落ち穂拾い<キリスト教の説教と講釈>

刈り入れをする人たちの後について麦束の間で落ち穂を拾い集めさせてください。(ルツ記2章7節)

<講釈>安逸をむさぼる者

2007-09-25 10:52:35 | 講釈
2007年 聖霊降臨後第18主日(特定21) 2007.9.30
<講釈>安逸をむさぼる者   アモス書6:1-7

1. 預言者アモス(先週のと同じ。先週のテキストはアモス書8:4-12)
特定20と同じ

2.アモスの預言
特定20と同じ

             
3. アモスが見た幻
アモスはエルサレムから南に17キロほど離れた高原の地テコアで働く農民(牧童)であった(1:1)。つまり、アモスは南のユダの人であるが、どういう訳か北のイスラエル王国に派遣されたのである。ヤロブアム二世の治世の後半は、政治的情勢は安定し、経済的にも繁栄していた。列王記下14:25によると、彼は領土を「ハマトの入り口からアラバの海」まで拡張した、とある。ほとんど、ダビデ、ソロモンの時代に匹敵する繁栄である。ただし、それも後から見ればわずか20年ほどの一時的現象にすぎなかったが、その当時の人たちには分からないことであった。アモスが召命を受けて人びとの前に預言者として姿を現したのは、繁栄の期間の末期、逆にいうと、それは繁栄の頂点とも言える頃のことであった。西暦でいうと紀元前750年頃のことである。
預言者アモスはそういう状況下で、北のイスラエル王国の聖所ベテルに現れ、イスラエルの破滅と捕囚の預言をした。おそらく、イスラエルの歴史の中で、イスラエルの国家の破滅と捕囚とを預言した最初の預言者であった(6:7)。預言者エレミヤが登場するのは彼より100年以上も後のことである。彼の激しい言葉は、当時の人びとにとっては想像もできないことであり、預言者アモスの姿は「変人」あるいは「狂人」にしか見えなかったことであろう。1:1で触れられている「あの地震」とは紀元前752年に起こっていると言われている。おそらくアモスは春の祭りに初めて姿を現し、続いて夏には北王国の首都サマリアで語り、秋にもう一度ベテルと、3回預言をしたと言われている(参照:木田献一「古代イスラエルの預言者たち」、清水書院、1999年)その後、ベテルの聖所の祭司アマツヤに訴えられて、国民を惑わすという罪で追放された(7:10-11)。その時に、面白いエピソードが記録されている。
祭司アマツヤは彼自身の告訴によって国外追放とされたアモスに対して、悪いことをしたとでも思ったのか、あるいはアモスが本当に神が遣わした預言者であったら、彼を追放に追い込んだ罰が自分自身に及ぶことを恐れたのか、アモスの「これからのこと」を心配して一つの提案をしている。「あなたの出身地である南のユダ王国で預言活動をしたらよい。あそこでならあなたの故郷だから、預言活動に対するの謝礼も十分もらえるだろう」。いかにも、親切そうであるが、その魂胆は見え透いている。要するに自分の縄張りから追い出したかっただけである。アモスは、アマツヤに対して「わたしは預言者ではない。預言者の弟子でもない。わたしは家畜を飼い、いちじく桑を栽培する者だ。主は家畜の群れを追っているところから、わたしを取り、『行って、わが民イスラエルに預言せよ』と言われた」と答えた。ここには職業預言者に対する強烈な皮肉がある。ともかく、北王国におけるアモスの活動は、わずか1年ないしは1年半ほどの期間であった。その後、アモスがどこに行ったのか明らかではないが、おそらく故郷に戻ってもとの職業に従事したのだろうが、ただ、本日のテキストから非常に面白いことが推測される。
4. テキストの復元
本日のテキストにおいては、カルネとか、ハマト・ラバやガトという周辺都市国家が既に滅ぼされていることを前提として語られている。しかし、実際には、これらの都市は預言者アモスの時代にはまだ崩壊していない。また、7節の「それゆえ、今や彼らは捕囚の列の先頭を行き、寝そべって酒宴を楽しむことはなくなる」という預言も、もう既に起こったことのような具体性がある。もちろん、預言とはそういうものだと言ってしまえば、反論しようもないが、おそらく、事後預言であろう。実際に北王国がアッシリアに滅ぼされたのは紀元前722年のことであるから、アモスが預言者として語ったときから数えて少なくとも約30~40年後の時代背景を示している。
本日のテキストは、時代背景、文章のつながり等かなり混乱している。専門家(ATD聖書註解)によると、この文章はアモスよりかなり後の時代を反映しており、おそらくアモスの思想的影響を受けた人たちが、アモスの預言の言葉を書き残しつつ、アモスの言葉に彼ら自身の時代と国(ユダ王国)へのメッセージを組み込んで語った言葉であろう。
この部分を、新共同訳聖書の言葉をできるだけ残して、再構成すると、下記のようになる。

災いだ、シオンに安住し、サマリアの山で安逸をむさぼる者らは。
諸国民の頭として選ばれた者たち。
お前たちはロ・ダバル(空虚)を喜び、
「我々は自分の力で、カルナイムを手に入れたではないか」と言う。(13節)
カルネに赴いて、よく見よ。そこから、ハマト・ラバに行き、ペリシテ人のガトに下れ。
お前たちはこれらの王国にまさっているか。お前たちの領土は、彼らの領土より大きいか。
お前たちは災いの日を遠ざけようとして、不法による支配を引き寄せている。
しかし、イスラエルの家よ、わたしはお前たちに対して一つの国を興す。
彼らはレボ・ハマトからアラバの谷に至るまで、お前たちを圧迫すると、
万軍の神なる主は言われる。(14節)

お前たちは象牙の寝台に横たわり、長いすに寝そべり、
羊の群れから小羊を取り、牛舎から子牛を取って宴を開き、
竪琴の音に合わせて歌に興じ、ダビデのように楽器を考え出す。
大杯でぶどう酒を飲み、最高の香油を身に注ぐ。
彼らはイスラエルの家で、神のように振る舞うが(1節後半)、
ヨセフの破滅に心を痛めることがない。
それゆえ、今や彼らは捕囚の列の先頭を行く。
主なる神は御自分を指して誓われる。
万軍の神なる主は言われる。
わたしはヤコブの誇る神殿を忌み嫌い、その城郭を憎む。
わたしは都とその中のすべてのものを敵に渡す。

5. 解説
冒頭の「シオン」はエルサレムの別称で南王国の首都指し、「サマリア」は北王国の首都を意味する。アモスは、南王国出身であるが、北王国で預言活動をしたのである。アモスが、南王国で活動した頃は、南も北も結構平和で豊かな状況であった。豊かさという点では北王国の方が産業も盛んであった。しかし、南にはエルサレムの神殿があり、お祭りの時などは北からもかなりの人々がお参りに出かけていたらしい。この預言の言葉では、南北両国の指導者が批判の対象になっているが、むしろこの預言がまとめられた頃には北は既に滅ぼされており、国としては存在していなかった。その意味では、この預言は南のユダ王国の政治家たちへの批判と警告になっている。
批判の中心テーマは、贅沢な生活をしているということではなく、あるいはそのことのために一般国民が苦しんでいるということでもなく、あるいはそういう状況を作り出している国家的経済構造を批判するということでもない。むしろ、そういう批判は預言者アモスが行ったことである。むしろここでは、もっと具体的に、国民の現在と将来とについて責任を持っている政治家たちが、差し迫っている国家の危機ということについて少しも、心を痛めることなく、「安逸をむさぼっている」ということにある。
カルネ、ハマト・ラバ、ガド等周辺諸国は既にアッシリアによって滅ぼされているではないか。ユダ王国は周辺諸国よりも優れた点があるのか。領土的にいっても、彼らよりも広いか。2節の終わりにある「彼らの領土は、お前たちの領土より大きいか」という言葉は文脈から考えて、明らかに二人称と三人称とが入れ替わっている。それなのに、ユダ王国の政治家たちは、「おれたちの国は大丈夫」と言い放ち、ロ・ダバルやカルナイムを自分たちの力で手に入れたことを自慢している。13節と14節とは、現在の位置ではそれぞれ孤立しており、ここに挿入すると、というより戻すと意味がより明白になる。14節も同様に、3節の後ろに入れると論旨がはっきりする。これらの国は、数えるに足りないような小国であり、自慢するほどのことではない。むしろ、ここでは「ロ・ダバル」という国名が「空虚」という意味であることを皮肉っている。「長いすに寝そべり」という姿勢は当時金持ちの間で流行っていたらしい。むしろ、ここでは、政治家たちの生き方そのものが「長いすに寝そべる」という言葉で強調されている。
「彼らはイスラエルの家で、神のように振る舞うが」という言葉は、新共同訳では、1節後半におかれ、「諸国民の頭である国に君臨し、イスラエルの家は彼らに従っている」と翻訳されているが、これではどういう意味か明白ではない。むしろ、ヘブライ語聖書に従って、6節の真ん中に置き、上のように翻訳したら落ち着く。この場合、「イスラエル」という言葉は南北に別れる以前の「イスラエル」を意味する。「われわれには」、つまり南のユダ王国にはエルサレムの神殿があるから、そこいら辺にある、普通の国とは違う。「われわれは神国である」というような意味であろう。表では、さも信仰的な発言をしつつ、裏では「お前たちは災いの日を遠ざけようとして、不法による支配を引き寄せている(3節)。つまり、強国アッシリアと「裏取引」をしている。実に自己中心的な発想である。まぁ、それもいいとしても、兄弟の国である北のイスラエルは既に滅ぼされている。そのことを少しも痛みに思わないのか。ここには預言者たちの怒りが込められている。「ヨセフの破滅」とは北のイスラエルの滅亡を意味する隠語である。事態はそこまで差し迫っている。
6. ヨセフの破滅
本日のテキストには、権力者に対する糾弾と審判しか見られない。彼らが安逸をむさぼっている間に国家的危機はますます迫る。そこには、もはや歯止めはなく、ただ空しく大国に滅ぼされる道しか残っていない。それが、神の審判である。災いは責任ある指導者だけにのぞむのではなく、民族全体に及ぶ。そこには、もはや「救い」はないように見える。
しかし、ただ一つ、ヒントが隠されている。それは、なぜ北のイスラエル王国の崩壊を「ヨセフの破滅」と表現したのだろうか。それは単なる文学的表現だけなのだろうか。このアモス書全体の雰囲気から考えて、そんなに単純なこととは思えない。むしろ、ここに一つの「救い」のヒントが隠されているのではなかろうか。
ここで用いられている「破滅」という言葉は「傷」とか「悩み」とかに訳される言葉で、「ヨセフの苦難」と言ってもよい。つまり、ここではヨセフの苦難に「心を痛めないで」、飲み食い、快楽に耽っている指導者たちの姿が糾弾されているのである。じつは、ここに希望が隠されている。
ヨセフの苦難という言葉で表現されている出来事は二つ思い出される。一つは、ヨセフが兄たちによって穴に放り込まれたとき、穴の中で泣き叫ぶヨセフの声を聞きながら、飲み食いしていた兄たちの姿である。もう一つはヨセフがポティパルの家で、ポティパルの妻の誘惑を拒絶したために、罠にはめられ、王宮の監獄に放り込まれたときの出来事である。この時も、ポティパルもその妻もヨセフの苦難をすっかり忘れてしまっていた。いずれにせよ、放り込んだ連中はヨセフの苦しみを気にしていなかった。
しかし、彼のことを心に留めておられた方がいる。それが神である。神は穴の中でも、監獄の中でもヨセフと共におられた。共に苦しまれた。創世記のヨセフ物語のキイワードは「神が共におられる」ということである。アモス書はここに「ヨセフの苦難」に「心を痛めない」人々を告発することによって、ヨセフの苦難に心を痛めた方がおられることを暗示している。
アモス書は悪に対する糾弾と審判の言葉に満ちており、ほとんど希望を語る言葉がない。しかし、ただ一ヶ所明確に語っているところがある。5章14節である。「善を求めよ、悪を求めるな。お前たちが生きることができるために。そうすれば、お前たちが言うように、万軍の神なる主はお前たちと共にいて下さるであろう」。これがアモス書が語る「救い」である。国は滅びるかもしれない。経済的には破滅するかもしれない。しかし、神が共にいて下さるなら、生きることができる。ここでは「生きる」という言葉と神が「共にいて下さる」という言葉とはほとんど同じ内容を示している。「共にいる神(=インマヌエル)」という生き方をわたしたちに見せてくれたのが。主イエス・キリストである。

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