湯原修一の歓喜悦慶と聊かの慷慨憂愁, etc.

いつとはなしに眠りにおち微風を禿頭に感じて目が覚める。
このような生活に変わったらブログが更新されないかもしれません。

◇ 蚊に刺された頭に泣きっ面(?)

2015年10月03日 23時37分59秒 | 日常・その他
今日(3日)は父の月命日でした。

  月命日には住職さんにお出で頂きお経をあげてもらいます。

    今年は父の13回忌になりますので、今月末に年回忌法要をする予定です。
    そのときは東京に住む姉夫婦や静岡にいる長男も集まる予定です。

  このように書くと、いかにも信心深い人間と思われるかもしれませんが、
  お経をあげていただくときに私が仏壇の前に座っていることはまずありません。
  専ら母一人で住職さんに対応します。

月命日に関しての私の役割りは、
前日頃に、お供えする「花」と「菓子」を買ってきておくことです。

  「菓子」は仏様にお供えしたあと、お下がりとして頂きますので、
  菓子を選ぶときの判断基準は「私が食べたいと思う物」ということになります。
  (お経は聞かずとも、お下がりの菓子を食べ忘れることはありませんので)

今回買ったのは「香梅」さんの季節(秋)の生和菓子です。

「唐錦(練り切り)」 ※195円(税込) 以下同じ   「銀杏(鹿の子)」
 

「白菊(薯蕷饅頭)」                  「紅葉(練り切り)」
 

「りんご(外郎)」(左)と「黄落(薯蕷きんとん)」


住職さんは昼前に帰られましたので、お八つにお下がりを頂くことになりました。

  一緒に住んでいる家族は5人で、菓子が6個あるので私は2個食べるつもりでいました。
  2個食べるつもりではいますが、はじめから「私が2個食べる」とは言い出しません。
  黙っていても「肥後のイッチョ残し」(*)で1個残ると踏んでいますので、
  他の者が一個づつ食べた後、余った一個をみて
  「誰も食べないなら、勿体ないので私が食べて "あげる"」といい、
  "しかたがない" という風を装って頂戴するのです。

    * : 「肥後のイッチョ残し」の "イッチョ" とは、ひとつや1個の事。
       熊本人は大皿の料理(餃子や唐揚げなど)を大勢で食べる時、
       なぜか必ずひとつだけ皿に残ってしまう。
       最後のひとつは遠慮して誰も手を出さない行為を
       「肥後のイッチョ残し」と言う。
       他の地方にも似たような言い方の言葉はあるようだが、
       熊本ではこの「肥後のイッチョ残し」に出くわす機会が多い。
                        -九州あるある大事典より-

私が狙っていたのは「りんご」と「銀杏」でしたが、
お八つには「りんご」を食べることにしました。

  最後に「銀杏」が残るか否かは運次第です。


「りんご」を食べたあと、先週耕しておいた家庭菜園に野菜の種を播きに行きました。

  家庭菜園のある一角は、耕していないところが草ボウボウになっています。
  今の時期は蚊が沢山いるので、家を出るときに虫よけ液を腕や首筋に塗っていきます。

陽も陰りはじめた夕方だったので
畑に着くと、「待ってました」とばかり藪蚊が襲ってきました。

私に沢山の蚊が纏り付きますが、防護した腕にはとまりませんでした。

頭がチクッとしました。
キャップを被ってこなかったことに気付きました。
髪の毛を "薄く短くしている" 私の頭は無防備だったのです。
( "毛点" のあるところか "盲点" だったのです)

頭を蚊に刺されないように時々左手で頭上を払いながら種を播きましたが、
それでも何ヵ所か刺されたと思います。
(髪が薄い人には、頭皮を負傷しやすいというハンディと、
  雨の降り始めをいち早く察知できるというメリット(?)もあります)

  播いたのは「大根」、「ニンジン」、「青梗菜」、「春菊」です。


家に戻ってからカヅちゃんに、お菓子は全員食べたのかを尋ねました。
全員食べたとのことでしたので、
"肥後のイッチョ残し"となっているものを然りげ無く探しました。

見つかったのは「白菊」でした。
カヅちゃんに、『「鹿の子」は誰が食べた?』とききました。

『私が食べた』とのことでした。

  ああ無情。
  カヅちゃんには、食い意地が汚い私の狙い所が読めていたのかもしれません。
  もちろん、「私が食べるはずだったのに」なんてことは言えませんでした。


今日は私にツキがありませんでした。(不信心のバチが当ったのでしょうか)
「泣きっ面にハチ」ではなく「蚊に刺されたアタマに泣きっ面」となりました。

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