シニア花井の韓国余話

韓国交流50年の会社経営を引退しソウル定住の日本人が写真とともに韓国の案内をします。

【グローバルアイ】海外養子の成功が韓国の自慢?

2012年05月25日 18時33分15秒 | Weblog
韓国大手紙・ 中央日報12年5月23日記事抜粋
「韓国名は何ですか?」
「思い出せません。 どこかに書かれていますが、それを見ると分かります」。
「前回のインタビューではクォン・オボクと聞きましたが」。
「あ、ではそれが合っているはずです」。
昨年9月、パリの韓国メディア特派員とジャン・バンサン・プラセ仏上院議員(44)の問答の一部だ。 対話はフランス語で行われた。 韓国で生まれ、7歳で養子としてフランスに渡ったプラセ議員は韓国語を話せない。
上院議員当選に関する記事やリポートのため特派員らがプラセ議員の事務所を訪れたこの日の対話は、ずっと焦点がずれていた。 記者はプラセ議員に幼少時代の記憶を尋ねた。 プラセ議員は韓国での記憶はほとんどないと述べ、その代わりフランスの親がどれほど愛情を持って自分を育ててくれたかを熱心に説明した。
記者が「好きな韓国の食べ物や映画はあるか」と質問すると、プラセ議員は「今後関心を持つように努力したい」と寂しい言葉が返ってきた。 記者らは韓国に関する話を聞くことを望んだが、プラセ議員は所属政党の緑の党の政治的な重要性を説明した。 対話はずっと食い違った。 インタビューの最後に韓国記者らの気持ちを理解したのか、「すべてに積極的な気質は韓国から譲り受けたようだ」と語った。 ようやくインタビューの雰囲気が明るくなった。 翌日の新聞記事と放送リポートではこの言葉が浮き彫りにされた。
欧州で養子として育った韓国系の人に時々会う。 この人たちは自分を韓国人だと考えていない。 国籍法や国際法上、韓国人でないのは間違いない。 意図的に韓国人とは距離を置こうというような印象を受けたりもする。 韓国に対する記憶も、特別な愛情もないのに、韓国について尋ねられることを負担に感じたりもする。
幼年時代の記憶はなく、自身は純然たるフランス人やスウェーデン人として生きてきただけだ。 外観は東洋人だが、言葉と行動は100%西欧人だ。 自分を育てない(または育てられない)親と国を恨む気持ちから、徹底的に現地人として生きてきたのかもしれない。
そしてある日、プラセ議員のように有名になれば、韓国メディアによって「韓国系養子の」という修飾語がつけられる。 最近、フランス初の韓国系閣僚になったフルール・ペルラン氏(38)の場合も同じだ。 ペルラン氏は生後半年で養子になった。 あるメディアはペルラン氏を「養子の韓国人」と表現した。 あたかも韓国人の血統や遺伝子の優秀性が立証されたかのように騒がしい。
彼、彼女たちの成功はうれしい。 しかしメディアの注目は何か違う。 韓国社会がその間見せた養子に対する関心の程度、現在でも年間1000人近く海外に養子を送っている点を考えると、‘成功した養子’への照明が私たちの軽薄な自画像を表しているようで顔が赤くなる。
                                      李相彦(イ・サンオン)ロンドン特派員





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