときは軽飛行機の離発着を見ました。
なお、この飛行場は終戦間際の昭和20年8月13日(終戦二日前!)、長野空襲の対象となり多数の犠牲者が出ています。
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