□引用元=雑誌「偕行」の連載記事「ヘレン・ミアーズと日本」/大場昭氏(元防衛研究所図書館長)著
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■引用
四、満州事変
・しかし、満州事変という日本の「暴力と貪欲」は、欧米民主主義国が作った国際法で許されていた。
・前述したリットン報告書は、内容的に驚くべき文書である。調査団が集めた報告は日本自身が考えもつかない中国告発の材料を揃えてくれた。第一に~~
・しかし、調査団の結論は収集した事実をまったく使わず、連盟加盟団は満州国を承認すべきではないと勧告した。
・そこで日本人は、非難は日本の行動に対してではなく、人種に向けられたものだという結論に達し、連盟から脱退する。
五、満州国の建国
・1934年末、イギリス産業連盟の使節団が日本・満州に来訪し、次の調査報告書を作成した。
「満州国住民は治安対策の向上と秩序ある政府を与えられている。軍(松永注:日本軍ではない)による略奪と搾取はなくなった。課税制度は妥当なもので、公正に運用されている。住民は安定通貨を持つことができた。輸送、通信、沿岸航行、河川管理、公衆衛生、医療施設、医療訓練、これまで不足していた学校施設などの整備計画が立てられ、実施されている。こうしたことから、満州国の工業製品市場としての規模と将来性は容易に想像できよう」
それでも欧米列強は「事実の論理」を理解することができず、新国家を承認しなかった。
ヘレンさんの記述からみるかぎり、《「欧米列強」は、自己の利益と優越(=人種差別)にしか興味がなかった》ことがよく分かります。
同時に、このような良識ある米国人の書物が「占領期」「占領後」の日本で売れず(=売れないようにされ)、ルースの「菊と刀」などの本が大々的に宣伝されて広く売られた理由も・・・
※「戦後」と「占領後」という用語のちがい・・・「戦後」という用語は現象的には正確だが、《因果関係的状況》はまったく表していない。したがって、文脈によっては、「戦後」ではなく「占領後」という用語を使ったほうが、現象もその現象が生じた因果関係も分かりやすく表せる。
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