落ち穂拾い<キリスト教の説教と講釈>

刈り入れをする人たちの後について麦束の間で落ち穂を拾い集めさせてください。(ルツ記2章7節)

<講釈>故郷

2006-07-06 22:15:00 | 講釈
2006年 聖霊降臨後第5主日(特定9) (2006.7.9)
<講釈>故郷   マルコ6:1-6

1. 故郷ナザレ
本日のテキストでは、「故郷」での出来事が記録されている。「ナザレで受け入れられない」というタイトルが付けられているが、本文には「ナザレ」という言葉はない。イエスの故郷がナザレであったことには疑問の余地はないが、ここでなぜ「ナザレ」という地名が使われていないのか、議論はいろいろある。マルコがこのテキストで語ろうとしているポイントの一つは、「イエスは故郷では受け入れられなかった」ということであるが、ここにイエスと故郷との複雑な関係が暗示されている。
イエスはナザレで育ち、ナザレで成人した。従って、イエスの活動もナザレで始まった、とするのはルカである。そういう自然な流れのもとにイエスという人物を置く。果たして、イエスという人物はそういう人物だったのだろうか。むしろ、「ナザレから出て」(マルコ1:9)、ヨハネから洗礼を受けたところからイエスという人物の独自の生き方が始まったのではなかろうか。マタイによる福音書においては、イエスがヨハネから洗礼を受けた頃はまだナザレに生活の拠点はあったようで、ヨハネが捕らえられた後、「ナザレを離れ」「湖畔の町カファルナウムに来て住まわれた」(マタイ4:13)とされる。それ以後、しばらくはカファルナウムが活動の拠点となる。ナザレはガリラヤ湖の西約20~30キロにある山間地帯の無名の村である。ナザレからカファルナウムまでの距離は直線距離にして50~60キロ離れており、奈良県でいうと、十津川村から出て五條市で活躍したというような感じであろうか。
イエスが郷里ナザレを離れるに際してはいろいろなことがあったと想像される。伝説によると、父ヨセフは既に他界しており、従ってイエスは母マリアと弟たちを残して村から離れたことになる。村の人たちからはいろいろと批判されたことであろう。そういうすべてのしがらみを「断ち切る」ということにはかなり強い決意が必要であっただろう。
郷里には幼少時代からの多くの思い出と濃密な人間関係とが詰まっている。その意味では、どんなに批判されようとも、郷里というものは最終的には受け入れてもらえる安全地帯である。しかし、同時に明確な召命感によって生きようとする人にとっては、最も危険な堕落地帯でもある。郷里というものにはそういう二重性がある。それは、同時に郷里の側からもプラスとマイナスとの二重の感情が成り立つ。この構造は何もイエスとナザレとの関係だけではなく、一般的に存在するアンビバレンスであり、それが「預言者は郷里では受け入れられない」という格言の根拠となる。
2. ナザレの人々
郷里の人々には当然カファルナウムにおけるイエスの活躍は伝えられていたことだろう。彼らにとっては「成功した仲間」として羨望の的であると共に「村を捨てて出て行った人」でもある。そのイエスが「弟子たちと共に」帰郷してきた。まさか、故郷に錦を飾るというほどではないにせよ、話題の中心になったことは想像に難くない。イエスは、どこの町でもするように、ナザレでも安息日には会堂に出かけ、説教をした。
イエスの説教を聞き、郷里の人々の反応は、噂通りであることに驚き感銘したようである。これが先ず第1の反応である。ここから「郷里らしい」反応が生じる。「この人は、このようなことをどこから得たのだろう」。この疑問は、郷里の人々が言う場合と、そうでない場合とではニュアンスがかなり異なる。一般的には賛美の言葉であるが、郷里の人々の場合は、疑惑を含む反語となる。素直にイエスの言葉と行為とを受け入れることができない。そんな筈がない。何か裏がある。彼らの場合、イエスの家族を知っているということ、つまり「お里を知っている」ということが「つまずき」となる。マルコはこのことについて、「預言者は自分の郷里では敬われない」という当時広く知れ渡っていた格言を添えて説明する。
問題は、この説明の仕方である。マルコはこの格言に「親戚や家族」という言葉を書き加える。そうすると、この格言は、郷里の人々は「親戚や家族」のことを知っているから、預言者を預言者として尊敬することが難しいという本来の意味が変化し、預言者を預言者として尊敬できないのは、郷里の人たちではなく、「親戚や家族」である、という意味になる。3節と4節との間には大きな差がある。4節ではイエスを理解できない親戚や家族の姿が強調される。
この部分を繰り返し読んで、もし「預言者は故郷では尊敬されない」という格言がそのままで引用されているだけならば、それはそれは一人の成功者と故郷との関係を一般的に述べただけの文章で終わる。しかし、この故郷という言葉に「親戚や家族」という言葉が付加されると、意味あいがまったく異なってくる。特にこの言葉の発言者がイエス自身であるということになると、わたしのことを少しも理解しようとしてくれないのは、わたしの家族であるという悲しい発言となる。特に、その意味では5節の奇跡が行われなかったことの責任が「親戚と家族」ということになり、「人々の不信仰に驚かれた」というイエスの驚きは家族に対するものとなる。
なぜ、マルコはそれ程強烈にイエスの家族に対して批判するのだろうか。
3. マルコにとってのナザレ
マルコにおいては、ナザレはイエスの故郷であると同時に「主の兄弟ヤコブ」の郷里でもあった。このヤコブとマルコとの関係について、田川建三は次のように述べている。「マルコが福音書を書いていた当時、エルサレム教会の指導者はイエスの兄弟ヤコブだったのだから、当然エルサレム教会を意識せずに発言できるはずはない」(田川建三:原始キリスト教史の一断面、84頁)。「マタイやルカにとって、ナザレは教祖の故郷であってその意味では聖地である。マルコにとっては、ナザレはイエスをしりぞけた「親族」(3:20-21)の出身地なのである」(同書、79頁)。
マルコは単純にイエスと郷里との関係を語っているのではなく、この出来事全体をイエスの家族に対する批判として語っている。具体的には当時エルサレム教会の「柱」(ガラテヤ2:9)として中心的指導者であった「主の兄弟ヤコブ」に対する批判の文章である。「主の兄弟などといって威張っているが、主イエスのことなど少しも理解していないではないか」。
4. 主の兄弟ヤコブについて
コリントの信徒への手紙15:7によると、復活の主は最初にペテロに現れ、次いで12使徒たちに現れ、その後500人以上もの兄弟たちに同時に現れたと言う。そこで、一段落して「次いでヤコブに現れ、その後すべての使徒に現れ、そして最後に、月足らずで生まれたようなわたしにも現れました」と言う。最後の「わたしにも」という部分はパウロ自身の付加であるが、その前までの文章はパウロ以前に流布していた文章であると言われている。
ここで注目すべき点は「ヤコブに現れ」という文章の位置である。つまり、ペテロに始まる初期の復活経験が一段落した後に、教会の組織もかなり整い、宣教活動もかなり活発になった頃に、ヤコブは教会の内部で指導的な立場に立つようになったものと思われる。使徒言行録の第1章ではイエスの昇天直後、「2階座敷」と呼ばれる部屋でイエスの弟子たちが熱心に祈っている情景が描かれ、その参加者リストには「イエスの母マリア、イエスの兄弟たち」という名前が見られる。そこでは、イエスの兄弟たちという漠然として表現で、ヤコブというように固有名詞で呼ばれていない。使徒言行録においてヤコブという名前のイエスの兄弟が登場するのは、12使徒の1人「ヨハネの兄弟ヤコブ」がヘロデ王による迫害により殉教した頃である。「ヨハネの兄弟ヤコブ」を殺害したところ、それがユダヤ人たちから歓迎されたのを見て、気をよくしたヘロデ王は次ぎにペトロを捕縛した。この時、不思議な出来事によりペトロは脱獄し、その出来事をペトロは「ヤコブと兄弟たちに伝えなさい」という言葉を残して、それ以後地下活動に入った。それが、具体的には何年頃のことか明らかではないが、この頃から「主の兄弟ヤコブ」が指導的な立場に立ったらしい。
パウロが教会に加わり、異邦人伝道に専心しようと決意したとき、ペトロに面接し、15日間ペトロのもとで滞在した。その時に、「ほかの使徒にはだれにも会わず、ただ主の兄弟ヤコブにだけ」(ガラテヤ1:19)会っている。もうその頃には、教会は地下に潜ったペトロと、表で活動するヤコブとのペアで教会は指導されていたようである。50A.D年頃開催された使徒会議では、ヤコブが完全に仕切っている様子がうかがえる(使徒言行録15:13)。
使徒会議の直後、パウロは教友バルナバを伴って、使徒会議の報告書を携えて伝道旅行(第2伝道旅行)に出発することになった(使徒言行録15:36)。興味深いことにこの時バルナバは「マルコと呼ばれるヨハネ」を連れて行きたいと思い、パウロに提案した。ところが、パウロはバルナバの提案を「前にパンフィリア州で自分たちから離れ」、行動を共にしなかったような人を連れて行くわけには行かない」と反対した。マルコは使徒会議の前に行われたパウロの第1回伝道旅行の際に、どういう理由か途中で帰ってしまった(使徒言行録13:13)。ここで名前があげられているマルコが福音書の貴社と同一人物であるかどうかは明白ではないが、一応同一人物としておく。もしそうだとすると、マルコとパウロとは宣教方針やキリスト教理解においてかなり相違があったようである。パウロとマルコとの緊張関係は単なる年齢差や経験の違いによるものではなかったらしく、マルコを連れて行くか否かという議論から、パウロとバルナバとは「意見が激しく衝突し、彼らはついに別行動をとるようになった」(使徒言行録15:39。
パウロの第2回伝道旅行の結果、教会内でのユダヤ人と非ユダヤ人とのバランスは崩れ、一挙に様々な問題が噴出したようである。この問題を解決すべくパウロはエルサレムにいるヤコブのもとを訪れ、相談する。ヤコブ自身は、後に「義人」とあだ名されるようにユダヤ人の習慣や律法を重んじる保守的な人物であったが、同時にパウロのよき理解者であり、よき支持者であった。その意味では、ユダヤ人キリスト者からも異邦人キリスト者からも信頼された人物のようである。
パウロの相談事に対してヤコブは調停案を提出する。それはさすがに大人の解決法であった。ちょうどその頃、ユダヤ人キリスト者の中に誓願を立てた者が4人いる。この人たちを連れて行って一緒に身を清めてもらい、彼らのために頭をそる費用を出してやって欲しい。そうすればユダヤ人キリストの間でパウロの評判が上がり、パウロに対する疑惑は消えるだろう、というものであった。つまり、金で解決したのである。この解決の仕方は果たして妥当なものであったのか、かなり疑問である。要するに、ヤコブという人物は「政治的」である。
マルコにとってはパウロもあまり気に入らないが、それ以上にヤコブに対してはイエスの福音からは最も遠く離れた俗物にすぎない、という思いがあったようである。その彼がエルサレムの教会の「柱」であるということには我慢ができなかった。その意味では、マルコ福音書が弟子たちの無理解を批判するのと同様に、イエスの家族特にヤコブへの批判のために書かれたということも納得できる。
5. 驚き
本日のテキストには、2つの驚きがある。一つはイエスに対する郷里の人々の驚き、もう一つは郷里の人々に対するイエスの驚きである。2つとも驚きには違いがないが、かなり質が違う。初めの驚きはイエスに対する「すごい」の驚きであり、後の驚きはイエスの「あきれ」の驚きである。初めの驚きはワンダフルの驚きであり、後の驚きはサプライズの驚きである。
郷里の人々にとって、イエスはまさに「すばらしい友人」であった。そのことの率直に驚いている。その驚きには、親しみが感じられる。その驚きには、理解できない不思議さがあった。「この人は、このようなことをどこから得たのだろう。この人が授かった知恵と、その手で行われるこのような奇跡はいったい何か」(6:2)。自分たちがよく知っているイエスと、今自分たちの目の前で話しをしているイエスとのギャップは謎である。
しかし、そこにはこのことを素直に受け入れることができない人々もいた。「この人は、大工ではないか。マリアの息子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。姉妹たちは、ここで我々と一緒に住んでいるではないか」(6:3)。この人のことをよく知っているということが、躓きの原因になる。そんな筈がない、という思いが、素直にこの事実を受け入れることを妨げる。つまり、それまでに自分が持っている認識や経験から自由になれない。あの時のあの行動が邪魔をして現在の姿をゆがめる。過去から解放されていない。従って、彼らは驚かない。驚きのないところには、喜びもない。
6. 「人々の不信仰に驚かれた」
さて、主イエスはちょっとや、そっとのことで驚いたり、慌てたり、怖がったりしない。ヨハネ福音書では、人々が主イエスを王にしようとしたときでさえ、驚きも慌てもしないで、「ひとりで山に退かれた。」(ヨハネ6:15)ということが記されている。もっと、不思議なことは多くの人々が主イエスのなさったことを見て、主イエスの名を信じたときも、「しかし、主イエス御自身は彼らを信用されなかった」とある。「それは主イエスは、何が人間の心の中にあるかよく知っておられたからである」(ヨハネ2:25)と説明されている。
ところが、ここでは主イエスが驚いている。この驚きというのは、当然こうであろうと思っていたことが、そうではない、あるいはその反対のことが起こっているということの驚きである。普通でないことが起こっている、という驚きである。イエスは「人々の不信仰」(6:6)に驚いている。もし、「人々の不信仰」ということが当然のことであり、普通のことならば主イエスはここで驚かれるはずがない。イエスは「信仰」こそ自然な状態で、普通のことであると考えているようである。
7. 人々の不信仰の原因
「この人は、大工ではないか。マリアの息子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。姉妹たちは、ここで我々と一緒に住んでいるではないか」(6:3)ということが不信仰の理由であるという。要するに、イエスのことを「よく知っている」ということが不信の理由だという。否、正確にいうと、主イエスを自分たちの「知っている」というレベルで知っている「つもり」であり、事実目の前で起こっている出来事ではなく、自分たちが「知っている」と思っている評価や価値観に固執しているのである。そして、それに固執している限り、本当の主イエスの姿が見えてこない。結論として、自分たちの低俗な価値観に従って、主イエスを「いかがわしい」人物として評価するのである。主イエスが驚かれたのは、この「不自然な、不自由な」人々の態度である。
イエスが当然のこととして、自然なこととして、普通のこととして求めておられる「信仰」とは、今目の前で起こっている出来事に対する素直な態度であり、自分たちの評価や価値観から自由になることであり、つまりそれらを棄てることである。
8. 本日のメッセージ
本日のテキストの直前で、ヤイロの娘の癒しとイエスの服に触れて癒やされた婦人の物語が語られた。それは「信じるところで奇跡は起こる」というメッセージが語られた。本日のテキストにおけるメッセージは、信仰のないところでは奇跡は起こらない、ということである。もう少し、見方を変えると、信仰のないところでは、今目の前で起こっている不思議なこと、神の業が見えない。


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