クラシック好きです

交通事故でC3.C4の四肢麻痺になって
障害者施設から在宅生活に戻れた日々の出来事

脊髄損傷になって生きていくために越えなければならないこと!

2012-04-14 10:13:30 | 脊髄損傷
2006年7月7日に交通事故で脊髄損傷になって死線を越えてから

■MRやICUにいる頃は首も動かせない状態で人工呼吸器をつけていました

看護師や先生が丁寧に体位変換やってくれますが
とうに床擦れができてしまっています
頭にできた床擦れ以外なんの感覚もありませんでした
そんな頭の床擦れの痛いこと!
いくら動かせないからという理由だとしても
病院でできる床擦れは病院の恥というか事故扱いされる日が来るとおもう!

そんな頃のわたしは
死体のような身体をしていたようです
実際動かないからだは死んでいるも同然かもしれません

この頃は
自分の睡眠を家族が見舞いに来る時間に合わせて
睡眠薬を飲ませてくれていたらしく
動かせない首のことも含めると
本当に狭い視野のことしか覚えていません

左の壁
右の戸棚
天井

看護師の足音
看護師の話し声
看護師の顔は見たと思いますが
全員消えかかった記憶しかありません

7月7日
一般病棟に移ったのは9月前だったでしょうか?
お盆前後に首を切り開いて脊髄を固定する手術を受けたと思います

■一般病棟個室に入ってから訪れる数々の試練!

特にわたしは自由気ままに好き勝手に生きてきたのに
事故で脊髄損傷で四肢麻痺になり一切の自由がなくなります

自由がなくなるだけなら何ら問題ないとおもうが
知性の低い看護師(看護師はまともな人は結構いますがバカも多少います)によって
人間としての尊厳というかプライドなんかが
どんどん踏みにじられていきます!

障害者支援施設ほど多いとは思えませんが
病院でも頭の悪い看護師がせっせと売り上げ点数稼ぐために
要らぬ治療をすすめてきたり
必要な治療を点数が稼げないからと言って止められたり

入院患者に好き勝手してきます
そんな日々を過ごすうちに
自由にならない自分の身体のもどかしさに気がつき
それまでの人生で涙を流さない悪魔のような奴と言われてきたわたしの目からも
よく涙が流れる様になったのは事実です

■そんな頃のわたしは完全回復することしか頭にありません

自分はリハビリ増やしたくとも
点数がどうのこうの
保険がどうのこうの言われ
行政に回復するためのリハビリの機会を取り上げられていくのも
四肢麻痺にとっては辛い出来事かもしれません

病院退院する頃には
いつか完全復活して戻ってきて

高田看護師
浜田看護師
中村くそばばぁ看護師の

三人は肥溜めにでも突き落としてやると心に誓い

やらねばならない復讐心が芽生えていました!
当面の人生目標が間抜けな看護師三人を肥溜めに突き落としてやる!

そのためにも
人間としての尊厳やプライドは捨て去ることが必要ですし
そうせざるをえなかった間抜けな看護師を肥溜めに突き落とすためにも復活を!

いまじゃ
福祉業界全体を利用者側から見て改善してもらえるように
そんな目標というか
それが生き残ったわたしの務めのひとつかなと思うようになってきましたが

何事をするにしても
自分を一番に考えて生きていく予定です

yozame
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2 コメント

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Unknown (777)
2012-04-14 22:47:57
yozameさん、はじめまして。いつもyozameさんの前向きな姿に勇気をもらっています。
yozameさんなら必ずリハビリで完全復活できると信じています。ところでyozameさんは幹細胞治療などに興味はありますか。
麻布十番にあるプライマリ整形外科というクリニックで幹細胞移植を受けられると聞いたのですが、興味があれば受けてみてはいかがでしょうか。
はじめまして (yozame)
2012-04-15 10:49:12
>777さん

幹細胞に関しては別にアップしましたが
そのうち何らかの治療法が確立するといいですね!

あきらめない気持ちをもち続けることが大切
それに
四肢麻痺になってしまった私が
自分自身とどれくらい戦えるのか興味があったりします

とにかく
あきらめないで生きます

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