落ち穂拾い<キリスト教の説教と講釈>

刈り入れをする人たちの後について麦束の間で落ち穂を拾い集めさせてください。(ルツ記2章7節)

<講釈>「無名時代のイエス」 マルコ1:29-39

2012-01-30 18:07:10 | 講釈
S12E05(L)
20012.2.5
顕現後第5主日 <講釈>「無名時代のイエス」 マルコ1:29-39

1.イエスへの視点
私たちにとって、イエスとは、
<キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。>(フィリピ2:6-9)
という人物に他ならなかった。私たちがイエスについて考える時、あるいは語る時、常にこの視点がある。この視点からはずれたら、もはやそれは「イエス・キリスト」ではない。全てのキリスト者はそう考えているし、それが彼らの考えるイエスであった。
それに対してマルコは「本当にそうか」と問い返す。そのイエスは神の子であるかも知れないが、その前に人間ではないか。私たちが信じているキリストとは「イエス」と呼ばれ、ガリラヤ地方で生きた人間である。私たちの間には、そのイエスに会い、イエスの話を聞き、病気を癒してもらった人たちもいる。あのイエスの声、イエスの姿は決して幻ではない。
ここからイエスに対する新しい視点が求められた。十字架にかかったイエスからの視点ではなく、死ぬことを目的にして生きたイエスでもなく、十字架さえも視野に入らないイエス、人々と共に生きることを楽しんでいるイエスに焦点を置く。イエスは好き好んで十字架に向かって歩んだのではない。イエスは単純に自己の使命に向かって歩んだのである。たまたま、その歩みが当時の価値観、とくに権力者たちの価値観と衝突し、睨まれ、犯罪者とされ、抹殺されたのである。
19世紀のイエス伝研究者カイムはガリラヤ湖を中心とするイエスの初期の伝道活動(マルコ1:14ー6:6、ルカ4:14ー4:44)を「ガリラヤの春」と名付けた。春風のそよぐガリラヤ湖畔ののどかな風景をバックにイエスは山で、湖畔で人々に語り、病人を癒した。そんなイエスを民衆は熱狂的に歓迎し、イエスもまた人々のために食する暇もないほど多忙な日々を過ごしていた。その頃はまだイエスの活動を妨げる反対者もいなかったものと思われる。
私はそれを「無名のイエス」と呼ぶ。有名になる前のイエスという意味である。もちろん無名のイエスについての資料はほとんどない。しかしイエスにも無名時代があったことは確実である。マルコは6:14で「イエスの名が知れ渡ったので」という。つまりイエスは「有名になった」のである。

2.本日のテキストがおかれている文脈
本日のテキストはマルコ1:29ー39である。この部分を中心にして、1:21から3:6までの部分がいわゆる「ガリラヤの春」と呼ばれる最初期のイエスの活動記録である。そして、この部分を締めくくる言葉がイエス殺害計画である。この言葉はイエスの最期を予感させる最初の言葉である。
ここには「汚れた霊に取りつかれた人の癒し」(1:21ー28)、「シモンの姑の癒し」(1:30ー31)、「重い皮膚病の人の癒し」(1:40ー45)、「中風の人の癒し」(2:1ー12)、「手の萎えた人の癒し」(2:1ー5)等の5つの出来事が記録されている。これらの出来事を並べて見るとほとんど共通点はない。その意味ではこれらを選びここに並べた編集者の意図が見えてくる。イエスの活動は多岐に渡っている。共通点らしいものがあるとしたら、いずれも「たまたま」イエスはそれらの患者と出会っているということであろう。イエスの意図を超えてイエスの前に連れてこられたとか、たまたま出会って起こった出来事である。その意味ではイエスにとって「迷惑な出来事」でもある。その際だって例が重い皮膚病の人の癒しのケースで、イエスはこのことを内緒にするようにと注意したにもかかわらず癒された男は「大いに人々に告げた」ために、非常に評判になり「町に入ることができなくなった」という。
ガリラヤの春において注目すべき点は、イエスの本質を知りイエスの働きを妨げるイエスの敵は悪霊である。ファリサイ派や律法学者たちはまだ敵として登場していない。

3.本日のテキストの分析
おそらくマルコが手に入れた原資料はシモンの姑の癒しの事件(30ー31)とイエスの朝の祈り(35ー37)の二つで、それらにマルコ独自のイエス理解を挿入してまとめられたものであろう。
(1)シモンの姑の癒し(29ー31)
シモンの姑が熱を出して寝ていたので、人々は早速、彼女のことをイエスに話した。イエスがそばに行き、手を取って起こされると、熱は去り、彼女は一同をもてなした。この出来事は初期の教会の指導者ペトロの姑に関することであり、おそらく教会内ではかなり有名で、この物語をここで述べることによって、ここでの叙述がイエスの活動の初期のことであるということを示すとともに、イエスが人々に受け入れられていく切っ掛けを示しているのであろう。
(2)初期活動のまとめ(32ー34)
夕方になって日が沈むと、人々は、病人や悪霊に取りつかれた者を皆、イエスのもとに連れて来た。町中の人が、戸口に集まった。イエスは、いろいろな病気にかかっている大勢の人たちをいやし、また、多くの悪霊を追い出して、悪霊にものを言うことをお許しにならなかった。悪霊はイエスを知っていたからである。「夕方になって」という言葉はそれが新しい日の始まりであることを示している。毎日毎日、こういう日が続いたという意味であろう。
(3)イエスの活動の原動力(35ー37)
朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、人里離れた所へ出て行き、そこで祈っておられた。シモンとその仲間はイエスの後を追い、見つけると、「みんなが捜しています」と言った。弟子たちがイエスのことをよく知らなかった頃の思い出で、この思い出をここで語ることによって、イエスという人の活動の原動力をさりげなく語る。
(4)イエスの使命感(38ー39)
ここにはイエスの活動の動機、目的が述べられている。おそらくこの言葉はマルコによって書かれたものであろう。
<イエスは言われた。「近くのほかの町や村へ行こう。そこでも、わたしは宣教する。そのためにわたしは出て来たのである。」そして、ガリラヤ中の会堂に行き、宣教し、悪霊を追い出された。>

4.イエスの活動の動機(原点)
イエスがどういう動機で母親と弟妹たちを家に残して宗教家として活動を始めたのかは全く不明である。しかしイエスがしようとしていたことは彼のその後の活動を見て推測できる。それが説教をすること、病人を癒すことであろう。マルコは「 宣教し、悪霊を追い出された」とまとめているが、ここで言う「宣教」という言葉は時代錯誤であり、また当時の人々はほとんど全ての病気は「悪霊」によると考えられていたので、要するに病人を癒したということである。つまり言葉による活動と行為による活動である。
その意味で、マルコがイエスの活動を述べるに際して、最初に取り上げた事件は非常に印象的である。それが21節から28節までの出来事である。読んでみよう。
<読む>
ここではイエスが「安息日に会堂に入って教えた」という出来事が記録されている。明らかにイエスは説教をするために会堂に来た。説教をするということが目的である。そしてイエスは話を始めた。イエスの話を聞いた人々は「その教えに非常に驚いた」 。人々が驚いた理由は「律法学者のようにではなく、権威ある者として」語られたからであるという。一体それは何がそうだと思わせたのだろうか。 ここではイエスがどういうことを教えたのかということについて何も触れていない。 テキストはそれを何も語らないし、語ろうともしない。むしろ、それがマルコ福音書全体が語ろうとしている内容なのであろう。
ところが、その時突然「汚れた霊に取り憑かれた男」が登場し、イエスの説教は中断し、ストーリーは別な方向に展開し、悪霊が追放される。そしてまた人々は驚く。

5.悪霊追放ということ
私たちは「悪霊追放」と聞くと、私たちとは全く関係のない古代的な問題、少なくとも中世以前の問題と考えてしまう。あるいはイエスが悪霊を追放したということを理解不能な神話として切り捨ててしまう。しかし本当にそれでいいんだろうか。狂気とか悪霊ということについて現代人は理解不能な現象として医療の対象として社会から隔離し、「正常な(?)」社会から見えなくしてしまっている。しかし、そのことによって実は人間にとって非常に大切なもの、人間の根源に関わる重要なものを切り捨ててしまっているのではなかろうか。
近現代以前においては正気と狂気との境界線は曖昧で、社会とは両者が共在する状況が普通であった。つまり狂気の人も隣人として社会の構成員であった。むしろ、霊に憑かれた人には特別な霊感がある人として尊敬されていた。つまり一言で言って、正気と狂気との境界線は曖昧でそれぞれが社会の中で位置づけられ共に生きていた。どちらかというと宗教家言われる人たちは狂気の人に近かったのではなかろうか。イエスの時代においても「汚れた霊に憑かれた男」がイエスが説教をしている会場にいたし、イエスの説教に一番反応を示したのは彼である。あるいはイエス自身も「悪鬼の頭」であるという評判を立てられたほどである。ここでは彼はイエスの本性を見破る人間として描かれている。これが彼らの社会的役割であった。このことについてはあまり深入りすることは出来ない。
イエスの最初期の活動として1:21から3:6までの部分で5つの奇跡物語が記録されている。いずれも病人を癒した事件である。汚れた霊に取りつかれた男の癒し、熱病の女性の癒し、重い皮膚病の人の癒し、中風の男の癒し、手の萎えた人の癒しである。要するにいろいろな病気が取り上げられている。ここで病気ということについて考えたい。
何時の時代でも、どこの社会においても、経済的、政治的、宗教的諸問題の歪みは最も弱い立場の人たちに強い影響を与え、病的な症状を示す。イエスが最も深刻に問題を感じたのはその点であり、何とかしなければと思い、彼らに近づいたのであろう。
話を元に戻そう。
これら5つのどの場合でも患者の側からイエスに近づきイエスはそれを拒否せず受け入れ癒している。最初の奇跡と最後の奇跡は安息日に会堂でなされている。二つのケースともイエスの説教については完全に無視している。最初のケースでは説教のクライマックスで中断している。最後のケースでは、人々はイエスの来訪を待ち構えていたようで、説教を始める前の出来事のように思われる。普通ならば、説教の途中で騒ぐ男がおれば、彼を取り押さえ会堂から追い出すか、あるいは説教が終わってから治療をするであろう。しかしイエスはそうはしない。彼をその場で癒す。イエスにとって説教も重要であるが、病人を癒すということも重要な使命であると考えていたのであろう。むしろ医療活動の方が説教よりもより緊急的で重要だったのであろうと思われる。

6.説教の内容
イエスが初期の活動においてどういう説教をしたのかハッキリしたことは分からない。ただ「律法学者のようにではなく、権威ある者」のようだったと言われているが、その内容については語らない。だから、ここから後の話は私の推測に過ぎないが、私自身はかなり自信がある。
1:21から3:6までの間の最初のケースと最後のケースが共に安息日の出来事であったという。また、ここにはいわゆる安息日が問題になる「麦畑事件」(3:23-28)が報告されている。
麦畑事件とはイエスと弟子たちの出来事で、かなりリアリティがある。ある安息日に、彼らは空き腹をかかえて麦畑を歩きながら麦の穂を摘み食べ始めた。それを見ていたファリサイ派の人々が弟子たちの行為は律法違反であるといって騒ぎ出した。それに対してイエスはダビデの出来事を引用して反論する。「ダビデが、自分も供の者たちも、食べ物がなくて空腹だったときに何をしたか、一度も読んだことがないのか。アビアタルが大祭司であったとき、ダビデは神の家に入り、祭司のほかにはだれも食べてはならない供えのパンを食べ、一緒にいた者たちにも与えたではないか」。おそらくこれを聞いてファリサイ派の人々は唖然として、何も反論できなかったのであろう。イエスは続けて、「安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない。だから、人の子は安息日の主でもある」と言ったという。この歴史的事象にしても、あるいはこの出来事自体もよく考えてみるとおかしなところが沢山あり、この事件は明らかに「腹を空かせている者にとっての安息日」という深刻な問題を含んだ例話であろう。安息日の規定を何の問題もなく守れる連中には分からないだろうが、明日の食事にも事欠いている者にとって安息日の規定は非常に厳しいのだというイエスの怒りとも言うべきメッセージが込められている。
手の萎えた人の癒しの事件も安息日の事件ということが重要である。ここでもイエスは安息日について「安息日に律法で許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか。命を救うことか、殺すことか」という決定的な発言をしている。
つまり人間の社会を歪め、不自由にしている根本的な原因は安息日に象徴される宗教支配である。イエスのメッセージとは、この宗教支配からの解放であろう。そのメッセージが個人に向かう時、精神障害者や女性、重い皮膚病の人々、貧しい人々、病弱な人々への近づきとなり、一般社会に向かう時説教となる。
重要なことはこの事件の結末である。この結果、ファリサイ派の人々とヘロデ党との人々とが結託してイエスの殺害を計画し始めたという。しかし、このことをイエスは未だ知らない。

最新の画像もっと見る