32年前に収録したテープを骨格に新作を完成させました。
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撮影地は信濃町郊外の旧信越本線杉の沢踏切(記憶では当時「六月踏切)脇です。
今は信越本線は分割民営化されてしなの鉄道になりました。
季節は真夏。この風景に惹かれて2回、据えっぱなしのカメラ EDC-50 でそれぞれ望遠と広角で記録。
列車を狙った訳ではありませんが、当時の車両が何種類も通過します。
通常映像作品を作る場合、テーマ/モチーフ/コンセプトを決定し構成するものです。
それが基本ですが、今回は無視しました。
自身の感性だけを頼りにカットを並べ、通常インサートと呼ばれる映像を組み込みました。
あそこから数キロ離れた田圃と遥か南のひまわり畑です。
編集しながら思ったのは、語りをどうするか。
最初はモノローグの形で英語で語ろうと考えました。
メモ帳で原稿を書いて翻訳し、読み上げサイトで読ませて録音するという前にも使った手法です。
しかし、編集画面を見ていたら考えが変わりました。
言葉は不要じゃないか。テレビ番組じゃないんです。
一見何の意味もないこの動画を見ようなんて奇特な人がいるとは思えません。
言葉で作品の方向を暗示するのも手でしょうが、それはどうも違うような。
なんでもない田舎の風景の中をたまに列車が通過する、それだけの内容。
そこに深いものを感じる人だけのための動画でいいんじゃないか。
目の前を通り過ぎる列車には人々が乗っていました。
人々にはそれぞれの人生があって、この日列車に乗ったのは理由または事情があったはずです。
彼ら彼女らはどこへ行こうとしていたのか、それとも帰ろうとしていたのか。
列車が向こうへ去った後もあの先の線路を列車は走っていたし静寂の風景が広がるだけの時間帯にもここに向かっています。
32年後の今、あの列車に乗っていた人々はどうしているのか。
そんな感覚で見る人だけを相手にすればいいんじゃないか。
語りを入れるのは止めました。