湯原修一の歓喜悦慶と聊かの慷慨憂愁, etc.

いつとはなしに眠りにおち微風を禿頭に感じて目が覚める。
このような生活に変わったらブログが更新されないかもしれません。

◇ 50年近く前に女性に編んでもらったセーター

2016年03月26日 22時23分42秒 | 昔々の思い出
昨日の拙ブログ記事で
50年近く前に私が作った花器のことを書いていましたが、
今日は50年近く前に編んでもらったセーターについてです。



   このセーターは私が中学生か高校生のとき、
   ある女性が手編みで作ってくれたものです。

   残念ながら、その女性とは私の姉のことです。
   純毛なので着心地は良いのですが、
   太陽の下で見ると結構明るい色になり、
   紺の無地などが好みだった昭和顔の私は
   着ることがほとんどなかったものです。


図書館へ本を返しにいこうと思い、
外に着ていくものを選ぼうとしていたとき目につきました。

このセーターのことは存在すらも忘れていました。

このセーターを最後に着たのは
カヅちゃんと結婚する前の独身時代ですから、
もう30年以上も昔のことになります。
処分した憶えはなかったので
タンスの奥か衣装ケースの底にでも収納されていたはずです。
このセーターがなぜ椅子の上に出ていたのかわかりません。
おそらく、カヅちゃんが探し物をしたときに引っ張り出して、
そのままにしたものと思われます。

長い間 陽の目を見なかったセーターを不憫に思い、
これを着ていくことにしました。
頭からかぶりました。
若い頃はもう少しユッタリした着心地だった気がしますが、
丁度ピッタリになっていました。
若い頃よりも少し太ったからか、はたまた毛糸が縮んだのか ・・・

自転車に乗りながら思いました。
もっと愛用してあげていればよかったと ・・・


  二日続けて、すっかり忘れていた昔の物が出てきました。
  不思議です。


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録画していた「エンド・オブ・ザ・ワールド」を観ました。
前にも一度、放送中のものを観たことがあります。
タイトルから想像するようなスペクタクルCG映像の場面はありません。

  人類が近い将来に滅亡するとなったとき、人は何をしようとするのか?
    映画の中では暴徒が暴れまわる場面も出てきますが、
    世界の終りが近づいたとき、それがわかったとき、
    お調子者や悪事を働いていた人も、
    意外と冷静で敬虔な人に変わっていったりするのではないでしょうか?

 原題は「Seeking a Friend for the End of the World」です。

    一緒にその時を迎えるために寄り添える人を捜す
      ということでしょうか?


  人類が近い将来に滅亡するとなったとき、人は何をしようとするのか?
   ≒ 自分が近い将来死ぬとわかったとき、人は何をしたいと思うのか?

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