落ち穂拾い<キリスト教の説教と講釈>

刈り入れをする人たちの後について麦束の間で落ち穂を拾い集めさせてください。(ルツ記2章7節)

<講釈>神さまはお客さま

2007-07-19 20:45:06 | 講釈
2007年 聖霊降臨後第8主日(特定11) 2007.7.22
神さまはお客さま   創世記18:1-10、10-14
1. 旅人
本日のテキストでは、3人の天使が旅人の姿をしてアブラハムの前に現れた、ということになっている。ところが、13節以下の部分では、アブラハムに語りかけているのは「主」となっている。つまりヤハゥエなる神である。このことについては、一応、当時のカナン地方に多く見られた、主神が二人の従者を伴って出没する多神教的神話との関連があるのだろう、と解釈されている。おそらくこの物語もそれらの多くの物語の形を受け継ぎつつ、後代において確立された唯一神信仰との調整漏れであろう。ともかく、創世記では一応旅人は天使ということになっているが、実質的には神の現れと見なすことができる。創世記の中でも、神がこのような形で、直接人間の前に姿を現すという出来事は非常に珍しい。これ以外では、ヤボクの渡しにおいてヤコブと格闘した「何者か」(創世記32:25)以外には見られない。
その意味では、この物語を通して何らかのメッセージや教訓を得ようとするよりも、創世記において「神」という存在をどういう風に理解していたのかという資料として読むことも重要であろう。つまり、ここには唯一神信仰以前の素朴な神観が垣間見られる。
教訓としてはヘブル書13章のように「旅人をもてなす」ということの大切さを学ぶこともできるだろうし、メッセージとしてはイサクの名前に関わる「笑うということ」等も重要であるが、それらは他日に考えることとする。
2. 「まれびと論」
先ず最初に取り上げておきたい問題は、日本人が神という存在をどういう風に考えてきたのかということである。「考えてきた」というよりも、もっと端的に、昔から日本人は神という存在とどう関わってきたのかという方が正確であろう。なぜ、こういう言い方をするのかというと、日本人は神についてその本質を問わない、伝統があるように思われるからである。言い方を換えると、日本人は神とは何かということについて、その内容を問わないで括弧の中に入れたまま、付き合ってきた。森羅万象、動物でも植物でも山でも川でも、何でもすべて神になりうる。むしろ、神については規定できない、あるいは規定してはならないものという理解がある。
平安末から鎌倉時代の初期にかけて全国を行脚した西行法師は伊勢の五十鈴川のほとりで、「何ものがおわしますかは知らねども、ただ有難さに涙こぼるる」という歌を作ったとされる。仏教徒である西行が伊勢神宮でこういう歌を作ったということは面白い。西行法師は祭神が何様かを知らずに感動しているのである。まさに、ここに神道における神との関わりが表現されている。わたし自身も、伊勢神宮に行くとそのような懐かしい気持ちを抱く。わたし自身はキリスト者の家庭に育ち、神といえば、それは聖書の神である。祈るときも、この神に祈る。その意味では、決して「何ものがおわしますかは知らねども」とは言えない。いわば、「知っている神」である。ところが、神道においては「知らない神」を祭るという。キリスト者にとってはまさに「無知の時代」(使徒言行録17:30)である。わたしにとって、神道とは日本固有の古い宗教であり、取るに足らない習俗宗教として無視してきた。正直に言って、神道について、知ろうとも、学ぼうとも思っていなかった。
3. 神道の逆襲
ところが、数年前に、東大の菅野覚明助教授の「神道の逆襲」(講談社現代新書)を読んで、ショックを受けた。菅野助教授自身は仏教徒ではあるが、神道について実に明解にアウトラインを示している。仏教徒が神道について自分自身の信仰のように書いているところが面白い。だからこそ、キリスト教徒もこの書を通して自分自身の信仰のように神道について、考え、学び、理解できる。この書の全体を紹介するのは無理であるが、第1章だけでも簡単に紹介したい。
第1章のタイトルは「神さまがやってきた」である。
古(いにしえ)の時代から、日本人にとって神とは、ある時、突然、どこかからやって来るものであった。人々は神が来られたことを知ると、鄭重にお迎えし、相応の接待をした後に、再びお帰りいただく。これが日本人が古くから行ってきた、神さまとのお付き合いの基本であった。要するに、神とは、時たまひょっこり現れる「お客さま」なのである。民俗学・国文学の大家で神道家であった折口信夫(1887~1953)は、神のこのようなあり方を「まれびと」という言葉で表している。従って、人と神との交流は基本的に接待である。この接待のことをお祭り(祭祀)と呼ぶ。お祭りに酒や御馳走がつきものなのもこれと関係している。
神道における神には形がないし、目に見えるものではない。しかし、人々は神がわたしたちを訪れたとき、必ず何らかの形でそれを示すものだ、という共通理解を持っていた。その神の到来の形を「たたり(祟り)」と称した。「たたり」とは災いだけを意味していない。むしろ、神がその威力を現すことこと、神の「顕現」を示す。多くの場合、その「たたり」は地震、噴火、豪雨、暴風、落雷、疫病といった災害・災厄等であったので、「たたり」といえば災いを示すようになってしまった。
神は人々のところにやって来ると、客としてもてなされることを要求し、幣帛(みてぐら──神へ捧げる品物)を求める。人間の側でも、神は人間の能力を超えた威力を持っているので、神と親しくして損はない。それで来られた神を十分にもてなし、そのことによって豊かで平和な暮らしを得ようとする。菅野氏はその辺の事情を次のようにまとめている。ここが、神道における神経験の最も重要なポイントである。
「遠来の思いがけない来客を迎えるとき、わたしたちの日常は、一転して新鮮な雰囲気に包まれる。お客さん用のご馳走が出され、迎えるわたしたちも普段とは違った豪華な食事にありつける。普段自分たちのためには決して買わないような品物が惜しげもなくやり取りされ、客のもたらす珍しい話しは、日常の退屈を破って新鮮な活気をわたしたちの生活に吹き込んでくれる。来客を迎えるときめきは、わたしたちの日常の風景が一新するそのことへの期待に他ならない。しかし、来客がわたしたちの日常を一瞬でも変容させる刺激をもたらすことができるのは、そもそも客がわたしたちの外から来る、わたしたちとは異なる何者かであるからに他ならない。外からやって来ること、言いかえれば、わたしたちの側からは見通すことのできない、ある種の暗さ、不透明性を背負っているからこそ、わたしたちの日常の風景は来客によって反転しうるのである。お客さまは、気のおける存在であるからこそ、わたしたちの日常に活気をもたらすのだと言える」(同書20頁)。
客という存在は来ると同時に去るべき存在でもある。客があまりにも長く居着いてしまうと、家族は気疲れし、日常生活は破壊されてしまう。客とは来て楽しく、去って嬉しい存在である。去ることが明白であるが故に、非日常性の堅苦しさに耐えることができる。言い換えると、迎える側は笑顔で接待しつつ、去るのを待っている。「もしかすると、わたしたちは、本当は客が帰った後のこの解放感の『楽』をこそ待っているのかも知れない」(22頁)。ここに接待という場の底深い雰囲気があり、同時に、わたしたちにとって神とはどういう存在であるかということを確かめる手がかりがある。わたしたち日本人にとって、神と人々とのかかわりとは、「もてなしつつ待つ」ことに他ならない。
以上の論述は神道についての本の序の口に過ぎない。第2章から第10章まで、神道各派の成立とその神学とについて、奥行きの深い議論が展開され、読者は息つく間もなく読み通す。すべてを紹介することは、控えるが、一つだけ第9章の「人はなぜ泣くか」では、泣き叫ぶ子どもについての現象学的分析を通して、本居宣長の「もののあわれ論」を論じている。途中の議論をすべて飛び越えて結論だけを拾い出すと、こういうことになる。「人はなぜ泣くか」という問いに対する宣長の答えは「この世に生まれてくる人間(現人──うつしびと)は根源的に母と引き裂かれた子どもであることを本質としているから」である(244頁)。神道は侮れない強力な宗教である。
4. 神道とキリスト教
「お客さん」としての神は聖書の神と対照的である。聖書の神は常に人々の側にいて、人々を守り、教育する保護者である。「見よ、イスラエルを見守る方は、まどろむことなく、眠ることもない」(詩編121:3)と言う。一寸でも、神の見える範囲からはずれると、(そんなことは実際には不可能であるが)、「どこにいるのか」(創世記3:9)と探し求める神である。それに対応して、人間も神の支配の範囲からはみ出すと「飼う者なき羊」と呼ばれ、あるいは「迷える羊」とまで称せられる。キリスト教信仰においても、この旧約聖書の神観をそのまま引き継ぎ、「神共にいます(インマヌエル)」が信仰の極地とされる。ところが、神は「お客」であるとすると、ただ単に付き合い方の問題を越えて、神不在のあり方を常態とする。神が人々と共におられるときは「非日常」であり、日常生活は基本的には神なしの生活をする。もちろん、神不在の生活と言っても神から完全に断絶して、無神の世界で生きるわけではない。その意味では、「無」を生きる仏教とはかなり異なる。
5. 神なしに生きる
最近、キリスト教の神学者の言葉として、次の言葉が有名になった。「神の前で、神と共に、我々は神なしに生きる」。もちろん、わたしも若い頃からこの言葉を知っている。これは、第2次世界大戦の頃、ドイツにおいてナチスが猛威を振るっていたとき、ヒットラー暗殺計画に関わったということで捕らえられ、投獄されたボンヘッファー牧師の獄中書簡からの引用である。しかし、現在この言葉が有名になったのは、ボンヘッファーの言葉だからというわけではなく、生命科学者である柳沢桂子女史が死線をさまよう経験の中で、ほとんど偶然にこの言葉に出会い、この言葉によって生きる力を得、その後、沢山の書物を出版し多くの人々に生きる希望を与えているからである。
そのことは、ともかくとして、このボンヘッファーの言葉をもう少し丁寧に引用しておく。
「神は、われわれが神なしに生活を処理できる者として生きなければならないということを、われわれに知らせる。われわれと共にいる神とは、われわれを見捨てる神なのだ(マルコ15:34)。神という作業仮説なしにこの世で生きるようにさせる神こそ、われわれが絶えずその前に立っているところの神なのだ。神の前で、神と共に、われわれは神なしに生きる。神はご自身をこの世から十字架へと追いやられるにまかせる。」(「ボンヘッファー獄中書簡集」417頁 1944年7月16日付)
わたしたちが注意しなければならないことは、ボンヘッファーのこの言葉が獄中で、しかも処刑が間近に迫っている極限状況における特殊な発言ではなく、成熟した社会(=世俗化された社会)におけるキリスト者の倫理として語られている点である。むしろ、驚くべきことはあの極限状況の中でボンヘッファーは普段と少しも変わらない思索を続けていたということである。ボンヘッファーにとって、獄中も彼の書斎と同じであった。非日常(神あり)を日常(神なし)化する信仰である。わたしもこういう境地に達したいと願う。
6. 神ありと神なしのリズム
神道における神なしの日常性から、いきなり信仰の達人ボンヘッファーの言葉に入ってしまったので、わたしの論旨が行方不明になったかも知れない。わたしたちはボンヘッファーの境地にはなかなか達せない。従って、もう少し手前のところに立つしかない。それをわたしは「神ありと神なしのリズム」と言ってみた。リズムの長さは人それぞれだろう。週単位あるいは月単位でもいい。あるいはもっと長く、一生単位でもいい。あるいは、困ったとき、病気のとき単位でもいい。あるいは日本的に「たたり」のあるときだけでもいい。神ありの生活と神なしの生活とのリズムとバランスが重要である。
神道においても、ひょっこり現れるお客としてだけでなく、一年の初めに必ずお迎えしなければならない、定期的なお客もいる。早く言えば、日本人が昔から行ってきた正月行事である。あれは、その「歳の神」を迎えるための神事である。キリスト者の生活においても、大斎節や降臨節など定期的なお祭りがあり、週レベルでは日曜日という祝日がある。キリスト者も「のべつ幕なし」に神と共に舞台の上に立つのではなく、幕間もあってもいいのではなかろうか。幕間もまた楽しいものである。

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