日々是好日

懐かしき過去、期待の未来を希んで!

友より音信来る

2006年11月29日 | Weblog
電話と3頁の手紙がまた届いた。又しても講演の内容の賞賛であった。有り難く嬉しいことだ。自信に繋がる。さて、師走の2日、代表として故人の胸像に花束を捧げる役目を仰せつかった。感謝の言葉も添えることとなっている。今日一日中、段ボール箱を掻き回し其処から抽出して、夕方やっと故人の大事な書類を探し出した。切符はJRにPCで予約。準備がやっと整った。気が重いが故人を知っているのは2~3人に過ぎないので、二つ返事で承知しそれこそが私の任務だ。それに、文化の日の講演に気を良くして、午後、住所の区役所にボランティアとして、こころと体の健康講座の講義を引き受ける旨申し出た。受講者が多ければ何れ依頼がくる予定となっている。自画自賛にならぬ様丁重なFAXも送致した。何かやることが有った方が生き甲斐と元気になる。ああ楽しい。

清貧の机辺明るしPC一機

2006年11月28日 | Weblog
パソコンが一機増えて今回は十分活用できた。中々奥が深く新奇のテーマに取り組むときも、おそるおそるから、よし突進だとの意気込みまで生まれて、新分野が拓けた喜びは,こよなく嬉しく新鮮で満足だ。本を読み今日も一歩なりとも挑戦してみよう。更に前に進む楽しみがつのる。

胃も心の鏡か。

2006年11月26日 | Weblog
久しく3年振りに胃の精検。胃カメラで説明を聞き、覗きながら手際よく検査ができた。医師と私のお互いが、操作のスムーズさを認め合いながらの一連の、スムーズな処置であった。あとの説明で、「今まで相当頑張って活躍した胃袋ですね」と。ピロリの除菌さえしておけば、これからずーっとまた活躍でき、長生き出来ようというもの。何とも有り難く嬉しいことだ。昔から目は心の窓、今日、胃は心の鏡であることが分かり、成る程と合点した次第。タバコは60年も昔、たった1年だけしか吸わなかったし、酒も止めてもう1年半になる。親から受け継いだこの大事な体、もっといたわり大事にしよう。と、考えを新たにした今日の検査。
 改めてEBM、胃も心の鏡か、なんだか当たっているような気がする。名医のご託宣である。

脚下照顧

2006年11月25日 | Weblog
生活習慣は一朝一夕には、改変侭ならぬとは,万人が唱え、持続可能な実行が困難なことと言われている。僅か小さいこと例えば掃除の順序などでも,当人の癖が出てしまい,容易に他人様の真似など見向きもしないで,同じことの繰り返しが常であろう。工夫と失敗解除の試行錯誤で,日一日を変えて自己の行動を軌道修正することも試みよう。脚下照顧とは,仏教用語ではない。自分に言い聞かせる言葉だと。講演のビデオが市の教育委員会から届いた。見たいのが半分,そっとしておいて,何れゆっくりした時に見ようと覚悟した。それほどのものではあるまいし。明日はポリープを切除してもらう日だ。良い夢見で9時丁度に医院を訪ねよう。

学習こそが

2006年11月23日 | Weblog
児童文学者の灰谷さんが亡くなったとテレビで知らされた。哀悼の誠を捧げたい。氏の日頃の口癖、喜びと感動こそが人を変えるという持論が紹介された。具さにそう思う。それに感謝が続けば心の籠った人々が、きっと多くなるに違いない。この数日来の私の心境に余りにもぴったりだ。日々是好日を目指し、今日これからも修練だ。

新しい除湿機

2006年11月23日 | Weblog
9月29日伊豆に設置。これで安心
新機種の除湿器,果たして従来のものより効率はどうかな? 消費電力、除湿能力など。今後の消費電力通知案内がその鍵だ。
それよりも写真をパソコンのグーブログへ送れた2番目のケース,娘や孫に教わって成功,めでたしめでたし!!

夜郎自大

2006年11月22日 | Weblog
独りよがりで幅を利かす姿は誰にでも多少はあるかもしれない。そこに人の見る目が必要で大事であることが分かる。自分がそうであってはならぬ。
今日も郷里の2人から電話をもらった。苦労の甲斐あっての講演内容に、とことん酔いしれた喜びの話しだった。本当かしらと思う。少しはお世辞も混入していると思い応答したものの、どうも本物らしく第3者の言動までも付け加えてくれた。穴があったら入りたいとは、このことかと内心爽やかな嬉しい気分を覚えた。一昨日で学会の全ての役職を辞退し,今回の講演で、故郷に錦を飾れた心境は、さながら陶淵明の帰去来の100分の1くらいか?!
またお蔭で生きる元気を頂いた感じだ。今日の電話。

気持ちの行き来

2006年11月21日 | Weblog
一昔前、地方都市の電車内の吊り広告に標語が掛っていた。“おあしす”運動の奨めであり,今様のマナーをお互い守って、「住み良い暮らし易い町にしましょう」との呼びかけである。
マナーは愚か規則さえも蹂躙して人の道すら蔑ろにする悪逆非道の世の中に転落してしまった現代、幼児からの教育や躾けの全く出来ていない青少年がこの先どんな道行きをするのであろうか。
【おはようございます、ありがとうございます、しつれいします、すみません】の言葉が日常生活でどのくらい使われているであろうか。家庭も学校でも善悪を教えない、教わらないままの人達が跋扈しているようだ。小悪を最初のうちに叱り戒める教育が欠落した結果だと思う。
せめて気持ちのやり取りのうちで、オアシス運動があちこちで展開されれば,少しは増しな心の貸し借りの無い良い人間関係の日本の社会が展開し期待できると思われる。リニュウアルモラル

心の赴き

2006年11月18日 | Weblog
今朝早くメールで私の推薦の新聞が、届いて2~3日購読し、新しい気分に浸れたとの報告があった。正12時には約束の友人と待ち合わせ、昼食を挟んで3時間ゆっくり会話が弾んだ。楽しく懐かしい内容だけに嬉しい楽しい時間が流れ、時間の経つのも気づかぬほどであった。いずれも会話メールともに、心の赴きが有り難く、御陰で元気と生きる喜びを貰った1日だった。心遣いが反応し合うこと、それはどんなに大事なことか。人それぞれの人生に於いて。