先日 たまたまEテレ生成流転〜横山大観が目指したもの〜を見ました
確かに生誕150年
東京や京都で記念展覧会が開かれていますが
こちらには大観を日本一所蔵する足立美術館があります
って事で 行ってしまいました(笑)
番組では 音や湿度を描く大観はどうやって実現されたのか
日本最大級の絵巻である生々流転を見ながら 技法の再現をしていました
へぇ〜そうやって描かれていたのですね
大観というと 富士山の絵がたくさんありますが 大観はこう言ってます
富士を描くということは、つまり己を描くことである。己が貧しければ、そこに描かれた富士も貧しい
また 大観画談(第10章・創造の世界)の言葉もいいです
筆をもつて絵を習ふことはさう大騒ぎしなくてもよいのです。それよりも人物をつくることが大事で、それを土台にしないことにはいくらやつても駄目なことです。 人間が出来てはじめて絵が出来る。それには人物の養成といふことが第一で、先づ人間をつくらなければなりません。歌もわかる、詩もわかる、宗教もわかる、宗教は自分の心の安住の地ですから大事なものですし、哲学も知ってゐて、さうして茲に初めて世界的の人間らしき人間が出来て、今度は世界的の絵が出来るといふわけです。世界人になつて、初めてその人の絵が世界を包含するものになると思ひます。・・・作家はどこまでも想像して行くことが貴いので、人の真似はいけません。自分の今日の作品と、明日のそれとは変つてゐてもよいのです。またその変化のない人は駄目です。
心に突き刺さる言葉です
絵を見て いろいろな思いが湧きました