シニア花井の韓国余話

韓国交流50年の会社経営を引退しソウル定住の日本人が写真とともに韓国の案内をします。

【萬物相】三菱重工長崎造船所

2012年07月10日 21時21分21秒 | Weblog
韓国大手紙・ 朝鮮日報12年7月9記事
「7階の高さで働き、あの世と隣り合わせだった。死人が毎日のように出た。感電死する人、転落死する人がたくさんいた」
 70年前に日本の三菱重工業長崎造船所に連行された慶尚南道山清郡出身のキム・ジョンスルさんの証言だ。1944年には、朝鮮人労務者とその家族が長崎市内に2万人、長崎県内に7万5000人いた。市内にいた朝鮮人の半数が三菱グループの所属で、造船所だけでも4700人が配置された。
 三菱重工業長崎造船所は長崎港のターミナル埠頭(ふとう)の向かい側の長崎湾西岸に巨大な姿で存在する。太平洋戦争の際、日本を代表する戦艦「武蔵」など数多くの艦船を建造した。周辺には日本海軍の魚雷の8割を製造した兵器工場、そして製鋼所、炭鉱もあった。市全体が軍需品を生産する軍需産業の一大拠点だった。長崎の人々は「今でも日本で建造するイージス艦の30%を長崎造船所が作っている」と胸を張る。
 日本は現在、三菱重工業長崎造船所、新日本製鉄八幡製鉄所(北九州市戸畑区区)、三菱の海底炭鉱があった端島(通称軍艦島、長崎市)、三池港(福岡県大牟田市)を国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産に登録しようとしている。「19世紀から短期間に産業の近代化を成し遂げた歴史的な現場だ」という理由を掲げた。数年前に「九州・山口近代化産業遺産群世界遺産推進協議会」という組織もでき、今年3月には専門家会議まで開かれた。しかし、そこが明治維新前後に日本の近代化の中心地だったことを強調するだけで、戦犯企業が存在した軍需都市、加害者の土地である事実は隠された。
 ユネスコの世界遺産は、文化遺産と自然遺産に分けられる。現在文化遺産は725カ所、自然遺産は183カ所が指定されている。文化遺産には、ドイツのフェルクリンゲン製鉄所、スウェーデンのエンゲルスバーリ製鉄所、英国ダーウェント峡谷の紡績工場群も含まれている。19世紀に建てられたフェルクリンゲン製鉄所は、欧州の産業文化遺産の中で最も重要な存在だ。エンゲルスバーリ製鉄所は17世紀から製鉄分野をリードし、施設の保存状態も良い。少しでも軍需産業と関係していた場所では、戦争後に徹底した反省の過程を経た。
 長崎市沖の端島は、朝鮮人の血と涙で石炭を掘った場所だ。韓水山(ハン・スサン)のドキュメンタリー小説『カラス』は、そこが徴用者にとっては地獄の島だったと告発した。ナチスによる虐殺の現場だったアウシュビッツ強制収容所もユネスコの世界遺産だ。三菱はまだ強制徴用者に補償金を一銭も支払っていない。日本は長崎造船所と端島の土深くしみ込んだ朝鮮人の血と涙を掘り起こすことが先決ではなかろうか。
金日(キム・グァンイル)論説委員
(投稿者注)
被害者だとする韓国側の声高の話だけで、何があったのかの客観的な話が日本側からは聞こえてこない。
韓国側が主張する「補償金」も、何のための補償金なのかがわからない。
徴用や徴兵そのものは、戦時体制下ではどこの国でもあったことなのだが、徴用に対する補償なのか、未払給料が有りその支払いを補償と言っているのかがわからない。
韓国側は声高に騒ぐばかりで、 客観的な内容の説明がないし、日本側も客観的な説明がない。
ボタンの掛け違いを修正しないと、いつまでも無駄なエネルギーの消耗になる。


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