湯原修一の歓喜悦慶と聊かの慷慨憂愁, etc.

いつとはなしに眠りにおち微風を禿頭に感じて目が覚める。
このような生活に変わったらブログが更新されないかもしれません。

◇ 「長六橋」の上で4人の裸婦を見てしまった

2015年05月25日 22時23分57秒 | 日常・その他
    タイトルに目が留まったからといって
    必ずしも善良な性的道義観念が欠落しているとはいえません。
    むしろ好奇心旺盛で健全な精神の方でしょう。

    正確なタイトルは「「長六橋」の上で4体の裸婦像を見ました」になります。
    騙したようで期待を裏切ることになるかもしれませんが、お許しください。

今日は非番でした。
スケッチをしにアルミケース(*)を自転車のカゴに載せて出かけました。

    * : スケッチ用具を入れるケースです。
       どんな物かについては去年の記事
       「アルミケースのスケッチ用具入れ」(2014年11月12日)をご参照ください。

熊本市内を流れる白川(1級河川)沿いの遊歩道を
適当な場所がないか探しながらゆっくりペダルをこいでいました。

交通量が多い橋の下を通りかかりました。
国道3号線(**)が通っている「長六橋(ちょうろくばし)」の下です。

   ** : 国道3号線は、北九州市門司区から福岡市、熊本市を経由して鹿児島市へ至る、
       九州の大幹線です。

  【長六橋の場所】
   

蔦がはり付いている主桁の下から西を向き、JR熊本駅があるほうを見た風景です。

   ※川の下流にある高層マンション(熊本一の高さで、行きつけのプラザ図書館も入居)の
     向こう側にJR熊本駅があります。
   ※中央右寄りの高いビルは「ANAクラウンプラザホテル熊本ニュースカイ」です。
     長い間、熊本一の高さを誇っていました。

橋の上から見た風景はどんなものかと、河岸の土手を上がりました。
「長六橋」の親柱です。

   ※銘板には「ちょうろくはし」と書かれています。
     私は今日までこの橋を"ちょうろくばし"と呼んでいました。
     "ちょうろうはし"と言ったり書かれたりしているのを見聞きしたことがありません。
     Wikipediaでも"ちょうろくばし"と仮名が振ってあるので、
     銘板のほうが間違っているのではないでしょうか。

景色は橋の下からのものと代わり映えしませんでしたが、
橋の高欄に飾ってある裸婦像が目に留まりました。

  「長六橋」を遠くから見ることはありますが
  渡ることは年に1回あるかないかぐらいです。
  裸婦像を見たという記憶がありません(見過ごしていたのでしょう)。

左:川上側の高欄に立っている2体のうちの南側にある像
右:川上側の高欄に立っている2体のうちの北側にある像
  
 ※タイトル:香魂  作者:本山十三        ※タイトル:芽生え  作者:石原昌一 

反対側の高欄に立っている2体を撮ろうにも橋の近傍に横断歩道がないので、
一旦100m余り離れた交差点へ行き国道3号線を渡り、また橋へ引き返しました。

長六橋までは、なだらかな坂になっています。


左:川下側の高欄に立っている2体のうちの南側にある像
右:川下側の高欄に立っている2体のうちの北側にある像
  
 ※タイトル:みなも  作者:川上順一       ※タイトル:遥  作者:古賀 勝

  川上側に立っている像は明るく伸びやかな「動」の感じで、
   見続けていても『あんまり見ないでね』と笑顔を向けてくれそうですが、
  川下側のものはドッシリと落ち着いた「静」の感じで、
   見続けていたら『何見てんのヨ!』と睨まれそうです。


「長六橋」は、加藤清正さんが熊本城築城の際に城下の白川に架設された最初の橋です。
熊本城下を守るために、白川に他の橋を架けることは許されず、
幕末まで唯一の橋だったそうです。

「長六橋」という名は、慶長6年(1601年)に造られたからと云われていますが、
「長六」という人が橋番をして往来する人からお金を取っていたことに由来する
という説もあります。

電車も通っていた昔の鉄橋(トラス・タイド・アーチ橋)は無数のリベットが印象的で、
重厚な感じが好きでしたが、1990年(平成2年)に造られた現在の橋も気に入りました。
手造りの高欄と4体の裸婦像がレトロな橋灯と相まって、夜は一層風情があるのではと思います。

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