自分史を書いていると、この長い梅雨は却って有り難いことも多い。寝転んで書き残しは無いか、あれもこれもと追想は続き、結局は生後からずーっと世話になった両親始め兄弟姉妹、先生方の有り難さが,身に沁みて懐かしく走馬灯の絵の如く憶い出されてならない。小学校までのエピソードを20枚に書き終えたが、祖母・両親・先生方のご恩の数々を内観した内容で満たしてある。
過去から現在までの自分を、身近な人に「していただいたこと」「してあげたこと」「迷惑をかけたこと」の3視点から見つめる作業である。過去を感情から離れ事実として見つめ、その事実を受け入れることにより、過去から解放されていくと同時に、自分の姿、相手の姿をありのまま受け入れるようになり、それが捉われからの解放につながり、気づきの変化を齎すとされている。要は、人格の高揚を目指すことになる。奈良の吉本伊作先生がこの内観の開祖である。ブログで綴っていると、そのような気持ちを常に経験しており,それだけに有り難いことだと、両親や先生方を改めて思慕してしまう。そんな毎日である。
過去から現在までの自分を、身近な人に「していただいたこと」「してあげたこと」「迷惑をかけたこと」の3視点から見つめる作業である。過去を感情から離れ事実として見つめ、その事実を受け入れることにより、過去から解放されていくと同時に、自分の姿、相手の姿をありのまま受け入れるようになり、それが捉われからの解放につながり、気づきの変化を齎すとされている。要は、人格の高揚を目指すことになる。奈良の吉本伊作先生がこの内観の開祖である。ブログで綴っていると、そのような気持ちを常に経験しており,それだけに有り難いことだと、両親や先生方を改めて思慕してしまう。そんな毎日である。