
息子の高校時代のクラスメイトが今日の全日本選手権で優勝した。
ケガが多くて苦労していただけに私もうれしい。
伶奈さんおめでとーーー!

東京人になって三ヶ月。
妻が「東京に行って一番良かったことは?」と聞いてみたら、「対局に直ぐ行けること」、
「一番悪かったことは?」「ない」とのこと。
でしょうね。
妻が「東京に行って一番良かったことは?」と聞いてみたら、「対局に直ぐ行けること」、
「一番悪かったことは?」「ない」とのこと。
でしょうね。
息子氏、東京生活満喫中!
土曜日 指導
日曜日 研究会
月曜日 研究会
火曜日 対局
水曜日 VS
木曜日 研究会
金曜日 VSからのパーラーTAKANO

土曜日 指導
日曜日 研究会
月曜日 研究会
火曜日 対局
水曜日 VS
木曜日 研究会
金曜日 VSからのパーラーTAKANO


今朝、息子を岐阜羽島駅に送ってきた。
小4で奨励会に入り、これまでざっくり計算して7~800回往復してきたようだ。
(本人は1往復でも、こっちは送って迎えての2往復だからね)
「面倒くせーな」と思ったことも多々あるが(笑)、もうしなくていいと思うと、これはこれで少し寂しい。
感じたままに進む自分で選んだこの道を
重いまぶた擦る夜にしがみついた青い誓い
好きなことを続けることそれは「楽しい」だけじゃない
本当にできる?不安になるけど
何枚でもほら何枚でも自信がないから描いてきたんだよ
何回でもほら何回でも積み上げてきたことが武器になる
周りを見たって誰と比べたって
僕にしかできないことはなんだ
今でも自信なんかないそれでも
感じたことない気持ち知らずにいた想い
あの日踏み出して初めて感じたこの痛みも全部
好きなものと向き合うことで触れたまだ小さな光
大丈夫、行こう、あとは楽しむだけだ
全てを賭けて描く自分にしか出せない色で
朝も夜も走り続け見つけ出した青い光
好きなものと向き合うこと今だって怖いことだけど
もう今はあの日の透明な僕じゃない
ありのままのかけがえの無い僕だ
重いまぶた擦る夜にしがみついた青い誓い
好きなことを続けることそれは「楽しい」だけじゃない
本当にできる?不安になるけど
何枚でもほら何枚でも自信がないから描いてきたんだよ
何回でもほら何回でも積み上げてきたことが武器になる
周りを見たって誰と比べたって
僕にしかできないことはなんだ
今でも自信なんかないそれでも
感じたことない気持ち知らずにいた想い
あの日踏み出して初めて感じたこの痛みも全部
好きなものと向き合うことで触れたまだ小さな光
大丈夫、行こう、あとは楽しむだけだ
全てを賭けて描く自分にしか出せない色で
朝も夜も走り続け見つけ出した青い光
好きなものと向き合うこと今だって怖いことだけど
もう今はあの日の透明な僕じゃない
ありのままのかけがえの無い僕だ
先週、正月の特番の収録にテレビ局に行った息子。
収録が終わった後に、小4の時にある番組に取り上げて下さった当時のディレクターさんに会いに別フロアに。
14年ぶりの再会だったが、当時のままだったらしい(笑)
その時頂いた手紙は今も大事に保管している。
息子は「高卒」と公言しているが、実は一度大学に入学している。
奨励会員の大学進学率は、私の肌感覚では6~7割のような気がする。谷合四段の東大は有名だが、関西でも知っているだけで京大阪大神戸大名大、同志社立命に関大。
みんなすごくて感心してしまう。息子は高校を決める時から一般受験での大学進学は諦めていたので、高校のクラスも部活動等に特化した生徒が多く所属するクラスに進学した。
将棋に専念するために勉強の負担がかからないクラスに進学したのに、高校在学中は一つも昇段することなく、三年の夏には否が応でも大学進学を考えないといけなくなった。
真面目な性格とクラスを落としたことが功を奏し、評定平均は驚異の4.7!学校からは学校推薦で中央大学を奨められたが条件は中退しないことだった。
息子は上手く行ったら辞める気マンマンだったので、「俺、大学いいわ」と言ったのだが、親的にはいい訳なく、必死に探したらあった!早稲田のAO!
内申書と小論文と面接だけ。息子も「早稲田なら行ってみたい」と。評定平均4.7と当時の康光会長の推薦状とアマチュアでの実績を盛りに盛って、一次選考は合格。
小論文対策で予備校に通い、親子で「将棋をやってきていいことなかったけど早稲田に入れるならやってきて良かったな。早稲田やぞ」と盛り上がってその日を迎えたのだが、
結局不合格。
その後高校を卒業して将棋に邁進するのだが一向に昇段せず、秋に推薦入試(AO入試)することになった。早稲田と法政と関西大ともう一校。
どの大学も一次は通過したものの最終的に合格したのは一校だけ。そこに入学することとなったのだが、すぐに(4/7付)三段に昇段したので数日通っただけで休学して一年後退学した。
「人間万事塞翁が馬」 人生何が良くて何が悪いか分からないが、早稲田良かったなー(笑)。
奨励会員の大学進学率は、私の肌感覚では6~7割のような気がする。谷合四段の東大は有名だが、関西でも知っているだけで京大阪大神戸大名大、同志社立命に関大。
みんなすごくて感心してしまう。息子は高校を決める時から一般受験での大学進学は諦めていたので、高校のクラスも部活動等に特化した生徒が多く所属するクラスに進学した。
将棋に専念するために勉強の負担がかからないクラスに進学したのに、高校在学中は一つも昇段することなく、三年の夏には否が応でも大学進学を考えないといけなくなった。
真面目な性格とクラスを落としたことが功を奏し、評定平均は驚異の4.7!学校からは学校推薦で中央大学を奨められたが条件は中退しないことだった。
息子は上手く行ったら辞める気マンマンだったので、「俺、大学いいわ」と言ったのだが、親的にはいい訳なく、必死に探したらあった!早稲田のAO!
内申書と小論文と面接だけ。息子も「早稲田なら行ってみたい」と。評定平均4.7と当時の康光会長の推薦状とアマチュアでの実績を盛りに盛って、一次選考は合格。
小論文対策で予備校に通い、親子で「将棋をやってきていいことなかったけど早稲田に入れるならやってきて良かったな。早稲田やぞ」と盛り上がってその日を迎えたのだが、
結局不合格。
その後高校を卒業して将棋に邁進するのだが一向に昇段せず、秋に推薦入試(AO入試)することになった。早稲田と法政と関西大ともう一校。
どの大学も一次は通過したものの最終的に合格したのは一校だけ。そこに入学することとなったのだが、すぐに(4/7付)三段に昇段したので数日通っただけで休学して一年後退学した。
「人間万事塞翁が馬」 人生何が良くて何が悪いか分からないが、早稲田良かったなー(笑)。
二年前の9月中旬、コロナワクチンの第一回接種が近づくにつれ、息子が不安を口にするようになった。
「何か嫌な予感がする。若者は打たんより打つほうがリスクあるんじゃないか」と言って直前にキャンセルした。私はまたいつものように神経質なこと言っとるなあと取り合わなかった。
今期終盤星を拾い12勝6敗で四位となり、次回二番手の好位置だったので、私は「ぐずぐず言っとらんで早く打ってきて将棋に集中しんか」とけしかけた。
一週間後接種したのだが、そのあとから胸の不調を訴えるようになった。
徐々に痛みが増し二週間経ったところで我慢できずに医者に駆け込んだ。診察の結果、すぐに総合病院に行くように言われ、手配してもらったタクシーで市民病院に向かった。
家にいた私は、息子が「市民病院に向かう」と電話があってからなかなか連絡がないことで不吉な予感がしてきた頃、「説明があるらしいで直ぐに病院に来て」と苦しそうな声で電話がきた。
私が病院に着くと深刻な雰囲気の中、私一人に循環器の医師の説明が始まった。「心筋炎です。すぐに入院してもらいます」と言われた。
まだ深刻さが分からなかった私は息子の将棋を説明し、「三週間後の対局は間に合いますか?」と聞くと、「そんなこと言っている場合ではないです。ここ二三日が山場です。劇症型心筋炎に進行したら、生死は半々です」
さっきまで元気でいたのに・・・。
慌ただしい中、息子は看護師に車いすを押されHCU(高度治療室)に入っていった。まだ実感のない私は「健太、頑張れよ」と言うのがやっとだった。
次はHCUの担当医による説明だった。同じような説明だったが、「こういう(コロナの)時期なので息子さんにはもう会ってもらえません。会えるのは退院した時です」と言われ気が動転した。
会えるのは治ったときかダメだったとき。もう息子と会えないと思ったら涙が出てきた。医師の前で泣いた。その姿に同情してくれたのか「最後に一度だけ会いますか?」と言ってくれた。
私は「妻にも会わせたい」と言って、次の日に会えることとなった。
家に帰ると仕事から帰ってきていた妻が、「どうして健太なの」と泣き崩れた。
お通夜みたいな日々が始まった。毎日夫婦で息子の将来を悲観しては泣き、過去を振り返っては泣いた。
とにかくどんな体になっても将棋ができなくなっても、生きて帰ってきて欲しい、それだけだった。
ウイルス感染による心筋炎は根本的な治療手術はなく、息子の生命力だけが頼りだった。
入院して二三日は一進一退だったが、四日目からは数値も明らかに改善に向かい本人の気分も優れてきた。
結局HCUに10日間、一般病棟に8日間の入院で後遺症もなく退院することができた。
退院してきた息子に「いつものように何も調べず打って来いって言って悪かった。俺のせいだ」と謝った。
息子は「いや、自分の判断で打ったし、もし最初にキャンセルせずに打っとれば、こんなことにならんかったかもしれん」と言ってくれた。

(決してワクチン接種を否定するものでも肯定するものでもありません)
「何か嫌な予感がする。若者は打たんより打つほうがリスクあるんじゃないか」と言って直前にキャンセルした。私はまたいつものように神経質なこと言っとるなあと取り合わなかった。
今期終盤星を拾い12勝6敗で四位となり、次回二番手の好位置だったので、私は「ぐずぐず言っとらんで早く打ってきて将棋に集中しんか」とけしかけた。
一週間後接種したのだが、そのあとから胸の不調を訴えるようになった。
徐々に痛みが増し二週間経ったところで我慢できずに医者に駆け込んだ。診察の結果、すぐに総合病院に行くように言われ、手配してもらったタクシーで市民病院に向かった。
家にいた私は、息子が「市民病院に向かう」と電話があってからなかなか連絡がないことで不吉な予感がしてきた頃、「説明があるらしいで直ぐに病院に来て」と苦しそうな声で電話がきた。
私が病院に着くと深刻な雰囲気の中、私一人に循環器の医師の説明が始まった。「心筋炎です。すぐに入院してもらいます」と言われた。
まだ深刻さが分からなかった私は息子の将棋を説明し、「三週間後の対局は間に合いますか?」と聞くと、「そんなこと言っている場合ではないです。ここ二三日が山場です。劇症型心筋炎に進行したら、生死は半々です」
さっきまで元気でいたのに・・・。
慌ただしい中、息子は看護師に車いすを押されHCU(高度治療室)に入っていった。まだ実感のない私は「健太、頑張れよ」と言うのがやっとだった。
次はHCUの担当医による説明だった。同じような説明だったが、「こういう(コロナの)時期なので息子さんにはもう会ってもらえません。会えるのは退院した時です」と言われ気が動転した。
会えるのは治ったときかダメだったとき。もう息子と会えないと思ったら涙が出てきた。医師の前で泣いた。その姿に同情してくれたのか「最後に一度だけ会いますか?」と言ってくれた。
私は「妻にも会わせたい」と言って、次の日に会えることとなった。
家に帰ると仕事から帰ってきていた妻が、「どうして健太なの」と泣き崩れた。
お通夜みたいな日々が始まった。毎日夫婦で息子の将来を悲観しては泣き、過去を振り返っては泣いた。
とにかくどんな体になっても将棋ができなくなっても、生きて帰ってきて欲しい、それだけだった。
ウイルス感染による心筋炎は根本的な治療手術はなく、息子の生命力だけが頼りだった。
入院して二三日は一進一退だったが、四日目からは数値も明らかに改善に向かい本人の気分も優れてきた。
結局HCUに10日間、一般病棟に8日間の入院で後遺症もなく退院することができた。
退院してきた息子に「いつものように何も調べず打って来いって言って悪かった。俺のせいだ」と謝った。
息子は「いや、自分の判断で打ったし、もし最初にキャンセルせずに打っとれば、こんなことにならんかったかもしれん」と言ってくれた。
(決してワクチン接種を否定するものでも肯定するものでもありません)








