5月28日(火)午前10時からやまなみ荘大ホールにおいて、村内戦没者御遺族の皆様方をはじめ村議会議員並びに村内有力者各位のご参列を賜り、本村出身の 戦没者英霊二百十有余柱の御霊に対しまして追悼式を挙行いたしました。
▽ 牛越副村長の開式のことばで始まり国歌斉唱をしました。
▽ 本村出身の戦没者英霊二百十有余柱の御霊の前に、私が謹んで追悼の誠をささげ式辞を申し上げました。
私からは、時世は移り終戦から79年の歳月が過ぎようとする今日、歴史ある祖国の危急に際し、尊い命を捧げられた皆様の愛国の至情は永く後世に語り伝えて、私達は戦争のない恒久の世界平和を固く誓わなければならないものでございます。
しかし、一昨年2月24日にロシアによるウクライナへの軍事侵攻が開始され、ウクライナ首都キーウ近郊における民間人の犠牲や原子力発電所への攻撃も起きております。
世界的な食料・エネルギー価格の高騰などを引き起こし、インド太平洋地域や中東・アフリカなど多くの国に深刻な影響を与えました。現在もウクライナ東部ではロシア軍の激しい攻撃で膠着状態が続いております。ウクライナ軍とロシア軍の戦闘が続く中、多くのウクライナ人が国外への避難を余儀なくされており、引き続きウクライナ人への支援が必要でございます。
イスラエルでは昨年10月7日に イスラム組織ハマスによる大規模な攻撃で罪のない多くの一般人が犠牲となりました。その報復としてイスラエルもガザ地区への空爆を開始し、現在もガザ地区への軍事行動は続き多数の子どもや女性、高齢者を含む民間人の犠牲者数が増えております。
また、戦火を逃れ百万人を超えるパレスチナ人がガザ地区南部の避難所に押し寄せ、食料不足の中、劣悪な環境下で生活を強いられてるのが現状であり、ガザ地区の避難民への人道支援が急がれております。
このように今もなお多くの人々が死傷し苦しんでおり、世界平和への道のりはいまだ遠いことを痛感せざるを得ません。改めて世界の国々が核兵器の廃絶と争いのない平和な社会の構築を目指し、地球上のすべての人々が平和を享受し、心豊かに生きるために世界の国々が互いに理解し助け合い、手を携えていく努力をし恒久平和を希求しなければと考える次第でございますなどと式辞を申し上げました。
▽ 続いて参列者全員で黙祷をし、太田議長、吉澤会長に追悼の辞を述べていただきました。
太田議長は、私の記憶に残る祖父から聞いた戦地の過酷さ、祖母が涙ながらに語ってくれた東京で工員をしていた時の空襲の恐怖体験。
いかなる理由が有ろうと争いを避け、平和解決に向け、互いが努力する。世界がその方向で進んでいる中で、そのルールから外れるおこないをしている国に強い憤りを禁じ得ません。世界から争いがなくなる日を迎えることを心から願うばかりです。
多くの国民が戦後生まれとなった日本。戦争が「記憶」から「歴史」へと変わりつつあるなか、戦争を知らない世代として、「風化させないよう」今なお、遠く離れた地で起きていることから目を背けず考え、できることする。そして全ての人が平和について議論・行動していくことが、世界平和につながると信じますなどの追悼の辞を述べられました。
▽ ご参列の皆さんを代表して、私、太田議長、吉澤会長、瀧澤区長会長が、戦没者英霊二百十有余柱の御霊の前に献花をしていただき、関係者は自席で起立し、一礼をしていただきました。
児童館・生涯学習施設の図書室では、毎年七月下旬から原爆資料等の絵画集・写真集・児童書などを並べた「戦争と平和コーナー」を設けるとともに、本大好きの会の皆さんによる「戦争の本」の読み聞かせを計画しております。
また、生坂中学校では 北海道標津町との交流学習において、先の大戦後80年近くが経過した今もなお、ロシアの不法占拠の下に置かれている我が国固有の領土、北方四島を返還すべきである北方領土問題を学ぶ機会を設けるなど、平和について常に関心を持っていただき、人を思いやる優しい気持ち持ち、平和な未来を実現するために行動していただければと考える次第でございます。
そして、次代を担う人々にこの思いを引き継ぐとともに、当村が脱炭素先行地域づくり事業に取り組むことにより、村民の生活とレジリエンスの向上を実現し、今後もすべての村民が安心し、真に豊かな生活を送ることができる持続可能な生坂村の構築に向け、更に全力を尽くしてまいる所存でございます。
▽ 上條教育長の閉式のことばで予定通り終了しました。
忠魂碑への献花は降雨のため中止し、個人のご判断にお任せしましたので、私は引き続き生坂村遺族会の総会に出席しました。