奈良・佛教大学通信 奈良!奈良!いつもは京都

奈良大通信卒業後佛教大通信へ。日本史を学ぶOLD大学生の記録です。

快慶 飛火野 興福寺仏頭

2017-04-17 08:53:59 | 日記

 4月16日 日曜日 奈良。暑い。桜の散り際なのに、28℃はあったと思う。

 東大寺付近の人力車も気合の入るところ。

 国立博物館の快慶展がおもな目的。日曜日ということで、人も多かったのでしょうが、美麗な仏像をじっくり堪能できました。仏像といえば、やや伏目がちであるか、下方を見ているものと思っていましたが、やや上方をキッとにらむ大日如来さまも。

 暑いながらも、春は春。

 飛火野の風景

 鹿神さまは、毛羽って ?  小鹿も多く

 興福寺を通っていると、山田寺由来の685年に造られた興福寺仏頭の展示がありましたので見学。この時代のものとしては、写実的で、若々しいお顔の重要な仏像。美術史概論で勉強しましたよね。仏頭のサイズに少しびっくり。やはり現実に見なければ。丈六?

 興福寺。薪能の前売券を販売していました。F市のDさん、今年も観に行かれるのでしょうか。

 季節がよくなってきたので、にぎやかな奈良がますます活気づいてきたようでした。

 


文献史学 史料学概論レポート作成

2017-04-13 21:01:13 | 奈良大 史料学概論

 史料学概論レポート、書き終わりました。

 東野先生の著作は、奈良大入学前に『史料学探訪』を読んでいましたが、これはエッセイ集であり、この科目の教科書となっている同先生の『日本古代史科学』は全くの別物で、読み進めてみると、文献史学の本丸に大手門から入っていくようでした。文献史学の初心者である私としては、あらかじめざっと読むなどということができず、いきなり熟読せざるを得ないもので、難渋しながらも、手ごたえのある読後感を得ました。

 レポートは、教科書、サブテキストに忠実に解答したものになりました。なったつもりなのですが、なっていたとしても、どのような評価になるかはわかりません。評価が返ってきたら、またここで書いてみます。

レポートは一晩寝かせて、読み直しチェックしてから、送信しませう。


「青春」という名の詩 ウルマン

2017-04-05 10:50:09 | 

 今から30年くらい前によく読まれた詩があります。今もそうかもしれません。当時はアマゾンなどというものもなく、東京に赴任していた私は、その詩の本を買って送ってくれと先輩から頼まれたものの、忙しかったのか、忘れてしまっていました。そして、数か月後、その先輩からその本が送られてきたので、悔悟、恐縮してしまいました。

 「青春」という名の詩 ~サムエル・ウルマン (産業能率大学出版部刊)

 なんという不徳の後輩でしょうか  

 先輩への変わらぬ敬愛をこめて、この詩を掲載してみます


  「青春」 サムエル・ウルマン


青春とは人生のある期間ではなく、心の持ちかたを言う。

薔薇(ばら)の面差(おもざ)し、紅(くれない)の唇(くちびる)、しなやかな手足ではなく、

たくましい意志、豊かな想像力、炎(も)える情熱をさす。

青春とは人生の深い泉の清新さをいう。



青春とは臆病さを退ける勇気、安きにつく気持ちを振り捨てる冒険心を意味する。

ときには、20歳の青年よりも60歳の人に青春がある。



年を重ねただけでは人は老いない。理想を失うとき初めて老いる。  
 
歳月は皮膚にしわを増すが、情熱を失えば心はしぼむ。

苦悩・恐怖・失望により気力は地に這(は)い精神は芥(あくた)になる。



60歳であろうと16歳であろうと人の胸には、脅威に魅(ひ)かれる心、

おさな児のような未知への探究心、人生への興味の歓喜がある。

君にも吾にも見えざる駅逓(えきてい)が心にある。

人から神から美・希望・よろこび・勇気・力の霊感を受ける限り君は若い。



霊感が絶え、精神が皮肉の雪におおわれ、悲嘆の氷にとざされるとき、

20歳であろうと人は老いる。頭(こうべ)を高くあげ希望の波をとらえる限り、

80歳であろうと人は青春にして已(や)む。