落ち穂拾い<キリスト教の説教と講釈>

刈り入れをする人たちの後について麦束の間で落ち穂を拾い集めさせてください。(ルツ記2章7節)

聖霊降臨後第22主日(特定28)説教「民族的『あのとき』 詩95」

2011-11-10 16:31:34 | 説教
S11T28Ps095(S)
2011.11.13
聖霊降臨後第22主日(特定28)説教「民族的『あのとき』 詩95」

1. 40年間の謎
モーセの誕生から始まりヨシュアによるカナン侵入に至るまでの出エジプト物語を繰り返し聞かされて、私には大きな疑問がある。それはエジプトからカナンの地までの距離は、海岸の道を通れば数100キロにすぎず、昔から隊商や軍隊が移動する比較的に活発なルートである。つまり1日に20キロ移動するとしても1月もあれば目的地に到着できる。もちろん彼らにとってはいわば「逃避行」であるから、正規のルートを辿ることは困難であったとしても、初めからカナンの地を目指しているとしたら、そこそこの期間で到着できる。それなのに、彼らはエジプトを出てからカナンの地に至るまで40年の歳月を経ている。何故なのか。紅海を徒渉し、エジプト軍を滅ぼし、マナやうずらを降らせ、岩を割って水を与えてくれる神が導いているのに、何故40年もかかったのか。それは大きな謎である。

2.この40年間をどう受け止めるのか。
この謎を解く鍵が詩95:8の「メリバのあのときのように、マッサの荒れ野の日のように」という出来事である。この出来事について出エジプト記に記録されている(出エジプト17:1-7)。
イスラエルの人々は、エジプトを出て、追って来るエジプトの軍隊を紅海で破り、シナイ半島の荒野を旅していた。基本的には彼らはどこに向かって進むのか、目的地はどこかはっきりしない。伝説によると「雲の柱、火の柱」に導かれ、「天からのマナ」で養われ、時にはうずらの大群がテントの周りに降ってきたという。ともかく食糧は何とか手に入るものであるが、最も深刻な問題は水であった。とうとう水がなくなり死にそうになったとき、人びとはモーセに文句を言い始めた。彼らに対してモーセは言う。「私に文句を言ってもしょうがないじゃないか。問題は神だ」。人びとは、「そんなに無責任なことで私たちをエジプトから連れ出したのか。私たちも子供たちも、家畜までもみな殺しにする気か」人びとは殺気立ち、モーセを殺す計画もなされたらしい。
それでモーセは神に相談した。「神よ、どうしましょう。このままでは人びとは私を石で打ち殺そうとしています」。その叫び声を聞いて、神はモーセに命じられた。「イスラエルの長老数名を伴い、民の前を進め。また、ナイル川を打った杖を持って行くがよい。見よ、わたしはホレブの岩の上であなたの前に立つ。あなたはその岩を打て。そこから水が出て、民は飲むことができる」。モーセは神の命令通りした。神の言うとおりに、岩から水が流れ出た。モーセはそのことを記念して、その場所を「マッサとメリバ」と命名したという。マッサとは「神を試みた」という意味であり、メリバとはモーセと人びととが争ったという意味である。

3.ユダヤ人の理解
この「40年間の放浪」という謎は後代のユダヤ人も考えたらしく、いろいろな解釈が見られるが、そのほとんどはこの出来事に基づいている。このテキストで注目すべき点は水問題が水問題に留まらず「主が我々の間におられるかどうか」という問題に転化していることであろう。それ程水問題は彼らにとって深刻な問題であった。
荒野での40年間をどう理解するのかという問題について、大きく分けて3つの考え方がある。もちろんそれらを厳密に分けることはできないが、中心的な意味づけとして3つの考え方がある。
第1は、神の民としての訓練期間である。申命記8:2「あなたの神、主が導かれたこの四十年の荒れ野の旅を思い起こしなさい。こうして主はあなたを苦しめて試し、あなたの心にあること、すなわち御自分の戒めを守るかどうかを知ろうとされた」。
第2は、新しい民族は新しい世代によって形成する。つまり世代交代に40年かかるという考え方で、古い世代が全部死ぬという意味で非常に厳しい発想である。実はこの考え方が最も多い(民数記32:13、33:38、申命記1:3、ヨシュア5:6)。「主はイスラエルに対して激しく怒り、四十年にわたり、彼らを荒れ野にさまよわせられ、主が悪と見なされることを行った世代の者はことごとく死に絶えた」(民数記32:13)。そのためにモーセやアロンさえ新しい土地に入ることが許されなかった。
第3の考え方は、それら全部に関係し最も根本的な思想であるが、神の怒り説とでもいうべきか。「イスラエルの人々は荒れ野を四十年さまよい歩き、その間にエジプトを出て来た民、戦士たちはすべて死に絶えた。彼らが主の御声に聞き従わなかったため、我々に与えると先祖たちにお誓いになった土地、すなわち乳と蜜の流れる土地を、彼らには見せない、と主は誓われたのである(ヨシュア5:6)」。本日の詩95も主にこの説に基づいているし、新約聖書での理解もほとんどこの説による(使徒言行録7:42、使徒言行録13:18、ヘブライ3:9-10、ヘブライ3:17)。
「いったいだれに対して、神は四十年間憤られたのか。罪を犯して、死骸を荒れ野にさらした者に対してではなかったか」(ヘブライ3:17)。

4.「あのとき」
さて、詩95のテキストに戻る。8節で詩人は次のように言う。
「今日、神の声を聞くなら、メリバのあのときのように、マッサの荒れ野の日のように、心をかたくなにしてはならない」。詩人が語りかけている人たちは「今日」の人たちである。「あのとき」の人たちはもう既に遠い昔の人なのであり、500年以上も前の出来事である。彼らの先祖たちにとっては忘れてもらいたい出来事かもしれないが、子孫たちにとっては忘れてはならない出来事である。現象的に見るならば決して世界を揺るがすような大事件ではなく「些細な事件」であるかもしれない。しかしイスラエルの人びとにとっては決して忘れてはならない事件として、「あのとき、わたしたちの先祖は」という言葉を添えて、歴史書に書き残し、詩歌で歌い、代々、語り伝えてきたのである。
非常に厳しい言い方をすると、「あのとき」に、神は古いイスラエルを見放し、新しいイスラエルに期待をかけた。神とイスラエルの民との関係は「あのとき」に変わった。歴史的にはイスラエルの民はそのまま継続しているように見えるが、決定的に変化したのである。その変化は「死と復活」と言ってもいいほどの変化である。その変化が現実化するまでに40年かかった。古い世代がすべて死に絶え、新しい世代が成人になるまで、神は忍耐して待ったのである。世代交代とはそういうことであろう。新しい酒は新しい革袋に入れなければならない。しかし同時に新しい世代は古い世代の全てを廃棄するのではなく、彼らの失敗を反省し、克服し、2度と繰り返さないという決意が必要である。そのためにも、古い世代の失敗を忘れてしまってはならない。
歴史の中で起こっていることで、すぐに忘れてしまってもいいこともあるが、決して忘れてはならない出来事もある。日本人ならば8.15(1945年)は決して忘れてはならない日である。あの日に過去の日本、大日本帝国は滅び、新しい日本が生まれたのである。その前に産まれていた人も、その後に産まれてきた人も8.15を忘れてはならない。
アメリカ人が12.8(パールハーバー、1941年)を決して忘れないように、日本人も8.6(1945年)を忘れてはならない。あの日に世界で初めて原爆が投下されたのである。連合国側にすれば原爆投下は太平洋戦争を終わらせる1つの作戦に過ぎなかったかもしれないが、原爆の投下ということは全世界の人びとにとっては核エネルギーの恐ろしさを現実的に経験した日である。日本人が忘れないのは当然であるが、同時に全世界の人びとに忘れさせてはならない日でもある。しかし、原爆を投下したアメリカ政府は戦後の対日政策において日本人の原爆に対する正当な恐怖心を病的な「核アレルギー」にすり替えた。それに日本のマスコミも同調して、「核アレルギー」をキャンペーンし、核の恐ろしさを知っている日本人があたかも病人であるかのように思い込ませたのである。その結果、日本人はアメリカ政府による「核の平和利用」というかけ声に従って、原爆と原発とが2分化されてしまったのである。日本人が核に対して他のどの国よりも恐怖心を持つことは当然の権利であり、決して核アレルギーというような病気ではない。従って、8.6と共に10.26(原子力の日、1956年国際原子力機関への参加、1963年茨城県東海村で原子力発電に成功)も忘れるべき日ではない。この日に日本人は本当の意味で8.6の恐怖を忘れ、3.11へと突き進んでしまったのである。3.11の悲劇は55年前の10.26に始まっている。

5.神は忘れない
最後に恐ろしいことをもう一つ。9節を見ると、「あのとき」のことを忘れないで覚えているのは、神である。たとえ、人間は忘れても神は忘れない。そして、「あのとき」、神が誓ったことは必ず実現する。事実、実現した。イスラエルの民は40年間荒れ野を彷徨い、「あのとき」の人たちは全て死に絶えた。

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