湯原修一の歓喜悦慶と聊かの慷慨憂愁, etc.

いつとはなしに眠りにおち微風を禿頭に感じて目が覚める。
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◇ 「おてもやん」と「永田イネ」さんの像

2015年06月22日 20時56分43秒 | 日常・その他
囲碁サークルの会合で使用されている「五福公民館」の近くに
熊本民謡で有名な「おてもやん」を作詞・作曲した「永田イネ」さんと
「おてもやん」(*)の像があります。

  * : 「おてもやん」とは
      女性の名前が"ても"で、"やん"は"さん"とか"ちゃん"という意味になります。 


 ※「永田イネ」さんは三味線を弾いている右の方です。
   踊っているのが「おてもやん」のモデルと云われる「富永チモ」でしょうか。
   どちらの像もかなりの美形ですが、少なくとも「永田イネ」さんのほうは写真と似ていないようです。
   (「富永チモ」さんの写真は見たことがないので、何とも言えません)



「おてもやん」の歌詞です。

      元歌詞                  現代語訳

 おてもやん あんたこの頃       おてもちゃん あなた最近
 嫁入りしたではないかいな      結婚したんじゃないの
 嫁入りしたこたしたばってん      結婚したことはしたんだけど
 ご亭どんがぐじゃっぺだるけん    だんな様が ブ男だから(or 天然痘の痕が残っているので)
 まーだ盃ゃせんじゃった        まだ 披露宴はしていないの(or まだ♡♡♡をしていないの)
 村役 鳶役 肝いり殿         村の役人、世話人、仲人
 あん人たちの 居らすけんで     あの人たちがいらっしゃるんだから
 後はどうなっと きゃーなろたい   後はどうにかなるんじゃない

 川端町さん きゃー巡ろい       川端町のほうにまわって歩きましょう
 春日 ぼうぶらどんたちゃ       かぼちゃ男たちが
 尻ひっぴゃーで 花盛り 花盛り   裾を引っ張って 私はモテモテで花盛りです
 ピーチクパーチク ひばりの子     ペチャクチャ喋っているような浮かれ男や
 玄白なすびの いがいがどん     風采の上がらない品性の無い男たちに 私は興味がないわ

           ※現代語訳は幾つかの解釈を引用編集したものです。
             間違いがあっても大目に見てください。


像の台座にある「案内文」です。


   歌を作った「永田イネ」さんと「おてもやん」のモデルと云われる「富永チモ」さんの間には
   隠された物語があるとも云われています。
      ご興味のある方はWebで調べてみてください(直ぐに見つかると思います)。


この像がある「ポケットパーク」(猫の額ほどの広さ)は
熊本市中央区紺屋町(**)にあります。

  ** : "紺屋町"という由緒あるような古めかしい名前ですが、
      「五福公民館」の近辺には城下町の名残りの古い町名が残っています。
      ・呉服町 ←唐呉服や国内絹物・麻物・木綿物を扱う呉服屋があった町筋
      ・紺屋町 ←紺屋(染物屋)が住んだ町筋(明治以降は小間物、荒物などの問屋が並ぶ)
      ・古大工町 ←木工の宿や飯場があった町筋
      ・米屋町 ←米穀問屋と米小売商が軒を連ねた町筋
      ・西唐人町 ←唐人が住んだことに由来する町筋
      ・魚屋町 ←鮮魚や塩物・干魚問屋などがあった町筋
      ・細工町 ←細工職人が住んだ町筋
      町名変更前は「船場町」、「上鍛冶屋町」、「古桶屋町」、「板屋町」などもあったはずです。
      昔の市井の人々の生活が偲ばれます。


 「永田イネ」さんもそうですが、
  熊本の女性には陽気さと豪気さを兼ね備えた女性が多いようです。
  北国の方などの中には「九州(特に熊本や鹿児島)は男が豪快で女性が淑やか」と
  勘違いされている方がおられるようですが、
  意外や熊本は、聡明で逞しい人が男性より女性に多いように思います。
  明治以来、男性中心の日本社会を変えるべく、女性の自覚、独立、地位向上のために
  戦った女傑(猛婦)を数多く輩出しています。

  陰で支えて弱い男を立ててくれる健気な女性もいるので、
  男のほうが強いと勘違いされるのかもしれません。    
  ("熊"という字が入った県名も影響しているのかもしれません)

【像がある「ポケットパーク」の場所】


・・・・・・・・・・・ ギャラリー 020 (踊りが描かれている絵) ・・・・・・・・・・・
                               ライセンス(4点とも): (パブリック・ドメイン)

 ◆タイトル:ムーラン・ド・ラ・ギャレット(Dance at Le Moulin de la Galette)

 ・画家:ピエール=オーギュスト・ルノワール(Pierre-Auguste Renoir)
 ・制作年:1876年
 ・収蔵:オルセー美術館

   ※パリ改造前のモンマルトルはムーラン(風車)が点在しブドウ畑が広がる農業地帯で、
     「ギャレットの風車」(ムーラン・ド・ラ・ギャレット)は「ムーラン・ルージュ」より早く創業
     されたダンスホールの老舗だったそうです。

 ◆タイトル:ムーラン・ルージュの舞踏会(At the Moulin Rouge- The Dance)

 ・画家:アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック(Henri de Toulouse-Lautrec)
 ・制作年:1890年
 ・収蔵:フィラデルフィア美術館

   ※1889年に開店した「赤い風車」(ムーラン・ルージュ)は「フレンチ・カンカン」(観てみたい)が
     有名だそうです。
     飲酒によって体を壊された「ロートレック」さんは入り浸りだったそうで ・・・

 ◆タイトル:人生の踊り(A Dance to the Music of Time)

 ・画家:ニコラ・プッサン(Nicolas Poussin)
 ・制作年:1634年-1636年
 ・収蔵:ウォレス・コレクション<イギリス>
 
   ※不可逆の時の流れに身をゆだねて死に向かって移ろう人生の虚しさなど、
     怖れと寂しさ、無常観を題材にしたヴァニタス(寓意的な静物画)だそうです。
     絵の中のモチーフ一つ一つが意味を持っているそうです。
     ・竪琴を爪弾く「時」の老神サトゥルヌス
     ・泡沫のごとき人生を表すシャボン玉を吹く幼児
     ・輪になって踊る「四季(貧困、勤勉、富、喜び)を司る神々」 , etc.
    
        「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」や「ムーラン・ルージュ」に集う人たち、
        少なくとも踊っている瞬間は、
         目の前の女性(男性)に夢中で、諸行無常のことなど忘れていたことでしょう。

 ◆タイトル:月百姿 盆の月(Obon Festival)

 ・画家:月岡芳年(Tsukioka Yoshitoshi)
 ・制作年:1887年

   ※無惨絵の描き手としても知られた有名な浮世絵師「月岡芳年」さんの
     晩年の傑作と言われる「月百姿」100枚の中の1枚です。
     洋画の時代が来ることを見越して、
     自分の弟子の多くを洋画家に弟子入りさせたと言われていますが、
     同じ時代のヨーロッパの絵描き「ルノワール」さんや「ロートレック」さんなどは、
     「浮世絵」から多大な影響を受けたといわれています。
        「月岡芳年」さんら日本の浮世絵師は、そのことをご存知だったのでしょうか?
         ムーランの下で日欧の芸術家談義があっていれば面白かったでしょうね ・・・

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