l'esquisse

アート鑑賞の感想を中心に、日々思ったことをつらつらと。

大エルミタージュ美術館展 世紀の顔・西欧絵画の400年

2012-07-07 | アート鑑賞
国立新美術館 2012年4月25日(水)-2012年7月16日(月・祝)



公式サイトはこちら

今年は大型の西洋美術展が目白押しで大変ですね~。大方の皆さんの関心はすでに、フェルメールの≪真珠の耳飾りの少女≫@東京都美術館や、≪真珠の首飾りの少女≫@国立西洋美術館などに向いておられるかと思いますが、もしまだこちらの美術展をご覧になっていないようであれば、もうあまり日数はないながらおすすめしたいと思います。

本展は彫刻や資料系の展示品などが皆無の、ひたすら西欧絵画の400年の歴史を追っていく内容となっています。16世紀から20世紀までを世紀ごとに5章に区切り、しかも各章の作品は国と地域を限定しています。例えば1章はヴェネツィア派、2章はオランダ/フランドルというような具合に。このようなスパッと潔い構成を可能にし、私たちにより深い鑑賞の場を提供してくれるのも、所蔵作品の質・量が並はずれた美術館ならでは。

ちなみに、今回の出品作のほとんどはエルミタージュ美術館の常設展示作品だそうで、83作家、89点の作品が並びます。第1章の1作品目、ティツィアーノ≪祝福するキリスト≫は、あたかも展覧会の幕開けを祝福しているようでもあります。

展覧会の構成は以下の通りです:

Ⅰ 16世紀 ルネサンス:人間の世紀
Ⅱ 17世紀 バロック:黄金の世紀
Ⅲ 18世紀 ロココと新古典主義:革命の世紀
Ⅳ 19世紀 ロマン派からポスト印象派まで:進化する世紀
Ⅴ 20世紀 マティスとその周辺:アヴァンギャルドの世紀


では、印象に残った作品をいくつかご紹介したいと思います。

≪裸婦≫ レオナルド・ダ・ヴィンチ派 (16世紀末)



微笑んではいるのですが、離れ気味の薄い色の瞳、まっすぐ伸びるやや太めの鼻筋が、私にはどことなくネコ科の動物を思わせます。しかも、画面を観つつ立ち去ろうとしても、彼女の目がどこまでも追ってきます。。。

≪聖カタリナ≫ ベルナルディーノ・ルイーニ (1527-1531年)



こちらの作品の方が普通にレオナルド色が濃いですよね。本に目を落とす聖カタリナの穏やかな表情や仕草、それをあどけない微笑みを浮かべて両脇から見守る二人の天使。観ているこちらも落ち着いた心持になります。

≪聖家族と洗礼者ヨハネ≫ バルトロメオ・スケドーニ (16世紀末-17世紀初め)



スケドーニを初めて知ったのは2007年の「パルマ展」。その展覧会の図録の表紙にもなっていたこの画家の、≪キリストの墓の前のマリアたち≫を観た時の鮮烈な印象は忘れがたいものがありました。主題も異なるその作品と比べてもあまり意味はありませんが、本作は登場人物たちの動きも明暗の対比も穏やかで、一般家庭の情景を見ているような温かさを感じます。ただし、マリアの指がちょっと気持ち悪かったです。

≪若い女性の肖像(横顔)≫ ソフォニスバ・アングィソーラ (16世紀末)



まだまだ知らない素晴らしい女性画家が結構いるもんだなぁ、としみじみ。スペイン王フェリペ2世の宮廷画家だったそうです。この時代の肖像画で真横顔というのも新鮮ですが、服の質感描写が見事。

≪エリザベスとフィラデルフィア・ウォートン姉妹の肖像≫ アンソニー・ヴァン・ダイク (1640年)

クリクリの巻き毛が愛らしい二人の幼い姉妹が立っています。まっすぐ正面を見ているお姉さんの目は本当に活き活きとしていて、さすがヴァン・ダイクだなぁ、と思いつつ(ちなみに、腰に手をあててすかしたポーズで立つ画家本人の自画像も並んでいます)、姉妹の後方に見える木がほとんど倒れそうに傾いているのが気になりました。いくらなんでもこれはないだろうと思い、あとで図録の解説を読んだら「助手の関与をうかがわせる」とのこと。

≪花飾りに囲まれた幼子キリストと洗礼者ヨハネ≫ ダニエル・セーヘルス (1650年代前半)

オランダ・フランドル絵画には花の静物画がよく登場しますが、この作品ではそんな花飾りに囲まれた幼子キリストと洗礼者ヨハネが描かれています。一瞬、宗教画にしてはやや違和感を感じるほど装飾的な絵だと思いましたが(後半にもっと驚く作品がありましたが)、よく見ると美しい花に紛れてアザミやヒイラギなどトゲトゲしい植物が。

≪農婦と猫≫ ダーフィト・ライカールト(3世) (1640年代)



ミイラのようにぐるぐる巻きにされた猫がちょっとコミカルですが、その猫におかゆを食べさせているこの老婆は、画家の「五感」連作のうちの、「味覚」の擬人像だそうです。フム。他の4作はどんな具合なんでしょう?

≪老婦人の肖像≫ レンブラント・ファン・レイン (1654年)

暗闇から浮き上がる老婦人の顔。浮き上がっているのは、造形ではなく表情なのだとふと思いました。年齢を重ねるごとに筆触も大胆になっていくレンブラントですが、この婦人の手はほとんどゴッホのようです。

≪幼少期のキリスト≫ ヘリット・ファン・ホントホルスト (1620年頃)

17世紀にオランダのユトレヒトからイタリアへ赴き、カラヴァッジョの作風をオランダに伝えた画家たちがいました。そんなユトレヒト・カラヴァッジョ派の一人がこのホントホルスト。初老のヨセフのおでこに浮き出るたくさんのシワは、蝋燭の灯りによる明暗を表現するのにうってつけのパーツですね。隣にあったマティアス・ストーマー≪ヤコブに長子の権利を売るエサウ≫(1640年代)という作品も、当初ホントホルストの作品とみなされていたこともあったそうですが、この2作品を比べる限り、ホントホルストの方が上手です。

≪蟹のある食卓≫ ウィレム・クラースゾーン・ヘダ (1648年)

オランダの17世紀絵画といえば1作品は拝見したい超絶的写実の静物画。この作品も素晴らしいです。光沢のある白いテーブルクロスが乱雑に敷かれた卓上には、金属、ガラス、陶器と様々な素材の食器類が並び、ところどころに蟹、レモン、オリーブの実、パンなどが配されています。それぞれの質感描写、とりわけ部屋の窓と思しき光を反映させた銀製のポットとワイングラス(?)は見事だと思いました。

≪死の天使≫ オラース・ヴェルネ (1851年)



実は個人的に一番観たかった作品。何年も前に初めて本で見た時は、耽美的ながら何て怖い絵なんだろうと思いました。その画像が小さくて細部がよくわからなかったこともありますが、少女を連れ去ろうとしている死の天使がちょっと獣っぽくて、何度観てもぞっとしたものです。まさか実作品を日本で観られる日がくるとは。

ということで、じっくり鑑賞しました。想像していたよりも大き目の作品(146x113cm)であったのみならず、やはり実作品は画像のイメージとはずいぶん違うことを実感。なんだかダースベーダーっぽく見えた天使の頭部のベールや、少女を抱え込む手にかかる衣の襞などが確認でき、画像のみで抱いていた見当違いな気味悪さが払しょくされました。イコンの前に下がる蝋燭のか細い灯(画像だと潰れて分かりづらいかと思いますが)は、少女の昇天とともにふっと消えてしまうのでしょう。

≪洞窟のマグラダのマリア≫ ジュール・リフェーヴル (1876年頃)



これはまた艶っぽい裸婦像だなぁ、と近寄り、タイトルを見て「え~っ」と思ってしまいました。神話ならともかく、こんな蠱惑的な流し目のマグダラのマリアも許容されるんですね。

≪赤い部屋(赤のハーモニー)≫ アンリ・マティス (1908年)

チラシの作品です。マティスが注文主のシチューキンに宛てて、「私には作品の装飾性が不十分に思えて、どうしても作品をやり直さざるをえなくなったのです」と書き、最初の完成時は背景が緑色の「緑のハーモニー」だったものが「赤のハーモニー」に生まれ変わりました。緑の上に赤を塗り重ねているためか、想像していたよりも深みのある赤に感じました。観れば観るほどマティスの秩序なき秩序に巻き込まれていく、不思議な絵。

以上、自分の趣味でご紹介しましたが、この他にもロココ、印象派、イギリスの肖像画、20世紀のフランス絵画などまだまだ盛りだくさんの内容です。と言いつつ振り返ったら、女性の画像ばかりですね。最後は美少年に登場してもらいましょうか。

≪ゴリアテの首を持つダヴィデ≫ ヤコプ・ファン・オースト(1世) (1643年)



7月16日(月・祝)までです。

セザンヌ―パリとプロヴァンス

2012-06-04 | アート鑑賞
国立新美術館 2012年3月28日(水)-2012年6月11日(月)



公式サイトはこちら

ポール・セザンヌ(1839-1906)は南仏のエクス=アン=プロヴァンスに生まれましたが、画家を志して1861年に初めてパリに上京するも、挫折やら何やらで、晩年に至るまで20回以上もパリとプロヴァンスを行き来していたそうです。

そこで、画家の創作活動の場となった、フランスの「北と南」という切り口で作品を眺め、その画業を観ていきましょう、というのが本展。その意図は、主題で分け、さらに北・南という作品の制作場所で分けられた展示の構成からも明瞭に伝わってきます。

確かに解説のポイントを押さえながら観ていくと、セザンヌが、あの筆をシャッシャッシャッと斜めに走らせる「構築的筆触」を生み出し、モティーフを「円筒、球、円錐」で捉える抽象的な表現にいきつく過程が、私のような素人目にも何となく理解されたような気がしました。

また、本展はオルセー美術館、パリ市立プティ・パレ美術館など、世界8ヶ国、約40館から約90点もの作品の集まった、国内最大のセザンヌ展とのことで、初期の珍しい作品も並びます。

展覧会の構成は以下の通りです:

Ⅰ 初期
 Ⅰ-1 形成期 : パリとプロヴァンスのあいだで
 Ⅰ‐2 ジャス・ド・ブッファン

Ⅱ 風景
 Ⅱ‐1 北 : 1882年まで
 Ⅱ‐2 南 : 1882年まで

Ⅲ 身体
 Ⅲ‐1 パリ : 裸体の誘惑
 Ⅲ‐2 パリ : 余暇の情景
 Ⅲ‐3 プロヴァンス : 水浴図

Ⅳ 肖像
 Ⅳ‐1 親密な人々 : 家族と友人の肖像
 Ⅳ‐2 パリ : コレクター、画家の肖像
 Ⅳ‐3 プロヴァンス : 農民、庭師の肖像

Ⅴ 静物
 Ⅴ‐1 北を中心に : 1882年まで
 Ⅴ‐2 南を中心に : 1882年まで

Ⅵ 晩年


では、チラシに載っていた作品を中心に、印象に残ったものを少し挙げておきます。

≪砂糖壺、洋なし、青いカップ≫ 1865‐70年



パレット・ナイフで豪快にパレットから絵具をすくい取り、画布に盛りつけたような厚塗りの画面。30x41cmの小品ながら、背景の暗さもあいまって息苦しいほど。のちの、塗り残しもある薄塗りの作品が想像できないような初期の作品です。

クールベの影響もあるとのことですが、私は同じセクションに展示されていた≪林間の空地≫(1867年)の方に、よりそれを感じました。

「四季」 ≪春≫≪夏≫≪秋≫≪冬≫ 1860‐61年頃



「ジャス・ド・ブッファン」は、エクス市郊外にセザンヌのお父さんが購入した別荘。「風の館」という意味だそうで、南仏の爽やかな風がそよぐ、素敵な場所だったのでしょうね。その別荘の大広間を飾るために描かれたのがこの4連作。縦が314㎝もある大作です。大作なのはいいのですが(そして初期の作例として希少価値もありましょうが)、なんだかペラペラな印象。下にIngres(アングル)とサインがあって、若かりしセザンヌの、巨匠アングルへの当てつけか何かなのか?とも。

≪首吊りの家、オーヴェール=シュル=オワーズ≫ 1873年



第1回印象派展(1874年)に出展され、収集家に売れた作品。カミーユ・ピサロと出会ってなかったら、この作品も生まれなかったのではと思わせる作風です。画面がやや窮屈な感が無きにしもあらずですが、最初期の厚塗り画面と比べると、ずい分風通しの良い油彩画作品という印象です。

≪サント=ヴィクトワール山≫ 1886-87年



戸外で自然を観察して、その中に見える色彩を筆で表現することを学んだセザンヌは、それを踏み台に次のステップへ。「印象派を美術館の芸術のように堅固で永続的なものにする」試みを始めます。

目に映る自然をそのまま写生するのではなく、受け取った印象を頭の中で理想的に再構築した風景。観察した時間帯に左右されることなく、自分の中で表情の変わることのない風景のイメージ。

「自然に即してプッサンをやり直す」というキーワードもありますね。巨匠プッサンの創りあげた、理路整然としたような秩序をもった風景を意識し、≪サント=ヴィクトワール山≫の連作が生まれていきます。

本作品でも、上の方を這う松の枝は遠景の山の稜線に沿うような曲線を描いて伸び、言われなくてはわかりませんでしたが、中景の平野は本来このような俯瞰できる角度には見えません。手前の垂直に伸びた松の木、水平に横切る橋、斜めに走る道。これらの要素が、セザンヌの目指したプッサンの前景、中景、遠景の秩序なのだと思います。

ついでに、「緑はとても快活な色彩のひとつで、眼に最も良い色なのです」というセザンヌの言葉が展示室の緑色の壁に書かれていました。どんな文脈で語られた言葉なのかわかりませんが、ちょっと唐突でおもしろく感じました。眼に良いなんてことも考えながら、パレットに緑色を絞り出し、サント=ヴィクトワール山の連作を描き続けていたのかな。

≪水の反映≫ 1888-90年頃

何が描かれているのかちょっと判然としない作品ですが、下へ斜めへと走る、シャッシャッシャッという筆触のブロックが織りなす画面は、さながら楽器のスケール練習を思わせます。

≪サンタンリ村から見たマルセイユ湾≫ 1877-79頃

もう一つ、本展でなるほどと思ったのは、南プロヴァンスの「強烈な陽光と深緑の木々」が、セザンヌに形態を平坦で捉えることを着想させたという点。本作に描かれる遠方の白壁の家々も、解説にあるとおり、”トランプのカードのよう”に簡略化されて描かれています。南の強い陽光のもとで見る風景は陰影が際立ち、色彩も鮮やか。風景画のみならず、南国の気候が対象物の三次元の捉え方について画家にインスピレーションを与えたことが想像されます。

≪赤いひじ掛け椅子のセザンヌ夫人≫ 1877年頃



「りんごのようにポーズをとる」とセザンヌに高く評価された妻、オルタンス。新日曜美術館のセザンヌ特集では、セザンヌがオルタンスのことを「たまっころ」と呼んでいたというエピソードが紹介されていましたが、とにかくセザンヌにとって人物もりんごも描く対象としては同じスタンス。この作品では、同じ寒色系の色を、オルタンスの顔と彼女のスカートにのせ、全体の色の調和を探求しているように感じられます。

≪アンブロワーズ・ヴォラールの肖像≫ 1899年



セザンヌの個展を初めて開いた画商ヴォラールの肖像画。こちらのモデルはポーズを保てずに動いてしまい、「りんごが動きますか!」と画家に怒られてしまいました。でも一回のポーズに2,3時間、それを百回以上やれと言われても、なかなかできるものではありません。いずれにせよ、以前観たルノワールが描いたヴォラールの肖像画よりこちらの方がずっといいです。

セザンヌの30代の頃の自画像もありましたが、逆八の字に釣り上がった眉にぎょろっとこちらを見る目と、一徹な感じが強烈に伝わってきました。

≪壺、カップとりんごのある静物≫ 1877年



形態把握の探求には、動かない静物を描くのが一番。そしてセザンヌといえばりんご。とはいえ、この作品を観た時、下に敷かれた布の不自然さが真っ先に目につきました。解説を読み、背景の壁紙の模様と呼応していると知り、ああ、そういうことかと。従来の主役、わき役という観方を捨てないと、到底セザンヌの意図は理解できません。

非常に断片的なご紹介となりましたが、最後の方では画家のアトリエ再現や、絵の具ののったパレット、画中に登場する瓶などのオブジェが展示され、セザンヌという画家がより身近に感じられました。

閉会までもう日があまりありませんので(6月11日月曜日まで)、もしご興味があればお急ぎを!

没後150年 歌川国芳展

2012-01-08 | アート鑑賞
森アーツセンターギャラリー 2011年12月17日(土)-2012年2月12日(日)



展示は以下の通り前期と後期に分かれ、ほとんどの作品が入れ替わるとのことです:

前期:2011年12月17日(土)-2012年1月17日(火)
後期:2012年1月19日(木)-2012年2月12日(日)

*会期中、2012年1月18日(水)のみ作品展示替えのため休館。

公式サイトはこちら

松の内を過ぎてしまいましたが、新年のご挨拶を申し上げます。

ほぼ1年ぶりの更新となってしまいましたが、昨年は私にとって返す返すも非常に難義な1年でありました。今年は少しでも安泰に過ごせ、芸術にうつつを抜かせる時間が多く持てるよう祈るばかりです。

また、拙ブログをのぞきに来て下さった皆様にとっても、より佳き1年となりますように。

年が明けたからと言って時空に目に見える境界線があるわけでもありませんが、区切りは区切り、全ては心の持ちよう。ということで、本展にも張り切って元旦に足を運んできました。

嗚呼、しかし、JRから日比谷線に乗り換えようと日比谷駅の階段を降りていくと、「地震発生のため運転見合わせ」のアナウンス。今年も元旦からこれか、とちょっと意気消沈しかけましたが、ほどなく運転が再開してホッ。

そして無事目的地に到着するも、六本木ヒルズは想像以上の混雑ぶりで、チケット購入にも長蛇の列。展望台目的のお客さんも多いのではと思いきや、国芳展の会場もなかなかの混みようでありました。

歌川国芳(うたがわくによし 1797-1861年)は幕末の江戸に活躍した、日本橋生まれの浮世絵師。2011年は国芳の没後150年にあたり、それを記念して開催されたという本展には前後期合わせて約420点が並ぶ、過去最大規模の国芳展だそうです。

展覧会の構成は以下の通り:

第1章 武者絵―みなぎる力と躍動感
第2章 説話―物語とイメージ
第3章 役者絵―人気役者のさまざまな姿
第4章 美人画―江戸の粋と団扇絵の美
第5章 子ども絵―遊びと学び
第6章 風景画―近代的なアングル
第7章 摺物と動物画―精緻な彫と摺
第8章 戯画―溢れるウィットとユーモア
第9章 風俗・娯楽・情報
第10章 肉筆画・版木・版本ほか


では、前期に出展されていた作品の中から数点挙げてみたいと思います。

『通俗水滸伝豪傑百八人之一個 九紋龍史進・跳潤虎陳達』



第1章は極彩色の濃密な色世界が氾濫し、圧倒されます。本作は国芳の出世作となった、水滸伝に登場する108人の登場人物を一人ずつ(一個はひとりと読む)描いた武者絵シリーズのうちの一点。もはや着物の柄なのか皮膚なのか判別できないほどの刺青は江戸の男たちをしびれさせたらしく、当時の刺青の流行に拍車をかけたそうです。筋肉のもりもり感もすごい。そういえばなでしこの澤選手が脛の筋肉を披露していましたが、ふくらはぎだけではなく、脛もあんなに盛り上がるものなんだと非常に驚きました。

『相馬の古内裏』



第1章には、色彩もさることながらダイナミックな画面構成に息を飲む作品が目白押し。本作は山東京伝の読本に取材したという作品ですが、読本では数百の骸骨が戦闘を繰り広げる場面を国芳は巨大な骸骨一体に置き換えているそうです。この大胆な発想により、観る者に一度観たら忘れられない大きなインパクトを与えていることは明らか。骸骨自体も美しいと思ったら、国芳は西洋の書物で見た骨格図を基にこの骸骨を描いているとのこと。

『鑑面シリーズ 猫と遊ぶ娘』



鏡に映った美女を描くシリーズのうちの一点。国芳の描く女性は明るく健康的で、笑顔が見られるものが多いと解説にありましたが、なるほどこの作品の女性も猫と戯れながら自然な笑みを浮かべています。浮世絵に描かれている女性の顔にはあまり表情がないというイメージがあって、今までさほど顔自体に見入ったことがないのですが、今回国芳の描く女性たちの目元・口元が表情豊かであることに気づかされました。また、この第4章に登場する女性たちがそれぞれ身につけている着物の柄も繊細で素敵。子どもたちを描いた作品もそうですが、国芳の女性や子供たちに注ぐ視線には、どこか父性愛を感じさせられます。

『近江の国の勇夫於兼』



西洋版画を思わせる作品でしょう?遠景の山脈描写はニューホフという人の本の銅版画挿絵から取り込んでいるそうです。先の骸骨もそうですが、西洋のものも積極的に取り入れる国芳の柔軟性と新進性がわかります。

『流行達磨遊び』 手が出る足が出る



国芳の美人画を見ながら、やはり今年はこうやって笑顔が増えるといいなぁなんて思っていたのですが、この作品には思わず笑ってしまいました。職人が達磨に目を入れると、魂が宿って手や足が出る。子どもは動き出した達磨を押さえ込んでいるんですね。

『流行猫の曲手まり』



すごくリフティングが上手な猫たち。浦和レッズ、今季は頼むぞ。

『絵鏡台合かゞ身』 猫/しゝ・みゝづく・はんにやあめん



猫たちが無理な体勢で寄り添い、影絵を作っています。左端の「はんにやあめん」(般若面。これも国芳のダジャレ)を形作る、下顎担当の猫ちゃんの赤い首輪と背中が妙に私の心をくすぐります。

『絵鏡台合かゞ身』 三福神/へび・かへる・まいまいつぶり



影絵部分は是非会場で。つりそうな左足を小さな左手で支えて持ち上げ、引きつった笑いを見せる太鼓腹の神様、がんばれ。

『憂国芳桐対模様』



図録では見開きに渡ってしまっているので全図を取り込めませんが、3枚綴りの一番左の画面で、ド派手な上着を着て踏ん張っているのが国芳。自作品に登場する自画像に顔が描かれたものは一点もないそうで、この絵師の美学を思わせます。

図録の解説によると、国芳は師匠の奥様に漬物を無心し、「姉さんこれ一本借りて行きやすよ」と漬物桶から大根を一本掴みだし、香りを振りまきながら鼻歌か何かで帰って行くような人だったようです。きっと大らかで憎めない性格の人だったのでしょうね。

最後の方には版木も数点展示されていますが、その彫りの複雑さには驚かされます。浮世絵の木版画はいくら大量に刷られたと言っても、絵師、彫り師、刷り師らによる手作業で全て行われ、手間がかかっているのだということに改めて気づかされました。

前期だけでも200点以上の作品が並ぶ中、ほんの少ししかお伝えできませんが、是非この機会に国芳ワールドをご堪能されることをお勧めします。

アンドリュー・ワイエス展―オルソン・ハウスの物語―

2011-01-16 | アート鑑賞
埼玉県立近代美術館 2010年9月25日(土)-12月12日(日)



もう1ヶ月以上も前に終わってしまった展覧会だけれど、自分用の記録に感想を残しておくことにします。2008年の暮れにBunkamuraで観たこの画家の個展も師走のドタバタで結局ブログに残せなかったこともあるし、何より本展は冬の一日に心に沁みる、とても良い展覧会でした。

アンドリュー・ワイエス(1917-2009)の代表作、というよりチラシの言葉を借りれば「アメリカ芸術を代表する」傑作として知られる『クリスティーナの世界』(1948年)のモデルとなったクリスティーナ・オルソン、そして弟のアルヴァロの住む「オルソン・ハウス」を舞台に、ワイエスが22歳(1939年)の時から実に30年間も描き続けた「オルソン・シリーズ」。

本展で紹介されるのは、埼玉県朝霞市にある「丸沼芸術の森」が所有するその「オルソン・シリーズ」の、水彩・素描による作品約200点。

左『クリスティーナの世界』 習作 (1948年) 右『オイルランプ』 習作 (1945年)



クリスティーナは、3歳の頃から足に障害を認めながらも学校まで何キロも歩いて通い、長じてからは家事も他人に頼らずしっかりこなした。アルヴァロは、母亡き後、父親と姉の世話をするために大好きだった漁師の仕事を辞めて畑仕事で家族を支えた。

『オルソンの家』 (1966年)



オルソン家が住んでいたオルソン・ハウスは北米最北東部のメイン州にある。家の模型も展示されていたが、母屋の切り妻屋根と煙突、白い壁が印象的な大きな農家。地理的に農作物の生育期間が短く、6月にやっと植え付け作業が始まり、9月には初霜が降りると言う。

左『青い計量器』 (1959年) 右『カモメの案山子』(1954年)

 

展示室の壁には、ひたすらオルソン家の生活をにじませる物や日常の情景が展開していく。ブルーベリーの実をそぎ取る、いかにも重そうな金属製のくま手のような農具。ブルーベリーをついばむカモメを追い払うために、カモメの死骸を逆さに棒に括りつけただけの案山子。

ワイエスは過剰なセンチメンタリズムを介入させることなく、オルソン家の日々に寄り添って目の前の事象を淡々と描いて行く。この青い計量器を描くために、風に揺れるカモメの死骸を描くために、何度も何度も習作を繰り返す。

『パイ用のブルーベリー』 習作 (1967年)

ほとんど色彩のない画面の中、木のバケツに収穫されたブルーベリーの放つ鮮やかな青色に、私は何だか泣きたいような気持に襲われた。

『表戸の階段に座るアルヴァロ』 (1942年)

通常の畑仕事以外にも、屋根の葺き替えや薪割りなどアルヴァロの重労働は1年中続く。水も雨か雪解け水でまかない、日照りが続いて水不足になれば、湧水をバケツに汲みあげて石舟と呼ばれる木のそりに載せて運ぶ。私のような都市部で生活する人間には実感を持って共鳴できる事物は何もない。文句一つ言わずに黙々と働いたというアルヴァロの、ピューリタン的な忍耐強さを想像することしかできないが、家の玄関口に腰をかけ、パイプをくわえて何やらじっと考え事をしているようなアルヴァロは、一体何を想っていたのだろう?

『オルソン家の納屋の内部』 (1957年)

暗い納屋の中、小さな窓から差し込むいくばかりかの光が、1頭の牛の、ほとんど四角い体を白く浮かび上がらせる。下に敷かれた干し草の匂い、牛の体温が伝わってくるような情景。この作品に限らず、素人目にも感動するそのずば抜けたデッサン力や対象物の質感を写し取る繊細な線に、上手いなぁ、と何度つぶやいたことだろう。

『クリスティーナの世界』 習作 (1948年)

あの名作の習作がいくつか並ぶ。体を支えるために下についた右手、骨ばった肘、首から下の下半身、と部分ごとにスケッチを繰り返している。風になびくクリスティーナのほつれ毛は何と柔らかそうなことだろう。

この作品に限らず、画面に登場するモティーフを単体でスケッチしている習作作品が沢山並んでいたが、大きな紙面の端っこにランプがちょこっと描かれているだけだったりするのは、単にその対象物を描いているだけではなく、画家の視線が画面構成上の位置関係も見据えていることに気づかされる。

『クリスティーナの墓』 (1968年)

Jan 29 1968 Day before Christina’s funeralと書き込まれた鉛筆画。手前に翌日クリスティーナの棺が納められるお墓があり、遠方にオルソン・ハウスが見える。ワイエスはお葬式の前日にそこに立ち、この絵を残した。オルソン・ハウスはクリスティーナの魂の器。この地に生まれて、この地で土に還っていくという生命の環を思わせられた。

アルヴァロは1967年に亡くなっており、姉弟亡きあとも『オルソン家の終焉』と題してオルソン・ハウスを幾度となく描きとどめたワイエスに、画家の、主題に対する忠誠心のようなものを感じずにはいられなかった。

モネとジヴェルニーの画家たち

2011-01-15 | アート鑑賞
Bunkamura ザ・ミュージアム 2010年12月7日(火)-2011年2月17日(木)



本展の公式サイトはこちら

クロード・モネ(1840-1926)が、1883年、42歳の頃から住んだジヴェルニー村。パリから約80kmほど北西に位置するこの村で、あの一連の睡蓮や積みわら、ポプラ並木などの作品が生み出された。

というような解説はよく耳にするものですが、今回意外な事実を知りました。

今は日本人観光客も多く押し寄せるジヴェルニー村も、モネが移り住んだ当時は人口300人ほどの小さな村で、それもほとんどが農民。それが印象派巨匠の移住とそこから発表される作品のお陰で注目を浴び、1915年頃までに19カ国を超す300人以上の芸術家がここを訪れたそうです。しかも訪問者の70%がアメリカ人で、この村に滞在して制作活動をした画家も50人を超すことがあったとのこと。

本展はモネの作品のみならず、静かな一農村からインターナショナルな芸術家村へと変貌を余儀なくされたジヴェルニーで制作活動を行い、アメリカの印象派を形成したアメリカ人画家の作品に焦点を当て、計約75点で構成。

モネと睡蓮しか頭になかった私は「あら、そうなの?」状態だったが、よくよくチラシを見ると、英語の副題にちゃんと"THE BEGINNING OF AMERICAN IMPRESSIONISM"と謳ってありました。

そうそう、アメリカ人画家による出展作品の多くが「テラ・アメリカ美術基金(Terra Foundation For American Art)」の所蔵となっていますが、サイトをちょこっとのぞいてみたら、ビジネスマンでアート・コレクターだったDaniel J. Terra(1911-1996)という方によって設立されたものだそうです。

では章ごとに:

第1章 周辺の風景 1886~1890年

『花咲く野原、ジヴェルニー』 セオドア・ウェンデル (1889年)



この章は二つに分かれていて、アメリカ人画家たちがジヴェルニーで制作した一連の風景画と、「ジヴェルニーのモネ」と題して設けられたコーナーにモネの作品が9点。

村がパリからさほど離れておらず、英語も通じやすいという環境も手伝ってアメリカ人にも滞在しやすかったというような説明があったけれど、ある程度の規模の街ならともかく、こんな小さな村に英語が飛び交っていたらまるでリトル・アメリカ?

実際の作品はというと、アメリカの画家たちによる風景画は、まぁ可もなく不可もなくといったところでしょうか。どちらかというとボストンなど東海岸出身の人が多い印象で(もちろんカリフォルニア州の人などもいましたが)、ワスプ的というか、ヨーロッパを祖国として憧憬する心情も多分ににじみ出ているような気もしました。

第2章 村の暮らし 1890~1895年

『積みわらの習作:秋の日7』 ジョン・レスリー・ブレック (1891年)



秋の一日の時間の経過に伴う陽光の変化を追って、3日間で制作された計12点の積みわらの習作が、6点ずつ2段に分かれてずらりと並ぶ。積みわらを照らす光が逆光、側面、前面と移動していく様子を12段階で捉えていますが(公式サイトに展示風景を映した動画があるのですが、この12点をスライドショーのように映し出してくれるので光の変化がよりわかりやすい)、そのおにぎりのような積みわらの形や影は、モネの作品と比べるとずい分抽象化されているように感じます。

『朝霧と日の光』 ジョン・レスリー・ブレック (1892年)



そしてこちらが、習作を経て出来上がった作品。やはりきれいなおにぎり型(しつこいですね)に成形された積みわらが、少し湿り気の感じられる朝靄の大気の中、柔らかい朝日を受けて並んでいます。

『秋(新月)、ジヴェルニー』 ジョン・レスリー・ブレック (1889年)

さほど大きくない作品が並ぶ本展で最も大きい作品だったのではないかと思いますが、初めて「おっ」となった。うっすらと細い三日月が浮かぶ夕刻時の牧草地で羊の群れを連れて佇む羊飼いを描いたもので、どちらかというとバルビゾン風の抒情。じっと観ているうちに、少し傾斜している牧草地に自分も斜めに立っているような心持になりました。

第3章 家族と友人 1895~1905年

『メーベル・コンクリング』 フレデリック・ウィリアム・マクモニーズ (1904年)



一瞬、サージェントかと。自画像、室内画、肖像画と4点あり、筆致は印象派というよりはもうちょっとアカデミック寄りな感じ。初めて知った画家でした。

第4章 ジヴェルニー・グループ 1905~1915年

左は『庭の婦人』(1912年頃)、右は『百合の咲く庭』(1911年以前)、共にフレデリック・カール・フリージキー作。

 

ジヴェルニーでの活動も後半になると、アメリカ人画家たちの主題も風景から村の情景や庭の設定における女性/裸婦へと移っていき、それが20世紀のアメリカにおける「装飾的印象派」へとつながっていったそうです。

好みもありましょうが、フルージキーのむせかえるような色遣いにはビックリ。カラフルなアメリカのキャンディのようなというか、ネバダの砂漠にラス・ヴェガスを作ってしまう力技的というか、何ともアーティフィシャルな感じのする絵。だいたい「装飾的印象派」という言葉に何じゃそれ?と思ったのは私だけでしょうか?

このジヴェルニー・グループの画家たちも、中にはモネの義理の娘さんと結婚した人などもいたようですが、第一次世界大戦の勃発で大方は帰国の途に。

『睡蓮、水の光景』 クロード・モネ (1907年)



最後はやはり本家本元、モネの睡蓮シリーズ。今回展示されていた5点の中ではこの色彩が一番お気に入り。ホワイトの混ざった柔らかな緑色に紫がかったピンクの花が可憐。睡蓮の葉、花、周りの樹木などの色が溶け込んだ微妙な色のニュアンスを見せる水面が画面の半分近くを占め、清々しい感じも。

それにしても、ジヴェルニーの庭がどのようにして作られていったかという短い説明があったけれど、モネの作庭に向けた並々ならぬ情熱にも今一度驚くばかり。維持するのも大変でしょうけれど、どうか末永くオリジナルの姿のまま留まって欲しいものです。

本展は2月17日(木)まで。最後に挙げたモネ『睡蓮、水の光景』だけは2月7日(月)までの展示のようですので、もしご覧になりたい方はお早めにどうぞ。

小谷元彦展:幽体の知覚

2011-01-10 | アート鑑賞
森美術館 2010年10月27日(土)-2011年2月27日(日)



小谷元彦(おだにもとひこ 1972-)の作品と言えば、何年か前に雑誌で観た、古代魚の骨格とかちょっとタツノオトシゴの尻尾の形状を思わせる真っ白な立体作品『SP2 “New Born” (Viper A)』(チラシの右側に一部が載っています)がとても印象的で、いつか実物を観たいなぁ、と思っていた。

でも実際観たことがあるのは、2009年のネオテニー展に出ていた、口を開けて双頭の鷲のごとく左右に吠えかかる2匹の頭部も生々しい狼の毛皮の下にヒールを履いた女性の足がのぞく『ヒューマンレッスン(ドレス01)』と、手の平を真っ赤に染めて横たわる美少女の写真連作作品『ファントム・リム』の2点だけ。後者はちょっと胸がさわさわしたが、前者はお手上げで(スミマセン)、自分の心に残る『SP2 “New Born” (Viper A)』との脈絡もわからず、要するに私はこの現代美術家を全く知らないに等しかった。

よって、どうやら現時点における彼の作品の集大成らしいこの個展は、私にはこの作家を知るにはもってこいの機会。

では順を追って感想を残しておきたいと思います。

会場に足を踏み入れるや真っ白な空間に投げ出され、自分の立ち位置が覚束なくなるような、一瞬麻痺したような感覚に襲われる。壁には展覧会名「幽体の知覚」の説明。「実体のない存在や形にできない現象、すなわち「幽体」(ファントム)をとらえ、その視覚化を試みてきた」とある。ふむ。

『ファントム・リム』の女の子に出迎えられ中に進むと、髪の毛で編まれたドレス『ダブル・エッジド・オブ・ソウル(ドレス02)』や、小鹿の剥製の四肢に金属製の補助具を取りつけた『エレクトロ(バンビ)』、実際に昔ヴァイオリニストの指を開くために使われたという、見るからに痛そうな『フィンガー・シュパンナー』、そしてあの狼、『ヒューマンレッスン(ドレス01)』と、私の苦手な分野の作品が並ぶ。

確か入口に、木、金属、樹脂、剥製、毛髪など様々な素材によって、痛み、知覚現象、欲求、恐れ、生死を表現するというような解説があったが、このあたりの作品は文字通り、観た目に「痛い」感覚に襲われる。

この痛みはどこまで続くのかと歩を進めると、向うの部屋で大きな何かがゆっくり回っている。

『ダイイング・スレイブ:ステラ』。まるで鍾乳洞のような複雑な表面を持つ巨大な白い頭骸骨が串刺しになって、ローストチキンのごとくゆっくり回転している。ミケランジェロの『瀕死の奴隷』との関わりも言及されていたが、人間は死に向かって生きる奴隷であるという言葉には何となく共鳴。

まるで重力だけで作られた彫刻のよう、と解説にあった『スケルトン』は、重力の法則に抗えないことを表現した柱形の作品。見上げると、表面は下に向かって下がる鋭利なつららのようなものに覆われている。これにも更に共鳴。年取るごとに、本当に顔も体も肉が下がってくるのだ(ん?)。

ところで会場の奥の方から、ずっとゴォーッという音がしていて、一体どんな作品に使われているのだろうと気になっていたのだが、とうとうその仕掛けのまん前に。『インフェルノ』。八角形の小屋が目の前に現れて、映像作品のように表面を物凄い勢いで滝が流れている。その流れは速くなったり緩んだりしながら、轟音と共に流れ続ける。粘土のように時間を扱う「映像彫刻」という解説に、なるほどね、と暫く眺めていると、実は中に入れるインスタレーション作品。

私もそそくさと靴を脱いで中に入ったが、想像以上の面白さ。天井と床が鏡張りになっていて、周囲に滝が流れる中、上を見上げると体が上昇していき、下を見ると下方に引き込まれていくような感覚に襲われる。視覚の錯覚を利用しただけなのだが、音の迫力もあり、まるで私はブログの新年のご挨拶に載せたウサギ状態。

しかし実はここからが良かった。やっとあの『SP2 “New Born” (Viper A)』にご対面。SPとはSculpture Projectの略で、“New Born”シリーズとは、「運動を彫刻の中に取り組む作品群」のことだそうです。ここにきて、そのプロジェクト名の通り、いわゆる彫刻風作品の登場。

暗い部屋に間隔をもって並べられたケースの中に白く浮かび上がる、複雑な形態をした作品の数々。発光するような純白ではなくアイボリーのような色調のせいか、あたかも博物館の骨の標本室のようでもあるけれど、個々の作品の造形美には深淵さも漂う。空を駆け巡るドラゴンのようにうねっているもの。複雑に絡み合うロープのようなもの。細部の繊細さと全体のバランスが見事。この展示室の入口の壁に嵌め込まれるように展示してあった円形の作品は聖堂のバラ窓を想起させ、床に映る影がまた幻想的だった。

アルミで鋳造した細い釘状のものを無数ボードに打ちつけた『SP1 “Beginning”』シリーズの3点も印象に残った。胎児の産毛や皮膚の表面性がテーマとのことだが、とりわけ珍しい造形法ではないのにやはりそのさざめくように波打つ表面の肌合いが絶妙で、コンポジションの確かさとでもいうのでしょうか、やはり造形のセンスを感じました。

ここで一旦趣向を変え、映像作品『ロンパース』と、作家が映画『悪魔のいけにえ』に登場する殺人鬼に扮して、電気ノコギリで狂ったように木を切り刻むパフォーマンスをする『SP extra レザーフェイス イズ スカルプター』が登場。後者については、緻密な作品ばかり作っているとたまにはこういう遊びもしたくなるのかな、などと思ったけれど、横に展示してあった血糊のついた布やマスクなどは、案外楽しみながら作ったのじゃないかと。

次の部屋は『SP4 the specter』シリーズ。『SP モトヒコ・オダニ イズ スカルプター』に戻ります(?)。

『SP4 ザ・スペクター ―全ての人の脳内で徘徊するもの』



この『Specter』シリーズは、仏像しかなかった日本に西洋彫刻が入ってきたために歪みが生じた日本の近代彫刻に対する、作家の懐疑的な姿勢を表現した作品群であるらしい。部屋には木彫風の大きな立体作品が並んでいるが、画像にあげた『SP4 ザ・スペクター ―全ての人の脳内で徘徊するもの』は馬も騎手も筋肉組織が見えている。私にはデューラーの黙示録を想起させた。



最後の部屋はまた白い作品群、、『Hollow』シリーズ。ユニコーンに跨る少女、幽体離脱のように向かい合って浮遊する少女たち、天井から下がるユリの花など、四方から作品が押し寄せてくる。作品の表面を覆うチリチリしたものは、まるで神経細胞が視覚化されて表出しているよう。

ざっと観てきましたが、個人的にはやはり洗練された造形性が美しい『SP2 ニューボーン』シリーズと『ホロウ』シリーズが好きでした。解説も明瞭で分かりやすく、鑑賞の助けになったと思います。

本展は2月27日(日)まで。お勧めします。

東大寺大仏―天平の至宝―

2010-12-06 | アート鑑賞
東京国立博物館 平成館 2010年10月8日(金)-12月12日(日)



本展の公式サイトはこちら

今年は平城遷都1300年であると同時に、光明皇后が亡くなられて1250年の節目。ここは一つ、パネルの解説などを読みながら、東大寺の歴史もちょっぴりおさらいしたいと思います。

聖武天皇光明皇后は、1歳になる前に夭折した皇子を弔うために山房を営んだが、それが発展したともいわれる寺を始めいくつか存在した寺を合わせて742年に金光明寺が成立したと考えられる。

藤原広嗣の乱に際して聖武天皇は平城京から逃れ、その後も都を恭仁、難波、紫香楽と移したが、干ばつ、飢饉、大地震など社会不安が深刻になる中、仏教の力によって国を平定しようと考え、天平15年(743年)に大仏建立を発願。

紫香楽宮で着工されたこのプロジェクトは、天平17年(745年)に都が平城京に戻った際に仕切り直され、金光明寺に大仏が造られることに。大仏の鋳造が始まった直後の天平19年(747年)に東大寺の名前が登場する。

何となくアウトラインだけは押さえたところで、そんな東大寺の大仏ゆかりの、大小様々な至宝の数々を拝見することができるのが本展。既に終わってしまったけれど、期間限定で正倉院宝物の展示などもあり(ちなみに私が行ったのは10月末なので、残念ながら見逃しました)、国宝11件、重文18件を含め出展数は総数67点。

では、構成に従って心に残った作品を挙げていきたいと思います:

第1章 東大寺のはじまり―前身寺院と東大寺創建―

『法華堂付近出土三彩軒丸瓦(さんさいのきまるがわら)』 (奈良時代・8世紀)

最初の展示室には、東大寺周辺から出た出土品が並ぶ。「瓦ばっかりねぇ…」という声も聞こえたけれど、なかなかどうして、この丸瓦は中心にお花のような装飾が施され、その周囲にも小さな玉がぐるりと並べられてちょっと和菓子のような可愛らしさ。14個並ぶ『法華堂屋根瓦』(奈良時代・8世紀)にはそれぞれ瓦工の名前のスタンプが押されていたりと、私にはなかなか興味深かった。

また、一角に現在行われている東塔跡の調査活動を紹介するコーナーがあったが、その東塔は高さ100mの七重塔だったとのこと。しかも東大寺はその再建計画を立てているそうだ。このご時世、資金集めも大変でしょうね。。。

第2章 大仏造立

『誕生釈迦仏立像及び灌仏盤』 (奈良時代 8世紀) *国宝

 

この章の展示室に足を踏み込むと、おや、いつかどこかで体験した空間。赤い柱やスロープの設置など、去年の阿修羅像展にそっくりです。でも今回ここに鎮座するのは、穏やかな表情で片手を高々と挙げたポーズが印象的な高さ47cmの仏様。4月8日に行われる灌仏会(かんぶつえ。釈迦の誕生日を祝う法会)の本尊だそうだ。

右側の画像はチラシの裏で、灌仏盤の中にお立ちになる仏様。左側が仏さまのクローズ・アップ。

灌仏会の時に仏様に甘茶をかけるので、灌仏盤はいわばその受け皿。この灌仏盤の外側には、草花や飛天など流麗な装飾が施されていて、下方から部分的に時間差で当てられる照明のおかげでその装飾を確認することができる。横には液晶画面で説明も行われており、私もそれを観てから再度実物の周りをぐるぐる。

『伎楽面』 (奈良時代 8世紀)



左上から時計回りに『酔胡従』『太孤父』『力士』『師子児』『師子児捨目師作。

752年に行われた大仏の開眼供養会にはインドや中国からも来賓があり、大仏殿の外では伎楽(ぎがく)など様々なパフォーマンスが催された。ここに並ぶお面はその伎楽を演じるときに被るもので、ペルシャ人の顔を模ったという『酔胡従』やモヒカンのような『太孤父』など、どれもデフォルメされた表情が迫力満点。結構重さもありそうに見えますが、どうなのでしょう。

『八角燈籠』および『八角燈籠火袋羽目板』 (奈良時代・8世紀) *国宝

大仏殿の前に立つ、高さ約4.6mの燈籠が目の前にドンと現れる。先ほど挙げたチラシ裏面の、灌仏盤の仏様のお隣に写っているのがそれ(冒頭のチラシ表面にもクローズアップ)。寺外で公開するのは初めてとのことだけれど、まずもってよくこんな大きな国宝が東京くんだりまで運び込まれたもの。大仏に燈火をささげるためのものであるこの燈籠は、大仏殿が二度火災に遭っているにも拘らず被災を免れ、創建当時の姿を残しているとのこと。1000年以上もの長きに渡って風雪に耐えながら、ずっと東大寺の歴史を見守ってきたのですね(早く大仏様の元に帰りたいのではないでしょうか?)。

灯籠の各扉に施された、ふわふわと浮遊しながら、柔らかな表情、しなやかな姿態で横笛を吹く菩薩(音声菩薩-おんじょうぼさつ-というらしい)の優美な姿は、まさに天平文化と聞いて想像する優美な世界。

『東大寺金堂鎮壇具』 (奈良時代・8世紀) *国宝

様々な作品が並ぶが、とりわけ『銀製鍍金狩猟文小壺』から離れられず。近くにあった液晶画面のクローズアップ画像を観てはまた実物のケースに戻り、を繰り返した。また、『銀製鍍金蝉形鏁子(宝相華透彫座金付)』という、蝉の形をした鍵にも目が釘付け。これも液晶画面の解説を観て理解することになるが、蝉の目の間の穴に鍵を差し込むと解錠するという仕掛けになっている。この時代の粋な技巧に驚くばかり。その他、水晶などの玉類も美しかった。

第3章 天平の至宝

『不空羂索観音菩薩立像光背』 (奈良時代 8世紀) *国宝

 *光背のみ展示

さすがにご本体にはお出で願えなかったが、逆に光背のみをこのように拝見出来る機会もないので貴重。シンメトリックで均整がとれたデザイン、背後の壁に落ちる影も幻想的できれいだった。

第4章 重源と公慶

『重源上人坐像』 (鎌倉時代 13世紀) *国宝

 

源平の争乱時、1180年に平重衡(しげひら)が放った矢によって焼き尽くされた東大寺の復興に力を尽くしたのが重源(ちょうげん)。各地で勧進を展開しての資金集めのみならず、自ら三度も赴いた中国から大仏様という建築様式を復興建築に取り入れたり、また深いつながりのあった快慶に数々の仏像を作らせたりと、この人の東大寺再建への貢献度は計り知れない。

意志の強さを思わせる固く結んだ口元や、鋭利な知性と冷静さを漂わせる目元。横から観ると、着物の襟の立ち具合とそこから斜めに伸びる首の角度に目を見張ってしまいました。

また、大仏様は1567年にもう一度戦火の被害に遭うが、この時その復興に尽力したのが公慶上人。本展でも、性慶・即念作の『公慶上人坐像』(1706年)重文が並んでいる。

『五劫思唯阿弥陀如来坐像』 (鎌倉時代 12~13世紀) *重文



今年の夏、三井記念美術館で開催された「奈良の古寺と仏像」展で同名の仏様を拝見しているので(ただしこちらは手を合掌している)、免疫ができていたが、それでもやはりこのアフロヘアーは(厳密にはアフロじゃないけど)何度拝見してもインパクト。本展のポストカード売上げナンバー1なんですってね。と言いながら自分も買ってしまった。

バーチャル大仏

 

さて、展示作品と共にもう一つの見どころが『バーチャル大仏』。約8m四方の大きなスクリーンに、解説のナレーションと共にカメラが大仏さまの周りをゆっくり移動しながら、お顔や手などを至近距離で映し出していく。普段観ることのできない広~い背中もこちらに迫ってくるよう。天井にも天空の星々が散らばる手のこみよう。

ちなみに、大仏様の高さは14.98m、頭部だけでも5.33mあるそうです。そして、こちらに手のひらを向けている右手(中指の長さ1m越え!)は人々の畏れを取り除いて救済することを表現しており、手のひらを上にして置かれた左手は、人々の願いを受け入れていることを表しているとのこと。

本展も残すところ1週間足らず、12月12日(日)までです。

ハンブルク浮世絵コレクション展

2010-12-05 | アート鑑賞
太田記念美術館 2010年10月1日(金)-11月28日(日)

*会期終了



本展のご紹介はこちら

「特別展 日独交流150周年記念」と謳ってあるが、今年は1860年にプロイセンの東アジア遠征団が江戸沖に来航して以来続く、日独交流150周年の記念の年だそうだ。

サイトの説明によると、ハンブルク美術工芸博物館は収蔵品100万点を超えるドイツでも有数の博物館で、日本美術のコレクションは約1万点を数え、うち2000点が浮世絵作品となっている。そこに「代々の資産家で、ほとんど自宅から出ることなく生涯を浮世絵収集と研究にささげ、膨大なコレクションを築き上げた」という人物、故ゲルハルト・シャック氏が遺贈したコレクションが加えられ、5000点を超える浮世絵を所蔵することに。今回はその中から、ほとんどが本邦初公開となる200点が里帰りとのこと。

ご存知の通りこの美術館はとてもこじんまりとしているので、本展は3期に分けられ、作品はほぼ期ごとに入れ替え。私は例によって最後の3期目しか観られなかったが、有名どころの作品のみならず希少価値の高い摺物の優品や下絵等の資料など、見応えのある展覧会だった。

本展の構成は以下の通り:

Ⅰ 優品に見る浮世絵の展開
   1.初期浮世絵版画の世界
   2.錦絵の完成
   3.錦絵の黄金時代
   4.多彩な幕末の浮世絵
Ⅱ 希少な摺物と絵暦
Ⅲ 美麗な浮世絵の版本
Ⅳ 肉筆画と画稿、版下絵
Ⅴ 参考作品


では、構成ごとに目に留まった作品を挙げておきたいと思います:

『酒呑童子』 菱川師宣 (1680年頃)



部分

墨一色の摺絵。古浄瑠璃の酒呑童子を基に制作された19枚からなる組物で、全19枚が揃っているのはハンブルク美術館のみとのこと。大きく三つのシーンに分かれているようで、私が行った時は源頼光の酒呑童子退治の場面。大きな角を二本生やした鬼のような酒呑童子が首をスパン!と切られ、その首が台車に載せられて運ばれていく。現代の漫画に通ずるとも思える戯画的作品だけれど、線描の強弱が効いていてなかなか美しい画世界でした。

『風流浮絵 そなれ松』 西村重長 (1744~51年頃)

須磨に暮らす姉妹が、この地に流された在原行平と出会って恋に落ちるも3年後に行平が都に戻ってしまい、いつまでも悲嘆にくれたという物語からの主題。遠近方の効いた奥行きのある屋敷の縁側で、3人でまったりとお酒を飲んでいる。でも庭に目をやると、松の木の枝に行平のものと思しき烏帽子と衣がかかっていて、彼が去っていくことが暗示されている。3人とも穏やかな表情だが、これは別れの日に酌み交わす最後のお酒なのだろうか、と想像するとちょっと切ない。

『水茶屋の二代目市川門之助と初代尾が身松助』 勝川春潮 (1781~89年頃)



男性二人のなで肩とひょろ長い身体。浮世絵版マニエリスムみたい?

『成田屋三舛 六代目市川団十郎の荒川太郎』 東洲斎写楽 (1794年)



写楽と聞いてまず浮かぶような役者の大首絵。扇子を握りしめ、口元をキリッとしめて寄り目を作る。青緑の着物の色もきれい。

『江戸名物錦画耕作』 喜多川歌麿 (1803年頃)

 部分

錦絵の制作工程を、稲作になぞらえて構成したものだそうだ。画像にはないが、右側には下絵を描いている女性がいて、ゆったり机に向かい、お茶まで出してもらっている。しかし左側は身の振り構わぬ肉体労働。ほっ冠りをした女性が大きな刷毛で紙に塗っているのは礬水(どうさ。膠と明礬を混ぜた液で、墨や絵の具がにじむのを防ぐものだそうだ)。木製の金槌で大きなノミを叩きながら彫る人、彫刻刀を研ぐ人、と錦絵作りも大変ですね。

『今様五人囃』 鳥居清峯 (1804~18)

 部分

桜の木の下、おそろいの藤色の着物を着た艶やかな女性5人がお囃子を演奏している。着物の紫色のぼかし、白く浮き出る花びらなど、とても美しい色彩だった。

『諸国名橋奇覧 かめゐど天神たいこはし』 葛飾北斎 (1834年頃)



こんな急勾配の橋なんてありえないですよね~。解説に「観る者に緊張感を与えている」とあったけど、私は思わず笑ってしまいました。これじゃ降りる時なんてきっと滑り台。

『木曽海道六拾九次之内 須原』 歌川広重 (1836~38年頃)



突然の雨にあたふたと小屋(辻堂)に駆け込む人々。向うに見える馬に乗った人や木のシルエットなどがこの絵のアクセントになっているように感じるけれど、これは墨で描かれているらしい。

『冨士三十六景 武蔵小金井』(1858年5月)(左)と『名所江戸百景 浅草田甫酉の町詣』(1857年11月) 歌川広重

 

『冨士三十六景 武蔵小金井』は、左の桜の木の幹の裂け目からのぞく富士山(そして下方の裂け目からは川)という構図がおもしろい。川のブルー、土手の緑、そして空の濃紺、ブルー、桃、朱のグラデーション、と広重の色のエッセンスが凝縮。

『名所江戸百景 浅草田甫酉の町詣』は、何といっても猫の後ろ姿。人間の言葉はしゃべらずとも、動物の後ろ姿は表情が豊か(私は動物の後頭部にヨワイ)。窓の外の、一瞬雑木林かと見落としそうな真ん中の帯は、熊手を持った人の群れ。空には連帯を組んで飛んでいく渡り鳥。この白い猫も、もう年の瀬か、早いなぁ、なんて眺めているのでしょうか。

『八犬伝之内芳流閣』 歌川国芳 (1840年)



「南総里見八犬伝」の中でも浮世絵に多く取り上げられた名場面だそうだ。犬塚信乃と犬飼見八による芳流閣上での一騎打ち、とあるが、屋根の上で派手な大立ち回りを演じている犬塚信乃に向かって、長い棒の先にU字やT字などの武具がついた武器を手に犬飼見八の軍勢が襲いかかる。色彩も鮮やかだし、描き込みも密で、迫力満点。

『印顆・印肉と文具』 窪俊満 (1811年)



第Ⅱ章の希少な摺物と絵暦に出ていた作品。この章で最初に掛かっていた『印顆と印池』(北尾重政 1817年)を観た瞬間、主題といい、彫りの鮮やかさといい、明らかにそれまでの作品と違うクォリティで吸い込まれそうになったが、本作品もしかり。摺物とは、一般向けの売品ではなく、「プライベートな目的で制作された浮世絵版画の一種」で、制作コストに糸目をつけず、高級な紙、高価な絵具、入念な彫りや摺りが施されたものが多いとのこと。摺られた数も少ないから希少価値も高い。実物を観ないとわかりにくいと思いますが、この作品も彫りが繊細で、発色も美しく、非常に立体的な画面だった。

『七代目市川団十郎の暫』 桜川慈悲成 (1818~30年頃)



団十郎の隈取とそれに呼応する衣裳の紋様も決まっているが、どうしてもこの可愛い蝙蝠に目が行ってしまう。七代目団十郎は蝙蝠が好きで、着物の柄にも取り入れていたそうだ。

『桜下花魁道中図』 菱川春草 (1787~88年頃)



こちらは肉筆画。墨を基調としたほぼモノトーンの色調で、桜の木の下をたおやかに歩いて行く花魁の御一行が描かれている。着物や帯の紋様、二人の少女たちの髪飾りなど繊細な描き込みで、流麗ながら引き締まった画面に感じた。

『恵比寿と大黒』 河鍋暁斎 (1873~89年頃)

画稿というのはいわゆるデッサン画ですね。鑑賞者にとっては、こういう作り手の息遣いがダイレクトに伝わってくるものはとても興味深い。この暁斎の作品など、やっぱり上手いなぁ、と見入ってしまった。

『文台で浮世絵を見る美人』 歌川豊国 版木 (1795~96年)

浮世絵の版木というものを初めて間近に観た。ケースの中のこげ茶の版木を、横から角度を調整してのぞき込むと、確かに文台に頬杖をつく女性の姿が浮かび上がる。想像以上に深く、複雑な彫り跡。

以上、なかなかに多様な浮世絵の世界を楽しめました。

没後120年 ゴッホ展 こうして私はゴッホになった

2010-11-21 | アート鑑賞
国立新美術館 2010年10月1日(金)-12月20日(月)



本展の公式サイトはこちら

タイトルに「こうして私はゴッホになった」とある通り、フィンセント・ファン・ゴッホ(1853-1890)の太く短い画業の変遷を、本人の作品のみならず、影響を受けた芸術家たちの作品や関連資料なども交えて紹介する展覧会。ゴッホの油彩画36点、版画・素描32点、他の芸術家の油彩画31点、版画8点、その他の関連資料が16点、合わせて123点という作品構成になっている。

大がかりなゴッホ展といえば、2005年に近美で開催された展覧会が印象深いが(あれから5年も経つとは早いものです)、あの時私にとって発見だったのは、『レストランの内部』(1887年)という、スーラ風の点描技法で描かれた作品だった。私の不勉強もあるが、言ってみれば力でねじ伏せるような絵の具の厚塗り画面で描く人というイメージが強かったゴッホが、こんな柔らかい画風の絵も描いていたのか、と意外だった。

今回の展覧会は、この画家がどのように独自の画世界を築いていったのか、時代を追ってより深く探るもの。バルビゾン派、写実主義、オランダのハーグ派、ドラクロワの技法、印象主義、そして浮世絵。概ね独学だったという彼がインプット(他の画家の作品の模写など)とアウトプット(自作制作)を飽くことなく繰り返し、試行錯誤していく様は観ていてとても興味深い。

こんな言い方をしたらとても失礼かもしれないけれど、素人目にはゴッホの描いた模写作品などは技術的に余り上手に思えなかったし、彼自身の作品にしても、とりわけ後半の方の波打つ筆触の油彩作品は個人的にあまり得意ではなかった。

でも、ゴッホが絵描きとして過ごしたのはたったの10年間。その短い時間でこの精神活動の密度はやはり凄いことだと改めて驚くし、観ていくうちに、絵を描くことはゴッホにとって「自己の存在理由」に他ならないのだということがひしひしと伝わってきもした。

いきなり長々と書いてしまったが、本展の構成は以下の通り:

Ⅰ. 伝統―ファン・ゴッホに対する最初期の影響

Ⅱ. 若き芸術家の誕生

Ⅲ. 色彩理論と人体の研究―ニューネン

Ⅳ. パリのモダニズム

Ⅴ. 真のモダン・アーティストの誕生―アルル

Ⅵ. さらなる探求と様式の展開―サン=レミとオーヴェール=シュル=オワーズ

では、いくつか作品も挙げておきたいと思います:

『灰色のフェルト帽の自画像』 (1887年)『自画像』 (1887年)

  

自画像でもこの画風の差。帽子を被っている方は、背景の処理も含めてまるでモザイクのよう。絵の具を筆で塗るというよりは、木版画を彫刻刀で彫っているような、あるいは色をはめ込んでいくような力強さ。

『アルルの寝室』 (1888年) 



私が近美で観た同名の作品(オルセー所蔵)とちょっと違うなと思ったら、実はこの有名な作品は3点存在するそうで、オランダのファン・ゴッホ美術館所蔵のこちらがオリジナルとのこと。会場では絵の横にこの寝室が実物大に再現されていた。

『ゴーギャンの椅子』 (1888年) 



ゴッホが南仏アルルに芸術家仲間との共同体を夢見てコツコツと準備した「黄色い家」。結局ゴッホの呼びかけでやってきたのはゴーギャンただ一人、そしてその数ヵ月後にあの余りに有名な悲劇的結末を迎えてしまう。この家でゴーギャンが座っていた椅子に本と共に置かれた一本の蝋燭の灯に力はなく、祈りが通じなかったゴッホの無念を象徴しているようにも思える。

『ある男の肖像』 (1888年)



「ぼくは100年後の人々にも、生きているかの如く見える肖像画を描いてみたい」。ちょっと変わったアングルで男性の表情を捉えたこの肖像画は、そんなゴッホの言葉の通り、今にも語りかけてきそうだ。男性の上着と背景の色の対比も鮮烈。
 
『あおむけの蟹』 (1889年)



どんな対象物にも真摯に対峙したゴッホの描く蟹は、やはりすごい存在感を放つ。
   
『渓谷の小道』 (1889年)



私にはとても不思議な絵に映った。真ん中の下半分に髭を生やしたおじいさんの骸骨があり、山肌の紅葉した草木が燃えながら浮遊する人魂のようにも。いずれにせようねりまくった筆触に軽いめまいを起こしそう。

『アイリス』 (1890年)



背景のクローム・イエローはまさにゴッホの色。どの油彩絵もどうしても筆触の迫力に目が行ってしまうが、やはりゴッホは色彩の人だとしみじみ思う。

私が行ったのは10月下旬で、まだオルセー展ほど混んでいなかったけれど、今日本展のサイトを見てみたら入場者数も既に30万人を突破だそうです。来月はもう師走、これからという方も極力早目に行かれることをお勧めします。

隅田川 江戸が愛した風景

2010-11-15 | アート鑑賞
江戸東京博物館 2010年9月22日(水)-11月14日(日)

*会期終了



昨日で終わってしまったが、隅田川をテーマに企画された本展を観に、先月末に久しぶりに江戸東京博物館に行ってきた。途中浅草橋の駅を通った際に東京スカイツリーが目の前に現れ、テンションも急上昇。

会場入り口の解説パネルによると、この博物館は開館前から20年以上かけて様々な資料の収集や保管を行っていて、隅田川が描かれた絵もその対象の一つだったとのこと。聞くからに充実した内容が想像されるが、実際に構成も以下の通り、企画者の力の入れようが伝わってくるようなもの:

プロローグ 古典から現世へ

第一章 舟遊びの隅田川

第二章 隅田川を眺める
 (一)広やかな景色を楽しむ
 (二)隅田川界隈の名所絵さまざま
 (三)橋をめぐる光景

第三章 隅田川の風物詩
 (一)春
 (二)夏
 (三)冬

エピローグ 近代への連続と非連続
 (一)江戸から東京へ
 (二)都市東京の隅田川

それでは、印象に残った作品の画像を挟みながら、感想を留めておきたいと思います。

『上野浅草図屏風』 筆者不詳 (江戸前期・17世紀末頃)

上野の寛永寺と浅草の浅草寺、そこに詣でる人々やその周辺に広げた赤い敷布の上で太鼓を打ち鳴らして踊る人々、そして隅田川に浮かぶ満員御礼の沢山の屋形船などが詳細に描かれた六曲一双の屏風。桜が咲いているからすぐ春の情景とわかりますが、金粉も散らしてあり、華やかに、そしてとても細かく描き込まれています。

隅田川は解説にある通り、舟遊びの場として川自体が名所である上、両国橋界隈、浅草、向島界隈と江戸名所の宝庫。沢山の風俗画が生まれるわけですね。

『推古天皇三十六年戌子三月十八日三社権現由来』 歌川国貞(三代豊国) (1847~52年頃)

 部分

解説によると、浅草寺の本尊聖観音像は、推古天皇三十六年(628年)に宮古川(隅田川)で漁をしていた漁師の網にかかったものだと「縁起」にあるそうで、この作品はそれを題材にした3枚続の大判錦絵。3人の漁師が大げさなポーズで舟の上に網を引き揚げている場面で、まだ揚げ切らない網の先から光が放たれ、中に観音像がかかっていることを暗示する。光の直線的な表現が印象的。ちなみに同じ作者による、漁師たちを3人の女性に置き換えた『宮古川三社の由来』(1844~7年)と見比べるのも面白い。

隅田川の他の題材としては、『伊勢物語』第九段「東下り」(在原業平が隅田川のほとりで都鳥(ユリカモメ)を見て都をしのぶエピソード)と「梅若伝説」(都からさらわれてきて隅田川のほとりで亡くなった梅若の悲しいエピソード)がよく取り上げられているとのこと。やっぱり知らないことが多いなぁ。。。

『絵本隅田川両岸一覧』 葛飾北斎 (1801-3~1804-17頃)

 部分

三叉に分かれたこんなにごっつい釣針で何を釣っているのでしょう?しかもこんなに非活動的な格好で。。。

『隅田川風物図屏風』 鳥文斎栄之 (1826年)

川の流れをこれだけ長く一気に描いている屏風は他に例がないと解説にある通り、六曲一双の画面に広がる隅田川の大パノラマ。橋(それにしてもこんなに長い木造の橋がいくつもかかっているのはすごい。中にはお祭りで人が集まり過ぎて、永代橋が崩落するシーンを描いた作品もあったが)や寺社などの名前も書き込まれている。遠くには筑波山が霞み、川の上を白鷺のような白い鳥の群れが渡っていく。昔は視界を遮る高層建築もなく、川の景観はさぞやすっきりと開放感のあるものだったことでしょうね。

『蘭字枠江戸名所 隅田川』 渓斎英泉 (文政(1818年~29年)中頃)



突如洋風。

『名所江戸百景』 歌川広重 (1856年)



再度純和風。舟の上の、緑色の簾に映り込む女性の横向きの影。まだ少し空に明るみが残るが、やがて縁どりに迫る濃紺色が画面を覆ってしまうことでしょう。

『三囲神社を望む立美人図』 蹄斎北馬 (文政から天保(1818~43年)頃)

渡り船を待っている女性。今でいえば流しのタクシーを待つ女性かな、などと言うと味気ないが、たゆたう波が海のように広々としていて、背後の舟に乗る親子3人連れも微笑ましい。

『天明八戌申蔵江戸大相撲生写之図屏風』 凌雲斎豊麿 (1788年)

 右隻部分

六曲一双の作品で、右隻には隅田川の東にある回向院(えこういん)境内での相撲から引き揚げてくる力士たち、左隻には日本橋を左から渡ってくる力士たちが描かれている。絵だけでも迫力満点。

『向ふ嶌乃夜桜』 歌川国貞(三代豊国) (1860年)

 部分

三枚続の大判錦絵。満開の桜を背景に、各1枚に美人が一人ずつ描かれる。この右端の女性が持っている箱には江戸前のお寿司でも入っているのでしょうか?あるいはお団子みたいな甘いもの?

『蛍狩美人図』 蹄斎北馬 (江戸時代後期・19世紀前半頃)



江戸時代には隅田川にも蛍が生息していて、夏の風物詩として愛されていたそうだ。それにしてもこの二人の女性、害虫退治にでも向かうような戦闘モード。その勢いで団扇で叩いたら、か弱い蛍が死んでしまうのでは?

『両国橋夕涼花火見物之図』 作者不詳 (江戸後期~末期・19世紀頃)



「影からくり絵」。本紙の一部をくり抜いて薄紙を貼り、暗い所で後ろから光を当てるとその部分が光るという仕掛けになっている。前半にも同様の作品があったが、この作品は展示室で本当に光を当てたところを見せてくれる。画像では分かりにくいと思うが、上段の絵に光を当てると下段のように光がパッと灯る。家々の障子や屋形船の提灯に煌々と灯りが灯り、夜空に月や花火が浮かびあがる様はとても幻想的で、絵の中に入ってしまったような錯覚を覚えた。好きです、こういうの。

『東都両国夕涼之図』 歌川貞房 (天保(1830~43)頃)

部分

ひしめき合う人々の余りの多さに思わず笑ってしまったが(よく見ると、この大混雑の中スイカの大きな切り身を持って花火を見上げているツワモノも)、隅田川の花火大会は今も100万人を集めるビッグ・イベント。他にも花火を楽しむ人々を描いた作品、実に多し。

『東都名所四季之内 両国夜陰光景』 歌川国貞(三代豊国) (1853年)

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シルエットで浮かびあがる両国橋や屋形船を背景に、料亭でまったりと宴会中の女性6人。いわゆる女子会ってやつでしょうか。染付風の器に入ったお料理や徳利を前に、女性だけですっかり寛いでいる様子。画像では切れてしまっているが、髪を乱して既に出来上がってしまっている風の人も。

『江戸名所四季の眺 隅田川雪中の図』 歌川広重 (弘化から嘉永(1844~53)頃



雪の情景も風情があるが、裸足の足元がいかにも寒そう。後ろの船頭さんたちも薄着だし、昔の人はよくこんな薄着で冬を過ごせたもの。そういえば夏には酷暑で喘いだ今年も気づけば11月も早や半ばで、確実に季節は巡っている。今年の冬は雪は降るのかなぁ。。。イギリスでは例年より3週間早くシベリアから白鳥が渡ってきたので、厳冬が予想されると言っていたけど。

『東京二十景 新大橋』 川瀬巴水 (1926年)



時代は下って大正の景色。橋には西洋風の装飾が施され、空には電線が張り巡らされている。降りしきる雨の中、濡れた道路に反射してたなびく街灯の光が匂い立つ。

普段は、今に残る明治や大正時代の西洋建築に浪漫を感じてうっとり見ているのに、どうしたことだろう、この展覧会の終わりの方に西洋の事物が入ってくると、喪失感のようなものが込み上げてきた。隅田川に柔らかい放物線を描いて掛かる木の橋のような江戸時代の日本人の大らかさが、西洋建築の直線で断ち切られてしまったような、寂しい気持ちになってしまった。

いずれにせよ、いろいろな作品が観られてとても楽しい展覧会でありました。