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ガンバレ健太!

手の離れた息子に叱咤されてるダメ親父の日記

女子プロゴルファー

2008年12月10日 11時59分36秒 | その他
今日は昼食に“みそ煮込みうどん”を食べに行った。「やっぱり冬は、これだな~」

“みそ煮込みうどん”が出てくるまで、雑誌をパラパラと見ていたら、ある新人女子プロゴルファーの記事に目が行った。
「最近の女子プロは、可愛い子が多いな~」と見ていた時に、ピン(!)と来た。どっかの将棋ブログで読んだことがあるような・・。

ビンゴ!

妹さんに趣味は、「将棋です!」と言って頂く様に、お願い致します(笑)。



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自己犠牲のスポーツ

2008年12月03日 12時39分06秒 | その他
私が高校受験のころは岐阜の進学高校は群制度というものを採用していて、受験生は特定の高校ではなく2校からなる『群』を受験することとなっていた。そして合格者は2つの高校のどちらかに、本人の希望に関係なく振り分けられていた。(私たちはこのくだらない制度の最後の被害者だった)

私が行きたかったのは硬式野球部のある学校だったが、振り分けられたのは軟式野球部しかない学校だった。私は高校に入ってまで軟式野球はやりたくなかったので、新入生の勧誘演説が面白かった“ラグビー部”に入部した。

当時から軟弱なイメージがあった高校だったので、よく「北高にラグビー部なんてあるの?」と言われたものだった。(実際今や廃部となっている) それでも指導者もいない経験者もいない弱小チームだったが、3年生の春の県新人戦では3位に入った。(私の細やかな自慢)

野球は「応援のスポーツ」と言ったが、ラグビーは「自己犠牲のスポーツ」だと私は思っている。ラグビーは15人でプレーするのだが、1人1人が自分を犠牲にして相手を倒していくのである。誰かが2人を倒すことができれば、最後に味方が1人残りトライすることができる。1人の味方を生かすために他の14人は全力で自分の身を犠牲にするのである。

One for All ! All for One !  (一人はみんなのために! みんなは一人のために!)

これはラグビー精神を語っている言葉だが、ラガーメン全員がこの精神を誇りにしている。



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献血

2008年11月07日 23時16分41秒 | その他
高校生の時に初めて献血に行き、20才までに20回達成しようと何故か心に決めた。20回達成したら、30才までに100回行こうと決め、それから自分のライフワークとなった。

大学生の時は学校に行かなくても、わざわざ献血をするために駅ビルまで行っていた。当時は成分献血をすると図書券がもらえたが、それをもらうと偽善ぽっくなると思い断っていた。それが私の流儀だった。

30才を前にして100回達成し表彰を受けたのだが、それ以降は達成感からか、ヤッパリ偽善だったのか、意欲も薄れ年に1回ほどになっていった。

昨今献血センターに行くと女子高生が多いのには驚かされる。金髪(茶髪ではない)でもピアスしていても、そういう子は良い子に見えるから不思議だ。

献血センターに行くと、まだまだ日本も捨てたもんじゃないと感じる。


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アメリカ一周

2008年10月10日 02時51分53秒 | その他
大学1年の春休みに約40日間かけてグレーハウンドというバスを使ってアメリカ一周した。ほとんど英語なんて話せなかったが、行けばなんとかなると思い、飛び込んだ初めての海外旅行であり1人旅であった。昼間は街を散策し夜の間にバスで移動し、時間と宿泊代を浮かした旅行だった。(確かバス代は30日か40日乗り放題で4~5万円だったと思うが・・) 行き先はその日の気の向くままの気楽で自由な旅だった。

サンフランシスコ→リノ→ラスベガス→ロサンゼルス→フェニックス→エルパソ→シウダーフアレス(メキシコ)→サンアントニオ→ヒューストン→ニューオリンズ→ジャクソンビル→キーウエスト→チャールストン→ワシントン→ニューヨーク→ニューヘブン→フィラデルフィア→ピッツバーグ→セントルイス→カンザスシティ→デンバー→ソルトレイクシティ→シアトル→バンクバー(カナダ)→サンフランシスコ→(空路)ハワイ

「俺は観光に来たんじゃない」と粋がって“自由の女神”も“ナイアガラの滝”も行かなかったが、“ティファニー”や“グランドキャニオン”は行っており矛盾していた。
本当のアメリカが見たいとスラム街に行ったり、大麻を買いに暗闇に連れて行かれたりもしたが、怖い思いをしただけで何もなく無事だった。

いろいろな事があったような気がするが、もう20年以上前のことであり、いざ書こうとしても思い出せない。
ただその旅行で学んだのは、「分からなかったら人に聞け!」だった。道に迷ったら自分で悩んでいないで、すぐに誰かに聞き教えてもらった方が早いのだ。自分で探したり悩んだりすることも大事であると思うが、聞くことが恥ずかしいとか勇気がないとかなら、思い切って聞くべし!その当たり前のことを実感した旅行だった。


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はるな愛

2008年10月08日 00時31分26秒 | その他
最近テレビでよく見る“はるな愛”。健太に「この人、男やぞ」と言うと、「女やん、オッパイあるやん」と言うので、「あれ作りものや」と言ったら

「・・・、はぁ?」

だった。 教えるのが難しい


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神様・仏様・上野様

2008年08月21日 20時22分57秒 | その他
ソフトボール決勝の先発は昨日300球以上投げた上野。私が監督でも当然そうする。

今日は上野と心中だ~。

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鈴木桂治

2008年08月14日 17時13分32秒 | その他
北京オリンピック日本選手団の主将の鈴木桂治が初戦敗退し、敗者復活戦でも1回戦負けだった。

健太が将棋を始めてから私は勝負事に感情移入しやすくなったように思う。特に敗者に対して。

鈴木桂治の泣き崩れる姿を見て涙がこぼれた。(家に誰もいないし)

「勝つことは難しいのだ!」


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2008年08月11日 17時56分18秒 | その他
昨日、顔に大きなスリ傷をつくってキャンプから健太が帰ってきた。何でも、肝試しで転んでつくったらしい。本人曰く、「怖くて転んだんじゃない!」とのことだが・・。

妻は傷跡残っちゃうかな?と少し心配しているが、私は残るぐらいがちょうどいいと思っている。

傷は男の勲章。ドンドンつくるぐらい腕白であって欲しいと思っている。
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江川卓

2008年06月28日 23時52分08秒 | その他
私は現役時代の江川卓が大好きだった。

その江川がオールスターで江夏豊の持つ9者連続奪三振まで後一人のところまでいったことがあった。9人目の打者は当時近鉄の大石大二郎。ストレート2球で簡単に追い込んだ。大石はストレートと分かっていても打てないぐらいに、江川のストレートは走っていた。

大記録達成にストレートで三球三振と考えるのが男気であると思うが、江川は保険に1球カーブを外角に外しにいった。1球カーブを外してからストレートを投げたほうが三振をとり易いのと、あわよくばボール球のカーブでも三振がとれると踏んだのだろう。

結果はそのボール球を当てられてセカンドゴロ。大記録はならなかった。如何にも小賢しい江川らしい結果であった。

健太には相手が待っていると分かっていても、ストレートを投げ込む男になって欲しい。それがどんな結果になろうとも応援している者を納得させれるのだし、それよりなにより自分自身が納得できるはずだから。
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おニャン子クラブ

2008年06月23日 15時43分21秒 | その他
昨日テレビを観ていたら新田恵利が出ていた。前の日には、テレビショッピングに城之内早苗が出ていた。
おニャン子世代の私にはとても懐かしかった。
私は当時、高井麻巳子ファン。秋元康との結婚は大ショックだった。

いつの時代にも、人気女性グループが存在する。少し前はモーニング娘。。
今なら、AKB48だろうか?48人もいて顔と名前が憶えられないのは、おじさんの証拠である。(憶える気もないけどね)
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