パンダとそらまめ

ヴァイオリン弾きのパンダと環境系法律屋さんのそらまめによる不思議なコラボブログです。
(「初めに」をご一読ください)

NIEに御用心

2006-11-05 23:59:40 | Weblog
 なんだか6日からNIE週間らしいのでちょっと一言(といいつつ長くなる気がする)。ってNIEってナンジャイ(アルファベット3文字並んでたら怪しいと思え)っていうと、Newspaper In Education(教育に新聞を)という運動というか教育メソッドというからしく、新聞協会傘下の日本新聞教育文化財団なる団体がプッシュしているらしい。彼らのHPから適宜抜粋します。
子どもたちの文字離れ、読書嫌いの傾向に歯止めをかけ、児童・生徒が活字文化に親しむ手段、方法の一つとして、社団法人日本新聞協会はアメリカやヨーロッパ諸国(中略、海外調査の上)88年2月、NIE委員会を新設し新聞界を挙げて運動に取り組むことを決定。
・新聞の切り抜きを補助教材にする従来の授業とNIEの違いは、(1)新聞を1面から最終面まで、記事や写真、広告まで丸ごと活用する、(2)複数の新聞を読み比べる―といった点が挙げられるでしょう。また、(1)教育界と新聞界がタイアップして新聞界が一定期間、複数の新聞を学校や児童・生徒の家庭に負担をかけずに教室に提供する、(2)教育界と新聞界が都道府県単位のNIE組織を結成し運動を推進する―ということが、日本のNIE運動の特徴として挙げられます。
・調査の結果、NIE授業を受けた児童・生徒のうち、2人に1人は「文章を読むこと」が好きになるなど学習態度が確実に積極的になり、社会への興味・関心が高まり、思考が深まることが確認できました。NIE授業は、全教科・領域で行われていますが、小・中・高校とも社会、特別活動、国語、総合的な学習の時間で、より多く取り上げられていました。
・先生が教室で子どもたちに新聞を配り出すと、教室の空気が活気づきます。学校で、自宅で、新聞を読む習慣が身につくと、児童・生徒は読み書き能力を知らず知らずのうちに体得します。自分たちの住む地域のニュース、国内の出来事、世界の動きについての知識の向上で、自分なりの考えや意見を持つようになり、さまざまな問題について発言し、相手の言い分を聞く能力が養われていきます。
何となく自分にはNIEに物申す資格があると勝手に感じるのは、
 ○物心ついたときから(誰に言われるまでもなく)新聞は毎日せっせと読む習慣が付いていた
  (反面大学に入るまで読書家ではなかった
 ○小学校の研究授業で総合学習をやっていて、総合学習経験世代としては最も歳を取っている部類に入るだろう※
という体験に基づいています。 ※全国的に生活科導入が決まった時に担任の教師が「生活科と競争して負けた」みたいなことを言っていて、大人の世界の一端を垣間見た気が小学生ながらした。

 んでいきなり結論から言いますが、貴重な授業時間をつぶしてNIEを導入するのは百害あって一利しかない、というと言葉遣いがヘンですが、その教育効果は本来の学習の狙いを達することに役立つとは到底思えないという気がします。唯一役に立つのかなとしたら、読み比べによる「メディア・リテラシーの育成」ぐらいしか考え付きません。というわけで以下ちょこちょこ書きます。

 最初にこれはどう考えてもおかしい、というのは国語にNIEの導入例があるということ。もう本当ですかというか、そもそも新聞に書いてある日本語というのは新聞特有言語と言うべき本当にヒドイレベルのものです(少なくとも役所言葉や法律用語に対する批判がそのまま当てはまる)。例えば小学生が新聞をたくさん読んで
  ○「~」と、教頭先生の鼻息は荒い。
  ○~が浮き彫りとなった。
  ○~。だが待ってほしい。~
  ○拝啓 校長先生様 ~

とかマネしたらどう責任をとるつもりなんですか。体験から言いますが、日本語に対する鋭敏さを養うなら新聞を10年読み続けても金閣寺一冊にかなわないでしょう。日本語の理知的な美を知るならヒロシマ・ノート一冊にかなわないでしょう。そもそも国語の教科書に載るようなのは皆が認める名文なわけで、これを読まずに新聞を読むだなんてどうかしている。論理構成に難がある記事だっていっぱいあるわけでしょう?こんないい加減な文章を書いても社会でやっていけるんだとか将来への目標が著しく下がっちゃうわけです、国語の教科書と比べて。そりゃぁマズイんじゃないか。

 比率から言うと総合学習での導入が一番多いようです。総合学習の理念は、
2 総合的な学習の時間においては,次のようなねらいをもって指導を行うものとする。
(1) 自ら課題を見付け,自ら学び,自ら考え,主体的に判断し,よりよく問題を解決する資質や能力を育てること。
(2) 学び方やものの考え方を身に付け,問題の解決や探究活動に主体的,創造的に取り組む態度を育て,自己の生き方を考えることができるようにすること。
ってな風に指導要領(注:小中高とも同様の記述)には書かれているのですが、もっと根本に戻ると「生きる力をはぐくむ」ことに主眼があったハズ。ちなみに現行指導要領の要点はこの部分だったハズですが、その枕詞の「ゆとり」が強調され指導要領全体が誤解されたのは誠に不幸だったというか、「生きる力をはぐくむ」ことに「ゆとり」が必要なことにはならないハズですから。
 具体的には体験学習、問題解決学習を行うことが指導要領上奨励されているわけですが、
5 総合的な学習の時間の学習活動を行うに当たっては,次の事項に配慮するものとする。
(1) 自然体験やボランティア活動などの社会体験,観察・実験,見学や調査,発表や討論,ものづくりや生産活動など体験的な学習,問題解決的な学習を積極的に取り入れること。
「生きる力をはぐくむ」ための総合学習導入の時代背景を考えると、かつては学校以外の場でできていた一次体験というものがコミュニティーが崩壊して社会が拡散して極端に減っていってしまったことの対応と、暗記偏重という長年の批判に対するアンチテーゼいうことに行き着くハズ。私が昔小学校で受けたのは・・・芋やお米を一年かけて育てたり、歴史上の人物やある国を一年かけて調べたり、自叙伝を作ったりとかそんなことだったか。
 んでNIEで新聞を読んでも体験学習にも問題解決学習にもならないでしょう? だって新聞ってBy Definition情報の伝達で一次体験ではあり得ないわけで、加えて自分で何かテーマを決めて調べ物をする際に新聞って最大限評価しても出発点にしかなりませんよね。体験したり、足で調べてまた考えてとかって、新聞で言えば記事を作ることであって、既に作られた記事を読んでもそれは総合学習でやるべきこととは違うハズ。※ちなみに総合学習が各地で全くうまくいっていないようですが現場の創意工夫に委ねるなら委ねるでせめてモデル・プランなり先行事例なりをいくつか示してあげないとうまくいかないですよ、それは。準備が大変なのは子供心にも分かったし(農園を確保したりとか場合によっては一年以上前から準備する必要があるし)。地域の方に講演をお願いする例も多いようですが、NIEよりはマシかもしらんが一次体験&問題解決という発想からはズレていますよね。履修漏れ云々の混乱と同根の問題(現場とのミスコミニュケーション)を見ている気がします。

 社会科への導入も多いようで、現代社会(ってもうないのか、公民)のネタというか学習内容の実例としてもってこいというのは確かにあるかもしれませんが(にしても切り抜きで足りる)、とりわけ歴史に使うとなると胡散臭さが漂うというか、NIE学会会長の影山清四郎教授【アピール】史実をゆがめる「教科書」に歴史教育をゆだねることはできないの賛同人に名を連ねていたり日教組のシンクタンク教育総研日中教育委員会のメンバーだったりという外形的事実からそういう懸念が高まるわけです。いや全く人となりを存じ上げませんし研究分野(戦前社会科教育)からすると不思議ではないという気もしますが、何でしょう、少なくとも教科書よりも新聞記事の方が、どちらのベクトルにせよ特定の政治色の押し付けの懸念が高まることは確かでしょう? 誰だって政治活動は自由ですが授業時間外で学校以外の場でやってよということ。

 ただ、一つだけ利点があるかなぁ~と思うのは、読み比べによるメディア・リテラシーの醸成です。読み比べ専用みたいなブログも多数あるぐらいだし。何かの情報に接して鵜呑みにすることなく、自分の頭で考える習慣も付いていくことでしょうし、加えて最近はある新聞がある新聞に意見することも増えているから、いろんな意見・見方があることを知り、その上で自分はどう思うか・・・と考えていくのにはとっても役立ちそう。とすると、自分の意見を持ちつつ立場の違いを超えて他を尊重する態度を学ぶのが利点ということで、一番親近性があるのは実は道徳の時間か(・ ・?) あるいは単発特別イベント扱いにして特別学習? それも小学校高学年以上じゃないとキツイでしょうね。 それにしても新聞各社がうち揃って進める事業の利点がメディア・リテラシー育成だけというのは何ともまぁ皮肉なことで。

 最後に教育効果以外の効果というのがNIEにはあるようです。NIEのHPからコピペします。
・また「NIE実施前後での新聞閲読頻度の変化」をみると、小・中・高校とも以前に比べて、以後の閲読頻度が多くなることが示されています。
コレが狙いときたか、このコソ泥野郎(ジョン・マクレーン風@ダイ・ハード)。 というわけで!?、特にNIE実践校近辺の方がいれば!?、NIEに御用心ください。
※長文スミマセンでした&ここまで読んで頂けた方どうもありがとうございました