落ち穂拾い<キリスト教の説教と講釈>

刈り入れをする人たちの後について麦束の間で落ち穂を拾い集めさせてください。(ルツ記2章7節)

<講釈>変容(主イエス変容の日)

2006-07-28 21:07:21 | 講釈
2006年 主イエス変容の日 (2006.8.6)
<講釈>変容   ルカ9:28-36
1. 「主イエス変容の日」由来
主イエス変容の日は東方教会に起源をもつ祝日である。東方では、初期には地域的で非公式な祝日だったようであるが、10世紀末にはすでに広い範囲で祝日として教会暦に組み込まれていた。一方、西方でこの日が祝日となったのはかなり遅く1457年からである。それには当時の国際情勢が大きく働いている。
その4年前の1453年、東方教会の中心地であり、1000年にわたって東ローマ帝国の首都であったコンスターチノープルが、イスラムのオスマン・トルコ帝国軍の猛攻撃を受けて、ついに陥落した。勢いに乗ったトルコはさらに西に向かって軍を進めてキリスト教世界を浸食し始めた。強力な常備軍をもつトルコの軍事力に対して西方世界は脅威にさらされた。
1456年7月22日、ベルグラードにおける戦いで、西方の連合軍はようやくトルコ軍に勝利し、イスラム勢力の拡大を阻止することができた。その勝利の知らせがローマに届いたのが8月6日、東方教会の変容の祝日にあたる日であった。時のローマ教皇カリストゥス三世は、それを記念して、西方教会でもこの日に主の変容を祝うよう命じ、翌1457年から公式に教会暦に組み込まれた。
東方教会においては、主イエスの変容の日は、顕現日や復活日と並ぶ最重要な祝日として位置づけられており、主の変容をめぐる長い神学的な議論が背景にある。それに対して、西方教会においては、主の変容の日は教会内の出来事に由来するというよりも、政治的要因に基づく祝日である。
2. 福音書における主の変容
主の変容の出来事については、4つの福音書がすべて記録している記事である。その中で本日はルカ福音書の記事が取り上げられている。
主イエスの「様子が変わり、服は真っ白に輝いた」という出来事は、びっくりするような「目が覚めるような」出来事であったに違いない。ところが、これを目撃したペトロ、ヨハネ、ヤコブは「ひどく眠かったが、じっとこらえていると」(32節)と記録されている。この矛盾はこの出来事を解釈する上で非常に興味深い。夢か、幻か、それともはっきりした体験なのか。だからこそ、彼らは「当時、誰にも話さなかった」と記している。むしろ、話せなかったのではないか。しかし、この出来事は彼らにとって強烈な印象となったらしい。ペトロは晩年になって、この体験をハッキリと文章で残している。それが本日の使徒書である。
人生の中では目の覚めるようなハッキリした経験が時とともに薄れていく様な経験もあれば、はじめは明白ではないが時とともにますます確実になり、鮮明になって来る経験とがある。信仰の経験とはその様なものである。
3. 反転
菅野覚明は「神道の逆襲」(講談社現代新書)において、萩原朔太郎の唯一の短編小説「猫町」を神との直接の出会いの体験として取り上げている。この小説そのものは、既にインターネットで青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)から無料でダウンロードできるので省く。
小説「猫町」の出だしはこうだ。
「旅への誘いが、次第に私の空想から消えて行った。昔はただそれの表象、汽車や、汽船や、見知らぬ他国の町々やを、イメージするだけでも心が躍った。しかるに過去の経験は、旅が単なる「同一空間における同一事物の移動」にすぎないことを教えてくれた。何処へ行って見ても、同じような人間ばかり住んでおり、同じような村や町やで、同じような単調な生活を繰り返している。田舎のどこの小さな町でも、商人は店先で算盤を弾きながら、終日白っぽい往来を見て暮しているし、官吏は役所の中で煙草を吸い、昼飯の菜のことなど考えながら、来る日も来る日も同じように、味気ない単調な日を暮しながら、次第に年老いて行く人生を眺めている。旅への誘いは、私の疲労した心の影に、とある空地に生えた青桐みたいな、無限の退屈した風景を映像させ、どこでも同一性の法則が反覆している、人間生活への味気ない嫌厭を感じさせるばかりになった。私はもはや、どんな旅にも興味とロマンスをなくしてしまった。」
詩人らしい感性と表現力で、美事に現実の世界をえぐり出している。そこにある現実とは、平板で、深みとか奥行きのない世界である。この世界においては、神や悪魔の存在場所はない。まったく「不思議」というものの存在し得ない世界である。そういう世界で人間はまともに生きる意味を見出すことができるのだろうか。
主人公「私」は日常からの脱出を願ってしばしば旅に出かけるが、その旅は結局「同一空間における同一事物の移動」にすぎなかった。ところが、見知らぬ町に出かけたときに、迷子になり、ふと気が付くと「私」は「現実の町ではない影絵のような町」にいることに気付く。しかし、その瞬間、記憶と常識が回復し、見慣れた町に戻っていた。見知らぬ町では、いつもは右に見えるものがうの左に見え、南はずれにあるべきものが北に見えた。この反転が、見慣れた町をまったく違った景色に見せたのである。この不思議な町は、磁石を反対にした世界の裏側に実在したのである。この経験をした「私」はその後も故意に迷い子のなり、反転の世界を旅行する。その内、北陸地方のある温泉地で「猫町」をみる。このあたりの描写はわたの手に負えるものではない。ぜひ、作品を直接、読んでいただきたい。
この小説の最後は、次のような文章で締めくくられている。
「人は私の物語を冷笑して、詩人の病的な錯覚であり、愚にもつかない妄想の幻影だと言う。だが私は、たしかに猫ばかりの住んでる町、猫が人間の姿をして、街路に群集している町を見たのである。理窟や議論はどうにもあれ、宇宙の或る何所かで、私がそれを「見た」ということほど、私にとって絶対不惑の事実はない。あらゆる多くの人々の、あらゆる嘲笑の前に立って、私は今もなお固く心に信じている。あの裏日本の伝説が口碑している特殊な。猫の精霊ばかりの住んでる町が、確かに宇宙の或る何所かに、必らず実在しているにちがいないということを。」
4. 時と永遠
仏教徒である宗教学者、加藤覚明氏は、朔太郎のこの作品を取り上げて、神道的な神体験を説明する。現実存在の裏側に現実存在と密着して「神の世界」が存在すると。しかし、その姿勢は決して否定的ではなく、むしろ神道神学に対する深い理解が認められる。本質的に無=神論である仏教はともかくとして、神について経験的に語ろうとする場合に、この神道的説明を、アニミズムであるとか原始宗教の名残であるとかと言って、単純に否定することはできない。キリスト教の立場からいうと、「時と永遠」の関係である。「永遠」は「時」から離れて存在するのではなく、「時」と共に、「時」の背後に存在し、「時」は「永遠」によって支えられている。そして、時々「永遠」が「時」において現出する(顔を出す)。
むしろ、ペトロたちが山の上で垣間見た輝くイエスを見たという経験と小説「猫町」における「私」の経験とは共通している。ペトロたちは普段から親しく交わり、一緒に寝食を共にしているイエスが、いわば見慣れたイエスの容貌が突然変化し、民族的英雄であるモーセやエリアを従える神の御子であるという本質を明らかにする。それは夢なのか、幻想なのか明白ではない。一瞬の出来事であった。写真のネガが突如ポジに変わるような反転の体験というべきか。見慣れた風景が突如、今まで見たことのないような風景として目の前に現れる。しかし、その風景は決して全然別なものというわけではなく、イエスはイエスのままであるが、普段とは全然異なる姿のイエスがそこに見える。明暗が逆転する体験である。この突然の輝きを見た者は一生その経験を否定することはできない。世界の歴史に対する見方、自己の人生に対する価値観は、それを見た以前と以後とではまったく異なる。イエスの中に、イエスにおいて、神の本質が閃光のように輝いた。ペトロは後にその体験を次のように語る。「わたしたちの主イエス・キリストの力に満ちた来臨を知らせるのに、わたしたちは巧みな作り話を用いたわけではありません。わたしたちは、キリストの威光を目撃したのです。荘厳な栄光の中から、『これはわたしの愛する子。わたしの心に適う者』というような声があって、主イエスは父である神から誉れと栄光をお受けになりました。わたしたちは、聖なる山にイエスといたとき、天から響いてきたこの声を聞いたのです(2ペテロ1:16-18)」。
神がここにおられる。神がこの世界、わたしたちが生まれ、生活し、そして死んでいくこの世界におられる。ペトロたちはこのことを経験した。そして、わたしたちキリスト者はペトロと共に、このことを信じる。
5. 原爆投下という悪魔的行為
ところで、1945年の夏、この主イエス変容の日に人類はもう一つの現実を体験した。人間はそれを認めたくないが、しかしこれも正に人間の現実である。それは言わずと知れ、あの広島への原爆投下という事実である。この出来事において最も恐ろしい点は、原爆投下という悪魔的な行為を決意し、実行した当事者たちは、少なくともそれを行っているときには、正義の行為として行った、という事実である。わたしたちはこの現実を神と悪魔との闘争の舞台などと神話的なことを言うつもりはない。しかし、現実を素直に見るならば、確かに神が働いておられる現実を経験するとともに、悪魔的現実も否定できない。現実の人間は神の僕にもなるが、同時に悪魔の僕にもなる。しかも、時には自分自身が悪魔の支配のもとに、悪魔になっているという事実に気付いていない、ということもある。何年か前に、原爆をB-29エノラ・ゲイ号がマリアナ諸島テニアン島を離陸するときの映像を見たことがある。その時のショックを今も忘れられない。離陸前に、聖公会の司祭と思われる数人の聖職が、エノラ・ゲイ号の使命達成を祈りを献げている映像であった。あの原爆投下に司祭が祝福の祈りを捧げている。それはわたしにとってかなりショックであった。すべての爆撃機が出発するときに司祭の祝福の祈りを捧げているのかどうかわたしは知らない。あの司祭は、エノラ・ゲイ号に搭載されている爆弾がどれ程恐ろしいものであるかということを知っていたのかどうかもわたしは知らない。しかし、ハッキリしていることは、1945年8月6日午前1時45分、マリアナ諸島テニアン島北飛行場から離陸したエノラ・ゲイ号によって投下された原爆によって、広島市民34万人の内約14万人の尊い命が失われ、その後遺症は今も続いている。司祭も悪魔になる。
6. キリストにおける神の勝利
この現実の世界には神が働いている。と同時に、悪魔も強力に働いている。むしろ、悪魔の方が強力に、明白に、働いている。普通の人が、すぐに悪魔の手先に変わる。悪を悪とも思わない人もいる。悪を善と信じきっている人もいる。どちらも恐ろしい。しかし、ペトロは言う。「私たちは、キリストの威光を目撃した」。キリストにおいて、神がこの世界で働き、この世界を悪魔の力から救い給うことを信じている。最後の決定的な勝利は神の側にあることを、確信している。すべてのキリスト者は、最後の勝利の日まで、現実に力をふるっている悪魔の働きと闘う決意を新たにする。

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