奈良・佛教大学通信 奈良!奈良!いつもは京都

奈良大通信卒業後佛教大通信へ。日本史を学ぶOLD大学生の記録です。

『文明論之概略』という本

2020-11-24 03:14:00 | 
福沢諭吉の『文明論之概略』は、145年前に出版された庶民、国民に向けた啓蒙書で、習慣や認識の転換と行動を促す目的で書かれている。読んでいて、私は違和感を感じない。中で随分くどく繰り返して書き込んであると思うところは、明治維新期と現在との意識の差が大きい箇所なのかと想像する。




歴史の勉強というスタンスで読んでいたが、啓蒙書である。中高生の頃読んだなら、考え方の前提や行動に多少修正をかけていたかもと思うところや、少年期に読んでも分からなかっただろうと考えられる部分もある。
まずは素直に読んでみる。

先週長門大寧寺から帰る途中に立ち寄った秋吉台。山焼きから10ヶ月が経過したところ。









『学問のすすめ』という本

2020-10-31 23:14:00 | 
私が本を読んでいると、その題名や著者を見て何かしら物言いたげになる家人が、今回は全くその素振りを見せない。何となく分かる気がする。有名過ぎるのだ。読んではいないようだが。

「翁は敵人に誤解せられ、味方に了解せられず」(福澤についての徳富蘇峰の言葉)


全17遍の構成になっている。第13遍まで(前半)は、国家と個人の関係を、当時誕生間もない近代国家日本の実情に即して語っており、第14遍以降(後半)では、人生設計の技術や判断力の鍛え方などビジネス書的な要素が盛り込まれている。
そして"はじめに"では、むしろ後半から読むことを勧めるような書き方がされている。

後半は、確かにそのように考えて行動規範の原則を定めておけば、向上するのに得るところは多く、人情を害することも少なかろうと納得するもので、楽しく読み進められる。
それに対して前半は、深いがサクサク読める部分と、深いにも関わらず退屈になり(失礼!)、本読みがストップしてしまう箇所がある。やはり明治1桁に著されたものだからだろう。また、この「深い」が厄介なのだ。軽快な文章のなかで、真意の本体が掴みづらい。蘇峰の言うところもそんなところで、福澤は誤解されやすい方(更に失礼!!)だったかも知れない。

そうは言いながら、福澤が生きた時代も、仏教伝来時も、初めて西洋と出会った戦国時代末期も、第二次大戦終了時も、強大な外国の存在と思想・制度の海外からの流入があり、また現在においても安全とは言えない大国がある中で、福澤の書き記したことは、「色あせず、今の時代に響く」。

秋の夜長、福澤の著作や論集のいくつかを読んでみようと思う。






文庫本とデジタル化

2020-10-08 23:48:00 | 

佛教大通信のテキスト科目もあと2科目を残すだけになった。

そんなこともあり、また、今年の夏もひときわ暑く、専門書を開く気にもなれなかったので、久々に歴史小説を読み倒していた。
徳川家康の重臣、本多正信に興味があったので、amazonで本を検索してみたが、徳川四天王でもないためか意外に少ない。kindle版ならまだしもあるようで、あれ〜と思いつつ、本読みのデジタル化を考えるようになった。
本多本の後、家康の生涯を書いた安部龍太郎の文庫本が今毎月1冊刊行されているので、これも取り寄せて読む。歴史の捉え方や信長、家康が目指し、考え思うことも随分更新されている。安部龍太郎の本は『等伯』以来。

読んだ本を並べて喜んでしまう習性は親譲りだと思う。私が本を読むのを褒めてくれた父と中学校の国語の先生に恩を感じつつ、反面、紙の本を大事にするのは、この時代、印鑑を文化だと言っていたずらに固執するのとどこが違うのかと思う。
「私のデジタル化」にチャレンジしてみようと秘かに考える。
 

『マックス・ヴェーバーとアジアの近代化』という本を読み直してみる

2020-07-17 14:44:00 | 
1998年発行の社会学の図書。ヴェーバーはドイツの学者で、1920年に亡くなっている。


ヴェーバーが説いた「資本主義の精神」にもとづく見通しとは異なり、東アジア各国には、西欧発祥の資本主義が地域的特質を持ちながら定着した。
こうした状況から著者は、西洋資本主義の個人主義的、合理主義の行き過ぎを、東洋の集団的(儒教的)資本主義が中和し得る長所をもっているのでは、と希望的展望を述べている。
しかし、この本の発行から20年余りが経過し、そのような方向に進んでいくものでもなかったように思われる。
東西の異質な資本主義の精神が関係し合うには、資本主義社会全体が理想的と認めるような社会像と思想が必要なのかも知れない。

偉そうに言ってしまった