信州生坂村「山紫水明 食と文化癒しの郷!」

山清路、大城・京ヶ倉等の自然。赤地蔵、百体観音等の伝統。おやき、おにかけ等の食文化を持つ生坂村!

万平集落の桜並木と上空からの風景

2024年04月15日 | 生坂村の風景
 4月15日(月)も日差しが届き昼間は初夏のような陽気になりました。

△▽ 毎朝恒例の撮影は、万平集落の見事に咲き誇っていた桜並木や朝日が差していた上空からの風景を撮影しました。
万平集落桜並木と上空からの風景


 万平集落の大城・京ヶ倉のトレッキングコース道端に石仏群があり、庚申塔3基のほか「二十三夜塔」や馬頭観音とその中心の祠に道祖神が祀られています。

 道祖神に向かって左側に「天明八申三月」と刻まれていて、1788年造立のもので、石仏群の中では道祖神の隣に建つ青面金剛が「元文五庚申年」に建てられたもので、最も古いもので、1740年と道祖神よりは48年遡ることになります。

 これら石仏郡は生坂村の文化財に指定されていて、道祖神のやすの屋根は毎年正月に葺き替えられていましたが、現在は木祠の屋根に銅板で葺き替えてあります。

 本日私は、義兄の火葬、葬儀・告別式で一日役場を休ませていただきました。

 本日生坂村では、小学校で視力検査(3,5年)、中学校で3年振替休日①、スマホ予備校、JA年金感謝デーなどが行われました。




草尾上野ぶどう畑の成り立ち&上空からの風景

2024年04月02日 | 生坂村の風景
 4月2日(火)は日差しが届いたり曇ったりの穏やかな空で、昼間は暖かい体感でした。

△▽ 毎朝出勤前恒例の撮影は、草尾上野ぶどう畑に行き、朝日が差していた上空からの風景を撮影しました。
草尾上野ぶどう畑上空からの風景


 草尾巨峰団地の始まりは、昭和60年10月に草尾巨峰生産組合が4人で設立され、翌年10月に初収穫して試食会が開催され、昭和62年9月には、東京神田市場に初出荷されました。

 草尾上野地区の巨峰団地は、昭和61年度から平成5年度まで、果樹総合対策推進事業、新農村地域定住促進対策事業、特定地域農業振興総合対策事業などにより、巨峰苗木、農地造成、集出荷施設、スピードスプレアー、防除用薬剤調合施設、防霜ファンなど多くの整備を行ってきました。

 また、平成3年度から土地改良総合整備事業により、区画整理、農地開発、農道整備、灌水施設など、3年間で多額の事業費を費やし整備されました。

 当村の基幹産業は農業であり、先人達の栽培などの努力により、昭和61年度から産地化を目指し、栽培に取り組みました巨峰は品質が良く、「山清路巨峰」というブランドを確立させるに至りました。

 近年は巨峰栽培だけでなく、ナガノパープル、シャインマスカット、シナノスマイル、クイーンルージュなど大粒種のぶどうや根域制限栽培を取り入れ、道の駅いくさかの郷やインターネット、JA出荷などで販売されています。

 平成29年度には、国の地方創生加速化交付金を活用して考案し、村名と宝石に見立てたブドウをイメージして、村内産のブドウを総じて「193(イクサ)カラット」のブランド名として売り出すことにしました。

 併せて、宇宙からやって来てブドウ畑を守るというPRキャラクター「カラットリン」も誕生させ、統一したロゴマークをデザインし、ポスター・パンフレット等を作成して「いくさかぶどう」の更なるブランド化を進めております。

 本日私は、行事や会議はなく、矢口池田町長、松川村副村長・正副議長、松本地域振興局・松本建設事務所・松本広域連合等の職員各位、穗高広域施設組合職員などが来庁され対応しながら、入園式、入学式の祝辞の作成などをしました。

 本日生坂村では、中学校で小中合同職員会議、大城・京ヶ倉を広く世に出す会役員会、1班の皆さんの元気塾などが行われました。

長野県林業コンサルタント協会理事会&北アルプス医療センターあづみ病院運営委員会&万平集落上空からの風景

2024年03月27日 | 生坂村の風景
 3月27日(水)の朝は雲が目立ちましたが、昼間は穏やかな晴れの天気でした。

△▽ 毎朝出勤前恒例の撮影は、万平集落に上がり、朝霧が立ち込めても朝日が差してきた上空からの風景を撮影しました。

万平集落上空からの風景
 午前11時からは、長野市林業センターにおいて、長野県林業コンサルタント協会理事会に出席しました。

 羽田理事長の挨拶で始まり、議事として第1号議案 令和5年度事業報告及び決算(見込)について、第2号議案 令和6年度事業計画及び当初予算(素案)について、第3号議案 令和6年度暫定予算(案)について、第4号議案 「役員の報酬及び費用に関する規程」の一部改正について、第5号議案 事務局長等の任用について説明を受け協議をし、提出された議案通り承認しました。

 次に報告事項として、⑴ 令和6年度役員候補者名簿について、⑵ 大韓民国治山技術協会との技術交流覚書(MOU)について報告を受け協議をして、それぞれ了承をしました。

 午後3時からはあづみ病院7階やまなみホールで運営委員会が開催されました。運営委員長の矢口池田町長はじめ3名の方々の挨拶があり、2022年度決算報告について、2023年度決算見込について、2024年度事業計画について説明を受け了承しました。

 本日生坂村では、小学校で新年度準備・新4,5,6年登校日、千曲川河川事務所事業説明、例月出納検査、地域支え合い推進会議などが行われました。


信濃十名勝「山清路」の風景&犀龍小太郎伝説

2024年03月23日 | 生坂村の風景
 3月23日(土)は雨が降りお出かけにはあいにくの空で、昼間もややヒンヤリとして体感でした。

△▽ 毎朝恒例の撮影は、雨が降る前に山清路に行き、様々な奇岩や清き流れの犀川の風景を撮影しました。
信濃十名勝「山清路」の風景
 アルプスの名峰「槍ヶ岳」を源とする犀川は、松本盆地を北流し長野盆地の川中島で千曲川と合流する河川でして、その流れはところどころで蛇行しながら、美しい峡谷である「犀峡」を造り出しています。

 犀川は生坂村で、支流の金熊川、麻績川と合流するところが「山清路」と呼ばれる景勝地になっていて、この地は、民話『犀龍と泉小太郎』の山清路伝説の場所なのです。

 松本平は太古、一面に湖であった。ここに犀竜が住んでいて、白竜王(日輪、大日如来の化身)との間に泉小太郎が生まれ、泉小太郎に自分の姿を見られることを恥じて、湖水に隠れてしまった。

 泉小太郎は母の行方をたずね歩き、やっと熊倉の下田奥の尾入沢(松本市島内と安曇野市豊科田沢の境)でめぐり会うことができた。
 犀竜は「我は諏訪大明神の化身である。氏子を繁栄させたいと思う。背中に乗りなさい。この湖水を突き破り平地とし人里にしたい」といった。

 泉小太郎はいわれるままに尾入沢から犀竜に乗り、山清路の大岩を突破し、水を越後の海に流し落として、松本平を肥沃な人里とした。
 この後、犀に乗った所を犀乗沢、そこから千曲川までの川筋を犀川というようになったと伝えられている。

 山清路は泉小太郎が一番苦労して突破した難所である。そのおかげで生坂の地も人里と なった。かつては、感謝とこの地の発展を祈って毎年5月に犀竜小太郎祭が盛大に行われていた。

 山清路という地名は、昔この付近に山(三)清寺という寺があったことからつけられたといい、今も寺跡がある。山清路の名勝は明治以降、犀川下りの人々により有名となり、昭和3年新愛知新聞社 主催により、信濃十名勝の第二番に選ばれた。

 昭和62年には朝日新聞社、長野県、テレビ信州、森林文化協会の公募により、長野の自然100選の一つに認定された。
 当村としても山清路のVR動画、パンフレットの製作、看板の修繕と更新、百体観音の遊歩道の整備などを行い、今年は駐車場をしっかり整備して山清路を当村北部の観光名所にするため取り組んでおります。

 今年の辰年は龍の年に当たり、犀龍小太郎伝説のある生坂村ゆかりの年であり、龍は強さ、勇気、創造性、革新性を象徴するシンボルとのことで、潜在的な可能性のチャンスに満ちた年といわれ、生坂村の一世一代の大事業が本格的に動き出す年でもあります。

 私は公務がなく、毎朝恒例の撮影とSNSでの発信を済ませ、雪や雨が降っていたので3番目の孫を見ながらブログ作成をしました。

 午後は二人の孫を連れて、妻の実家にお線香をあげに行き帰りに買物をしたりして一日が終わりました。
 本日生坂村では、竹林整備講習会などが行われました。


信濃十名勝「山清路」の風景

2024年03月09日 | 生坂村の風景
 3月9日(土)は午前ほど雲が広がりましたが、午後は天気が回復し日差しが届きました。

△▽ 毎朝恒例の撮影は、山清路に行き昨夜の雪がうっすら積もった雪景色や犀川の流れの風景を撮影しました。

信濃十名勝「山清路」の風景
 北アルプスの名峰「槍ヶ岳」を源とする犀川は、松本盆地を北流し長野盆地の川中島で千曲川と合流する河川でして、その流れはところどころで蛇行しながら、美しい峡谷である「犀峡」を造り出しています。

 犀川は生坂村で、支流の金熊川、麻績川と合流するところが「山清路」と呼ばれる景勝地になっていて、この地は、民話『犀龍と泉小太郎』の山清路伝説の場所です。

 山清路は昔、大日様の五月八日のお祭りで大きな岩の上で宴会をしたということも聞いていました。今朝も犀龍小太郎が砕いたと伝えられる大きな岩がいっぱい現れていて、その岩の上で宴会をしていたと思える山清路の渓谷美を撮影できました。

 旧山清路橋は、昭和9年に架けられたもので、1960年代後半には新山清路橋が開通し、2020年には山清路大橋が完成しました。

 さらに南には、山清路を迂回する長野19号防災(山清路地区)の整備により山清路防災1号橋が架設され、北には御曹子橋があり、犀川を渡る橋が続いて名所にもなると思います。

 今は、県道大町麻績インター千曲線の旧道になった県道部分には、生坂橋、公園橋もあり、山清路を中心に橋が増え橋巡りも楽しめると思います。

 当村としては山清路のVR動画、パンフレットの製作、遊歩道の整備、看板の修繕と更新などを行い、来年度は落石防止対策工事により駐車場を整備し、当村の貴重な観光資源として活用を進めてまいります。

 私は本日公務がなく、毎朝恒例の撮影とSNSへの発信を済ませ、孫を見ながらブログの作成をして、午後は妻と一緒に孫二人を連れて、池田町に食料品などの買物に行きました。


 本日生坂村では、保育園で保護者作業と総会などが行われました。

赤地蔵上空からの風景&孫の子守り

2024年01月14日 | 生坂村の風景
 1月14日(日)は青空が広がり朝は冷え込み、昼間も冬本番の寒さが続きました。

△▽ 毎朝恒例の撮影は、放射冷却で清々しく晴れ渡った赤地蔵上空からの風景を撮影しました。
赤地蔵上空からの風景


 ここの赤地蔵は江戸時代初期、この地を拠点にしていた日岐氏一族が長野市川中島合戦から故郷へ戻り、先祖の供養のために建てたと言われています。


 顔がないのは、雨乞いを行うためお地蔵さんを麓の犀川まで引き下ろしたため、顔が磨耗してしまったとのことです。

 お地蔵さんを赤く塗るのは魔除けのためで村人の願いがかなうと赤い頭巾と着物を奉納してきました。

 本日私は公務が無く、朝一番に塩カルを撒いて、毎朝恒例の撮影とSNSの発信を済ませ、孫の子守りをしながらノンビリしました。

 前日降った雪は、道路を掃くほども積もらず、塩カルを撒くだけで良かったので、日差しが届き始めてから孫二人と散歩をしました。

 雪は、畑や日陰に若干積もっていたので、孫のリクエストに応えて、そり滑りをお昼過ぎまで楽しみました。


 また、雪合戦や雪遊びをして少ない積雪でしたが、孫たちが雪ではしゃいでいる姿に和まされました。


 本日生坂村では、スキー・スノーボード教室、マイナンバーカード休日申請窓口開設などが行われました。

2024松本山雅FC新体制発表会&山清路の風景

2024年01月08日 | 生坂村の風景
 1月8日(月)は段々と日差しが届きましたが、朝晩は冷え込み昼間も冬本番の寒さになりました。

 午後2時30分から、まつもと市民芸術館にて『2024シーズン松本山雅FC 新体制発表会』が開催され、藤澤村づくり推進室長と出席させていただきました。
 同会にはファン、サポーター約1800名が駆け付け、J3優勝、J2復帰を目指す選手とスタッフに例年通りの熱いエールを贈りました。


 進行は松商学園高校とエクセラン高校の放送部が務め、最初に株式会社松本山雅 代表取締役社長 神田文之さんから「J3のシャーレをこのクラブの歴史に残し、強いチーム作りは、下條スポーツダイレクターを中心に組織作りをしてくれたので、ここから先は霜田監督をメインにその強い組織を、強いチームを作っていってほしい」と述べました。

 また、会社スタッフが紹介され「私たちがそれぞれの立場で責任とそのミッションをしっかり背負って、このクラブに関わっていき、強い組織、強いチームを作るために、それぞれのミッションにおいてできることを考えて行動していく。そして、サポーターの皆さんと改めて目線を合わせ、J2昇格という目標を成し遂げたい」などの挨拶をされました。

 今年も、松本蟻ケ崎高校書道部が、神田文之社長、マスコットキャラクター・ガンズくん、サポーター代表と共にパフォーマンスを披露し書き上げました。


 今シーズンのスローガンは、勝負強さや組織の結束力、地域とのつながりなどこれまで積み上げてきた強さを進化させ、成長する意思を込めた「One Soul ツヨクナル」でした。


 続いて、強化責任者の下條佳明スポーツダイレクターにより、「求められるものはクオリティで、全てにおいてクオリティも上げていかなければならず、そういう意味で2つのポイントに絞って進めてきて、一つはチーム編成でより競争力のある集団にし、もう一つは、若い選手たちの成長に期待し、積極的に期限付き移籍を含めて環境を準備することにして、我々はさらに高みを目指し、清々しく、たくましいチームになっていかなければならない。皆さんのご支援をいただけるよう、全ての意味でクオリティを上げていく」と挨拶されました。

 選手・スタッフ紹介では、中山太鼓連が力強い太鼓を響かせる中、一人ずつ登壇し、背番号も合わせて発表され、2シーズン空いていた「10」を菊井悠介選手が付けることが知らされると、会場からはどよめきと拍手が起こりました。






 背番号10をつける菊井悠介選手は「背番号に恥じないプレーをしたい。昇格しか考えていない」と力強く語り、昨シーズンを振り返り、常田克人選手は「悔しさを優勝という結果で示したい」、村山智彦選手は「サポーターには悲しい思いをさせてしまっている。昇格だけを考えて戦う」と意気込みを口にしました。


 新加入の選手は大きな声援に「ファン、サポーターが熱く、圧を感じていた。皆さんを背に戦えることをうれしく思う」「応援に心が震えた。スタジアムでも後押しを」松本のために全力を尽くして戦いたい」などと述べられました。

 質問コーナーでは、サポーターが壇上で直接選手に問いかけ、「試合に負けて落ち込んだ時にどうやって立ち直るか」と聞かれた藤谷壮選手は「とりあえずいっぱい食べて寝る」などと回答されました。


 菊井悠介選手、常田克人選手、大内一生選手、村山智彦、神田渉馬選手が新ユニフォームに袖を通して登場し、今シーズンもクラブを支えてくださる、ユニフォームスポンサー・サプライヤーも紹介されました。



 最後に霜田監督は「心強い、勝てるメンバーがそろい、本当に皆さんの期待に応えたいと思えば、強い心が必要であり、心を鍛え、心を整えて、謙虚に丁寧に目の前の試合に集中して勝点を積み上げ、雷鳥を身にまとい、強い覚悟で頂を目指したい」と決意を表明しました。

 ご来場いただきました約1,800名のファン・サポーターの皆様を背に集合写真の撮影を行いました。

 チームは1月9日に松商学園総合グラウンドで初練習を行って始動し、その後は市内でトレーニングを重ね、15日〜27日に和歌山県串本町、30日〜2月16日に鹿児島市でのキャンプに臨みます。

 スローガンは「One Soul ツヨクナル」。勝負強さ、組織の結束の強さ、地域のステークホルダーとの繋がりの強さなどを追求して進化を遂げ、J3優勝、J2昇格を成し遂げましょう。

信濃十名勝「山清路」の風景
△▽ 毎朝恒例の撮影は、雪が残っていた山清路と清き流れの犀川の風景を撮影しました。


 本日生坂村では、中学校でアンサンブルコンテスト塩筑木曽大会、やまなみ荘で村内無料入浴日などが行われました。




信濃十名勝「山清路」の風景

2023年10月28日 | 生坂村の風景

 10月28日(土)は変わりやすい天気で、朝晩は肌寒く昼間は過ごしやすい体感でした。

△▽ 毎朝恒例の撮影は、少し色づいてきた木々や清き流れの犀川などの山清路の風景を撮影しました。

信濃十名勝「山清路」の風景

 北アルプスの名峰「槍ヶ岳」を源とする犀川は、松本盆地を北流し長野盆地の川中島で千曲川と合流する河川でして、その流れは当村でところどころで蛇行しながら、美しい峡谷である「犀峡」を造り出しています。

 犀川は生坂村で、支流の金熊川、麻績川と合流するところが「山清路」と呼ばれる景勝地になっていて、この地は、民話『犀龍と泉小太郎』の山清路伝説の場所であります。

 山清路の名勝は明治以降、犀川下りの人々により有名となり、昭和3年新愛知新聞社 主催により、信濃十名勝所の第二番に選ばれましたのが、ちょうど今の風景に近かったと思います。

 昭和62年には朝日新聞社、長野県、テレビ信州、森林文化協会の公募により、長野の自然100選の一つに認定されましたのが、それは平ダム湖の風景だったと思います。

 主要地方道県道大町麻績インター千曲線の山清路バイパス(山清路大橋)が完成し、旧道になった県道部分を、松本建設事務所により、法止工、舗装・橋梁の修繕などの整備をしていただき村道に移管されました。

 当村としても山清路のVR動画とパンフレットの製作、看板の修繕、百体観音の遊歩道の整備、駐車場整備、観音様の建立、支障木の伐採、三箇所の案内看板の更新など、山清路を当村北部の観光名所にするため取り組んでいます。

 今日は公務が無く、11月3日に亡き母の五十日祭法要のため、お墓の掃除を息子と行い、その後雑用を済ませてから、1年に一回の長野県商工会青年部連合会の正副会長を務めた4人で一献を交わすために、湯田中温泉に行き、楽しいひとときを過ごしました。

 本日生坂村では、公民館で地域未来塾などが行われました。


日岐周辺からの風景

2023年09月28日 | 生坂村の風景

 9月28日(木)は雲が広がりやすい空から日差しが届き、ムシムシとした不快な暑さになりました。

▽ 毎朝出勤前恒例の撮影は、小雨の中、日岐の犀川対岸に行き、生坂ダム湖や上空からの風景を撮影しました。

日岐周辺からの風景

 本日も私は、朝礼後に決済をし、脱炭素先行地域づくり事業の打合せをした後は、午後にも決済をするほかは、母の通夜や葬儀等の準備と弔問の対応をさせていただきました。

民生児童委員の皆さんの北部ブロック民生児童委員研修会は、意見交換会もありましたので牛越副村長にお願いしました。

 本日生坂村では、小学校で5年宿泊学習、なのはなで乳幼児お下がり会、陶芸教室、認知症サポーター、農業公社理事会、民生児童委員定例会、大城・京ヶ倉を広く世に出す会打合せ、農業委員会などが行われました。


上生坂上空からの風景

2023年09月27日 | 生坂村の風景

 9月27日(水)は雲が優勢の空から時より日差しが届き、昼間は蒸し暑さを感じました。

▽ 毎朝出勤前恒例の撮影は、上生坂西手集落の犀川堤防に行き、雲が優勢の上空からの風景を撮影しました。

上生坂上空からの風景

 本日も私は、決済や資料のチェックなどを行った他は、母の通夜や葬儀等の準備と弔問の対応をさせていただきました。

 27日(水)から29日(金)までの長野県町村会役員先進地視察は、先週火曜日にキャンセルをさせていただきましたので、当村関係の会議なども少なくて助かりました。

 本日生坂村では、小学校で5年宿泊学習・ALTなどが行われました。