車が止まると、恵果が外に飛び出し、ニンジンを支え起こした。
「探偵さん、大丈夫――」と、恵果はニンジンの顔を見ながら言った。
「あいつの目を見るな」と、ニンジンは立ち上がりながら言った。「サングラスの奥の目を見たとたん、妙に足が重くなった」
恵果が見ると、ニンジンの足が、石になり始めていた。
「きゃっ。どうしたの、これ」と、恵果が、ふらふらと立ち上がったニンジンを見て言った。
「早く戻れ、もう出口は目の前なんだ」と、ドアのない助手席から、真人が言った。
コクリとうなずいた恵果だったが、足元から石化しはじめたニンジンは、思うように前に進めず、車に手をかけた姿勢で、屈みこんだまま、完全に石になってしまった。
「――どうしよう」
と、おろおろする恵果に向かって、
「触っちゃだめだ」と、真人が、助手席から下りてきて言った。「おまえが触ると、粉みじんになるかもしれない」
「じゃあ、どうすれば――」と、恵果は声を震わせて言った。
後ろに下がったイヴァンは、恵果の姿を見ると、サングラスに手をかけながら、ゆっくりと車の方へ近づいてきた。
ちぇっ――と、舌打ちをした真人を見て、恵果が、キリッとして振り返った。
「来ないで」
と、イヴァンのサングラスの奥で光った目が、それとわかるほど、明るく瞬いた。
目をくらませたイヴァンが、たまらず片膝をつくと、真人が言った。
「ここが勝負所だな」と、車から降りてきた真人が、ポケットから絆創膏を取りだした。「ここに抜け道を開ける。――だけどいいか、これは荒療治だ。予想もしない副反応が現れるかもしれない。そうなれば、助けてやれないからな」
「――わかった」と、恵果はうなずいた。「だから、半分は私にちょうだい」
「――」と、真人は首を傾げた。「おまえ、なに言ってるんだ。そんなことしたって、また消えちまうだろ」
「千切れても効き目はあるんだって、自慢してたじゃない」と、恵果は言った。「それ作ってたとき、私もそばで見てたんだから」
覚えてないの――と、恵果は言った。
「記憶が戻ったりまた引っこんだり、おまえのおかげで落ち着きがなかったから、そんなこと、とっくに忘れちまったよ」
と、真人は手にした絆創膏をちぎり、恵果に渡そうとした。
「違う。私じゃない ニンジンに貼って」と、恵果は言った。
ちぇっ――と、舌打ちをしつつ、真人はちぎった絆創膏を、石化したニンジンの額に貼りつけた。
「そのまま。手を離さないで」と、恵果は言うと、真人のもう一方の手を握って言った。「ニンジンに、私の力を分けてあげて」
なに――と、真人が信じられないように言った。
「そんなこと、俺を通して伝えたって、届きゃしないぜ」と、真人は言った。
――ふらふらと立ち上がったイヴァンが、宙に素早く、指でなにかを描いた。
真人達の周りを、氷のように透きとおった壁が、みるみるうちに取り囲んでしまった。
「なんなんだ、あいつ」と、真人が憎々しげに言った。「ずいぶんと壁の好きなヤツだな」
と、額に絆創膏を貼りつけたニンジンが、じわりじわりと元に戻り始めた。
「――どうしたんだ。早く逃げろ……」と、ニンジンが、うつろな目をして言った。
「おいおい、こっちもどうなってんだよ」と、真人がニンジンを見て言った。
「――はいはい。年上のお姉さんには、かないませんよ」と、にたにたと笑う恵果を見て、真人が皮肉っぽく言った。
「さぁ、動けるなら、急いで車に乗りこめ」と、石化が解けかかったニンジンに、真人が言った。
ふらふらと、助手席に這い上がろうとしているニンジンを目の端で捉えながら、真人は残った絆創膏を、ぎゅっと引き延ばし、逆さまに指に巻きつけた。
ニンジンのお尻を両手で押しながら、恵果が言った。
「それって、どうする気?」
「見てればわかるって」と、真人は、氷の壁の向こうで、こちらの様子をうかがっているイヴァンと、向かい合わせに立った。
表情を変えないイヴァンの目の前で、真人は、氷の壁との間にある空間を、絆創膏を結んだ拳で、思いきり叩いた。
ピキピキピキ――……と、ひび割れる不気味な音が、はっきりと聞こえた。
一瞬の沈黙。なにも起こらない、かと思われた。
誰もが凍りついたように様子をうかがっていたが、変化は遠い所から、地響きとなって現れた。
「地震――」と、車にニンジンを押しこんだ恵果が、びくりとして言った。
「ああ。うまく行く保証はないが、なにもかも逆さまにしてやった」と、真人は拳を見ながら言った。
結わえられていた絆創膏が、しゅるしゅると、静かに消え去っていった。
真人達の周りを取り囲んでいた壁が、バリバリと、音を立てて崩れ落ちた。
壁の向こう側にいたイヴァンの姿が、はっきりと捉えられた。
紫色に渦を巻く雲が、空高く現れていた。うねうねとした雲は、ぽっかりと口を開けた暗い穴の奥へ、滝のように吸いこまれていった。
「あちゃー」と、真人は気まずそうに頭を掻いた。「あんな所に穴が開いちまった。空を飛ばなきゃ、届かないだろうが」
どうにも、使えねぇーな――と、真人は悔しそうに言った。
唇を噛んだイヴァンは、空を見上げたまま、なにか穴を塞ぐ方法を考えているようだった。
「前」
「次」
「探偵さん、大丈夫――」と、恵果はニンジンの顔を見ながら言った。
「あいつの目を見るな」と、ニンジンは立ち上がりながら言った。「サングラスの奥の目を見たとたん、妙に足が重くなった」
恵果が見ると、ニンジンの足が、石になり始めていた。
「きゃっ。どうしたの、これ」と、恵果が、ふらふらと立ち上がったニンジンを見て言った。
「早く戻れ、もう出口は目の前なんだ」と、ドアのない助手席から、真人が言った。
コクリとうなずいた恵果だったが、足元から石化しはじめたニンジンは、思うように前に進めず、車に手をかけた姿勢で、屈みこんだまま、完全に石になってしまった。
「――どうしよう」
と、おろおろする恵果に向かって、
「触っちゃだめだ」と、真人が、助手席から下りてきて言った。「おまえが触ると、粉みじんになるかもしれない」
「じゃあ、どうすれば――」と、恵果は声を震わせて言った。
後ろに下がったイヴァンは、恵果の姿を見ると、サングラスに手をかけながら、ゆっくりと車の方へ近づいてきた。
ちぇっ――と、舌打ちをした真人を見て、恵果が、キリッとして振り返った。
「来ないで」
と、イヴァンのサングラスの奥で光った目が、それとわかるほど、明るく瞬いた。
目をくらませたイヴァンが、たまらず片膝をつくと、真人が言った。
「ここが勝負所だな」と、車から降りてきた真人が、ポケットから絆創膏を取りだした。「ここに抜け道を開ける。――だけどいいか、これは荒療治だ。予想もしない副反応が現れるかもしれない。そうなれば、助けてやれないからな」
「――わかった」と、恵果はうなずいた。「だから、半分は私にちょうだい」
「――」と、真人は首を傾げた。「おまえ、なに言ってるんだ。そんなことしたって、また消えちまうだろ」
「千切れても効き目はあるんだって、自慢してたじゃない」と、恵果は言った。「それ作ってたとき、私もそばで見てたんだから」
覚えてないの――と、恵果は言った。
「記憶が戻ったりまた引っこんだり、おまえのおかげで落ち着きがなかったから、そんなこと、とっくに忘れちまったよ」
と、真人は手にした絆創膏をちぎり、恵果に渡そうとした。
「違う。私じゃない ニンジンに貼って」と、恵果は言った。
ちぇっ――と、舌打ちをしつつ、真人はちぎった絆創膏を、石化したニンジンの額に貼りつけた。
「そのまま。手を離さないで」と、恵果は言うと、真人のもう一方の手を握って言った。「ニンジンに、私の力を分けてあげて」
なに――と、真人が信じられないように言った。
「そんなこと、俺を通して伝えたって、届きゃしないぜ」と、真人は言った。
――ふらふらと立ち上がったイヴァンが、宙に素早く、指でなにかを描いた。
真人達の周りを、氷のように透きとおった壁が、みるみるうちに取り囲んでしまった。
「なんなんだ、あいつ」と、真人が憎々しげに言った。「ずいぶんと壁の好きなヤツだな」
と、額に絆創膏を貼りつけたニンジンが、じわりじわりと元に戻り始めた。
「――どうしたんだ。早く逃げろ……」と、ニンジンが、うつろな目をして言った。
「おいおい、こっちもどうなってんだよ」と、真人がニンジンを見て言った。
「――はいはい。年上のお姉さんには、かないませんよ」と、にたにたと笑う恵果を見て、真人が皮肉っぽく言った。
「さぁ、動けるなら、急いで車に乗りこめ」と、石化が解けかかったニンジンに、真人が言った。
ふらふらと、助手席に這い上がろうとしているニンジンを目の端で捉えながら、真人は残った絆創膏を、ぎゅっと引き延ばし、逆さまに指に巻きつけた。
ニンジンのお尻を両手で押しながら、恵果が言った。
「それって、どうする気?」
「見てればわかるって」と、真人は、氷の壁の向こうで、こちらの様子をうかがっているイヴァンと、向かい合わせに立った。
表情を変えないイヴァンの目の前で、真人は、氷の壁との間にある空間を、絆創膏を結んだ拳で、思いきり叩いた。
ピキピキピキ――……と、ひび割れる不気味な音が、はっきりと聞こえた。
一瞬の沈黙。なにも起こらない、かと思われた。
誰もが凍りついたように様子をうかがっていたが、変化は遠い所から、地響きとなって現れた。
「地震――」と、車にニンジンを押しこんだ恵果が、びくりとして言った。
「ああ。うまく行く保証はないが、なにもかも逆さまにしてやった」と、真人は拳を見ながら言った。
結わえられていた絆創膏が、しゅるしゅると、静かに消え去っていった。
真人達の周りを取り囲んでいた壁が、バリバリと、音を立てて崩れ落ちた。
壁の向こう側にいたイヴァンの姿が、はっきりと捉えられた。
紫色に渦を巻く雲が、空高く現れていた。うねうねとした雲は、ぽっかりと口を開けた暗い穴の奥へ、滝のように吸いこまれていった。
「あちゃー」と、真人は気まずそうに頭を掻いた。「あんな所に穴が開いちまった。空を飛ばなきゃ、届かないだろうが」
どうにも、使えねぇーな――と、真人は悔しそうに言った。
唇を噛んだイヴァンは、空を見上げたまま、なにか穴を塞ぐ方法を考えているようだった。
「前」
「次」