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l'esquisse

アート鑑賞の感想を中心に、日々思ったことをつらつらと。

没後90年 村山槐多 ガランスの悦楽

2010-01-22 | アート鑑賞
松濤美術館 2009年12月1日(火)-2010年1月24日(日)



昨年の書き残し第三弾にして最後の一つ。会期も明後日の日曜日までとなり、例によってあたふたと。

私は村山塊多(むらやまかいた)をよく知らないので、本展(前期)のみを見渡しながら、この画家につて端的に知ったことや感じたことをつらつらと書きとどめておきたいと思います:

村山槐多(1896-1919)は「22歳5ヶ月で逝った夭折の画家」とチラシにある。しかしながら入口のパネルの説明を読むと、この人は絵画のみならず文芸にも秀でており、古代ギリシャや古事記など古代・古典文化への憧憬も持ち合わせた“表現者”だったように理解される。

それを念頭に、今からちょうど100年前の1910年に、1911年の新年に向けて制作された『A Happy New Year』というポスター画作品の前へ。この作品は本展の幕開けであり、私がこの画家の特異な世界に引きずり込まれる始まりとなった。

最初に軽い驚きを覚えたのは、槐多が中学生のときに1級下の“美少年”、稲生澯(きよし)に送ったラブレター。「友だちになって呉れないか」と切々と訴えるその文体は、ですます調で丁寧ながら自分の感情、意思を直球で押しまくっている。その気持ちを込めた一途さが伝わってくる筆跡。

中学生時代か、と思わず自分のことを振り返る。女子校の常で、運動部の長身でかわいい先輩たちは下級生たちからアイドル視されていたっけ。でも槐多の稲生少年への思慕は、そんなミーハーで呑気なものではない。稲生君をオウブリー・ビアズリーの作品に重ね、「世界で一番美しい」と述べる早熟な彼の場合、「精神にも肉体にも恋しい」である。槐多によるその稲生少年の肖像画も出品されているが、うつむいたその横顔は、いかにも繊細で内気そうな男の子。

勿論その後女性にも恋慕し、恋心を抱いたら相手の感情もなんのその、モデルの「お玉さん」に入れ込むと彼女の家の近くに引っ越したり、元下宿先の「おばさん」に金銭的な援助の手を差し伸べたり。そう聞くと青春全開の20歳前後の若者という感じだが、裸婦像のデッサン画を観れば槐多の冷静な観察眼を感じるし、彼の恋愛対象は年齢だとか性別を超越して、美の本質を追った審美眼によって身定められていたようにも思う。逆にいえば、普通の恋愛をするには感性が鋭すぎたのかもしれない。

『瓶のある静物』(1915)、『石膏像』(1914)、『風船をつく女(A)』(1918)などの木炭デッサン画は上手いなぁ、と思う。上野公園の欅の木を描いた作品は、その木肌が女性の肌のように滑らかで美しい。

風景画も多く描かれ、もしかしたら都会生活の喧騒に疲れたジョン・エヴェレット・ミレイがスコットランドの自然を描くことによって心の安らぎを覚えていたように、槐多も日本の野山を描くことによって尖った精神を落ち着かせていたのかな、などと思った。

彩色作品では、『カンナと少女』(1915)の、きゅっと口元を結んだ少女が印象に残った。顔も手も、背景に描かれた大輪のカンナの茜色と呼応しているようにとても濃い色をしている。

一本のガランスをつくせよ

空もガランスに塗れ

木もガランスに描け

草もガランスにかけ

槐多の言葉。初めて聞く「ガランス」とは、茜色。否応なしに関根正二のヴァーミリオンが想起されるが、貧困の彼が思い切り使いたい、と言っていた鉱物系のヴァーミリオン(確かにこの色は高価)とは成分が異なるようだ。いずれにせよ、槐多はこの色をキャンバスに分厚く塗りこめていく。『尿する裸僧』(1915)では、身体からこのガランス色が放電されているかのようだ。

『のらくら者』(1916)の構図は、ムンクを思わせた。そういえば、ムンクも茜色をよく使う。ゴーギャンも。凡たる鑑賞者には計り知れない画家たちの精神の営為。

高村光太郎に「火だるま槐多」と呼ばれていたそうだが、短い創作活動でこれらの作品を残し、血を吐きながらも酒を飲んで22歳で死んでいったこの若者の生は、私にはひたすら強烈。その生を垣間見るこの展覧会は、まるで大輪の打ち上げ花火を観たようだった。炸裂音と焦げ臭さと夜空に残像を残すような。

アンコールワット展~アジアの大陸に咲いた神々の宇宙~

2010-01-18 | アート鑑賞
日本橋三越本店 新館7階ギャラリー
2009年12月27日(日)-2010年1月18日(月)



最終日前日の日曜日ということに加え、数日前に秋篠宮ご夫妻もお見えになったという記事が新聞に載っていたので、相当の混雑を予想しつつ出かけてみたら案の定であった。足を踏み入れた途端、これじゃまともに観られないなぁ、と思ったが、最初に出迎えてくれた『門番の役目をするガルダ(神鷲)』(下に画像あり)に心を奪われ、意を決して中へ。

まず「アンコールワット」のおさらいとしてパネルの説明から抜粋。

カンボジアで9~15世紀にかけて繁栄したクメール人の王朝であるアンコールワット朝期に、国力の繁栄や信仰の対象として建立された遺跡群を「アンコール遺跡群」と呼ぶ。その数2300ヵ所に及び、主要遺跡は60数ヵ所ある。アンコールワットはその中で最大のもので、クメール語で「寺院のある町」を意味する。建立者はスーリヤヴァルマン2世で、30年の歳月をかけて完成。当初はヒンドゥー教寺院だったが、14世紀頃から仏教寺院へ衣替え。東西1500m、南北1300m。

本展ではプノンペン国立博物館の所蔵品56点に、シハヌーク・イオン博物館が所蔵する上智大学の発掘品11点を加え、計67点が展示。

構成は以下の通り:

第一部 『めくるめく神々の祭典』
第二部 『アンコール文明』
第三部 『平和への祈り~神話が生きるひと・もの・こころ~』

では、人壁の隙間をかいくぐって観た、心に残った展示品を数点挙げます:

ジャヤヴァルマン7世の尊顔(頭部) (12世紀末~13世紀初頭)



思わずポストカードを買ってしまった。部屋に飾っておいたら心の安寧が得られそうな気がして。その深遠なる表情は、深き宇宙のごとし。

アンコール美術は「東南アジアにおけるギリシア美術」と言われるそうだ。砂岩の柔らかい肌触り、深い瞑想に集中して綴じられた目、かすかな微笑みを湛えたふくよかな唇、我々東洋人の目にとっても親しみやすい深すぎない彫り。そんな穏やかなお顔が並び、こちらの心も落ち着きを取り戻していくような心もちになっていく。ゆっくり対峙できたら尚良かったことでしょう。

『七つ頭のナーガに見守られた禅定仏尊顔』 (12世紀末~13世紀初頭)



ナーガとは観てのごとく蛇神。仏陀が涅槃の境地に入るため7週間に渡る禅定を行っているときに地中から現れ、七つの頭を広げて仏陀を守ったという。

『両手をつないだシヴァ神とウマー妃』 (11世紀)



手を取り合うこの二人に対面した瞬間、こちらも思わず彼らのような微笑みがフッと出てしまう。穏やかな夫婦愛のみならず、普遍的な平和の基本形の一つのような気がした。

『鎮座する閻魔大王ヤマ天』 (13世紀~14世紀)



高さが153cmもある存在感のある坐像。髭を生やしているけれど、背中の女性的な艶めかしさはドキリとするほど。

『天空へ飛び立つヴァルナ神』 (10世紀後半)



ヴァルナ神を乗せて飛び立とうとするのは、羽を広げて空を見上げる4羽の鵞鳥。変な観方かもしれないが、腕の破損の仕方がシュールレアリスムの作品のようだった。

さて、次は異形の神々たち。

『門番の役目をするガルダ(神鷲)』(10世紀末)



入り口で出迎えてくれた像。去年の阿修羅展で観た迦楼羅立像もそうだったが、鳥と合体した神様はなぜかとても魅力的。

『象の腕力と人間の知性を持ったガネーシャ坐像』(10世紀)



ガネーシャはシヴァ神と神妃パールヴァティーの子で、日本では歓喜天と言うそうだ(知りませんでした)。

『四面尊顔のブラフマー神(梵天)』 (11世紀初頭)



否応なしに阿修羅像を思い出してしまうが、こちらは四面で耳も一人二個ずつついている。この仏像が身につけている布に刻まれた模様は“ポケット型ドレープ”と呼ぶそうだが、他の作品にも多々観られた。

『飛び跳ねるガルダ(神鷲)』 (19世紀)



もう一つガルダ像。木彫作品も数点展示されているが、そのうちの一つ。顔の表情、身体の動きがとてもダイナミックで迫力あり。

この他ブロンズ製の作品数点や、『リアム・ケー』という物語の色鮮やかなテンペラ画の連作(各場面ごとのストーリーもきちんと説明されていたが、とてもじっくり読みながら観られる状況にあらず)なども展示されていた。

カンボジアは行ったことがないし、この先行くことがあるかどうかもわからない。そんな私にとって、本展はアンコール美術の片鱗を観ることができるとても貴重な機会だった。

余談ながら同じフロアーで「三越美術特選会」をやっていて、私が到着した頃にちょうど松浦浩之さん、天明屋尚さん、そしてミヅマ・アートギャラリーの三潴末雄さん、山本豊津さんの4氏によるギャラリー・トークが終わるところだった。会場にはコンテンポラリー・アートの作品も結構な数が並べられていて、期せずして天明屋尚さんの作品を沢山観られたのは嬉しかった。しかし奈良美智さんの1億円近い作品には作品の形のごとく目がまん丸に!

オブジェの方へ-変貌する「本」の世界-

2010-01-10 | アート鑑賞
うらわ美術館 2009年11月14日(土)-2010年1月24日(日)



公式サイトはこちら

去年の書き残し第二弾に取りかかります。

うらわ美術館は、開館以来「本をめぐるアート」を収集の柱の一つとして活動していて、そのコレクションは1000点を超えるそうだ。本展では、そのコレクションから立体的な本、本のオブジェ、本のインスタレーションを選び展示とのこと。作品リストを見ると、展示数は約70点ほど。

構成は以下の通り:

1.海外の作品から
2.国内の作品から
3.箱・鞄
4・焼く
5.展開と広がり

正直ちょっとわかりにくい構成にも思えたが、とりあえず章に沿って観た順に、印象に残った作品を挙げていきます。

『未来派デペーロ 1913-1927』 フォルトゥナート・デペーロ (1927)



1913年から1927年までの、本人の仕事(絵画、デザイン、広告、建築などの業績)をまとめた本だそうだ。残念ながらこのアーティストを知らない私は、とりあえずボルトとナットで綴じられている装丁に目が行く。そして何の脈略もなく、昔フィレンツェの教会で初めて目にしたルネッサンス期の写本の重厚な造本ぶりを思い出したりした。皮のカバーに覆われたそれは、3ヶ所くらいに真鍮製のベルトが渡してあったっけ。

『アンフラ・ノワール』 エロ (1971)



エロは以前、『サンマルコ広場の毛沢東』(1975年)という不思議な絵画作品を一度だけ観たことがある。この作品もどことなくキッチュなフィギュアがゼリー寄せみたいになっているが、よく見ると下の台座に本が挟まっている。

『オパール・ゴスペル』 ロバート・ラウシェンバーグ (1971-72)



10枚のパネルが台にはめ込まれているが、各パネルにはアメリカ・インディアンの各部族の10篇の詩と絵が刷られているのだそうだ。頁の材質が紙でもなく、綴じられてもいない本。

このように本をテーマに作られたアート作品を「リーブル・オブジェ」と呼び、マルセル・デュシャンの「1947年国際シュルレアリスム展(カタログ)」に始まると言われているそうだ。そのカタログの出版元は「ル・ソレイユ・ノワール」社とあるが、上記エロのゼリー寄せ作品(勝手に!)の台座に収まっている本の背表紙にもその名が。

『佇む人たち』  福田尚代 (2004)



これ、何だと思いますか?

答えはこちら。『佇む人』 福田尚代 (2003)



はい、文庫本を削ってこのような形状に。

正面から見ると一瞬木の彫りものかと思うが、後ろに回るとお馴染みの様々な出版社の名が入った文庫本が並んでいる。やはり出版社によって高さはマチマチで、その不揃い感が趣を出している。文庫本の小口を彫刻刀で彫った作品とのことで、『佇む人たち』はそんな文庫本を羅漢に見立てたものだそう。紙を削るとこんな質感が出るのか、としばしその柔らかな断面に見入ってしまった。

『トランクの箱(ヴァリーズ)』 マルセル・デュシャン (1961)

1935年からデュシャンが継続的に制作した「ポータブル・ミュージアム」の一つだそうで、トランクの中に作品のレプリカが沢山入っている。画像はないが、本作品ではかの有名な『泉』やあの髭の生えたモナリザの絵など彼の作品の縮小レプリカ68点が詰め込まれており、展示ケースの中に広げられたそれらを眺めると「携帯可能な展覧会としての箱」というコンセプトが理解される。

この一角にはフルクサスのメンバーや私の知らないアーティストたちによるこの手の作品が並び、各展示ケースに平面、立体問わず混沌と中身が広げられている。

『アーティスト・アンド・フォトグラフ』 アラン・カプロー他 (1970)



一例。現代美術音痴の私ですら、“あら、あれはクリストさんね!”

『コンヴェックス・ミラー(凸面鏡の自画像) (1984)



パルミジャニーノの『凸面鏡の自画像』(1524)をもとにジョン・アシュベリーという人が詩を作り、その詩をもとにその友人のアーティストたちが作った版画を添えた作品だそうだ。レコードはアシュベリーが詩を朗読したものが吹きこまれているそうで、コンセプトも観た目も統一感があってすっきりした作品(それまで観てきた同系の作品の中身が混沌としていただけに)。パルミジャニーノの作品は実物大とのことで、こんなに小さいのかと思いつつ、アシュベリーがどんな詩を書いたのかも気になった。きっと放射線状に記されているのがその詩だと思われるが、字が小さくて読めなかった。

しかし、このあたりで「本」とは何ぞやという疑問が湧いてくる。この一角に並ぶのは、通常の本の体裁を取らない、「思考の集積」みたいじゃないか。もしや「本」には私なんぞの知らない概念があるのかもしれない。昨年だって書斎を意味するビューロー(bureau)は「本来13世紀頃に使われた毛織物を指す言葉」と習った例もあることだ。

家に帰って、早速国語辞典に手が伸びた。

「本」を引くと「書物」とだけある。「書物」を引くと「本・書籍・図書」。「書籍」を引くと「書物・図書」。ああ、もういい。

とか言いながら、私の手は性懲りもなく今度は英英辞典に伸びる。

book: a set of printed pages fastened together inside a cover, as a thing to be read

(読むためのものとして、印刷したページを綴じ、カバーをつけたもの)

基本そうだよね、やっぱり。

でもその次に、以下のようにあった。

“any collection of things fastened together”

(一緒に括られた収集物)

これですね!

年明け早々、私は何をやっているのか?

『新修漢和大辞典』 西村陽平 (2002年)



何も手を加えずに1000度以上の高温で本を焼くと、このようなオブジェが出来上がる、と解説にあってもにわかに信じられない現象。科学音痴の私には、何故紙が灰にならないのか不思議で仕方がない。しかしながらこの作品はオブジェとして大変美しいと思った。

『敷物―焼かれた言葉―』 遠藤利克 (1993年)



2000冊の本を燃やし、タールを染み込ませて並べた作品とのこと。床の上、565cmx330cmの面積に、黒こげの本が横や縦に寝かされたり、それらに寄りかかるように斜めに立てかけられたりしている。近寄るとタールの焦げ臭い匂いが鼻をつき、アスファルトの補修工事の現場や地下鉄の匂いを思い出させられる。作家にとってこれは「彫刻」作品だそうだが、テーマは何なのだろう?

今どきの子供たちは電子辞書に慣れているので、紙の辞書の引き方がわからないと聞く。どの国も新聞の発行部数が減り、日本の若者の間では携帯電話で読む小説が流行りだそうで。いったい「本」というオブジェクトはどうなるのでしょう?

と、ちまちま考える私のちっぽけな脳みそも、いずれは焼かれて灰になるのだが。

本展は1月24日(日)までです。

ついでながら、この美術館は浦和ロイヤルパインズホテルと同じ建物に入っている。我が浦和レッズが優勝祝賀会などにも使う(最近はそんな行事遠のいてしまったが)、こちらのホテルの各レストランはお薦めです。平日の13:00以降90分間は内税1800円きっかりで楽しめる1Fのブッフェも美味しい。昨秋パリで行われた料理コンクールに出場した日本代表はここのフレンチ・レストランのシェフだそうで、同じく1Fにあるパン屋さんのスタッフさんたちもいろいろ賞を取られているようですよ~!

聖地チベット ポタラ宮と天空の至宝

2010-01-05 | アート鑑賞
上野の森美術館 2009年9月19日(土)~2010年1月11日(月・祝) 会期中無休



公式サイトはこちら

実は昨年中にバタバタと観に行っていながら、まだ記事にしていない展覧会が三つほどある。書かないと昨年の「阿修羅展」のように、年末に「今年のベスト10」に入れたくとも記事がナシ、なんて事態になって後悔するやもしれないので、閉会が迫っている物から順番に頑張りたいと思います。

というわけで、まずは今週末の祝日で終わってしまうこちらの展覧会から。昨秋に始まった時は随分ロングランだなぁ、と思ったのに、時は確実に流れて年も明け、残すところあと6日となってしまった。

そもそも自国の仏教の知識もあやふやなのに、チベット仏教は尚わからない。高地の風にはためくカラフルな旗の群れ、参拝者がカラカラと回す仏具(本展で「マニ車」という名称を思い出す)などが浮かぶ程度。そんな私が観に行って何がわかるのかと思ったりもしたが、当時手に入れたチラシ(上のバージョンとは違うもの)から眩い光を放つ『十一面千手千眼観音菩薩立像』(第2章に出てきます)に手招きされるように上野の山へ。

実際のところ、世界文化遺産にも登録されているポタラ宮殿などから、国宝級の一級文物36件を含む123点ものチベットの名品が日本で観られるなんて初めてのことだそうです。

では、今年もいつものように章ごとに追っていきます:

序章 吐蕃王国のチベット統一

『ソンツェンガンポ坐像』 チベット (14世紀)



7世紀初め、ソンツェンガンポがチベット高原を統一し吐蕃(とばん)王国を建設。彼が仏教国の唐とネパールから二人の妃を迎えたことによりチベットにも仏教が入る。こちらがそのソンツェンガンポの像。頭のてっぺんから阿弥陀如来が顔を出している。

『魔女仰臥図(まじょぎょうがず)』 チベット (20世紀)



両腕を投げ打ってひっくり返る魔女の全身に、まるで刺青のごとくびっしり描き込まれた地図。これは、ソンツェンガンポの妃に尋ねられて唐の僧侶が示した、寺院を建立すべき地が書き込まれている。チベットの大地の下には羅刹女(らせつにょ)という魔女が横たわっているという伝承があり、寺院建立によってその力を抑え込むということらしい。

第1章 仏教文化の受容と発展

『弥勒菩薩立像』 東北インド (パーラ朝 11‐12世紀)



微かに笑みを湛えた赤い唇、腰を軽くくねらせたスリムな体型。艶やか。

梵文『八千頌般若波羅蜜多経(はっせんじゅはんにゃはらみたきょう』 インド (パーラ朝 12世紀)



画像では字体がつぶれてしまうが、整然と並ぶ文字が記号のようでおもしろい。これを写経しろと言われたら、漢字とどちらがしんどいだろう?などと書道が苦手な私は密かに考える。

『アヴァドゥーティパ坐像』 チベット (16世紀前半)



祖師の像が並ぶこの一角は心臓がドキドキする。目をかっと見開き、赤い口元から真っ白な歯や牙がのぞいていたり。「迷える大衆を仏の道に引き戻すため」にこんな恐ろしい形相をしているそうだが、前に立つと何とはなしに怖い。ここに1点挙げた『アヴァドゥーティパ坐像』は下を向いているが、その前に立つと今にも動いて顔を上げてこちらを見そうなリアルさがあり、背筋がゾクゾクする。

ところでここに並ぶ坐像の顔はピカピカだが、チベットでは「信者が「お布施」として金粉(金泥)を奉納し、僧侶がそれを仏像の顔に塗るという習慣がある」そうなので、そのためかもしれない。

『ミラレパ坐像』 チベット (16‐17世紀)



強烈な坐像たちを観た後だけに、ちょっと和めた坐像。ミイラのような身体、顔の表情、ポーズと何となくコミカルなこの人は、チベット一有名なヨーガ行者にて詩聖だそうだ。「マイッたなぁ」と言っているようにも見える、右手を耳に当てたポーズは、霊感の声を聞いているところ。

第2章 チベット密教の精華

『十一面千手千眼観音菩薩立像』 チベット (17‐18世紀)



体高77cmとそれほど大きなものではないが、掌ひとつひとつに目が宿った千手の密度はすごい。そこにばかり目が行ってしまうが、よく観ると11面の中には牙をむいて怒る顔も。

『カーラチャクラ父母仏(ぶもぶつ)立像』 チベット (14世紀前半)



多面多臂で主尊が明妃(みょうひ)を抱く父母仏(ヤブユム)は、チベット密教の表現の特色だそうだ。慈悲と智慧の合一を表すそうだが、私は初めて観た。この作品では正面から観ると明妃の顔がこちらに向いているが、他の父母仏の画や像では妃は後ろ姿で足を主尊にからめているものもあり、不謹慎かもしれないが官能性を強く感じた。この像にしても、グルグル回りながら覗き込むと(つい近寄り過ぎて、台座を蹴っ飛ばしてしまった)、主尊と妃は向き合って顔を近づけていてドギマギしてしまう。

この作品や先に挙げた『十一面―』など、360度鑑賞すべき作品はフロアーの真ん中の台座に載せられて展示されており、会場のあちらこちらから台座を蹴飛ばす「バコッ」という音が聞かれた。それほど思わず詰め寄ってしまう作品が多いということでしょうね~。

『ダーキニー立像』 チベット (17-18世紀)



会場入り口に設置されていた箱から引いた私の“守りがみ”は、この「空飛ぶ智慧の女神」ダーキニー立像だった。何だかポーズが中国雑技団のパフォーマンスを思わせなくもないが、超能力を持ち、空を飛べ、踊りも得意だそうです。超能力や踊りはさておき、智慧を授けてもらいたい私にはまさに有り難い神様を引いたもの。

第3章 元・明・清との交流

『夾彩(きょうさい)宝塔』 清代 (18-19世紀)



この章の解説によると、「13世紀にモンゴルがチベットに侵攻するも、逆にチベット密教のサキャ派がモンゴル全体の仏教行政権を獲得。これを契機にモンゴル帝国、ひいては元・明・清との文化交流が進む」そうだ。この作品は景徳鎮製で、使われている夾彩という技法は乾隆帝の時代に最も盛んに。彼は自身が熱心なチベット仏教徒であったそうだ。

第4章 チベットの暮らし

『チャム面(マハーカーラ)』 チベット (17‐19世紀)



マハーカーラとは仏法を守護する護法神とのこと。五つの髑髏は貪欲・妬み・愚かさ・幼稚さ・欲情を表すそうだ。我が守りがみ、ダーキニーも長い髑髏の首飾りをつけていたが、チベット仏教の作品に登場する髑髏たちは表情があって何だかユーモラス。

『胸飾』 チベット (20世紀)



トルコ石は、吉祥や魔除けの効果があるとして古くからチベットで重要視されていたそうだ。アクセサリー類だけではなく、仏像にもたくさん散りばめられていた。

この章では他に、色鮮やか且つ大胆なデザインのシャム装束、独特な楽器類、チベット医学を端的に知る四部医典タンカなどが印象に残った。

振り返れば、2009年はエジプト文明やローマ帝国関連の展覧会も多く、そこに南米シカン展やこのチベット仏教展なども加わって、硬貨やら装身具類やら像やらと金色に輝く作品を随分とたくさん観た1年だった。本展はその大取り。

パリに咲いた古伊万里の華

2009-12-21 | アート鑑賞
東京都庭園美術館 2009年10月10日(土)-12月23日(水・祝)

公式サイトはこちら

副題に「日本磁器 ヨーロッパ輸出350周年記念」とある。パネルの説明によると、「1659年10月15日にオランダ東インド会社によって長崎から5,748点の陶磁器を積んだフォーゲルザンゲ号が出航し、日本からヨーロッパに向けて本格的に陶磁器の輸出が始まった」とのことで、今年はその350周年の節目。それを記念し、パリを拠点に長年に渡って古伊万里の収集をしている碓井(うすい)コレクションから165点を紹介するもの。

会場に足を踏み入れてみると、本編に入る前に序章があり、派手目の目を引く作品群にまずは出迎えられる。

『染付漆装飾花束菊文蓋付大壺』 (1690~1730年代) 



高さが91cmもある、存在感のある立派な壺。蓋のてっぺんは、まるで貴婦人がイヤリングを下げているような装飾が施されている。碓井氏がパリの骨董店でこの壺に出会ったときは亀裂や剥落があり、壁土のようにポロポロ漆が落ちるような劣悪な状態だったという。それを1年半かけて修復し、本展に無事出展となったとのこと。

『色絵花鳥文蓋付大鉢』 (1720~50年代)



この金属加工はフランス国王ルイ15世(在位:1715~74〉時代の様式だそうで、いかにもバロック的なのたうちぶり(?)。海の向こうの人たちの趣味とはいえ、私には重すぎに感じてしまう。図柄の蛸唐草文様の入れ方もどことなく浮足立った風に観えてきてしまうのは、穿った見方かな?

ということで、本編は以下の章立てに沿って有田からの輸出磁器の変遷を観ていきます:

第1章 欧州輸出の始まりと活況 (寛文様式、1660-70年代)
第2章 好評を博した日本磁器の優美 (延宝様式、1670-90年代)
第3章 宮殿を飾る絢爛豪華な大作 (元禄様式、1690-1730年代)
第4章 欧州輸出の衰退 (享保様式、1730-50年代)

では、印象に残った作品を挙げながら順番に:

第1章 欧州輸出の始まりと活況 (寛文様式、1660-70年代)

1644年の王朝交代によって内乱に突入し、磁器輸出がままならなくなった中国に変わり、1657年頃から日本がヨーロッパ向けの磁器の見本を作り始める。1659年から1660年代にかけては、輸出量が最も多かった時代。中国磁器やヨーロッパ陶器を見本に作られるものがある中、注文生産では間に合わず、国内向けの製品からも輸出された。生活品が多いためか染付の割合が高い。

『染付牡丹文大瓶(一対)』 (1650~60年代)



これは総高72cmもある大瓶で、ヨーロッパに輸出後、現地で金属加工されたそうだ。宮殿などの広間を飾る装飾品として見栄えはするのでしょうが、やっぱり「余白の美」的な磁器と重厚な金属装飾の取り合わせはしっくりこない(しつこいね、私も)。何だか磁器が羽交い絞めにされているような窮屈さを感じる。思うに、このような金属加工装飾はやはり、セーブル焼きなどの、余白をターコイズ・ブルーやらピンやらで塗りつぶした焼き物にベスト・マッチなのでは?

『染付藤文大瓶』 (1660~80年代)



こちらは恐らく輸出用に作られたものではないが、選ばれてヨーロッパに渡った作品の一つだそうだ。藤の花房や葉がサラサラと下に流れる様子が風流。もし前出の一対の作品とこの瓶のどちらかをもらえるとしたら、私は断然こちらです。

『染付花鳥文手付坏』 (1660~70年代)



ビール・ジャグ。まろやかな形状。高さ25.5cmもあるけど、ここから直接飲むのでしょうか?

『染付鯉蓮波文手付水注』 (1660~90年代)



観れば観るほどまた妙チクリンな。。。

第2章 好評を博した日本磁器の優美 (延宝様式、1670-90年代)

オランダ商社の厳しい注文から生まれた完璧な乳白色の素地。そこに色絵を施した柿右衛門様式の色絵磁器は、ヨーロッパで好評を博す。

『染付岩牡丹鳳凰柘榴文 八角蓋付大壺・大瓶』 (1670~90年代)



1680年代頃から壺・瓶の5点セットがヨーロッパ王侯の注文で作られ始めたそうだが、これはその初期の完存した例とのこと。植物の葉の散り方や、中央に描かれた鳳凰の長い尾が流れる図柄は単品でも優美だけれど、5点並んだときの統一感はほれぼれする美しさだった。

『染付松竹梅文蓋付大壺』 (1680~1700年代)



プリーツのような縦の筋が印象的な壺。何とはなしに生真面目で几帳面な職人が作ったのだろうな、なんて想像する。

『色絵柴垣松竹梅鳥文皿』(1670~90年代)と『色絵鶉菊文皿』(1680~90年代)



左の作品はスケッチ感が感じられる絵画的な絵柄で、色合いも線描もとても繊細。右は鶉が可愛い。

『染付菊牡丹山水文髭皿』 (1680~1700年代)



下部をこのように半円形に切り抜き、上部に二つの小さな穴を開けたものを「髭皿」と言うそうだ。なにそれ?と解説を読むと、こわ~い説明が。当時ヨーロッパには理髪外科医という職業があり、理髪師と外科医を兼ねたような仕事をしていて、整髪や髭剃りなどの理髪師としての仕事以外に外科医として瀉血(しゃけつ)を行った、とのこと。「針を刺して血を抜くのである」とあっさり書いてあったが、要するに抜いた血をこの皿に受け取るのでしょう?そういえば、昔ヨーロッパでは理髪師が抜歯を行っていたという話も聞いたことが。想像するだに貧血起こしそう。

第3章 宮殿を飾る絢爛豪華な大作 (元禄様式、1690-1730年代)

注文品が大型化し、色絵が染付製品にとって代わる。その色絵も柿右衛門様式から金襴手(中国明後期の嘉靖、万暦時代に盛行した多色の色絵様式)が主体に。中国が国内統一を果たして輸出を再開するも、今度は逆に景徳鎮が有田磁器を見本に注文を受けるように。有田で作られた、染付素地に赤・金の2色のみによる色絵が施された金襴手は低価格のため好評で、景徳鎮がこれに倣って作った作品を「チャイニーズ・イマリ」と呼ぶ。

『色絵桜樹巻物冊子文大皿』 (1700~40年代)



濃紺の部分は呉須で描いた染付なので、赤・金だけで文様が描かれたエコノミカルな金襴手作品。口径が55cmもある大型のお皿なのに、少ない色数でこんなに装飾的に華やかな作品になるなんて。口縁部に描かれた巻物や冊子がいかにも輸出を意識した和的なモティーフで、ちょうど今文房具屋さんに並ぶ海外向けのクリスマス・カードを思い出したりした。

『色絵邸宅牛文蓋付大壺』 (1700~40年代)



何よりもツマミ部分の遊女に目が釘付け。この遊女が壺の身長を水増しし、高さ67.2cmに。

第4章 欧州輸出の衰退 (享保様式、1730-50年代)

再興した景徳鎮との価格競争に敗れ、オランダの衰退、マイセンなどヨーロッパでの磁器生産の拡大などを背景に、有田磁器の輸出は衰退。1757年に公式輸出は終焉を迎える。

『色絵竹梅鳥文壺』 (1720~40年代)



別途作った梅の花や蕾が胴部に貼り付けてある。このような装飾法は有田にて18世紀前半にヨーロッパ輸出向けに少なからず行われた、と他の作品に説明があった。これがドイツのマイセン焼きなどに影響を与えたのだろう、と。貼り付け装飾は西洋磁器でのイメージの方が強かったけれど、あのマイセンも有田からヒントを得たのですね。この作品は絵柄が雑だけれど。

この最終章にも大型の壺や鯉をモティーフにした風変わりな置物などが並ぶが、一見立派ながら概ね絵柄などもぞんざいな感じで、それまで観てきた作品と比べると生彩が感じられない。

それにしても、本展の優雅な展示作品はこのアール・デコの邸宅にぴったり。普通の美術館で観るよりずっと趣があったと思う。明後日、12月23日までです。

THE ハプスブルク

2009-12-11 | アート鑑賞
国立新美術館 2009年9月25日(金)-12月14日(月)

公式サイトはこちら



お楽しみはとっておこう、にもほどがあった。毎度ながら、気付けばもう閉会間近ではないか!12月も1週間が過ぎた頃、泡食って乃木坂へ走った。

本展は、ウィーン美術史美術館とブダペスト国立西洋美術館の所蔵品から、ハプスブルク家ゆかりの作品を中心に、絵画75点に工芸品を加えた計120点を展覧するもの。チラシには「ベラスケスもデューラーもルーベンスも、わが家の宮廷画家でした」というニクイ言葉がある通り、7割がたはハプスブルク家が所有していたもの。

また、2009年は日本とオーストリア・ハンガリー二重帝国(当時)とが国交を結んで140年の節目にあたるということで、明治天皇が皇帝フランツ・ヨーゼフ1世に友好のしるしとして送った画帖や蒔絵も里帰りして本邦初公開。

本展の構成はとても明瞭で、特に絵画に関しては時代別ではなく国ごとにまとめられて展示されていたのが新鮮。壁の色もそれぞれの国のイメージに合った色が使われ、イタリアはグリーン・ゾーン、スペインはレッド・ゾーンという感じで鑑賞にもリズムが生まれた。ちなみにドイツはグレイ、フランドル・オランダはモカ。

その構成は以下の通り:

Ⅰ ハプスブルク家の肖像
Ⅱ イタリア絵画
Ⅲ ドイツ絵画
特別出展
王室と武具
Ⅳ フランドル・オランダ絵画
Ⅴ スペイン絵画

それではいつものように、印象に残った作品を挙げながら順番にいきます:

Ⅰ ハプスブルク家の肖像

『神聖ローマ皇帝ルドルフ2世』 ハンス・フォン・アーヘン (1600-03年頃)



このセクションでは、章題の通りハプスブルク家の人々の肖像画が計8点並ぶ。これは最初の1枚。宮廷肖像画というジャンルは16世紀初めに成立したそうで、ハプスブルク家の統治者たちも最初はこの作品のようにその相貌をありのままに描きとどめさせていた。ソラマメのような顔の輪郭、たるんだ目元。生涯独身を貫いたこの君主はしかし、宮廷美術のパトロンとして有名。今年の夏、Bunkamuraでの「だまし絵展」にて展示されていた、彼が擁護したアルチンボルトによる風変わりなこの王の肖像画も記憶に新しい。

このような肖像画は、18,19世紀になると美化され、理想を追った作風になっていく。『オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世』 フランツ・シュロッツベルク (1865-70年頃)など、体中に煌びやかな装身具をぶら下げて美しく描かれている。

しかし、ここのセクションを他のどこより混雑せしめたるは、透き通るようなブルー・グレイの瞳と折れそうなウェストが印象的な『11歳の女帝マリア・テレジア』 アドレアス・メラー作(1727年)(チラシに使われている作品)と、完璧な美を湛えるプリンセス『オーストリア皇妃エリザベート』 フランツ・クサファー・ヴィンターハルター作(1865年)。後者は、絵としてそれほどいいとは思わなかったが。

Ⅱ イタリア絵画

『矢を持った少年』 ジョルジョーネ (1505年)



中性的な面立ちをやや傾げながら、物理的に何も見ていないような空虚な眼差し。どこか次元を超えた闇から浮き出てきて、次の瞬間には儚く消えてしまっているのではないか、という妄想すら覚える。間近で対面しても、人々の肩越しに観ても、その不思議な瞳で鑑賞者を見返してくる500年前の少年。離れ難し。

『聖母子と聖エリザベツ、幼い洗礼者ヨハネ』 ベルナルディーノ・ルイーニ (1515‐20年頃)



レオナルドの静謐さとラファエッロの甘美さを併せ持ったような聖母の顔立ち。彼女の深紅のドレスと膝にかかるオレンジの布地、聖エリザベツが羽織る赤いマント(?)と、暖色に包まれた画面は深みがあって落ち着く。

『聖母子と聖カタリナ、聖トマス』 ロレンツォ・ロット (1527-33年)



左の天使と聖母子が形作る三角形の構図がきれいに決まっている。聖母の着るブルーのドレスがまず目に飛び込んでくるが、よく観ると聖カタリナのオリーヴ色のドレスの色も美しい。何よりわき役である天使の軽やかさが私は好きだった。

『イザベッラ・デステ』 ティツィアーノ・ヴェチェッリオ (1534-36年頃)



芸術を政治に利用したことで知られるこのマントヴァ侯爵夫人の名前を聞くと、レオナルド・ダ・ヴィンチが描いた彼女の右横顔の肖像画デッサンをまず思い浮かべる。この作品は彼女が60歳のときに、別の画家による昔の作品(現所蔵先不明)に倣ってティツィアーノに描かせた肖像画だそうだ。それほど美人ではなかったと読んだことがあるが、ファッション・センスはフランスの女官たちも憧れたほどだったと聞く。毅然とした意思を感じさせる目、堅く結んだ口元も、バラ色のさすふっくらとした健康そうな頬のおかげで憎めなく感じる。ターバン風の凝った帽子やファーの使い方、濃紺の生地に金糸の刺繍がされたドレスなど、本当におしゃれ。

『聖母と6人の聖人』 ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ (1755‐56年頃)



72.8cmx56cmのそれほど大きな作品ではないが、とても良い絵だった。聖母を頂点に群像を綺麗な三角形でまとめながらも、各人の動的ながら柔らかいポーズと色の配色によって自然な奥行きが生まれ、立体的な画面になっているように思える。実はこの絵はノー・マークだったが、やはり実作品を観てみるものですね。

Ⅲ ドイツ絵画

『ヨハンネス・クレーベルガーの肖像』 アルブレヒト・デューラー (1526年)



デューラーの板絵が3枚並んでいるなんて、デューラー好きにはたまらない一角。2002年に来日した女性像以外の2点は初見。そのうちの1枚であるこの作品はとても風変わり。解説には「丸く切り抜かれた壁の上に、かろうじて載っている丸彫の胸像」とあるが、かなり不自然に感じる。肌の質感、頭髪など余りに写実的で、とても彫刻作品とは思えないし、むしろシュールレアリスム絵画という感じ。いずれにせよ、デューラーの精密な画面は素晴らしいです。

『洗礼者聖ヨハネの首を持つサロメ』 ルーカス・クラナッハ(父) (1535年頃)



これはもう別格の美しさ。自分が斬首した、目や口元が半開きの生首を抱え、冷徹な微笑みを湛えるサロメ。とても残酷なシーンなのに、きれいな絵だなぁ、と見詰めてしまう。鉋屑(かんなくず)をかたどった首飾りの金属の質感、凝ったデザインの豪華なドレス(腕は長すぎるけど)、ゆで卵のようなすべすべの肌に目が奪われる。

本展では、上記の作品を合わせ、主題は異なるが斬首のシーンを扱った作品が3点並ぶ。

『ホロフェルネスの首を持つユディット』 ボロネーゼ (1580年頃) *イタリア絵画



『ホロフェルネスの首を持つユディット』 ヨーハン・リス (1595‐1600年頃) *ドイツ絵画



いずれも自分が斬首した首を持つが、それぞれの女性の表情を見比べるのも一興。ボロネーゼのユディットは何やら目もうつろで、半開きの口元は「私、何をしでかしたのでしょう」という呆然自失の表情。リスのユディットは「やったわよ!」と不敵な眼差しで我々に振り返っているよう。

絵画はいったんここで中断。

特別出展

歌川広重(三代)らによる『風俗・物語・花鳥図画帖』が2帖展示。1869年制作で、全部で100点あるそうだが、とにかく展示ケースの前はすごい混雑ぶり。肩越しに何点か観てスルーしてしまった。蒔絵の棚も人々の肩越しに観て、かろうじて優美な金色の川の流れだけ確認。

王室と武具

金、銀、ブロンズ、大理石、貴石、ガラス、貝など様々な素材を使い、金銀細工や象嵌細工など意匠を凝らして作られた多様な品々が展示されていた。甲冑一式のような大きな物から武具、彫像、杯などなど、いかにもバロック的で煌びやかな造形が並ぶ(私には多少くどいけど)。

『「籠を背負った男」としてのサテュロスの蓋つき祝杯』 ハンス・ハインリッヒ・ロレンブッツ2世 (17世紀前半)



個人的にはエレガントなものよりこういう変わった作品に目が行く。

『掛時計』 (1700年頃)



写真を観た時は小さいものを想像していたが、実物は直径50cmもあった。外枠に並ぶ、玉石で作られたサクランボ、葡萄、ザクロなどのフルーツが何とも可愛らしい。美術品としては素敵だけど、時間はわかりづらい。まぁここで求められているのは実用性よりも芸術性ですから。

Ⅴ スペイン絵画

図録上はスペイン絵画が最終章になっているが、会場での実際の展示順に従って書きます。

『悪魔を奈落に突き落とす大天使ミカエル』 バルトロメ・エステバン・ムリーリョ (1665‐68年頃)



私の好きなムリーリョの絵がここに3枚も並んでいるなんて。しかも初見のこの作品が余りに良くて、絵の前でしばしうっとり。私の浅薄な知識では、ムリーリョというとまず「無原罪の御宿り」が浮かび、今回隣に並ぶ『幼い洗礼者聖ヨハネ』(1650-55年)のような、ふわふわの羊を伴った幼い聖人の絵がイメージとして強いが、この大天使ミカエルのかっこよさと言ったらどうでしょう。甘美と冷徹が合わさった顔と、しなやかな身体の優美な動き。これはセビーリャのカプチン会修道院のために描いた、21点の連作のうちの1点とのこと。全部観たいなぁ。。。

『食卓につく貧しい貴族』 ディエゴ・ベラスケス (1618‐19年頃)



ベラスケスが若干20歳くらいのときの作品(やっぱり上手いねー!)。落ち着いた筆致で丁寧に描かれているが、全体の構図や明暗に浮かび上がる人物たちの表情など巧みに表現されている。

Ⅳフランドル・オランダ絵画

『フィレモンとバウキスの家のユピテルとメルクリウス』 ペーテル・パウル・ルーベンスと工房 (1620‐25年頃)



オウィディウスの『変身物語』の一場面。フリギアを巡り歩いていたユピテルとメルクリウスにどこの家ももてなしを断る中、唯一招き入れたのがこの貧しい老夫婦。この絵は、老夫婦が自分たちの最も高価な財産であるガチョウをつぶしてもてなそうとしているところ。

肩を出したユピテルの出で立ちは目立つが、中央で語り合うメルクリウスと老人の情景や老婆の動作は風俗画的で親しみやすい。ガチョウを含めた4人と1羽の構成する環が、画面をきれいにまとめている。

物語の続きとしては、つぶされそうになったガチョウは二人の神々へ助けを求め、ここで老夫婦はこの二人の正体を知る。老夫婦の家は神殿に変化し、二人は司祭になり、一緒に死にたいという願いもかなえられ、二人とも長寿を全うして同時に2本の木に変身したそうな(図録参照)。

『水鳥』 メルヒオール・ドンデクーテル (1680年代)



薄桃色のペリカンが大きな存在感を放つ、装飾的な鳥の群像。ペリカンの横にいる、目が朱色のパッチで囲まれた変わった鳥は、解説を見るとナイルガチョウというのかな。この画家はオランダ人だそうだが、精緻な写実表現が十八番のオランダやフランドルの画家の、動植物を描いた作品は図鑑的でおもしろい。

他にアンソニー・ヴァン・ダイクが3点(プラス「?」マークつきが1点)、ヤン・ブリューゲル(父)、ルーベンス、ホーホなど、このセクションはイタリア絵画に次いで出展数が多かった。

この西洋画の華麗なる祭典も、いよいよ残すところあと数日。12月14日(月)までです。

古代ローマ帝国の遺産―栄光の都ローマと悲劇の街ポンペイ―

2009-12-10 | アート鑑賞
国立西洋美術館 2009年9月19日(土)-12月13日(日)



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共和制ローマ末期の政治家、ガイウス・ユリウス・カエサル(BC100頃-BC44年)の意思を継いで、初代ローマ帝国の皇帝となったアウグストゥス(BC63-AD14)。本展は、このアウグストゥスが活躍した時代周辺のローマ帝国の遺産と、AD79年の火山の噴火で地中に埋もれたポンペイからの出土品に焦点をあてた展覧会。出展作品は、よって紀元前1世紀から紀元後1世紀の間のものが主体。

構成は以下の通り:

第1章 帝国の誕生
第2章 アウグストゥスの帝国とその機構
第3章 帝国の富

それでは1章から観ていきます。画像は図録から取り込みましたが、レイアウトの関係上周りの文字がトリミング出来ず。雑ですがお許しを:

第1章 帝国の誕生

『アウグストゥスの頭部』 (ティベリウス時代 後12‐37年)



共和制末期、ヘレニズム文化の影響を受けた大理石製の肖像彫刻を彫らせることが富裕層に流行。経験と優れた知識を示す皺の表現など、ギリシャ彫刻にはない迫真性を持った作風であったが、「王」ではなく市民の「第一人者(プリンケプス)」であることを強調したアウグストゥスは、ヘレニズム君主を連想させるヘレニズム様式を避け、BC5世紀頃のギリシャの古典時代に範をとる様式を成立させた。

この頭部は、そのギリシャ古典様式による胸像。これより前に展示されていた、ヘレニズム様式の『アウグストゥスの胸像(オクタウィアヌス・タイプ)』 (後1世紀前半)』(アウグストゥスが皇帝になる前、アクタウィアヌスと名乗っていた頃の胸像)と見比べると、正直なところ明確な差異が私には今一つわからないが、言われてみればこちらの方がすべすべと無感情な印象を受ける。

『皇帝座像(アウグストゥス)』 (後1世紀中頃)



18世紀にヘルクラネウムで出土し、頭部をアウグストゥスとして修復したもの(とはいえ、実際アウグストゥスである可能性が高いとのこと)。高さ215cmもある、白大理石の堂々たる座像。やや姿勢を崩してもたれ気味に座り、お腹の腹筋や足の指、足の甲に走る血管など写実的に表現されている。開いた両足の間にたわむ衣の襞、ガッツポーズのように突き出した左肩の上で折り返されるマントの襞など、水流のような美しい彫り。涼しい顔して会場に鎮座しているが、よくもまあはるばるこんな極東の島までやってきたもの。

第2章 アウグストゥスの帝国とその機構

『アレッツォのミネルヴァ』 (前3世紀頃)



こちは特別出展とのこと。1541年にアレッツォで出土するや、メディチ家のトスカーナ大公コジモ1世のコレクションに入ったミネルヴァのブロンズ像だそうだ。高さ155cm。独特の緑色、洗練された彫りの美しさ、すっきりしたプロポーション。会場で孤高の美を放っていた。何となく2005年に東博の表慶館で観た『踊るサテュロス』像が脳裏に浮かぶ。

『アポロ像』 (後1世紀)



高さ105cmほどの白大理石像。肩に下がる縦ロールの巻き毛と口元の笑みが印象的。アポロが撫でるグリュプスも、どことなくじゃれつく犬のようで微笑ましい。

『アルミティス(ディアナ)像』 前2世紀-前1世紀



ポンペイのアポロ神殿から出土したブロンズ像。目は練りガラス製。弓矢を射るところで、左手が欠損しているのがとても残念。

『コブラとアオサギ』 (後1世紀)



ポンペイの民家の食堂を装飾していたフレスコ画。ハブとマングースならぬ、コブラとアオサギの戦い。鳥の羽根など筆捌きがよく観てとれて、描かれてから2000年近くもの時の隔たりがあるのが嘘のよう。ちょうど閉じ目に当たって画像は取り込めないが、この絵の隣にあったという『犬のシュンクレトゥス』も愛らしかった。自分の身丈より大きな草の横でちょこんとお座りしている、目の大きなむく犬。ちゃんと名前のついた犬の肖像が描かれているということに新鮮な驚きを覚える(こうして2000年後にお会いできて嬉しいよ、シュンクレトゥス君!)。

『セリフォス島のダナエ』 (後1世紀後半)



父アクシリオス王に、息子共々木箱に入れられ海に捨てられたダナエが、セリフォス島で漁師に発見されるシーン。この作品が最初に目に入った時、ピエロ・デッラ・フランチェスカを想起した。

上に挙げたのはほんの一部で、この章には主にポンペイ及びその周辺から発見されたフレスコ画の作品が充実していたが、繊細な衣襞の表現が目を引く『王座のデメテル』や、まるで油絵のような『セレネとエンデュミオン』など、その高度な画力に改めて感嘆させられた。

『骨壷』 (後1世紀)



共和制末期から後1世紀までのローマは、火葬が一般的だったとのこと。この青い色が美しいガラスの壺にも、当時火葬された遺骨が入ったまま展示されている。取っ手はまるで飴細工のよう。

第3章 帝国の富

いつの世も、国が平和のもと上手く治められ、経済が潤っていれば芸術が振興する。とりわけ、教養があり文化に理解のある統治者に恵まれればなおのこと。

共和制末期の混乱を無事平定したアウグストゥスが力を注いだ文化の刷新。それは建築、彫刻、モザイク、絵画、貴金属細工、銀器、貨幣鋳造、彫玉など多岐の分野に及び、この章ではその片鱗の数々を各分野から観ることに。

『アウグストゥスのアウレウス金貨』 (前18-17/16)



アウグストゥスは貨幣システムも再統一。アウレウス金貨は高額貨幣で、この金貨にはアウグストゥスの横顔が刻まれている。この時代、帝国内に流通する金貨は皇帝のイメージを伝える重要なメディア。

硬貨鋳造にも不可欠であったローマ帝国の大規模な鉱山開発について、パネルに詳しい説明があった。例えばアウグストゥスが併合したイベリア半島の金鉱山ラス・メドゥラスでは、水圧で地層を崩壊させる「山崩し法」という採掘法が取られ、6万人の奴隷が働いていたという。凄い規模です。

そして金と言えば宝飾品。硬貨に続いて、首飾り、ペンダント、腕輪、指輪、耳飾りなど美しいものもずらり。エメラルドと金を美しくデザインした首飾りなど今身につけても誰も2000年前のものだと思わないだろう。イタリア女性の洗練されたファッション・センスは1日にして成らず、ってことですね。

『錘(おもり)』 (後1世紀)



外側はブロンズ製で、中に鉛が詰まっているそうだ。長さが30cmもあるし、取っ手がついているものの結構な重さなのでは?豚を模っているところに古代ローマ人のユーモアのセンスを感じるが、一体何の錘に使ったのだろう?

『シノレスのカンデラブルム(卓上型ランプ台』 (前1世紀後半)



ローマの住居の照明は、一般には蝋燭かテラコッタ製のランプ。このランプを置く燭台をカンデラブルムという。この一角に並ぶ作例は、アール・ヌーヴォー顔負けの意匠を凝らしたデコラティヴなものばかり。本作はこの間観た映画「クリスマス・キャロル」に出てくる、“クリスマスの現在の幽霊”に似ている。ふぁ~はっはっはっ・・・

『水道の弁』 (後1世紀)

  

古代ローマ人の成し得た偉業の一つが、道路網や上下水道の設備などのインフラ整備。ローマ帝国圏内だった国々に現在も残る、まっすぐな「ローマの道」と巨大な水道橋などがすぐ浮かぶ。上はそのような水道橋建設に使われた部品である弁と、きっとこのような部品の数々がちゃんと機能していたスペインのタナゴラの水道橋(参照までに)。このような出展作品も、当時の高度な工学技術の断片資料として興味深い。

余談ながら、一介の水道技官の目を通してヴェスヴィオ火山噴火の前後4日間が物語られる「ポンペイの四日間」(ロバート・ハリス著 2005年)はとてもおもしろい小説なので、未読の方にはお薦めです。

『庭園の風景(東壁)』 



ポンペイで出土した「黄金の腕輪の家」から剥がされた壁。幅350cmを超える南壁と共に、楽園のごとき美しい情景が豊かな色彩で描かれたフレスコ画の壁を再現展示し、夢のような空間を演出。思わず "Viva, Pax Romana!" それにしても東京にいながらにしてこんな空間に身を浸すことができるなんてビックリです。

『モザイクの噴水』



驚きは、続くこちらの噴水で更に。目も覚めるような青と緑の織りなすモザイク画。目に入った瞬間、余りの美しさに思わず声が出そうになった。ニンフに捧げられた噴水だそうだが、高さ240cmもあるこの噴水が水を湛えて機能している姿を想像するだに陶然となる。

展示はこの他、東京大学の発掘調査団らによるソンマ・ヴェスヴィアーナ遺跡(ヴェスヴィオ火山の北山麓。472年の噴火で埋もれてしまった)での発掘の成果も紹介。チラシの左に写る大理石像、、『豹を抱くディオニュソス』(前1世紀-後1世紀)もその一つ。

出展作品の感想は以上だが、このような豊かな文化的生活を市民(まぁ一定の地位以上の人々に限られるのでしょうが)にもたらしたアウグストゥスの政治的手腕についてパネルの解説を読みながら、深いため息が出た。どこかの国にもこういう人がいればいいのにね。

とブツブツ言いながら、久しぶりにレスピーギの「ローマの松」が聴きたくなった。とりわけ勇壮なエンディングがかっこいい「アッピア街道の松」はいい。

ユートピア ―描かれし夢と楽園―

2009-12-06 | アート鑑賞
出光美術館 2009年10月31日(土)-12月20日(日)

出光美術館と、カタカナの「ユートピア」という展覧会名の組み合わせが何となく新鮮に感じた。そしてその「ユートピア」という白抜きの5文字が映える、溢れそうな紅葉の絵柄が使われたチラシも目を引き・・・。



裏を見ると、「日本美術の世界には、さまざまな想像の翼が大胆かつ自由に広がっています。(略)“ユートピア”(理想郷)をテーマに、絵画・工芸の優品、約60件を展示し、古来描かれてきた「夢」と「楽園」の知られざる特質を探ります」とある。何やら形而上学的にも響くが、美しいものにお目にかかれそうな予感に、私には珍しく開会して間もなくの11月上旬に足を運んだ。図録もないし、そろそろ記憶も危うくなり、本当に“夢かうつつか”になってしまいそうなので、急いで記録を残すことにします。

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本展は以下の4つの章立てで構成されている:

Ⅰ 夢ものがたり―夢見と夢想、そして幻想
Ⅱ 描かれし蓮菜仙境―福寿と富貴
Ⅲ 美人衆芳―恋と雅
Ⅳ 花楽園―永遠なる四季

それでは順番に:

Ⅰ 夢ものがたり―夢見と夢想、そして幻想

『馬上残夢図屏風』 伝 狩野山楽 (桃山時代)

ロバに乗ったまま、うなだれて眠りに落ちている官僚。夢見るは安穏な隠遁生活。現代の、電車の中で居眠りをしているお疲れモードのサラリーマンの姿とダブる。この章では「厳しい現実からの救済」としての眠り、夢がテーマに扱われているが、みた夢が楽しければ楽しいほど起きた時の落胆は大きいもの。この官僚も、目が覚めたら隠遁どころか残夢は残務となっていることでしょう(それがキビシイ現実というものよ)。

『洞裡長春』 小杉放庵 (昭和3年(1928))

 部分

手前にフレームのごとく描かれた洞窟。その暗闇を抜けて向う側へ出れば、ホ~ラ、そこは桃源郷!穏やかな表情の唐子がのんびりと草原に座り、芳しい花の香りを楽しんでいるのが見える。現実と夢の境界線がこの洞窟、ということらしい。通常は洞窟に入って桃の花を見つける漁師の姿が描かれる主題らしいが、いずれにせよ暗い洞窟に入る勇気のある人だけに許されるのが桃源郷なのでしょうか。

『吉野龍田図屏風』 (室町時代)

チラシで楽園に誘っている作品。六曲一双の、装飾の極致たる絢爛な屏風。右隻には吉野の満開の桜、左隻には龍田の紅葉した楓。桜も楓の葉も画面から溢れんばかりで、枝ぶりはどうなっているのだなどと考えても意味がなさそう。ソファに座ってじっと対面していると幻惑され、まさに現実から浮遊して夢の中の世界へ。

『日月四季檜図屏風』 (室町時代)

六曲一双の屏風で、右隻に春と夏、左隻に秋と冬。檜の立姿だけで四季を表現した、私の今回のお気に入り。構図はシンプルながら葉の描き方は緻密で濃い。春はまだか弱さを漂わしつつ、上を向いて成長を予感させる若木、夏は葉もこんもりしてきて命の隆盛を思わせ、秋には枝ぶりもうなだれてくる。

Ⅱ 描かれし蓮菜仙境―福寿と富貴

『粉彩百鹿文双耳扁壺』 景徳鎮 中国・清「大清雍正年製」銘)

ふっくらとした壺。百鹿とある通り、鹿があちらこちらに。毛並みがとても丁寧に描かれている。鹿は禄と発音が同じなので、富をもたらすもの。だからこんなに一杯。山の峰々の青色、ちょこっと描かれた梅の花(?)のピンク色もきれい。

『寿老四季山水図』 池大雅 (宝暦11年(1761))

 部分

寿老人と福禄寿は日本では同一視されることもあるが、厳密には別々の神様。パネルに解説があったので、簡単にメモを取った。

中国古来、南半球で最も明るい星を南極老人星(カノープス)と呼んだ。長寿と天下泰平を司る星として祀ってきたこの星の化身が、道教の神様として描かれると寿老人。対して福禄寿(福星・禄星・寿星の三星を神格化したもの)は鹿や幸福を表す蝙蝠などと一緒に描かれたが、この画題が中国から日本に伝わった際に両者の混乱が生じた。

また、江戸時代の日本の絵師は、いかに笑いを誘うかという点に重きを置いて寿老人を描いた。ということでこんな頭に。池大雅の作品では後ろの鶴のくちばしもずい分長く引き伸ばされている。寿老人の表情はとても優しそうで、観ていて和む。

『福禄寿・天保九如図』 円山応挙 (寛政2年(1790))

そして応挙の福禄寿。滞りの全くないとてもきれいな線描だけど、輪郭の太い線が漫画っぽいと思ってしまった。

『百寿老画賛』 仙 (江戸時代)

100歳の老人がわやわやと100人以上集まり、楽しそうに大宴会。脱力系微笑的作品。仙崖が生きた江戸時代には、100歳まで生きるなんてそれこそ夢の話だったと思うが、今や日本の100歳以上の人口は4万人を突破。夢は如実に現実味を帯びてきている。仙の描くご老人たちのように、健康で微笑んでいられたら100歳まで生きるのも悪くはないけど。。。

『四季花鳥図屏風』 山本梅逸(やまもとばいいつ) (弘化2年(1845年))

 部分 

まるで水彩画のような瑞々しい屏風。岩や樹木に使われているこげ茶の諧調が全体をやわらかくまとめ、笹や植物の葉の淡い色彩と溶け合う。花やタンチョウの頭の赤もアクセント的に映える。画風がとても好み。

Ⅲ 美人衆芳―恋と雅

『桜下弾弦図屏風』 (江戸時代)

満開の桜の下で、三味線を弾いたり書を読んだりと遊興に興じる3人の女性と二人の女の子。それぞれが羽織る着物の柄も、尾を広げて舞う孔雀や永楽通寶の硬貨をモティーフにしていたりと凝っていて、とても艶やか。

『美人鑑賞図』 勝川春章 (江戸時代)



高塀に囲まれた女の秘密の花園。品を作る女性たちも優美だが、整然と走る直線が作る、妙な遠近法で描かれた建物も現実離れしていておもしろかった。

Ⅳ 花楽園―永遠なる四季

この章では、タイトル通り草花がモティーフの作品が並ぶ。花の命は短い。種類によって咲く時期も限られている。だから、最も美しい瞬間を描きとどめておきたい。四季を問わずその姿を愛でたい。とりわけ好きな花をいつも眺めていたい。そんな想いで四季の花々が咲き乱れる屏風画などが生まれたのだということが理解される(世の男性諸氏が女性に求める幻想のような。。。)。小さい作品だったけれど、鈴木基一『秋草図』などもさりげなく置かれていていたし、『粉彩牡丹文瓶』 景徳鎮 (中国・清「大清雍正年製」銘)は、描かれた桃色の花に一瞬にしてふわふわと夢心地にさせられた。このような感覚にさせてくれる作品に会えるから、美術館通いは止められない。

皇室の名宝―日本美の華 2期 正倉院宝物と書・絵巻の名品

2009-12-02 | アート鑑賞
東京国立博物館 平成館 2009年11月12日(木)-11月29日(日) *会期終了




公式サイトはこちら

1期に続き、何とか2期も観てきた。2期の会期はとても短い、とわかっていながら気付けば閉会間近。インフルエンザも流行っているし、人ごみは極力避けたいところだが、観たいものは観たい。チラ観でもいいや、と開場に向かったはずなのに、実際目の前に『春日権現験記絵』が現れたらやはり列の最後尾に並び、ケースに貼りつく私。懲りません。

構成は以下の通り:

第1章 古の美 考古遺物・法隆寺献納宝物・正倉院宝物
第2章 古筆と絵巻の競演
第3章 中世から近世の宮廷美 宸翰と京都御所のしつらえ
第4章 皇室に伝わる名刀

では順番に行きます:

第1章 古の美 考古遺物・法隆寺献納宝物・正倉院宝物

『聖徳太子像』(法隆寺献納宝物) (奈良時代 8世紀)



聖徳太子の像としては最古のもの。教科書でお馴染みのこの絵の実物を初めて観ることができた。両脇の童子の着物はもともと鮮やかな緑青が使われていたそうで、なるほど緑の断片がところどころ残る。この色が完璧にし残っていたら、さぞやきれいだったことでしょう。それにしても聖徳太子の唇は赤い。

『法華義疏(ほっけぎしょ)』 聖徳太子筆 (飛鳥時代 7世紀)

聖徳太子の直筆の書が現存しているということに単純に驚嘆する。わが国最古の肉筆遺品、だそうである。私は書のことはよくわからないが、自体はチマチマとしていて「これが聖徳太子の字かぁ」となんとなく親しみが湧いた。

『螺鈿紫檀阮咸(らでんしたんのげんかん)』 (奈良時代 8世紀)

恐らく本展のハイライトの一つ。チラシにも大きくその背面部分が使われているが、阮咸とは4弦の楽器。これは聖武天皇(701-756)遺愛の品で、正倉院宝物の中でも名宝として名高い品。1m足らずの楽器だが、この装飾美はウットリ見詰める以外何ができましょう?裏面の、宝綬をくわえて舞う鸚鵡の幻想的な図柄も素晴らしいが、表の意匠もなかなか。ヘッド、フレット、ペグ、ブリッジと全ての部位がかっこよく装飾されている。

第2章 古筆と絵巻の競演

『春日権現験絵(かすがごんげんげんきえ)』 高階隆兼 (鎌倉時代 延慶2年(1309)頃)

ここでの、というか、私にとって本展のプライオリティ No.1である絵巻。NHK教育テレビの日曜美術館で詳細に紹介されているのを観て、どうしてもこの目で観たい、と馳せ参じたのは私だけではあるまい。案の定凄い人だかりで、その手前に展示されていた『絵師草紙』(これも結構おもしろい絵巻だった)から連なる列の最後尾に加わり、後ろからも横からも押されながら遅々として進まぬ状態にくじけそうになりながらも最後まで最前列で観切った。

この作品は、「藤原氏一門のこれまでの繁栄に感謝し、また以後の繁栄をも願って制作された」もので、遺例の少ない絹本。想像以上に縦幅があり(3巻それぞれ40~42cm)、本来なら押し合いへし合いなどせず、1場面1場面をゆっくりと鑑賞したい見応えのある絵巻。人物の豊かな表情、活き活きした描写はとりわけ印象的。

通常平成館は涼しいのに、この時ばかりは汗ばむ熱気。最後の雪山の情景に至った時は、丸く連なる森の木々がアイスクリームに観えてしまった。




『蒙古襲来絵詞(もうこしゅうらいえことば)』 (鎌倉時代 13世紀)



これも小学校の教科書を思い出す。そうそう、この弓を張る蒙古軍兵士たちの身体のしなり具合。実物はこんなに色鮮やかなのか、と初めて実物を観られたことが嬉しい。

この章では貴重な書も沢山並んでいた。書はたいていスルーだが、これだけの名前が揃っているとそうもいかない。わからないながらもお気に入りは以下の通り:

『恩命帖(おんみょうじょう)』 藤原佐理 (平安時代 天元5年(982))

藤原佐理(ふじわらのさり)は平安時代中期の公卿で、小野道風(おのとうふう)、藤原行成(ふじわらこうぜい)とともに三跡の一人だそうだ。字体の独特の角度、リズムがなんとなく枯れ枝の風情を思わせた。

『本阿弥切本古今和歌集(ほんあみぎれぼんこきんわかしゅう)』 伝小野道風 (平安時代 12世紀)

丸みを帯びてくるんくるんと流れる小さめの文字の連なりが、なんだか金細工の鎖のようにも観えた。

『堤中納言集断簡(名家家集切)』 伝紀貫之 (平安時代 11世紀)

まるで細いペンで書いたような、太さ(というより細さ?)が均等な文字が、さらさらとどこまでも流れていくような書。実に繊細。

『書状』 西行 (平安時代 12世紀)

催促のお手紙だそうだが、紙のほぼ左半分しか使われていない。しかも紙の中央あたりに行間のスペースを取りながら大きい字で書き始め、あとはその周囲に集落のごとく数行ずつの文章を書き足している(解説によると全部で8ヶ所から成る)。しかも最後は紙を90度右に倒して書き足し。文字の大きさも文章の向きもバラバラなこんなお手紙、初めて観た。芸術的ではあるけど、実際受け取ったら読みにくそう。

第3章 中世から近世の宮廷美 宸翰と京都御所のしつらえ

宸翰(しんかん)とは天皇の書いた文章。伏見天皇、花園天皇、と続いていく様々な書の作品を人波の肩越しに覗き観しながら、江戸時代の屏風絵へGO!

『扇面散屏風(せんめんちらしびょうぶ)』 俵屋宗達 (江戸時代 17世紀)

 部分

8曲1双の画面に、「保元物語」「平治物語」「伊勢物語」などの物語からのシーンや草花の絵を描き込んだ扇子が並ぶ、装飾性に凝った華やかな屏風。1曲につき扇子が三つずつ、右向き、左向き、時に折り重なるようにして縦に並ぶ。テレビで観た時は何だか安直な作品に思えたが、実物はやはり違う。離れて観ると、左隻、右隻合わせて16曲を覆う扇子の配置が絶妙。

『井出玉川(いでのたまがわ)・大井川図屏風』 狩野探幽 (江戸時代 17世紀)

右隻は、装束の裾をたくし上げて川の中で戯れる宮廷人たちののどかな春の風景。左隻は、紅葉した木々が枝を伸ばし、その赤く色づいた葉を散らす川で、いかだを操る村人たちの様子を川辺ではやし立てる宮廷人たちの楽しげな姿。この左隻に描かれた2艘のいかだがおもしろい。人が一人乗れるくらいの板が4枚ないし5枚ほど縦に連結していて、それぞれの連結部分がゆるい蛇腹のように曲がって川に浮いている。4枚続きのいかだには3人、5枚続きの方には4人が間を置いて乗り、それぞれ長い棒で必死にバランスを取っている風。3人乗りの方の一人は、棒を置いて何やら連結部分の調子を見ているようだ。これは何かゲーム用のいかだでしょうか?

『糸桜図屏風』 狩野常信 (江戸時代 17世紀)


(部分)

6曲1双の屏風だが、右隻、左隻それぞれ両端の2枚を除いた真ん中の4枚の屏風の中央に大きな簾がはめ込まれている。やや濃い目な茶色の、密に編まれた簾の上の部分にも画面上の絵が断絶せず描き込まれ、白く可憐な花をつけてしなだれる桜の枝ぶりが映える。このような屏風は初めて観た。

第4章 皇室に伝わる名刀

充実していた3章の展示作品の間に間借りのごとく展示されていた名刀10点、すみませんがスルーしてしまいました。

、「特別展関連展示 正倉院宝物の模造制作活動 伝統技術の継承と保護」ということで、1Fには正倉院宝物のレプリカが18点ほど展示されていた。本格的な模造が制作されるのは明治時代の初めからだそうで、齢1200歳以上になる(!)オリジナル作品の復元修理のためにも大変重要な意義を持つとのこと。日曜美術館でも、『春日権現験記絵』の表紙裂、巻紐、軸首を制作されたそれぞれの専門家の方々の制作場面が紹介されたが、その時に映し出された作品もここで拝見することができた。

吉川龍 展 -そこからみえるもの-

2009-11-20 | アート鑑賞
日動画廊本店 2009年11月13日(金)-11月23日(月・祝)
10:00-19:00 (土日祝は11:00-18:00、最終日は16:00まで)

本展のご案内はこちら

銀座の日動画廊で開かれている、吉川龍(よしかわ・りょう)さんの個展、及び11月16日(月)に行われたご本人によるギャラリー・トークに足を運んだ。

私が初めてこの作家さんを知ったのは、2007年に損保ジャパン東郷青児美術館で開催された「DOMANI・明日」展2007にて『Crocevia(交差点)』と題された作品を観た時だった。

197x325cmの大きな画面に出現する交差点の風景。自転車にまたがる人、歩く人、バイク、車、街路樹、建物。すべてが逆光の中のシルエットで描かれていた。遠目には白黒のモノトーンのように観えるけれど、影の部分には赤や青などが散りばめられていて、そこに漂う大気の運動が視覚化されているような肌触り。

その時の自分のメモにはこんなことが書かれている:

この作品は鑑賞者をとても不思議な時空間に放り込む。まるで昼寝から目覚め、定まらない視点で焦点を合わせようと一点を見詰めている時に、だんだん知覚が覚醒していく過程のようにも。自分の中にある記憶の断片がシンクロし、心象風景のようでいて妙に現実感のある、不思議な感覚を呼び覚ます。

作品の前にはソファーがあり、そこに座って絵としばらく向き合っている男性が多かったのも記憶に残る。

そして2008年、日動画廊で開かれていた個展で再びこの作家さんの作品を観る機会に恵まれた。森の中、木漏れ日があちらこちらの作品から溢れていたイメージが残っている。それぞれグリーンやブルーや暖色などを基調とした上に様々な色が心地よく入り混じり、『Crocevia』しか知らない私にはとてもカラフルに観える作品群だった。逆光の中に舞う光の粒子を捉えた、瞼の裏の残像のような世界も不変。

前置きが長くなったが、やっとここから本展のお話。

その吉川龍さんの、新作35点が並ぶ大がかりな個展が再び日動画廊で開かれている。2008年の個展の時は地下の展示室だったが、今回は1Fのフロアを吉川作品が全て埋め尽くす。

入り口の扉を開けてすぐ出迎えてくれる数点の作品からいきなり、私の知っている吉川ワールドがいろいろな方向に進化していることを知らされる。森はさらにカラフルになり、鹿や小鳥などの動物たちの姿も。今までの表現とは異なる、木の梢や草花を至近距離的に切り取り、木漏れ日ではなく”空”という面で光を取り込んだ構図にも目を引かれる。

しかし中に入ると、更に驚くような作品が。

まず目に留まった『Floating Blaze』。闇を吸いこんでたゆたう海(のように私には観えた)の向こうに広がる夜景の、人工的なイルミネーションを表現した横長に大きな作品(F50+F50)。自然児(?)の吉川さんが描く都会の夜景。やっぱり光の表現が美しい。

『銀夜流』は、F50の縦長の画面に、暗闇の中上方から流れてくる川の動きを、水面に映る銀色の反射光で表現している。作家さんにお伺いしたところ、上記の夜景とこの川の作品は「ある意味挑戦したもの」だそうで、新境地を開いた作品といえるのかもしれない。ちなみにこの『銀夜流』は表面にプラチナ箔を貼ってあるのだが、画面上下には銀箔を貼ってあり、時間が経つとともに銀箔部分だけが硫化していき、奥行きが増していくのだそうだ(いつか表情を変えたこの作品にまたお目にかかりたいものです)。

『水描線』も初めて知る作風。画面全体が白く塗られ、浜辺の水打ち際で戯れる幼い子供二人と子犬がパステル調の淡い色彩で浮かび上がる。のどかで微笑ましい作品だが、微妙な色が混ざった子供や犬のシルエットで陽光の眩しさが見事に表現されている。

勿論、お馴染みの森の木漏れ日や逆光の中に風景を捉えた作品群も健在、というよりますます冴え渡っている。全体的に色彩の力強さが増している印象。

。。。と思うままにつらつらと書いてきたが、いかんせん作品の画像もなく、私の拙い文章ではほとんど何もお伝えできないので(この記事に目を留めて下さった方には、是非会場で実作品を観て頂きたいと切に願います)、このへんでギャラリー・トークで伺った話をまとめておきたい。

今回の出展作品は今年の7月から描き始められ、ひと月8点ほどのペースで描き上げられたとのこと。100号の作品が4点ほど並ぶが、展覧会の構成を考えてまず描き上げられたのがそのうちの1点、『日々-風-色』。DMにも使われているその作品の前で(と言いながら私には持ち合せがないのだが)、作家さん独特の作品の制作プロセスが説明された。私が理解した限り、その手順はざっと以下の通り:

1) アクリル画用の目の細かいキャンバスに和紙を膠で貼り付ける。
2) そこにアクリル絵具やグァッシュを10~20層にも重ね塗りして下地画面を作成。色が濁らないように、かつ薄すぎないように、そして深みが出るよう色を選んで重ねていく。
3) 自分で撮影した写真を片手に、金色のアクリル絵の具を使ってフリーハンドで下絵を描き、光の表現部分に白色などのアクリル絵の具をそのまま盛り上げていく。

更に言えば、和紙は70~80cmくらいなので、大きな作品になると継ぎ目がある。2003年にこの手法を始めて以来、「職業が違うじゃねーか」(ご本人談)というくらい貼りまくっているとのこと。作品をそばで観ると、光の表現部分のマチエールは確かにかなり盛り上がっている。

吉川さんはもともと油絵をやってらっしゃったので、アクリル絵具を使って絵を描くことには抵抗があったそうだ。でも、吉川作品の場合は下絵にこれだけ手間をかけている分、通常のアクリル作品とは一線を画しているように思う。

そして技法上で大きく分けるともう一つ説明が要る。先に挙げた『水描線』など全体が白塗りされている作品。下絵までの作業は同じだが、違うのはラッカー・スプレーで全面を塗装し、ペインティング・ナイフを研いで刀にしたものでそのラッカーを削っていく手法。削ることによって下の和紙の部分が露出し、繊細な色が絡み合ったモティーフが立ち上がってくる(これも実際観てみないとわかりにくいと思うが)。

さて、作品には圧倒的に森や木々が描き込まれた風景が多い。ご本人が生まれ育った豊かな自然環境が根底にあるようだが、今回は鹿、小鳥、蝶などを画中に取り入れた作品もたくさんある。これも後で伺ったお話だが、森に入ると「視覚以上に聴覚に神経を注ぐ」そうで、「目に見える映像以外のものを込めようとした」そうである。

また、絵のモティーフには実在の場所を写真に収めたものを使うが、自転車置き場などおおよそ絵にならないようなところを選ぶとのこと。「心象風景に意味を持たせたい」ともおっしゃっていたが、誰もがそれぞれの記憶と重ね、様々な感情を喚起させられる「ありきたりの風景」を切り取って表現できるのは、やはり作家さんの力量。『Crocevia』に出会った瞬間を思い出す。

最後に、作品のタイトル。「余り説明的にならないように」つけられたそれらは、詩的な余韻を残しつつ作品の世界を言葉で美しく表現する。『風織る』『虹色に浮く』『緑に射す』『VELVET FLOW』『はるかぜのはなし』 etc etc

もしこの連休中、銀座界隈にお出かけであれば是非お立ち寄りください。11月23日まで。

作品の画像も観られる吉川龍さんのサイトはこちら。制作の様子が率直な口ぶりで語られるブログも作品の理解に役立ちます。

吉川龍 (よしかわ りょう)
1971年 栃木県益子生まれ
1997年 東京藝術大学絵画科油画科専攻卒業
1999年 東京藝術大学大学院修士課程美術研究科絵画専攻修了