前回のスクーリングで前泊して訪れた東大寺法華堂
左半分は奈良時代の建立、右半分の礼堂は鎌倉時代の付加または改築とされています。度重なる兵火をまぬがれてきたお堂。東大寺の大仏殿は賑やかですが、こちらの方はそれほどでもなく、落ち着いて拝観できました。堂内にはご本尊の不空羂索観音立像から、梵天・帝釈天立像、金剛力士立像2体、四天王像など、4m、3m級の仏像が並びます。少し暗いので、美しいというご本尊の宝冠がはっきり見えないのがやや残念。
東大寺には、創建時にかかる転害門、天平期の四天王像のある戒壇堂、二月堂など、観るべきところが多い。東大寺に何度も訪れ、じっくり回れるのも、奈良大生ならでは。
周防国瀬戸内中部地区では、朝から曇りで蒸し暑く、夕方になって雷雨になりました。台風5号はスクーリングには間に合わないと思っているのだけれど・・・・はて?
東洋史特殊講義、80点でした。問題は知識人のあり方の宋元比較を述べよというもので、中国の支配と地域社会の実際の支配とに分けて宋朝、元朝での士大夫の地位、扱いを比較して、最後に学術、文化面での比較も加えて答案を作成しました。今回、試験結果には少しほっとしています。というのも、
試験会場では、後で文章を修正したり、加えたりできるよう、2行書いては1行空けの繰り返しで答案を書いていますが、今回は特に修正、加筆が多く、最後には、書き終わってからキーセンテンスがばっくり抜けていることに気づき、下欄にそのセンテンスを書いて、それを丸で囲って、長い矢印で引っ張っていく作業をしました。結果、あまりな見てくれの答案になったので、欄外に「読みづらくて、すみません」などとお詫びを入れたりしたのでした。
答案は上品に・・・ありたい・・ですが、なかなか
先日行った東大寺法華堂の話題も書こうと思っていましたが、長くなるので、またの機会にします。
この暑いのに。卒論のための第二次現地写真撮り。
あちこち高所に行って、高地性集落のあった比高50mほどの独立丘陵の全景を撮ろうと思うのだが、
比高が比高だけに、ビルが邪魔して見えなくなる。発想を変えて、低地の郊外(田舎の故郷は郊外だらけなのだが)に回ってみて、
やっとこさ撮れました。
右側の低い山に、弥生中期、集落があった。これに連なる左側の山は比高100m超なのだが何も出てこない。
で、肝心の本文の方は・・・順調に難航しています。
こやつは、やはり比高50m程度の高地性集落があった山。手前の住宅街は弥生集落があった丘陵地。
暑さで倒れる前に帰宅、帰宅
この科目、単位取得できたものの、教科書を読み始めてから1年以上要したので思い入れが深い。
試験での問いは令の注釈についてでした。教科書では請事、起請に関するものだけだったので、日本史辞典で律令法令の体系を調べて答案冒頭に入れ、結論として、律令制下では迅速な裁下施行体制があったとしました。他にも正倉院文書に関する問題では、『正倉院文書の世界』(中公新書)から引用して答案作成しましたが、この問題が当たっていたらどうだったかは不明。文献史学の基礎的問題が並んでいたのでしょうが、初めて触る分野で慣れるだけでもかなりの時間を要しました。
卒論を進めなければならないのですが、また基本資料に戻ったりしており、ペースが落ちまくっています。やる気スイッチを早めに入れねばなぁ。
奈良にいるため家内に開封してもらった奈良大からの封筒、史料学概論95点でした。ビックリ⁉️
今は旅先なのでここまで。