暮しを楽しむアイディアノート

2012年の引越しを契機に新しい暮らしを楽しむためのアイディアをメモしています

丸山健二さんの庭作りに共感

2013年10月17日 07時48分36秒 | 自分らしい庭作り
今図書館から借りて読んでいる芥川賞作家丸山健二さんの「小説家の庭」「安曇野の白い庭」「夕庭」は作家活動の傍ら祖父の残した350坪の土地に自力で150本の白いバラを植えて庭を作ってきた経過についての本や写真集です。それを読むにつけ自分の庭は人任せにしないというポリシーに共感し、ささやかながら私もそうやってきたことで作品を読む楽しさが倍増していますが、毎年この季節になると私も負けずに朝から晩まで庭での作業が続きます。

特にこの家に来てからは一刻も早く他人が作ったこの庭を『我が家の庭』にしたくて悪戦苦闘の毎日です。私はプロの手が入った立派な和の庭や先住民の好みで作られた庭がそのままでは心から庭を楽しむ事が出来ません。いつまでも以前と同じでは、他人の庭にお邪魔しているよそ者みたいで庭が自分達の物になっていない気がするのです。だから庭にあるそれぞれのパーツをこれはこのままでいいとかこれはこう変えようとか一応全部について考えてからでないと納得が出来ないし、落ち着きません。

他にもいろいろやりたい事が山積しているのですが、ともかく庭を自分の考えたとおりに作り上げてからでないと何も手に付きません。前の家は通りから丸見えで友人知人が通りからしょっちゅう庭に入ってくるので作業はしばしば中断し仕方なくおしゃべりの相手をしていると、予定していた半分も作業が進まずイライラしてくる事が常でした。そんな風だったので出来るだけ人目につかない場所で静かに作業するようになっていましたが、今度の家では和の庭以外はほとんど道路からは見えないし、中を覗きこむような知人もいないので好きなだけ庭で作業していても誰からも邪魔されませんし、たとえ人が見ていようとそれは単なる通行人に過ぎず、声まではかけてこないので知らんぷりして作業に没頭出来るのでとても効率がよくなりました。

人目を気にしなくてよくなったのに今の私はどの方向から見てもきれいなようにと他人の眼になって道路から生け垣の中を覗き込んでみたり、だれも入って来ないのに一生懸命掃除したりしていて何だか笑えます。いつのまにか人目を気にするよりも自分自身の精神安定剤であり美しい憩いの場としての庭をいつもすっきりと整える事に重きを置くようになったのですね。それに夫は私が庭を丹精して作っているのは夫の眼を楽しませるためにやっていると信じているようで、おかげでガーデニング費用は趣味の範疇に入れずに家計から好きなだけ引き出しては必要な材料や道具にお金を注ぎ込むことができます、ありがたや、ありがたや。出来るだけ夫の好みに沿った花を植えて庭をいつもきれいに掃除するよう励みますわ。

丸山健二さんは「良い庭とは30分じっと眺めていても飽きない庭だ」と言っていますが、私は庭仕事に疲れたら椅子に座っていつまでもぼんやりと自分の庭を飽きずに眺めていられます。きっと自分にとってはいい庭なのだと思います。


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