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l'esquisse

アート鑑賞の感想を中心に、日々思ったことをつらつらと。

オルセー美術館展 パリのアール・ヌーヴォー

2009-11-14 | アート鑑賞
世田谷美術館 2009年9月12日(月・祝)~11月29日(日)

     

パリのオルセー美術館所蔵のアール・ヌーヴォー・コレクションからの作品を中心に、日本の美術館所蔵のリトグラフなども含め約150点の作品が並ぶ展覧会。サロン、ダイニング・ルーム、書斎、貴婦人の部屋、というようにセクションが分かれ、それぞれのテーマに沿って様々な作品をゆったりと鑑賞できる。

公式サイトはこちら  

全体の展示構成は以下の通り:

1. サロン
2. ダイニング・ルーム
3. 書斎
4. エクトル・ギマール
5. 貴婦人の部屋
6. サラ・ベルナール
7. パリの高級産業
Ⅰ 七宝
Ⅱ 陶芸
Ⅲ 金工

では順番にいきます。

1. サロン

それまで上流階級のものであったサロンも、17世紀以降は市民階級の間にも普及。「中国風」「トルコ風」「ゴシック風」など趣向が凝らされ、それに合わせて照明器具、鏡、安楽椅子などがデザインされた。文学、芸術など知的な交流の場が持たれ、フランス革命へとつながる様々な思想もサロンで生まれた。

最初に出迎えてくれるのは、5点の調度品。古色加工された金属で作られた葦、トンボ、カタツムリなどが装飾され、蛇行曲線がうねるフロア・スタンドはいかにもアール・ヌーヴォー。個人的にはルイ・マジョレル(ナンシー派のデザイナー)作の『小卓 “蘭”』(1902年頃のモデル)くらいのすっきりしたものが好み。

2. ダイニング・ルーム

邸宅の中に食事のための空間ができたのは18世紀に入ってからのことで、19世紀には一般家庭にも普及。社交の場として邸宅の中で大変重要な位置を占め、食卓、椅子、食器・銀器を収納する棚、料理・デザート・果物などを置く食器台などが一揃えでデザインされ、シャンデリア、暖炉、壁紙、カーテンなども合わせてコーディネートされた。

ここのセクションでは、1900年の万博に出展されて「非の打ちどころがない」と評されたというダイニング・セット(食卓、椅子5脚、肘掛椅子2脚、食器台、花器2台)がステージ上に再現されている他、ティー・ポットやスプーンなどのカトラリー類もケースに展示されている。

『ハーモニー』 ウジェーヌ・グラッセ、フェリックス・ゴダン (1893年)



いろいろな楽器を奏でながら、森の中を行進する美女の一団。豹がつき従い、周りではライオンやオオカミなどもきちんとお座りして聴き入っている。主題は定かではないが、オルフェウスに題材をとったのでは、と解説にあった。女性たちが着るドレスもアニマル柄。ダイニング・ルームの壁を飾る優美なこの作品は、火山岩大型パネルに釉薬を施す技法で作られたという。初めて聞く技法だが、火山岩と聞いてもピンとこない、滑らかな表面。

銀のカトラリー類は観ている分にはきれいだけれど、スプーンの背面にアイリスの装飾などがついてごてごてと重そう。

3. 書斎

ビューロー(bureau)とは本来13世紀頃に使われた毛織物を指す言葉だったが、その毛織物を上に敷いた机、筆記用具なども指すようになり、17、18世紀になるとそれらが置かれた場所、要するに書斎を意味するようになったという。19世紀には全ての階級に書斎が普及、所有者の財力を示す空間となった。

『テーブル・ランプ “睡蓮”』 ルイ・マジョレル、ドーム兄弟 (1902-1904年頃のモデル)



高さ1m以上ある、スクッと立つ大きなランプ。ポストカードではシェード部分が黄味がかって観えるが、実物はもっとピンクに近く、可愛らしい色合いだった。でも花弁にくっきり走る細胞の線が、なんとなく心臓を思わせたりもした。

『インク壺』 モーリス・ブヴァル (1900年頃)
 


水面から姿を現すオフィーリアがモティーフの耽美的なインク壺。目をつぶった切ない顔のオフィーリアが抱えるスイレンの花からインクをつけるなんて、私はちょっと気が引ける。インク壺の蓋のつまみ部分が蝶や蜂ではなく蠅なのはなぜだろう?

サロンにも作品が登場したルイ・マジョレ作の、やはり”蘭”という名の『書斎机』(1903-1905)も展示されていたが、鑑賞用にはいいとして実際使うとしたらどうも曲線が落ち着かない。私はやっぱりカチッとした四角い机が好き。

『散歩』 ピエール・ボナール (1895-1897年頃)

今年はしばしばボナールの作品に出会う。これは「日本かぶれのボナール」(解説より)による装飾的なリトグラフ。上方の馬車の列はデコ風でもあるし、手前の子供の大きく膨らむ頭はアフロ風。ナビ派の画家たちは装飾芸術に強い関心を示し、扇面画、家具、タピスリー、ステンドグラスなど様々なメディアで作品を創作した。

余談ながら、この作品は大阪市立近代美術館建設準備室からの出展。以前ニュースで、大阪市は素晴らしいコレクションを所有しているにも拘らず、経済不況などにより美術館の建設が頓挫していると報道されていた(建設の構想は1983年に発表)。国内外の美術館への作品貸出や巡回展など、活動を止めず頑張っている模様。

4. エクトル・ギマール

アール・ヌーヴォーというとよく写真が紹介される、パリのメトロの入り口をデザインしたのがこのエクトル・ギマール。アーツ&クラフツ、ベルギーのヴィクトル・オルタに学び、鋳鉄、施釉溶岩材などの新しい建材、そしてアシメントリーや曲線を取り入れた建築装飾に力を入れ、自らを「建築芸術家」と呼んだ。

『天井灯』 エクトル・ギマール (1909-1911年頃のモデル)

チラシに大きく写っている天井灯。勝手にパイプオルガンのような大きなものを想像していたので、その小ささ〈高さ41cm〉に肩透かしを食らった。しかしながら、ガラスと金属という材質の組み合わせや、吊り下がる玉の連なりと角柱の流れるようなリズム、青、金、透明という配色はとてもきれい。逆にこれくらいの大きさがいいのかもしれない。

新時代の照明として登場した電気照明のデザインは、この建築装飾家にとって大いに腕をふるえる分野だったのかもしれない。ギマールによる、石墨、グワッシュ、水彩で描かれた照明灯のデザイン画4点も、それ自体が作品としての美しさを持っていた。

5. 貴婦人の部屋

国家として装飾芸術振興運動を推進する際の手本は18世紀のロココ。当時女性がその形成に重要な役割を果たしたが、アール・ヌーヴォーにおいてもデザインにおける女性的感性の重要性が非常に高まる。また、女性が室内装飾の一部とみなされ、装飾の対象としての女性を補完するアイテムも生まれた。雰囲気を出すために、このセクションにはゲランの香水のパウダリーな芳香が漂う。

『婦人用机“オンベリュル”』 エミール・ガレ (1900年の万博に出品されたモデル)

婦人用の私室「プドワール」に置かれたデコラティヴな机。オンベリュルとは小さな花が傘のように集まって咲く植物の総称。下方のカエルが5匹並ぶデザインはユーモラスだが、上方の木彫装飾はすぐ埃が溜まりそう(夢がない見方だが)。面も狭くて、これじゃノートPCしか載らないじゃないか、などという無粋な意見はここでは求められていない。何せ女性は「室内装飾の一部」であった時代であるわけだから・・・。

『扇子 “孔雀”』 ジョルジュ・バスタール (1913年)



彫刻の施された螺鈿細工の放つ、繊細なフクシア色が美しい扇子。広げると、向き合う2羽の孔雀が反復され、それぞれの長い緒が芯に向かって流れていく流麗なデザイン。

『ボンボン入れ “さくらんぼ”』  ウジェーヌ・フイヤートル (1901年)



直径5cmにも満たない小さな入れ物。私はこういう、掌に収まるくらいの可愛らしい小物が大好き(人間が小さいから?)。地の緑と、紅、オレンジ、黄のさくらんぼの実、それをまとめる彫金のハーモニーがちょっと中東的。

そういえば、今年の夏「ルネ・ラリック展」で観た『飾りピン 芥子』もあった。随分日本に長居しているのね。

6. サラ・ベルナール

アルフォンス・ミュシャのポスターで知られる女優、世紀末パリのアイコン。国立高等学院で学び、普仏戦争時には自分のシアターを野戦病院に提供した。1870年には彫刻でサロン入賞も果たす。1894年のクリスマスに「ジスモンダ」のポスター制作をミュシャに依頼したところ大評判に。6年の専属契約を結び、7点のポスターを始め舞台装置、衣裳、宝飾などの仕事も依頼した。

そもそもサラからミュシャに仕事が渡ったのは、クリスマス期の急な案件で他の大きな印刷工房が皆お休みだったから。人間、いつ幸運が舞い込むかわからないもの。このセクションには、サラ・ベルナール主演作品のポスターや、彼女の自宅のためにデザインされたと推測されるゴテゴテした装飾が奇抜な肘掛椅子(『肘掛椅子 "昼と夜”』 ジョルジュ・レイ(推定) (1880-1890年))などが展示。

7. パリの高級産業

アール・ヌーヴォーの作品は、18世紀ロココの時代から続く伝統的な職人の技術を根底に高級産業として発展。この章では「七宝」「陶芸」「金工」という3分野に分けた技術の側面から作品を観ていく。

七宝は中世ルネッサンス美術の多色装飾を目指し、芸術性の高い七宝技術に改良された。その復興は1900年頃頂点に。陶芸は日本の陶芸との出会いで炉器(高温で焼かれた、耐火性粘土を主成分とする素地の硬い焼き物)なども作られた。金工は宗教用具ではない幅広い金銀細工の作品が作られるようになり、日本の影響下、植物などのモティーフもデザインに取り入れられるようになった。

『花瓶』 エティエンヌ・トゥレット (1903-1904年頃)



花瓶といっても高さ12.5㎝の小ぶりなもの。この大きさだからいいのだと思う。

その他、『七宝の花瓶 “オルフェウス”』 ポール・グラントム、アルフレッド・ガルニエ (1892年)も美術的に完成度が高く、目を引いた。

以上になるが、解説は非常に充実していたのに比べ、その作例となる作品数は総じて少なめだったように思う。秋の砧公園を散策がてら、のんびり美しいものを観るのもいいかもしれない。11月29日(日)まで。

樽屋タカシ展 付喪神

2009-11-12 | アート鑑賞
Ginza Art Lab 2009年11月2日(月)-11月14日(土)
15:00~20:00 (最終日 18:00まで)



このところ、私の周りは何かと妖怪づいている。

先月末にロンドンからイギリス人の友人が来日した。新宿で待ち合わせ、太宰治ファンの彼がその日訪ねたという玉川上水の話を聞きながら渋谷に向かう山手線の中、彼のジャケットの襟に何やら白いものがついているのが目にとまった。目を凝らして見ると、一反木綿のピンバッジだった。

数年前に、彼の奥さんの実家がある鳥取で水木しげる記念館を訪れて以来、彼の口からしばしばYOKAI(妖怪)という言葉が聞かれるようになり、お酒を飲みながらYOKAI PROJECTと題して二人で即興で新しい妖怪を創り上げて楽しんだりしていた。それが今回、私が半分冗談だと思っていたそのプロジェクトが結構具体的な形になっていることを知らされ、自費出版で本まで出そうな勢いだ。

そんな彼が日本を去った後、読売新聞に作家の京極夏彦氏の講演会の記事が載っていた。"「抽象力」 不安と共存 昔からの知恵"というのが題目のようだが、その横に「妖怪と遊ぼう」と大書されている。大変申し訳ないことに私は氏の作品は一つも読んだことがないのだが(これを機に今度手に取ってみます)、水木しげる氏の弟子を自称される京極氏の、「日本人は概念をもてあそぶのがとても上手である」「わからないものに対する不安とうまく添い遂げるための装置が妖怪である」等の妖怪論は非常に興味深く、私はせっせとその友達のために記事の英訳を始めた。

そんな折も折、今度は銀座のギャラリーで妖怪をモティーフにした作品の展覧会があるという情報を入手。初めて聞く作家さんだが、これは行かねばといそいそ足を運んでみた。

作家さんのお名前は樽屋(たるや)タカシさん(1974年生まれ)。京都造形大学芸術学部美術科終了、とプロフィールにある。

小さなギャラリーに入ると、一番大きいM60号(803x1303mm)からM8号(455x273mm)まで計9点の作品が並んでいた。いずれも木製パネルに金箔もしくは銀箔が施された背景の上にアクリルで描かれている。コンビニや自販機などが登場する現代の生活の情景の中に跳梁跋扈するカラフルな妖怪たちには”三ツ目小僧”、”犀妖怪”などそれぞれ名前が付され、深く沈みこむような鈍い光沢を放つ金箔、銀箔の上に映える。

展覧会の副題にもなっている付喪神とは(以下DMから転載)、「長い年月を経た道具や家畜に宿るとされる神々とのことで、人々に畏怖の念を抱かせ、ものを大切にする精神に立ち返らせてくれる存在」。この9作品は「付喪神夜行図シリーズ」というらしい。

現代の消費社会に対する批判、と言ってしまえばそれまでだが、この作家は作品のテーマのみならず、パネルの接着剤やコーティング剤にまでエコ素材を使っている点がユニーク。

しかしながら、作品から伝わってくるメッセージ性はまだちょっと弱い感じがしなくもなかった。各作品の解説を読むと、例えば『流通の躍進』と題された作品には以下のように書かれている(青字部分):

2005年2月16日に「京都議定書」が発効され、製造や流通には多くの廃棄物等の発生の抑制が求められています。企業と自然との共生を図りつつ環境保全のための継続的な改善は、今のビジネス形態を意味するのでしょう。

そして絵に目をやるが、踏切の前に停車する、古いテレビ1台を載せたトラック1台(運転台、荷台、トラックの周りには妖怪たちがいる)を観ただけで上記のようなテーマは今一つ汲み取れない。個人的にはもう一ヒネリあってもいいような気がする。

いずれにせよ、画面は丁寧で絵画作品としては美しい。妖怪は人気があるし、実際先週の時点で9点中8点に売約済みの赤いシールが貼ってあった。

11月14日(土)まで。

Tom CHRISTOPHER展

2009-10-30 | アート鑑賞
ギャルリーためなが 2009年10月1日-11月1日



注)チラシでは10月31日までとなっていますが、11月1日(日)は中央区が主催する「中央区まるごとミュージアム2009」という催しの一環で12:00~17:00の間開廊しており(『アフタヌーン・ギャラリーズ by画廊の夜会』というイベント名で、銀座の22のギャラリーが参加)、自由に入れるそうです。

私はそれほど銀座の画廊巡りはしないのだが、先日たまたま一目で惹かれたアメリカ人の画家に行き当たった。場所は「ギャルリー ためなが」。

通りに面したガラス越しにかかる色鮮やかな作品が目に入ったとき、日本人の絵ではないと瞬時に思った。上手く説明できないが、一言でいえば”センス”。覗き込むと、作者の名はTom Christopherとあった。私が知らないだけで、恐らく有名な人なのだろうな、と思いつつ、画廊の中に足を踏み入れた。

そこに広がるのは、ニューヨークのマンハッタンの街中の光景。幅1mくらいの作品を中心に、横幅が数メートルある大きなものから小ぶりなものまで40点余が並ぶ。

回遊魚のように流れ続ける黄色いタクシーの群れ。その隊列を縫って自転車で颯爽と走り抜けていくメッセンジャー・ボーイ。信号に煽られるように、早足に道を渡っていく人々。道に並ぶ紅白の三角コーン。何やら相談している、蛍光色の作業服を着た工事人夫たち。クラクション、ヒールの靴音、話し声。慌ただしい人間たちの出す雑多な音が混ざった都会の喧騒が、どの画面からも聞こえてきそう。

若い頃にほんの数日滞在しただけで私の肌には合わないと断じてしまったNYなのに、それらの絵に囲まれていると不思議と高揚感に包まれ、煽られる。

これらの絵を描いたトム・クリストファーはカリフォルニアのハリウッド生まれ(1952年)。プロフィールを斜め読みしてみたが、新聞社の記事のためにスケッチ画を描いていたこともあるようで、あの鉛筆の下描きの線もそのままの疾走感ある画面はそんな背景も反映しているのだろう。そういえば、絵の中でアスファルトは眩しいくらいに真っ白だ。氏の出身地、カリフォルニアの陽光を思わせるような。

モノクロームの作品を観て思ったが、建物も、人々も、何もかもが大雑把に捉えられているのにリアリティがあるのは、やはりその即効的な描写力が秀でているからなのだろう。大きく手前に信号が描かれていたりと構図も筆致同様大胆でおもしろく、本来原色が飛び交う絵が余り得意でない私が惹かれる要素がいろいろ隠れていそうだ。

彼の作品のコレクション先の一つにNY市長のオフィスの名が挙がっていた。こんな絵が執務室にあったら、市長の仕事に対するモチベーションも上がることだろう。

トム・クリストファー氏の(恐らく)公式サイトはこちら

皇室の名宝―日本美の華 1期 永徳、若冲から大観、松園まで

2009-10-29 | アート鑑賞
東京国立博物館 平成館 2009年10月6日-11月3日



公式サイトはこちら

天皇陛下御即位20年を記念して、皇室に伝わる所蔵品の中から特に名高い名品を紹介する展覧会。1期と2期に分かれ、全展示品が入れ替わるという誠に大がかりなもの。展覧スケジュールは以下のようになっている:

1期:2009年10月6日(火)~11月3日(火・祝)
2期:2009年11月12日(木)~11月29日(日)

*11月12日(木)は天皇陛下御即位20年を記念して入館無料。
(来場者多数の場合はご入館いただけないことがあります、とサイトに但し書きあり)

1期は江戸時代から明治時代までの絵画と工芸品が中心
2期は古代から江戸時代までの考古、絵画、書跡、工芸品で構成

展示作品の質と量を考えたら、会期は非常に短いと思う。1期にしても、残すところあと数日となった。

1期・2期のセット前売り券を購入し、とても楽しみにしていた本展だが、とりあえず無事に1期を観てきたので感想を書いておこうと思う。

構成はシンプルに以下の2章に分けられていた:

1章 近世絵画の名品
2章 近代の宮殿装飾と帝室技芸員

混雑具合と自分の観たいものの優先順位を考えて、1章の出口から入られる方、2章から観られる方と様々のようだが、私は1章から順番に観ていった。

1章 近世絵画の名品

1章では、やはり全30幅が一挙に並ぶ伊藤若冲『動植綵絵(どうしょくさいえ)』(1757頃~1766頃)が一番観たかった。この絢爛たる作品群は、釈迦三尊像を荘厳するための花鳥画。京都の相国寺に寄進すべく、若冲が3幅の『釈迦三尊像』と合わせ、33幅を10年かけて描き切った。

2006年に宮内庁三の丸尚蔵館で開かれていた「花鳥―愛でる心、彩る技〈若冲を中心に〉」にて5期に分かれて6幅ずつ展示されたとき、かろうじて最後の5期だけ観ただけの私。今回、『動植綵絵』の数年前に描かれた『旭鳳凰図』(1755)を加え、31幅の作品が大きな展示室の四方に勢ぞろいした様はまさに壮観そのもの。こんな機会は生涯二度とあるまいと思い、根気強く列に加わった。

一作品、一作品を、ケースに張り付くように観ていった。裏面に黄土色を塗る裏彩色によって陰影を出し、その黄金色に輝く神々しいまでの白い羽毛に包まれた鳳凰、孔雀、鶏、鶴、鵞鳥、鸚鵡などの鳥たち。1本の羽の軸から均一に1本1本引かれていく無数の細い毛を良く観ると、更にその毛と毛の間に垂直に線が入れられていたりする。裏彩色と共に、こうした技巧もあの羽の光沢ある質感表現に活かされているのかと食い入るように見入った。肉眼ですらいろいろ感嘆する画面、単眼鏡で観たら更にすごいのでしょうね。

白い鳥を代表して『老松白鳳図』 (『動植綵絵』より)



こちらは水辺の生き物たち。『池辺群虫図』 (同)



左向け左、のカエルの群れがユーモラス。でもお釈迦様のお話を皆で真剣に拝聴しているのでしょう。今週本展をご鑑賞された秋篠宮殿下もお気に召されたとか。

もう一つ、『群魚図』。パネルにも説明があるが、この作品に描かれたルリハタに舶来のペルシアン・ブルーが使われていたという記事が、ちょうど本展の直前に読売新聞に載っていた。その作品を今回間近に観ることによって、その青さを感知できたことも嬉しかった。

正直なところ、様々な動植物が溢れる作品の中には個人的な嗜好から余り好きではないものもあるにはあったが、一通り観終えて部屋の四方をぐるりと見渡した時、その超人的な集中力とストイックな精神力にはやはり畏怖の念を感じずにいられなかった。

ところで、尋常ならざる濃密な画面を1時間以上かけて31幅観終えた時、私の眼はおかしくなった。後続の他の画家たちによる作品が妙に風通しがいいように観え、初見のときはあれほど感嘆した円山応挙『牡丹孔雀図』(1776)すら普通に観えてしまったほど。

また、酒井抱一『花鳥十二ヶ月図』(1823)も12幅揃って展示されているが、若冲と抱一の作品を単純に見比べると、ことさら対極的に観えた。若冲の作品は、何と言おうか至高の瞬間が凍結されてしまったような画面で、その前で息を吸いこんだら吐き出せないような緊迫感に押される。対して抱一の作品は、植物の葉の葉脈が運ぶ水の流れが感じられ、ゆったりと鑑賞できる感じ(何だか稚拙な表現で恥ずかしいが)。

例えば下の2作品には紫陽花が描かれているが、表現の仕方が随分違う。この2作品を同時に観られるというのも贅沢なことですが。。。

『紫陽花双鶏図』 伊藤若冲 (『動植綵絵』より)



『花鳥十二ヶ月図』(6月 部分) 酒井抱一 



新米者なので若冲はこれくらいにして、他にこの章で印象に残った作品:

『源氏物語図屏風』 伝狩野永徳 (安土桃山時代 16世紀)

おっとりした表情でゆるゆると時を過ごす宮廷の中の男女。着物の美しい柄や調度品(赤系のタータンチェックみたいな模様があって目を引いた)など、雅な世界。

『唐獅子図屏風』 狩野永徳・狩野常信 (安土桃山時代 16世紀・江戸時代 17世紀)

かの有名な永徳の屏風絵に初めてお目にかかれた。最初の部屋に入るといきなり真正面にドカンとあって、遠くからでも迫力満点(224.2x453.3cmもある)。対をなして左隣にも獅子の屏風絵があるが、これは永徳のひ孫である常信の作とのこと。永徳の方は観る者を捻じ伏すような気迫が漲るが、常信の方はずっと柔らかい。獅子の巻き毛などまさに対照的。武骨なまでに野性味溢れる永徳に、綺麗な曲線を描いてカーラーで巻いたような縦ロールの常信。

 右隻の永徳作品

『小栗判官絵巻』 岩佐又兵衛 (江戸時代 17世紀)

これも辛抱強く並んで端から観ていった。話の粗筋は荒唐無稽だが、それが故にこの岩佐又兵衛という人の絵筆が躍るのでしょう。人々の生き生きした表情、建物や着物などの細かい描き込み、ドンと大きく描かれたカラフルな閻魔大王。とりわけミイラと化した小栗が台車に載せられて橋を渡っていくシーンは、一度観たら脳裏から離れてくれない。

2章 近代の宮殿装飾と帝室技芸員

まずは聞きなれない帝室技芸員とはなんぞや、ということで、説明をサイトからそのまま転載:

帝室技芸員(ていしつぎげいいん)とは
明治23年10月、美術の保護奨励を目的として設置された制度です。日本の美術を奨励し、工芸技術を錬磨し、後進を指導することを目的としました。明治維新によって幕府や大名の庇護を失った画工や工芸作家たちの保護優遇からはじまり、西欧王室のように独自の文化的伝統をもつことが一等国になるために必要であるとの認識もありました。昭和19年まで続き、日本画、洋画、工芸、建築、写真まで幅広いジャンルから79名が任命されました。

1章で既に体力をだいぶ消耗してしまったが、この章にも目を見張る作品がたくさん。とりわけ工芸品の、日本人ならではと思われる繊細な技術、柔らかい感性、高い芸術性には目を奪われた。

『古柏猴鹿之図(こはくこうろくのず)』 森寛斎 (1880)

林立する木々、猴(さる)、鹿。柔らかい茶の諧調で統一された画面がとても美しく、この季節に鑑賞するのにぴったり。猿が鹿の背に乗って毛づくろいをしていたり、鹿の足元で子猿たちが戯れていたり、頭上の木の枝にいる猿を見上げて会話を交わしている(と見える)鹿は歯を見せて笑っている。

『夏冬山水図』 橋本雅邦 (1896)

なんて美しい山水画なのだろう、と引き込まれた。すっきりした構図や強弱ある線描、繊細な色彩がとても良かった。

『七宝四季花鳥図花瓶』 並河靖之 (1899)

こんなに美しい壺があるのか、と感動。漆黒を背景に、片面に桃色の桜、反対側に緑の若葉が舞う。照明に浮かぶその様はまるで小宇宙。夢のごとき。

『官女置物』 旭玉山 (1901)

象牙で彫られた十二単の女官の像。周りの人たちも一様に感嘆の声を上げていたが、とにかく美しい。沢山の部位を接合して作られていると説明にあっても、そのように感じないしなやかさ。着物に浅く浮き出る柄や折り重なって流れる衣の襞。正面からは見えない、女官が手に持つ鏡の反対側に垂れる房飾りまで、驚くほど繊細な彫り。

『菊蒔絵螺鈿棚』 川之邊一朝ほか (1903)



背面に回っても、しゃがんで棚の下側を観ても、きっちり蒔絵・螺鈿細工が施されている。空間を多く持たせたデザインもバランスの妙。

『蘭陵王置物』 海野勝 (1890)

舞楽『蘭陵王』の演者をかたどった置物。怖い形相の金色のお面がちょっと異様な感じがするが(このお面は取り外しができるそうだ)、演者の躍動感溢れるポーズ、衣装の袖の膨らみや文様など、その彫金技術は素晴らしい。

画像もないのでこのへんでやめておくが、とにかくこの章には螺鈿、蒔絵、七宝、木彫、彫金、陶器など、日本の伝統工芸の最高峰を集めた名品が次から次へと現れ、見応え十分。

正倉院宝物や教科書でお馴染みの作品も並ぶ次の2期も、きっととんでもないことになるのだろう。

古代カルタゴとローマ展~きらめく地中海文明の至宝~

2009-10-21 | アート鑑賞
大丸ミュージアム・東京 2009年10月3日-25日



これは意表を突く、よい展覧会だった。会期はもう数日しかないけど、是非お薦めします。

公式サイトはこちら 

まずは歴史のおさらいをちょっぴりと。実は私が滞英中の1995年に現地で邦人向けに発行されていた「ジャーニー」という月刊誌に上手くまとめられたカルタゴ特集記事があったのを思い出し、本展のカタログと共に参照させて頂いた。

カルタゴが興ったのはアフリカ北端に位置する現チュニジア共和国。国土の一部を地中海に面し、シチリア島を挟んでイタリア半島と対岸するこの国は、現在アラブ人98%のイスラム教国。カルタゴは紀元前9世紀にチュニス湾内の半島に海洋民族フェニキア人が移住して建設した古代都市で、その名称は「新しい町」を意味する。

前6世紀には西地中海における最大の商業国・海軍国として栄えていたが、シチリア島の利権をめぐってギリシャと対立。やがてギリシャを制圧したローマと反目し合うようになり、ポエニ戦争が始まる。ポエニとは、「フェニキア」のラテン語読み。

第一次ポエニ戦争 (前264~241)
カルタゴはローマに敗れ、シチリアを失う。後にコルシカ、サルディニアも失い、多額の賠償金を課せられる。

第二次ポエニ戦争 (前218~201)
第一次の戦争で失った損失を補うべく、スペインの経営を進めたカルタゴはたちまち利益を上げ、前231年には賠償金の支払い終了。波に乗ってローマと盟約関係にあったサグントゥムに攻め入ったハンニバルがローマを刺激し、再び戦争へ。結局ハンニバル率いるカルタゴ軍は負け、海外領土を全て失う。賠償金も第一次の時の3倍。

第三次ポエニ戦争 (前149~146)
地中海に出回るカルタゴ産のイチジクなど、その見事な農業技術に恐れを抱いたローマは再び進軍、今度は完全にカルタゴを破壊。

紀元前1世紀後半にローマ都市カルタゴ(のちに「ローマのアフリカの首都」と呼ばれる)が建設され、再び繁栄。7世紀末にはアラブ人が侵入し、アラブ化されていく。

本展では、そんなカルタゴの文化を紹介すべく、チュニジア国立博物館群の所蔵品から160点余り(その9割が日本初公開)を、「ポエニ時代」と「ローマのアフリカ」となってからの二つの時代区分に分け、以下の2章で構成:

Ⅰ 地中海の女王カルタゴ
Ⅱ ローマに生きるカルタゴ

では、順番に。

Ⅰ 地中海の女王カルタゴ

ローマ軍に徹底的に破壊され消えてしまったカルタゴであるが、近年の発掘調査により様々な遺物が出土。この章ではそのポエニ時代のカルタゴの文化が伺える多様な出土品が展示される。

『マスク』 (前3世紀末-前2世紀初頭) テラコッタ



しょっぱなからインパクトのある造形のマスク。頬骨が高く、細い面持ち。用途は隣に2点並ぶ女性のマスク形頭部像の説明にあったのと同様、墓に置かれた魔よけと加護のためのものなのだろうか。余談ながら、このマスクをはじめ、展示品は一部を除いて全て地中海を思わせる青い台座に載せられており、とても美しい展示空間となっていた。

『奉納石碑』 (前4-前2世紀前半) 石灰岩



本展では様々な図像が刻まれたこのような石碑が10点余り並ぶ。この石碑に見られるのは、ポエニ語の碑文とタニトの図像。

フェニキア人はアルファベットの基礎を築いた民。画像ではわかりにくいが、ポエニ語にも既にアルファベットに近いものが見受けられる。カルタゴの人々は宗教心に篤く、地中海の多様な文化を背景に多神教であった。そんな中、カルタゴでもっとも崇拝さたのがバアル・ハモンという男神とタニトという女神だった。タニトは以下の図像で表される:

 ちょっとクレーを思い浮かべる

『マスク形ペンダント』 (前3世紀) ガラス



ガラス製と知ってビックリ。ペンダント・トップには人間の顔の造形を模したマスク形のものが多かったが、その奇妙な顔立ちの中に加藤泉さんの作風を思わせるものが。。。

『アンフォラ形容器』 (前3世紀前半) ガラス



カルタゴの人って、色彩感覚が優れていると思う。

アンフォラといえば、1m以上もあるテラコッタ製の細長いアンフォラが数点展示されていたが、船舶輸送のための形状と聞けど扱いにくそう。特に陸路はどうやって運搬していたのだろうとしみじみ考えてしまった(考えたところで皆目見当がつかないが)。固定する枠みたいなものがあったのだろうか。

『哺乳瓶形容器』 (前3世紀前半) テラコッタ



ポエニ式陶器の存在はカルタゴが創建された時期から確認されているとのこと。その多くが幼児の墓から見つかったというこの哺乳瓶形の容器は4点ほど出展されていた。取っ手もついているし、現在の吸い飲みのようなものだったのだろう。ふっくらとした胴体、小さな吸い口の形状が何とも言えない。

『スフィンクス』 (1世紀) テラコッタ



円錐形のティアラが可愛いらしいスフィンクス。

『有翼女性神官の石棺(蓋)』 (前3世紀) 大理石 長197cm



カルタゴのネクロポリス(共同墓地)から出土した石棺。少し起こされた形で展示されていたが、ぎょっとする美しさだった。左手に香炉、右手に鳩を持つこの女性の下半身は翼で覆われている。死んで硬直した鳥の死骸を想起したりもした。足の長い指が生々しい。この石棺はエジプト様式なのだそうだが、顔や上衣の流れるような襞はヘレニズム風に思える。

『ネックレス』 (前6世紀)



カルタゴの人々も貴金属を良く好んだとのことで、眩いイヤリング、指輪、ペンダント、ネックレスなどもいろいろと並んでいた。このネックレスは金の部品の細工が見事で(よく見るとウジャトの眼が)、色彩のバランスも良い。他のアクセサリー類やコイン類も観るにつけ、カルタゴの人の色彩・デザインのセンスはとても洗練されていて高度だと思った。

残念ながら画像はないが、1章ではとても良くできたカルタゴの港の模型も展示されていて、興味深かった。カルタゴには最大200隻も格納できる円形の軍港と、建造、修理、停泊、乾ドックを備えた長方形の商港を備えていたそうだ。映像での解説も流されており、その規模の大きさとシスティマティックな構造にはただ驚くばかり。

Ⅱ ローマに生きるカルタゴ

第三次ポエニ戦争のときに燃え尽くされた後、最後には二度と草木が生えないようにとローマ軍に塩まで撒かせた古代都市カルタゴは、しかしローマ支配のもと更に発展し、文化は円熟期を迎える。

こちらのセクションに入ると、展示物の作風がガラリと変わり、ローマ風の白大理石の彫像群がお出迎え。そしてテラコッタの作品が続く。

『ローマ式ランプ』 (1世紀 テラコッタ)



ランプの起源は前2000年にさかのぼるが、完成されたのはローマ時代になってからとのこと。ローマ帝政初期(前1世紀末以降)に入ってからは様々な図像が描かれるようになった。中でも「見世物と港の風景はチュニジアで発見された1~4世紀までのランプに頻繁に現れる」と解説にある通り、20種類も展示されたランプには様々なシーンが。画像のモティーフは拳闘士。

しかしながら、こちらの章で一番の目玉は何と言ってもモザイク作品。黄色い壁のセクションに足を踏み入れると、大型の見事なモザイク作品がずらりと壁を覆い、圧巻。北アフリカは大理石の採石地が豊富だそうで、チュニジア北西部から多く出る黄色大理石はローマやコンスタンティノープルにも輸出されていたという。この石によりピンクのグラデーションが出せる、と説明にあったが、最初に出迎えてくれる『バラのつぼみを撒く女性』と『水を注ぐ女性』(共に5世紀前半、各190x140cm)の女性の裸体の美しい肌の色を観てなるほどと思った。1辺1cmのサイコロ状の石やガラスを敷き並べて作られた大画面の迫力を、失礼ながら博物館ではなくデパートの美術館で堪能できるとは思ってもいなかった。

『ネプチューン』 (5世紀末‐6世紀初頭)



263x263cmもある大画面の中央に、2頭の海馬(ヒッポカンポス)に乗るネプチューン。周りには様々な魚貝類がひしめき(よく観ると鳥も数羽)、とても装飾的に映える作品。ちょうど右目の瞳の部分が剥離してしまっていて、もし1㎤の黒の一石が嵌っていたらこのネプチューンの表情も格段によくなるのに、と思わずにいられなかった。

『メドゥーサ』 3世紀



浴場の舗床モザイクの一部。ウネウネと動く蛇の曲線も見事に表現されている。これが浴場の床にあったらちょっと踏みつけにくいように思う。

他にも大土地所有者の領地内で行われていた狩猟の風景を4連作で作成した『野ウサギの追跡』、『落馬する狩人』、『野ウサギの捕獲』、『狩猟からの帰還』 (3世紀末)もその躍動感溢れる表現が大変魅力的だった。



いつかチュニジアに行ってみたいなぁ。

ベルギー王立美術館コレクション ベルギー近代絵画のあゆみ

2009-10-16 | アート鑑賞
損保ジャパン東郷青児美術館 2009年9月12日-11月29日

 

いつも閉会ぎりぎりに駆け込むことの多い私が、珍しくまだ会期に余裕がある損保ジャパン東郷青児美術館で開催中の「ベルギー近代絵画のあゆみ」展に行って来た。

公式サイトはこちら 

前置きになるが、ルネ・マグリットやポール・デルヴォー以外のベルギーの”近代絵画”を初めて意識したのは、2005年に埼玉近代美術館で観た「ゲント美術館名品展」(副題は「西洋近代美術のなかのベルギー」)と、ほぼ時を同じくして府中市美術館で開催されていた「ベルギー近代の美」展。その時、とりわけ印象に残ったものの一つがエミール・クラウスらの外光表現を全面に出した作品群だった。

『晴れた日』 エミール・クラウス (1899)



*今回の出展作品ではありません(上記「ゲント美術館名品展」にて展示)

さて、本展はベルギーの首都ブリュッセルにあるベルギー王立美術館のコレクションより、ベルギー並びにフランスの画家による油彩画69点が並び、19世紀後半から20世紀前半のベルギーにおける絵画芸術の展開を見るというもの。ベルギーにおけるフランス絵画の影響は地理的に見ても言わずもがななのかと瞬時に思うが、展示の各章に丁寧に述べられている説明を読んでいくうちに、ベルギーの近代画とフランスの芸術運動は切っても切り離せない関係にあることが詳しく理解されていく。

そのベルギー王立美術館について、入り口のパネルに詳しく歴史が説明されていたので、メモを元にさっくりと書いておく:

「西欧の十字路」に位置するベルギーは、絶えず列強の侵略、脅威に晒されていたが、ベルギー王立美術館の成り立ちもまさにそのような背景と深く結びついている。以前より他国に略奪され続けていたベルギーの芸術品であるが、とどめを刺したのがナポレオン率いるフランス軍。フランス革命勃発の6年後、ベルギーを占領した彼らは膨大な芸術品を奪って帰国。

その戦利品はルーヴル宮殿に入り切らず、1801年にベルギーに美術館を設立する政令が出される。1803年にオープンとなったこの美術館は、「他国に奪われたベルギーの美術品を集め直すこと」を一つの指針とした。

その後1876年に現在の古典美術館の建設が始まり、1887年に完成。1984年には19~20世紀の美術品を展示する近代美術館が誕生。現在、15世紀から20世紀に渡る古典・近現代の両部門の美術作品2万点を所蔵する、ベルギー最大の美術館。

では、そろそろ本題に。本展は以下の6章で構成されていた:

第1章 バルビゾン派からテルヴューレン派へ:印象派の起源
第2章 ベルギーのレアリスムから印象派へ
第3章 フランスの印象派と純粋な色彩
第4章 ベルギーにおける新印象派
第5章 光と親密さ
第6章 フォーヴィスム 

章を追って、印象に残った作品を記しておく:

第1章 バルビゾン派からテルヴューレン派へ:印象派の起源

19世紀になると風景画の地位が向上し、戸外制作が重要に。フランスのバルビゾン派の画家たちは、ベルギーでは初めから好意的に受け入れられる。1859年、パリに滞在したカミーユ・ヴァン・カンプは、ブーランジェと共にブリュッセル近郊のソワーニュの森の外れにある小村テルヴューレンで制作を始める。これがテルヴューレン派。

『聖ユベールのミサ』 イッポリート・ブーランジェ (1871)



教会の外壁(石灰岩?)が溶け込むような黄灰色の雲の色調と、その垣間にのぞく黄味がかった青い空。湿った秋の香りが漂ってくるような佳品。ただし、額のガラスが光を反映し、ちょっと画面が見づらかった。

『若い女の肖像』 アルフレッド・クリュイスナー (1857)

少しだけ微笑んだ表情と清楚な白い襟が印象的。

『アントウェルペンの水場の内部』 アンリ・ド・ブラーケレール (1883)

黒地に金で描かれた、植物やプットー?などが絡みつくグロテスク模様のような壁紙をはじめ、内装の描写が見事。マーブル模様の額縁も絵の一部のよう。

『赤い服』 アンリ・ド・ブラーケレール (制作年不詳)

サーベルや大きな金ボタン、金糸の刺繍などの質感描写も手伝い、フランドルの静物画の伝統を思わせた。

第2章 ベルギーのレアリスムから印象派へ

ギュスターヴ・クールベの写実作品は早い時期からベルギーで紹介され、ベルギーの画家たちも同時代の社会に関心を持つようになる。このような若い芸術家に拒絶反応を示すアカデミーに反旗を翻した画家たちにより、1883年に「20人会」が結成され、若い画家や外国人作家の作品も公開されるように。中でもホィッスラーから影響を受けたベルギーの画家は印象派の到来を予告。

『フォッセ、モミの木の林』 フェルナン・クノップフ (1894)

クノップフというと、外の世界を遮断して自分の世界に入り込んでしまったような耽美的な表情の人物や、スフィンクスや顔の横から翼の生えたヒュプノスなどの象徴的なモティーフがまず浮かんでくるが、過去の展覧会のカタログなどをめくってみると風景画も沢山描いている。フォッセはベルギー南部にある寒村で、そこで家族と夏を過ごすクノップフはフォッセ及びその周辺の風景画を沢山残したそうだ。この絵には、手前から奥に向かって整然と2列に並ぶモミの木が自然な遠近感で描かれている。まっすぐに林立する幹の竹色と、林の湿り気を感じさせる土の赤茶色。淡く、はかない夢のような情景。特に目を引く事物は何も描かれていないのに、クノップフの精神世界が漂う魅力的な作品だった。

また、クールベ『スペインの踊り子、アデーラ・ゲレーロ夫人』(1851)の筆捌きは見事だと思った。さすが、上手いです。

第3章 フランスの印象派と純粋な色彩

1886年、フランスの印象派の画家たちは「20人会」の展覧会に招待され、大成功。その影響を受けつつベルギーの画家たちは、光に満ちた空気を描きながらも細かい筆致を使わず、写実的に形態を捉えていく。

『冬の下校』 ジェニー・モンティニー (制作年不詳)

授業から解放され、元気に校庭に出てきた子供たち。冬の短い日は暮れかかり、残照は子供たちを照らし出し、その影を地面に長くたなびかせる。簡略化された描写なのに、伝わってくるのは繊細な冬の空気の匂い。この勢いのある筆遣いを観てから近くに掛けられたポール・ゴーギャン『野原での語らい、ポン=タヴァン』(1888)を観ると、何だか腑抜けな感じがしてしまう(ごめんよ、ゴーギャン)。

『キャベツ』 ジェームズ・アンソール (1880)

今回、最もインパクトのあった作品の一つ。キャベツと聞いて、スーパーに並ぶあれを思い浮かべてはいけない。通常切り落とされてしまう外側の濃い緑の葉がワサッと広がる、大きなキャベツ。テーブルには一緒に玉ねぎ、ニンジン、トマト、リークなどが並ぶが、キャベツのわき役に過ぎない。近寄ってじっとキャベツを観察すると、何だかちょっとヘタウマな感じがしないでもないが、その場を離れ、振り返った時のキャベツの主張ったらなかった。すごいな、アンソールって。なんでポストカードがなかったのだろう?

ちなみにチラシに使われているのは、同じくアンソールの筆がうねる『バラの花』(1892)

第4章 ベルギーにおける新印象派

「20人会」は、スーラなど新印象派の画家たちを紹介。ブリュッセルは新印象派の中心地となっていった。

『散歩』 テオフィル・ファン・レイセルベルヘ (1901)



点描技法を用いた作品。ただしスーラほどきっちりした点描表現ではなく、筆の強弱が活かされ、画面になめらかな動きが感じられる。白いドレスを海風にたなびかせ、浜辺を散歩する淑女4人。上品です。また、同画家による『シャルル・モース夫人の肖像』(1890)も繊細な作品だった。

第5章 光と親密さ

1893年に「20人会」は解散、代わって「自由美学」が結成され、あらゆる芸術活動が紹介される。モネから影響を受け、陽光の表現を追求したリュミニスム(光輝主義)運動の指導的立場にいたのがエミール・クラウス(私が冒頭に引用した絵を描いた人)。しかしフランスの印象派と違い、ベルギーのリュミニスムでは形態を光の中に溶け込ますことはなかった。

『ゲントの夜』 アルベルト・バールツン (1903)



初めて知る画家。いい絵だなぁ、と見とれた。恐らく晩秋、北ヨーロッパは日が落ちればあっと言う間に暗くなる。人気のない運河で温度を感じるのは水面にたなびく街灯のオレンジの光だけ。幾重にも塗り重ねられた大きな画面(151x155㎝)に降りてくる闇のトーンに、寂寥感というよりも一日の終わりにほっと息をつけるような心もちがした。

『ルイ=シャルル・クレスパンの肖像』 アンリ・エヴェヌプール (1895)



これは可愛い。暗い色彩を基調としながら、男の子のまとうひらひらの白いエプロンが印象を強める。口をきゅっと閉じて手元の作品を見詰める思惑顔の真剣な眼差しはどこか大人びて見えるが、艶々の髪の毛やふっくらした頬、筆を握りしめた小さな左手がいじらしい。

思わず自分の姪っ子を思い出してしまった。ある日私が油彩画の道具をいじっていると、当時3歳だった姪っ子が私の横にぴったり寄り添って興味津津に覗きこんでいた。パレットやら筆やら説明してやると、自分も今すぐそれで絵を描きたいと言う。これはお薬(オイルのこと)を使わないといけないから、エプロンしないとだめなんだよ、と諭す私に彼女は言った。「よだれかけあるから持ってくるね」。今年の4歳の誕生日に、私は彼女に水彩画セットを買ってあげた。いつかこの男の子みたいに絵筆を握ってほしいものです。

この他、エミール・クラウスのロンドンの情景を描いた作品も数点並んでいたが、個人的には整合感ある色彩空間が美しいアンリ・ル・シダネル『黄昏の白い庭』(1912)が好きだった。

第6章 フォーヴィスム
 
1905年、フォーヴィスムに揺れるパリでは、サロン・ドートンヌ展にヴラマンク、ドラン、マティスなどが出展。ベルギーにおいても、リュミニスムからの解放を目指していたブラバント・フォーヴィスムが生まれる。その強烈な色彩によるコントラスト、率直な感覚や個性の追求は、のちの表現主義へとつながっていく。

『レモン』 ジャン・ヴァンデン・エコー (1913)

フォーヴィスムで括られても、”野獣派”という訳には程遠い、穏やかでなごむ絵。背景の空の青がとてもきれい。

『逆光の中の裸婦』 ピエール・ボナール (1908)



思っていたより大きな作品(124.5x109cm)で、裸婦の肉感的な存在感が大きく感じられる。そばに近寄って観ると、しなった背中の、背骨から腰に至るハイライトの入れ方に目が留まる。のど元に香水の瓶を向ける裸婦の横顔は、至福の瞬間とでもいうようにうっとりした表情。この裸婦は画家の奥さんで、潔癖症で一日の大半を浴室で過ごしたという。私にはあり得ない話だが、何に幸せを感じるかは人それぞれ。ちなみにこうした静かな家庭生活をテーマにした作品はアンティミスム(親密派)と呼ぶそうだ。離れて観るとその溢れるような光の表現が見事だと思うが、どうしてもたらいが浮いて観えた。

以上です。

初見の画家も多かったが、常にフランスの芸術運動の波に晒されつつ、それを柔軟に受け入れて独自の世界を創り上げていったベルギーの近代画、という側面は多少なりとも理解できたように思う。既知の画家でも私にとっては意外な作品にもお目にかかれ、小ぶりながらなかなかおもしろい展覧会だった。

特別展 インカ帝国のルーツ 黄金の都シカン

2009-10-04 | アート鑑賞
国立科学博物館 2009年7月14日-10月12日

   

公式サイトはこちら

本展で企画された「一日ブログ記者募集」(*)に応募したところ(いつも大変お世話になっている、Takさんのこちらの記事に感謝!)、運よくご招待頂いたので、写真撮影可ということでデジカメとメモ帳を持って久々に科博へ行ってきた。南米文化に(も)疎いので、「シカン」と聞いても全く無反応の私であったが、こういう好機を頂いたからには少しでも勉強してこなくては!

(*)この企画は既に終了しています。

まず、頂いた資料を元に、大まかにこの展覧会の趣旨を理解しておきたい。

シカン文化」とは9世紀から1375年頃までペルー北海岸で栄えた、アンデス文明の一つ。10世紀から11世紀の中期シカン時代に最盛期を迎え、バタングランデ周辺に巨大な神殿群を築いた。

1978年から日本人の島田泉教授(南イリノイ大学人類学科教授・考古学者。1948年生まれ)がシカン遺跡周辺の綿密なフィールド・ワークを行い、その地の宗教、世界観、生活の様子などが明らかに。その文化の独自性から、先住民の言葉で「月の神殿」を意味する「シカン(文化)」と命名された。

その30年間にわたる調査は、巨大なピラミッド「ロロ神殿」東に眠る墓の発掘(5体の遺体と共に100点を超す黄金の装身具を含む1.2トンという大量の遺物が出土)、更に「ロロ神殿」西の墓の発掘、シアルーペ遺跡における金属と土器の工房の発見、「ロロ神殿」スロープ脇の墓の発掘など多数の成果を生む。本展ではこれらの研究調査結果を元にシカン文化の全容を紹介すべく、土器、金属製品、織物、人骨、ミイラなど約200点の考古遺物が展示される。

出土品を見渡してみれば、高度な「金属加工技術」と「土器製法技術」が見どころ。

構成は以下の通り:

プロローグ 「歴史を塗りかえた偉大な考古学者たち」
第1部 シカンを掘る! 考古学者の挑戦
第2部 シカン文化の世界 -インカ帝国の源流
エピローグ

では、順路に沿って進んでいきたい:

プロローグ 「歴史を塗りかえた偉大な考古学者たち」

「考古学」という学問の究極の目的は、「人間とはいったいどのような存在なのかを知り、われわれはどこから生まれ、どこに向かおうとしているのかを問うことにある」とある。しかし実際は机上の多大なる研究のみならず、過酷なフィールド・ワークも伴う大変な学問。電磁波レーダー探査やDNA鑑定など化学分析技術を駆使するとはいえ、基本は粉塵にまみれた地道な発掘作業。ケースの中には、大小の刷毛、スコップ、ふるいなど実際の発掘に使われる様々な道具類や、発掘品のスケッチが描かれたノートなどが並んでいた。



第1部 シカンを掘る! 考古学者の挑戦

まずは、今は風化して原形をとどめないロロ神殿の模型。シカン遺跡には大小12の神殿があり、南北1000m、東西1600mの横になったT字型に配列されている。その一つであるロロ神殿は、底辺100mx100m、高さ32m。神殿下とその外側に多くの墓が作られた。



同じ部屋の壁沿いのケースには、前期シカン(AD850-950)、中期シカン(AD950-1100)、後期シカン(1100-1375)と3期それぞれに作られた黒い壺が並んでいる。後期以外のものにはシカン神の顔が彫られており、様々な出土品に入れ込まれたこの顔に今後いく度となくお目にかかることになる。



画像では分かりにくいが、壺の首の部分にシカン神の顔がある。「アーモンドアイ」と呼ばれる、上下二重まぶたに縁取られた釣りあがった大きな目、三角にとがった鼻、真一文字の口元。なんとなく懐かしみを覚えるのはなぜだろう?

また、3分程度にまとめられた発掘に関する映像が各所で流されているが(撮影を試みたが、ことごとく失敗)、後半の展示箇所で島田教授らによるシカンの黒色土器の製法のデモンストレーションの様子も流れていた。

『シカン黄金大仮面』 (11世紀初期)

 斜め前から撮ったら、ケースの枠が入ってしまった。

チラシの中央に鎮座する黄金の大きな仮面。全長約100cm。ケースの中から圧倒的な存在感を放っており、誠に派手できらびやか。メカニックな印象すら受ける。赤く彩色されている部分がシカンの神で、頭上には鋭い牙をむき、舌を出すグロテスクな顔のついた頭飾り。1991年に発掘された、ロロ神殿東の墓の主埋葬者の顔につけられていた。その真意は謎だが、死者をシカン神に変身させる意味合いがあるのかもしれない、とのこと。

第2部 シカン文化の世界 -インカ帝国の源流

この章では、〈宗教〉〈交易〉〈技術力〉〈人々の生活〉〈社会構造〉〈自然環境〉という6つの観点から出土品を観ていく。

『シカン黄金製トゥミ』 11世紀初期



トゥミとは儀式用のナイフ。さまざまな商品の意匠にも採用されている、「ペルー国の象徴」でもあるそうだ。これは高さ42センチ、重さは992gあるとのこと。シカン神の半円の頭飾りの部分といい、繊細な彫金技術が冴える、美しい作品。トゥミは生贄の首を切るのに使われた、と聞くとぞっとするが。尚、シカンは北海岸地方の人々の信仰の中心となった宗教都市であった。

ついでに、ウミギクガイなど現在のシカン遺跡周辺では採集できないものがシカン遺跡から発掘されることがあり、このトゥミのようにふんだんに使われている金にしても、金鉱は周辺には存在しないそうだ。研究の結果、シカンは広域の交易ネットワークを形成していたことが判明。

『シカン神の顔を打ち出し細工した黄金のケロ』  (中期シカン 950年~1100年頃)



「シカン遺跡はアンデス文明のなかでもとくに大量の黄金の装飾品を作り、また実用具に使われた砒素銅(青銅)の大量生産技術をはじめて確立した文化だった」とのこと。この画像はシカンの神の顔がグルリと囲む、重量感ある杯(「ケロとはふちの広がっているコップのこと」と解説にあったが)。隣り合う神が、片方の目を共有している。



こちらは金製胸飾り。人が多くて撮影は遠慮したが、他にも黄金に輝く精巧な蜘蛛、大ぶりの耳飾り、金を薄く引き延ばして彫金した装飾品の繊細な部品など、作り手の職人的手先の器用さ、技量の高さを思わせる出土品が沢山並んでいた。

さて、今度は土器類。きらびやかな金製品とは異なる、手のぬくもりが伝わってくるような味わい。文字を持たなかったシカン文化は、土器や織物の文様が多くを物語る。



「シカンの人々は土器に生活のさまざまな場面を彫刻した」という解説を読むまでもなく、彼らの生活がなんとなく想像される土器が沢山並び、その素朴な作風に思わず微笑んでしまう。トウモロコシといえば、南米原産であり、彼らの主食。トウモロコシ3本を頭に載せた神様をモティーフにしたこの壺もなかなかの趣。また、その左下にはあんぐり口を開けたお魚の壺。ペルー北海岸は高温で雨が少なく、人々は水が底をつくことを恐れた。よって、水に関わりのある動物の土器が多い、とのこと。じゃ、手が滑って割っちゃったりしたら、不吉なことだとして動揺したりしたのかな?



手前のブタさんお笑いトリオ。なんとも微笑ましいじゃありませんか。

『シカン神と二人の従者をかたどった壺』 (中期シカン 950年~1100年頃)



このシカン神は口元が笑っていて、肩を組む仲良し三人組のよう。

エピローグ

『黄金の御輿』 (11世紀)



この写真もイマイチだが、これは御輿の後ろの背もたれの部分を背後から撮ったもの。たくさんのシカン神が下がり、手の込んだ装飾がされている。

『シカンのミイラ包み(ファルド)』 11世紀

シカン遺跡から南方約165kmにある、モチェ文化の中心、ブルホ遺跡から出土したミイラ包み。シカン文化に先立つモチェ文化は、衰退後シカン文化を吸収し、同化していった。このミイラ包みは頭部に銅製の仮面が付けられていて、包みとともにシカン文化の特徴をもつ土器などが見つかったとのこと。

「埋葬のデータを調べると、シカンは支配者層と庶民が階層としてはっきり別れている階級社会であった」との解説。このミイラは支配者層の人だが、あぐらをかいた体勢で幾重にも布で巻き包まれるのはいかにも窮屈そう。

尚、11世紀末にシカンの地を干ばつと大雨が繰り返し襲い、飢饉と洪水が蔓延した結果、隆盛していた中期シカン文化が急速に衰えていったそうだ。

3Dシアター・ナチュラル

最後に3D眼鏡を借りて、3Dシアターへ。立体的な映像や音と共に、発掘現場の様子や美しいCGで再現する墓室の中の様子を楽しめる。

宗教観は多様だとはいえ、逆さ埋葬というものを初めて知った。墓室の中、上層部に埋められた生贄と共に一番下に葬られている墓の主は、あぐらをかいた体勢で逆さまに埋められ、切り離された頭部だけがその首の前に置かれている。顔には例の仮面。正面から見る分にはいいが、CG上のカメラの視点がグルリと横に回る時はドキドキ。画面は美しいが、なんて異様な光景だろう。。。

 仮面の後ろにはこちらを向く顔が(映像でも顔は見えないが)。

以上であるが、全体的に趣向が凝らされた展示は、メリハリがある上すっきりと見易く、最後まで飽きることなく楽しめた。実際に観るまでシカン神の面持ちにこんなに親しみを覚えるとは思わなかったし、出土品に見るシカン文化の美的センスは結構好きであった。

この展覧会も残すところあと1週間余り(10月12日まで)。ご興味のある方はお急ぎ下さい。

鴻池朋子展 インタートラベラー 神話と遊ぶ人

2009-09-25 | アート鑑賞
東京オペラシティアートギャラリー 2009年7月18日-9月27日



数度しか実作品を拝見したことはないが(私が初めて鴻池さんの作品に出会ったのは、2007年秋に開催された川口市アートギャラリー・アトリアでのグループ展、「物語の真っ只中」展だった)、私にとって鴻池朋子さんは卓越した画力の人、というイメージが強い。だから今回の個展も襖絵が一番の楽しみではあったが、作家さんご本人のお話を含め、数々のメディアで紹介される本展の趣旨を見聞きするうちに、別の次元で期待感が高まっていった。

「展覧会を観る行為を地中への旅に見立てた展覧会」という、大きなギャラリーを丸ごとインスタレーション作品にしてしまったような展覧会。あのオオカミやらナイフやら、恐らくまだ私の知らない諸々のモティーフが溢れる鴻池ワールドが全開され、すごい空間になっていそうだ。

チケットを購入し、入り口へ向かおうとすると、前方に立つ「地中へ 0km」という道しるべが目に入る。

そう、この展覧会の構成は地球の深度に合わせて章立てされている。[上部マントル]に始まり、[下部マントル]、[外核]、[内核]へ。各部屋の出口には幕が下がっており、作品を観終えたらそれを自分で押し開け、次の深度へと歩を進めていく。最後は地球の中心まで到達し、そしてまた地上へ還ってくる(はずだ)。

それともう一つ、インタートラベラーとは、「異なる世界を相互に往還し、境界をまたぐ人を指す、作家による造語」だそうで、作品では赤いシューズを履いた子供の下半身で表わされている。

では、この旅で心に残った作品を記しておきたい:

『隠れマウンテン―襖絵』 (2008)

4枚組のパネルに描かれた襖絵。182cmx544cm。富士山のような三角形の山に、人間の目、鼻、口が描かれている。パッチリした釣り目を覗きこむと、その瞳に山が映り込んでいた。まるで山が己の姿を宿しているように。山肌に走るのは神経細胞のようにも見える。顔の真ん中で襖は左右に開かれていて、その向こうに次の展示物が姿を現す。

絵本『みみお』原画 (2001)
『バージニア―束縛と解放の飛行』 (2007)
『ミミオ―冬の最後の日』 (1998)

椅子がグルリと渦巻きのように並べられ、その上にケースに入った『みみお』の原画が置かれている(ざっと数えたら38点あった)。『みみお』は鴻池さんのアニメーション作品に登場する、顔のないクリーチャー。解説によると、単に顔が描けないままに描き進めてこうなったそうだ。ふわふわとしたたんぽぽの種、松ぼっくり、植物類など、鴻池さんの鉛筆画はやっぱり上手だなぁ、と見入る。

同じ部屋にこのみみおの5分ほどのDVD作品、『ミミオ―冬の最後の日』 (1998)も流されていた。なんだか朴訥とした味わいがあり、昔の白黒のミッキーマウスのアニメを想起した。

頭上には、大きな立体作品、『バージニア―束縛と解放の飛行』が吊るされている。羽の生えた昆虫のように見えるが、鹿の角やインタートラベラーの2本足が生えている。

幕を押し開け、[下部マントル]へ。

『第4章 帰還―シリウスの曳航』 (2004)
『第3章 遭難』 (2005)
『第2章 巨人』 (2005)
『第1章』 (2006)

それぞれ220x630cmある大型の平面作品。四角い部屋の赤い壁の四方に1枚ずつかかり、部屋の真ん中には大きな白いユリが活けられている。この4作は特に関連性があるわけではなく、まず第4章が描き上げられ、続いて1年半の間に第3章、第2章、そして第1章と描き上げられたそうだ。どの作品にも、この作家さん独特のファンタジー・ワールドが展開する。鴻池さんの大胆かつ流れるように動的な画面構成と繊細な筆触、色彩が冴え渡る。やっぱり上手いなぁ、と展示室、いや、[下部マントル]をぐるぐる。ここに入った時は他に数人旅人がいたのに、我に返ったら私一人になっていた。さ、幕をくぐって[外核]へ。

『シラ ― 谷の者 山の者』 (2009)

それぞれ4枚のパネルから成る、3組の襖絵にコの字型に取り囲まれる。待ってました!

入って左手の一組目には、人間の足が生えた黒いアゲハ蝶が集っている。中央では三美神のごとく3人(羽)が円陣になっていたり、左端にはしゃがんで横顔を見せるものもあり。足は筋肉の解剖図を思わせるが、やはり羽の美しい描写に目が行き、幻想的な雰囲気に包まれる。全体的な蝶の配置のバランスも美しい。

正面に対峙するは、中央にドカンと鎮座する髑髏。歯の隙間から金粉を左右にゴーッと吐き出している。左上に惑星がポッカリ。宇宙的な画空間。

 部分

右手には、チラシ4枚に渡って分割で紹介されているオオカミの群れ。こちらは後ろ足2本だけ人間の足になっている。全部で6匹描かれているが、皆大きな口を開けて咆哮している。様々なポーズをとるオオカミたちのフォルム、体毛の緻密な描写が見事。記憶がおぼろげだが、解説パネルに「二つ足で見えない時は四足になってみろ」という言葉があった。このオオカミたちはやはり私たちの化身なのだろうか。

襖絵を十分堪能したあと更に歩を進めると、2007年に初見で魅了された『梵書―World of Wonder』(2007)が。本のページを開くと大洪水の水が大暴れ。ボートは宙を飛び、木々やオオカミは波に飲み込まれ。どうしたらこのような豊かな想像力が生まれるのでしょうか。



その後も澁澤龍彦の本の挿絵など平面作品が通路に連なり、それを覗きながら進んでいくと、さあ、いよいよ地球の中心へ。

『赤ん坊』 (2009)

大きな正方形の部屋に入ると、手すりが巡らされた自分の立ち位置より一段下になっている床の真ん中に、ミラーボールのような巨大な赤ん坊の頭部(310x170x234cm)。鏡の小さな断片を全面に貼り付けられたその頭部は、照明を浴びてゆっくり回転し、壁に銀河のような反射を放つ。壁の上を渦巻きのように回転していくその反射光に包まれているうちに、回転しているのは赤ん坊の頭部ではなく、自分であるような錯覚に陥る。私はすっかり酔ってしまい、赤ん坊や壁から目を離し、手すりにつかまってしばらく下の床を凝視して酔いを覚ました。この展示室の中に警備員さんが立っているので、千鳥足で出口に向かうのは恥ずかしい。「地球の中心で創造と破壊のうぶ声を上げながら回転する赤ん坊」に三半規管を破壊されてしまった。

『後ろの部屋』 (2009)

よたりながら『赤ん坊』の部屋から出て呼吸を整える間もなく、今度は目の前に10体ほどの、狼の全身の毛皮が天井からぶら下がっている。結構低い位置まで下がっていて、その間を縫うように通り抜けないと次に進めない。ふらつく頭にこの目の前の光景は現実味が薄く感じられる。入口で「動物の毛にアレルギーをお持ちの方は受付にお申し出下さい」とあったのは、このことだったらしい。ま、特に問題なくすり抜けたが。

ところで以前から私は鴻池作品を観る度に、小学生の頃行った自然史・郷土史系の博物館の展示物の雰囲気を思うことがあった。絶滅した動物をはく製のように再現したものや、狩りや火を起こす原始人たちの生活を再現したものなどが並ぶ、ちょっとカビ臭いような空間。そんな私には、このオオカミたちの作品は出会うべくして出会ったのだという気がした。

ここを出れば、再び地上の光の下へ。また現実の世界に戻ってしまった。でも「神話と遊べる人」とは、つまるところどこにいようと自分の感性と遊べる人なのだ、きっと。

出口に向かって歩いていると、横のベンチにインタートラベラーがちょこんと座っていた。これは写真撮影可なのだが、若い夫婦が赤ちゃんをインタートラベラーの横に座らせて楽しそうに撮影を行っていたので、このあと待ち合わせのあった私は諦めてそのまま去った。

今週末(9月27日)までなので、ご覧になりたい方はお見逃しなく!

尚、このあとインタートラベラーは鹿児島へ旅を続けるそうです。

インタートラベラー霧島編 「12匹の詩人」展
2009年10月9日(金)~12月6日(日)
鹿児島県霧島アートの森



このチラシでは、インタートラベラーは「孤高の旅人」風。

海のエジプト展~海底からよみがえる、古代都市アレクサンドリアの至宝~

2009-09-24 | アート鑑賞
パシフィコ横浜 2009年6月27日-9月23日

昨日で終わってしまったが、観に行った記録として残しておこうと思う。

     

初めて行くパシフィコ横浜。入口でもらった見開きガイドMAPの体裁が”すわ、テーマパーク?”という感じだったが、展示されているのは紛れもなくエジプトの歴史遺物であって、エジプト・マニアでもなんでもない私にも、非常にわかりやすく楽しめる構成になっていた。



とりあえず公式サイトから本展の趣旨を引用しておく:

2000年ほど前にクレオパトラの宮殿があったといわれる、エジプト第2の都市アレクサンドリア。「海のエジプト展」は、この地中海に面した街の海底遺跡から発掘された至宝を紹介する国際巡回展です。約5メートルのファラオの彫像や、ヒエログリフが刻まれたステラ(石碑)、スフィンクスや女神などの石像、金や宝石で彩られたアクセサリー、王の横顔が彫られたコインなど、約490点の作品すべてを日本初公開します。紀元前700年から後800年まで、古代エジプトの「末期王朝」から「プトレマイオス朝」、さらには「ギリシア」「ローマ」時代へとつながる1500年間の歴史をたどる展覧会です。

紀元前7000年頃に始まったエジプト文明のその長い歴史の中で、今回スポットライトが当たっているのは紀元前7世紀以降の終盤のところ。アレクサンドロス大王クレオパトラ7世などが登場し、ローマやギリシャの香りが漂ってくる、個人的には比較的取っつきやすい時代である。

横浜に来るまでにベルリンやパリなどヨーロッパの数都市を巡回し、200万人を動員したそうである。5メートルもある彫像3体を含め、各種石像などの重量級のものからコインなど細々したものまで、よくこの極東の島まで運んできたものだと思うが、それどころの話ではない。これらは天変地異で海底の奥底に水没した三つの古代都市、カノープスヘラクレイオンアレクサンドリアの遺物、すなわち海底から引き揚げられた発掘品。

私にとってアレクサンドリア以外は初耳のこの三都市だが、地図を見るとアレクサンドリアから北東の位置にカノープス、更にその東にヘラクレイオンがある。カノープス、ヘラクレイオンは水没してしまい、アレクサンドリアの海底遺物と共にずっと謎に包まれていたところをフランス人の海洋考古学者フランク・ゴディオ氏が1992年から調査を開始。地形探査による海底地図作りから始まり、15年をかけて三都市の大小様々な遺物を発見、引き揚げ作業を敢行。

一言で引き揚げ作業といっても、並大抵の仕事ではない。海底が粘土層である上に貝殻、砂、泥など様々な沈殿物が厚く堆積する中、巨大なバキューム装置で泥や海藻などを除去していきながら、丁寧に掘り起こしていく。引き揚げ前に現場写真を撮り、スケッチし、採寸し、記録を取る。ヒエログリフが刻まれた石碑などが出た日には、船上で作った大きなシリコン製シートを持って海に入り、表面に張りつけて型取り。これらの作業を全て、酸素ボンベを担いで海底で行うのである。

船上や陸地に引き挙げたら今度は真水に浸して塩抜きし、不純物を細心の注意を持って除去するなど、保存や修復のための多くの作業が待っている。とてつもない知力、精神力、体力、士気の高さ。

展示はシンプルに都市ごとに区分けされているだけだったが(見やすかった)、随所に3分ほどに編集された、それぞれの展示物の発掘シーンが映像で流れていて、思わず見入ってしまった。大きな石像の頭部が海底から出ている様子や、丁寧に泥や海藻をホースで吸い取っているうちに、暗い海底でもなお黄金色に輝くコインが姿を現す様子はスリリング。



ついでにこの壮大なプロジェクトを牽引したゴディオ氏の経歴である。大学で数学を学んだ後、フランス政府の財政顧問として働いていたが、37歳の時に1年間の休暇を取り、かねてから興味があった海洋考古学の本を読んで過ごす。そこから海洋考古学の世界へ入り、エジプトでこの成果を上げることに。かっこいい人生ですね。

前置きが長くなったが、このへんで印象に残った展示物をごく一部だが挙げておきたい:

カノープス

プトレマイオス朝の時代には「セラピス神」(エジプトの、死後の世界を司るオリシス神と聖牛アピスが融合して作られた神)が祀られる「セラピウム」という聖域があった。エジプトと地中海を結ぶ要所でもあり、奇跡の治癒力や商売の場を求めて様々な地域から大勢の人が訪れた。祭りや宴会も催され、巡礼地であると同時に享楽の都でもあった。

『セラピス神像の頭部』 大理石 高さ59cm (前2世紀頃)



巻き毛の頭髪と、豊かなあごひげ。頭飾りのオリーヴの枝。地中海の風が渡ってきそうだ。

『王妃の像』 花崗閃緑岩 高さ150cm (プトレマイオス朝時代 紀元前3世紀頃)



プトレマイオス朝時代の王妃の像の多くは、肩掛けを右胸の上でこのように結んでいるそうだ。解説にある通り、アフロディテとイメージが重なり、しばしうっとり眺める。海から上がり、身体に張りついた濡れ衣を思わせる流れるような襞。文字通りこの像は、水を滴らせながら海底から引き揚げられた。

ヘラクレイオン

ヘラクレス神殿があった場所。エジプト名では「トーニス」と呼ばれていた。エジプトの重要な玄関口の一つであり、神殿にはエジプトのアメン神が祀られ、プトレマイオス朝時代には重要な儀式が行われていたと推測される。

左 『プトレマイオス朝のファラオの巨像』 赤色花崗岩 高さ500cm (プトレマイオス朝時代)
右 『プトレマイオス朝の王妃の巨像』 赤色花崗岩 高さ490cm (プトレマイオス朝時代)



『豊饒神ハピの巨像』 赤色花崗岩 540cm (前4世紀~プトレマイオス朝時代初期)



それぞれ約5mあるこの3体が、伝統的なエジプト芸術の様式に沿い、左足を前へ踏み出したポーズで横に一列に並んで屹立する様は圧巻。漆黒の幕を背景に照明で浮き上がる巨像たちの、赤色花崗岩の色がまた美しかった。

ファラオの巨像の頭部が引き揚げられた際の写真を見れば、その大きさに改めて驚く。



『プトレマイオス3世の黄金の銘板』 金 (プトレマイオス朝時代) 部分



5cm x 10cm、厚み8mmの小さなものだが、角度を変えて見ると文字が点刻されているのがわかる。儀式での奉納品とともに埋められた記念版で、この5行半のギリシャ語の文章にはプトレマイオス王が競技場をヘラクレスに捧げたことが記されているという。海洋性堆積物のわずか20cm下に埋まっていたそうだ。

ネクタネボ1世のステラ(石碑) 花崗閃緑岩 高さ195cm (第30王朝 ネクタネボ1世の治世1年 前378年)



この石碑により、ヘロドトスやヘレニズム時代の地理学者によって言及されていた、所在不明の「トーニス」という町が、実は「ヘラクレイオン」のエジプト名であったことが判明。整然と刻まれたヒエログリフの繊細な彫り、上部の装飾性など、息を飲むほど美しかった。

アレキサンドリア

紀元前331年にアレクサンドロス大王によって建設された、プトレマイオス朝の都が置かれた都市。大図書館、ムセイオン(博物館)、「ファロスの灯台」(世界の七不思議の一つ)が建っていたことでも知られる。ヘレニズム文化圏の芸術・経済の中心地であり、クレオパトラ7世の悲劇でも知られる。

『ハヤブサの頭部を持つスフィンクス』 花崗閃緑岩 (前8~前7世紀(?) )



ホルス神の化身で、ファラオの守護神。人間の耳を持ち、鳥と人間のハイブリッド的な造形が不思議な魅力を放つ。プトレマイオス朝以来、古代エジプトの神々がギリシャ・ローマ神話の神々と同一視されるようになり、天の神であるこのホルスはギリシャ神話のアポロンにあたる。

『カエサリオン像の頭部』 花崗閃緑岩 (前1世紀頃)



クレオパトラ7世とユリウス・カエサルとの間に生まれた息子。目元がギリシャ彫刻を思わせ、への字に曲がった口元が特徴的。この像が置かれた一角でクレオパトラ7世の生涯を紹介する映像も流れていた。

本編とは別に、15分のバーチャル体験シアターやちょっとした参加型アトラクションなどがあったが、個人的にちょこっとテンションが上がったのが、センター・サークル内の「古代エジプトの香り体験」のコーナー。12種類ある香りの中に「乳香」があるではないか。ご存じ、西洋画の主題『東方三博士の礼拝』で、聖母に抱かれた幼児キリストに三博士が差し出す贈り物が「黄金」「没薬」、そして「乳香」である。この「乳香」とはどんな香りなのだろうと長年思っていた。樹脂であることも初めて知り、ドキドキしながら鼻を近づけたそれは、想像以上に柔らかい芳香であった。念願成就。

以上、本当にほんの一部の画像しか載せていないが、大小取り混ぜた膨大な展示品の数々及び各種映像を観ていったのに加え、上記のシアター鑑賞や香りのコーナーの列に並んだ時間なども加えると、3時間近くを費やした。楽しい展覧会だった。

イタリア美術とナポレオン展 ~コルシカ島 フェッシュ美術館コレクション~

2009-09-16 | アート鑑賞
大丸ミュージアム・東京 2009年9月10日-9月28日

イタリア美術とナポレオン、という展覧会名がなんとなく掴みどころがない感じではあるが、本展はナポレオン1世の伯父であるジョゼフ・フェッシュ枢機卿(1763-1839)の個人コレクションを基礎として設立されたフェッシュ美術館(フランス領コルシカ島のアジャクシオ市)の所蔵品を紹介する展覧会である。ご存じ、コルシカ島はナポレオン1世の生誕の地。

フェッシュ枢機卿はフランス本土の神学校を出て司祭になったが、1796年のナポレオン1世のイタリア遠征時には一時聖職を離れて従軍、その頃から熱心に美術品の収集を始めた。死後の目録によればその数は16,000点に及んだが、大部分が遺族に相続されるもほとんど競売にかけられ世界各国の美術館に散逸。郷土の文化教育に役立ててほしいと手元に残したイタリア絵画や彫刻、約姉から相続した肖像画など1000点がアジャクシオ市に寄贈された。

フランスにおいてルーヴル美術館の次に多くのイタリア絵画を持つのがこのフェッシュ美術館だそうである。特に17・18世紀のコレクションが充実。

ついでに、現在ヴァチカン美術館が所蔵するレオナルド・ダ・ヴィンチの『聖ヒエロニムス』の、頭部が切断された状態で売られていた絵を古物商で発見して買ったのもフェッシュ卿。メトロポリタン美術館が所蔵するジョルジョーネの『羊飼いの礼拝』も卿のコレクションだったそうな。

さて、本展は57点の絵画(うち1点は3部作)、4点の大理石彫刻、18点の資料からなるが、彫刻、資料は全てボナパルト一族を紹介するもの。絵画にもこの一族の肖像画が10点近く含まれる。

会場に入ると、やや暗めの細長い部屋にバロック絵画が連なり、なんとなくヨーロッパの個人コレクションを公開する邸宅系美術館に入りこんだような雰囲気。

構成は以下の通り、4つの章と二つのセクションから成る:

第1章 光と闇のドラマ―17世紀宗教画の世界
第2章 日常の世界をみつめて―17世紀世俗画の世界
第3章 軽やかに流麗に―18世紀イタリア絵画の世界
第4章 ナポレオンとボナパルト一族
*フェッシュ美術館所蔵のコルシカ風景画家
*ナポレオン関連資料

では、章ごとに印象に残った作品を記しておきたい:

第1章 光と闇のドラマ―17世紀宗教画の世界

『聖母子と天使』 サンドロ・ボッティチェッリ (1467-70年)



色が退色しているのだと思うが、全体に淡い色彩ながら(色大理石と思われる床は色が流れ出しているように観える)、聖母の薄いヴェールや流れるような衣襞が美しい。まだ師匠リッピの作風が色濃い、ボッティチェリ初期の貴重な作品。解説にある通り、この主題は上半身のみが描かれている場合が多いので、このように立ち姿が全身で描かれている作品はあまり観たことがない。

『聖母子』 ジョヴァンニ・ベッリーニ (1460-80年頃)



とても親しみを覚える、清楚な感じの聖母と可愛い幼子イエスの面立ち。優しく自然なポーズ、落ち着いた色彩で、観ていると心が休まる。そばで観ると光輪の打ち出し装飾がレースのように美しい。

『聖ヒエロニムス』 作者不詳 (17世紀前期)



大きな身振りで狼狽する聖人の、右肩や胸骨、みぞおちの辺りの描写に目が行く。身にまとう赤い布が暗い画面に鮮烈に浮かび上がり、ページがめくれる書物も強烈な陰影で描かれている。実は絵を観ているときは気づかなかったのだが、左上から出る手には聖人に向けられたトランペットが握られている。そこからは最後の審判のラッパの音が。

第2章 日常の世界をみつめて―17世紀世俗画の世界

『子供時代』 サンティ・ディ・ティート (1570年頃)



不思議な絵だと思った。両眼をパッチリ開けて、目の前に舞う2羽の蝶を凝視し、右手を伸ばす少女。軽く開いた口元には歯が覗いている。左手には小鳥を握りしめ、固まったようなポーズは人形のようでもある。ドレスの朱、袖の薄紫、オリーブ色の前掛けの布。宗教画に登場する人物たちが身にまとうような色合いの出で立ちのこの少女は何者なのだろう?

サンティ・ディ・ティートはフィレンツェの画家。この作品は人生の四段階を表わしたシリーズの1点で、他に『青年時代』『壮年時代』『老年時代』があるという(是非観てみたい)。この『子供時代』に描かれる少女は、ドレスの朱とコーディネイトしたような珊瑚の首飾りとブレスレットを身につけているが、これは魔よけとして少女を守っており、蝶も足元の風車も、子供時代の不安定さを強調しているとのこと。

『男の肖像』 カルロ・マラッタ (17世紀第四四半期)



遠目にもこの目力に射られる。この一帯は肖像画が並ぶが、この作品はひと際存在感を放つ。白い肌に紅い唇が強調される、中性的でちょっと爬虫類っぽい顔、胸元のレース飾り、大ぶりなリボン装飾がされた袖、と何だかゴシック・ロマン小説の主人公のようだ。

『風景』 パウル・ブリル (1590-1600年頃)



不思議な魅力を放つ風景画。ほとんど青系と茶系の二色の諧調で描きあげられていて、幻想的。ブリルはアントワープ出身で、プッサンやロランなどの古典風景画の先駆者、と解説にあった。

『トルコ絨毯と壁布のある静物』 フランチェスコ・レノッティ (17世紀中期)

とにかく絨毯の質感描写が緻密で見事。絵の具を織り目そのままに盛り上げるような描き方をしていて、そばにある葡萄の瑞々しさとの描き分けが映える。これは実作品を観なくてはわからない。

第3章 軽やかに流麗に―18世紀イタリア絵画の世界

『難破船を救う聖女カタリナ・トマス』 ベネデット・ルティ (1700-10年)



カタリナという聖女は沢山いてこんがらがるが、ここで登場するのはマヨルカ島出身のカタリナ・トマス(1531-1697)で、船乗りの守護聖女。この船、乗組員の数に対して小さすぎませんか?と思うが、マストにしがみつくカテリナの姿態が異様で印象に残ってしまった。

『リべカの出発』 フランチェスコ・ソリメーナ (1705-10年)



実は中央の一番下で、横顔を見せる犬がおもしろくてピックアップしてしまった。上で厳かに別れの挨拶がされている中、まるで呑気にマッサージを受けているような犬。画像ではちょっと切れてしまってイマイチわかりにくいが、会場でご覧になって下さい。

『サン・ニコラ・デイ・ロレネージ聖堂のドーム装飾のための習作』 コッラード・ジャクイント (1731年頃)



1731年にサン・ニコラ・デイ・ロレネージ聖堂の天井とドームに天国を主題とするフレスコ画を制作するよう注文を受け、その下絵として制作された作品6点のうち3点がフェッシュ美術館に所蔵され、その3点全てが今回展示されている。これはそのうちの1点で、描かれているのは聖ヒエロニムス、マグダラのマリア、聖女アニエス、天使たち。完成品を観たことがないが、下絵の淡い色彩と相まって、柔らかい筆遣いにこちらもふわふわした気持ちに。

第4章 ナポレオンとボナパルト一族

『フェッシュ枢機卿』 ジュール・パスクワリーニ (1855年)



こちらがジョゼフ・フェッシュ枢機卿。聖職者の紅の装束に身を包み、重厚な肘掛椅子の上でやや斜に構える。胸にひと際大きく描かれるのはレジオン・ドヌール勲章。卿の死後に制作された肖像画。

『戴冠式のナポレオン1世』 フランソワ・ジェラール (1806年)



よく見かけるナポレオンの肖像画。サイズ223x144cm。ナポレオンの親族に配るため多くのレプリカが工房で制作されたそうだが、本作はジェラールの直接の指示のもとに描かれた作品とのこと。ジェラールはナポレオン1世に何度も頼まれて、皇帝一家付きの肖像画家となったそうだ。ビロード、毛皮、絹、金糸、と質感描写は見事だが、それにしても頭のてっぺんからつま先まで、装飾品も含めコテコテの衣裳である。左足を差し出したポーズは、エジプトの神像の真似?

『エリザ・ナポレオーネ像』 ロレンツォ・バルトリーニ (1810年頃)



ナポレオン1世の姪っ子。解説にある通り、うっとりするほど美しい少女像。ふっくらとした頬、整った目鼻立ち。正面から観ると、その造形の完璧な愛らしさに見とれる。

フェッシュ美術館所蔵のコルシカ風景画家

『バルドニェッロの森』 ジャン=リュック・ムルテド (1866年)



コルシカ島についてほとんど知識がないが、この作品や港などを描いた他の数点の作品を観ると、起伏に富んだ、自然味溢れる島のようだ。1900年以降コルシカ島ブームが起こって、400人以上の画家がコルシカ島を描いた作品をパリの様々なサロンに出品したそうである。

ナポレオン関連資料

ナポレオンの記念メダルや小像などがこまごまと並ぶ中、『ナポレオンのデスマスク』にはビックリした。今までもいくつかデスマスクというものを観る機会はあったが、やはりいつ対面してもドキリとしてしまう。しかもナポレオン1世のそれは複製品が出回り、予約販売が計画されたとある。もの好きな人がたくさんいるんですね。

会期がとても短いので、ご興味のある方はどうぞお急ぎ下さい。